133.霜月家での新年③
さてと準備は整った。ステージ上の中央にはカナがマイクを握って、震えながら立っている。その横では綾先輩が余裕そうに佇み、カナのフォローをする予定。俺はその後ろでベースの調子を確かめている。
「ご協力、感謝します」
「何、一番の年下が楽しめていないのは俺達も気にしていたからな」
「それだったら誘えばよかったじゃないですか」
「俺達みたいなおっさんが誘っても怖がられるだけだろ」
そんなことはないと思うけど。ギターを持っている男性は俺でも知っている位の有名人。俺がベースの練習をする際に最初に弾いた曲も彼らの楽曲だった。確かに年齢は高めだが、この場で人を警戒するほうが悪いと思う。
「しかし、見事なまでにメンバーがバラバラですね」
「何人かは酔っぱらっているからな。下手に絡んだら悪いだろ」
中学生相手に酔っ払いが絡むのは確かに最悪だ。その為か集まった人たちはチームを組んでいる人達で固まったのではなく、見事なまでに年齢も性別もばらけてしまった。セッションとしては不安はあるけど、失敗してもいいくらいでやればいい。
「しっかし、あのアンノーンがベースまで弾けるとはね。今度、うちのライブに来ないか?」
「まだ事務所にも所属していないので無理です。観客としてなら喜んで参上します」
「後でチケット送ってやるよ。シェリー経由でいいだろ」
よし、更なるやる気が注入された。シェリーを経由するというのがそこはかとなく危険な気配がするのだが、考え過ぎだろうと思うことにした。ただで好きなアーティストのチケットを貰えるのなら多少の危険には目を瞑ろう。
「曲順はどうする?」
「そうですね。全員が知っているという制限はありますけど、ファーストから五曲連続でどうでしょうか?」
「鬼だねぇ。そっちの方が吹っ切れるか」
最初は硬いだろうけど、途中からヤケクソで弾けるだろうと思っている。それで駄目ならその時考えればいい。目的は中学生歌手の内面改造計画。やる必要は全くないのだが、こんなプライベート位は楽しめる程度にはなってもらわないと将来で苦労しそうだ。
「未来のシェリーでも作る気か?」
「まさか。そこに適任者がいる以上、作り上げる必要なんてないですよ」
綾先輩という未来のシェリーが存在している以上、それを越える人物を作る必要性なんてない。鬼のようなシェリーの特訓を綾先輩が乗り越えられたらの話だけど。何となくあの人は歌の教育には手を抜かない気がする。あの綾先輩が音を上げるとも思えないけど。
「アン嬢ならどっちだと思う。綾嬢の心が折れるか、大成するか」
「愚問です」
「ははは、確かにその通りだな」
音楽馬鹿の綾先輩が途中で心折れるとは思えない。意地でもシェリーの特訓を耐え抜くと確信が持てる。それは今回参加している綾先輩を知る者全員の答えだな。後は凜だって何だかんだと言って協力するはず。
「よし、合わせはこんなもんだろ」
「それじゃ、やりましょうか。It's Showtime!」
そして無理矢理にステージへ上がったカナの苦行が始まった。審査員はシェリーでいいだろうか。本人に見てもらえるなんて凄い幸運だなといっても、絶対に納得しないだろう。同じことを言われたら俺だって反発する。
最初はやっぱり震える歌声と強張る身体で緊張しているのが丸分かりだった。でも隣にいる綾先輩のフォローで徐々にほぐれてきた様子。最後には随分と弾けていたので忘れられないイベントになったことだろう。
「ふぅ。もう一曲やる?」
「やりません!」
俺に対してもこの反応ならばもう大丈夫だな。カナも緊張していたのだが、俺だって結構きつかったんだぞ。周りにいるのは超一流のアーティスト。その中でにわか仕込みの俺が参加しているのだから気持ち位は察してほしい。
「結構やるじゃないか」
「ついていくので精一杯でしたよ。もっと特訓しないと堂々と一緒に演奏なんてできません」
「そう簡単に追い付けると思うなよ。俺達だって日々精進しているんだからな」
空いた時間で少しだけ練習している俺と、仕事でフルに楽器を演奏している彼らでは時間に差が有り過ぎる。演奏のみに没頭できる環境ならば俺の上達が早いかもしれないが、そんな状況でもないからな。家事にバイトにと空き時間が少ない。
「それじゃあ、次はアン嬢の番だな」
「後輩に歌わせておいて自分が歌わないのもあれですからね。適当に何かを歌いましょう」
「いや、リクエストがあるんだよ。一回だけしか流れなかったファーストソングを頼む」
「えっ」
男性ではなく、綾先輩の顔を確認したのは間違っていなかった。ニヤリと笑った顔から俺が罠にかけられたのが分かる。まさかカナを餌として、俺を誘導するとは思わなかった。だけどこっちにだって対応策はある。
「残念ながら私が持っているスマホに楽曲データは入っていない。これは借り物なんでな」
「アカペラでもいいよ」
「あの曲は演奏と合わさってこそ。私だってそこまで歌っていないのだから演奏がないと不安がある」
実際はアカペラでも歌えるのだが、嘘を吐いてでも断る。あの楽曲データはシェリーにも渡していない。俺が渡した相手だって少人数だから綾先輩が保有しているとも思えない。あの恥辱を思い出すくらいならこっちだって抵抗するぞ。
「自信のない歌を聞くのが目的じゃないよな?」
「ちっ。普通、相手の目的を人質に取る?」
「利用できるものは何でも使う。友人知人は除くけど」
そこが甘さなのは分かっている。俺だって踏み越えてはいけない一線くらいは弁えている。お互いに利用するのであれば遠慮はしないけど。それが今回の場合だ。俺は移動手段と隠れ蓑として利用して、霜月家はイベントへの強引な参加を目的とした。
「綾もまだまだね。むしろ相手が悪かったのかしら」
「まさか楽曲データを手に入れたとか言いませんよね。シェリー」
「それこそまさかよ。色々と画策したけどガードが堅くて無理だったわ」
つまりシェリーもデータは持っていない。基本的にデータを所有しているのは俺の知人だから、そういったガードは堅い。あれはリアルタイムでなければ二度と聞けなかった曲なのかもしれない。
「だからデータは諦めて、探すのは人物にしたの」
「は? ……まさか!?」
「苦労したわよ。探ったらラジオで流れたあれは録音で、あるレストランで披露されたらしい。支配人は口を割らなかったから訪れていたお客さんから探る羽目になったわ」
頭抱えるぞ。相変わらず情報網が謎だけど、捜索の仕方が本格的過ぎる。恐らくはかなりの人材を投入しただろうし、専門の人だって呼んだだろう。そして探しだした人物については俺でも分かる。
「ふっふっふ、この日の為に当時のピアニストを呼んだのよ!」
「馬鹿だろ!」
そもそも俺が歌ったのは二十四日だ。それから正月まで一週間程度の期間しかない。しかも最初は楽曲データを探していたのだから更に日数は減ったはず。霜月家の力を全開で馬鹿なことに使用したな。ちらりと旦那を見るとサムズアップで返してきやがった。
「やり方の規模が違い過ぎます」
「私も聞いてみたかったのよ。アンちゃんのあの歌はプレミア級の入手難易度なのよ。それこそ十二本家の力が通用しないくらいに」
「隠していますからね。ラジオに流れたこと自体、事故のようなものですから」
本気であれは俺も想定していなかった。白瀬の独断専行であったのだが、その所為でアンノーンとしての知名度が上がってしまったのだ。理由はシェリーも話した通り、聞ける機会がもうないからだ。
「ちなみにピアニストの方にはアンちゃんと演奏するまで断酒してもらっているわよ」
「やり方がえげつないです。私に対してピアニストを人質にしますか」
「私だって手段は選ばないわ。それにこれくらいしないとアンちゃんは歌ってくれないでしょう」
他の曲だったらカナの手前、歌うつもりではいた。でもあの曲を歌うのだけは嫌だった。理由は恥ずかしいのもあるし、何より今回みたいな賑やかなイベントには合わないからだ。あれは二人の未来を願った歌。伴奏はピアノのみ。賑やかさとは無縁の曲。
「別に雰囲気を気にする必要はないわよ。私が聞きたいのと同じで、この場にいる全員が聞きたいと思っているのだから」
「それはそれで緊張感が増すのですが」
「カナにやらせておいて、自分がやらないのは卑怯だと思うわよ」
「そうです!」
カナにまで言われてしまえばやるしかない。覚悟を決めてベースを返し、代わりにマイクを受け取る。ステージから続々と先程の参加者が下りるのと同時にあの時のピアニストが上がってくる。
「ご迷惑をお掛けします」
「私も詳細を聞かされていなかったら、この展開にはビックリね。やっぱり十二本家はやり方がおかしいわ」
ちなみにピアニストの人は白瀬の個人的な付き合いがある方。もちろん魔窟の住人ではない。ピアノを弾ける人材はいるのだが、魔窟の住人を参加させると計画が滅茶苦茶にされる可能性があったからだ。
「私のお酒の為に歌って頂戴ね」
「それは何だか違う気がしますけど」
やっぱり白瀬と付き合いがあるだけに少しずれた人なのかもしれない。それでもピアノの前に立つと観客へ一礼する辺り、彼女にも流儀があるのだろう。俺もそれに倣って一礼する。それが開始の合図であり、意識の切り替える為の儀礼。
もしくはあの日の再現でもあった。
寝ぼけてズボンに足を絡めて階段から落ちかけました。
手すりと壁に手をついて宙ぶらりんになったのはいつ以来でしょうか。
壁に穴が開かなくて良かったです。