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126.聖夜前夜はらしくない


料理に舌鼓を打ちつつ、事態が動くのを待っているのだが全くと言っていいほど動かない。何かしらの会話をしているように見えるのだが、それだってすぐに終わってしまっている。ここからじゃ何を話しているのか分からない。


「見た目も楽しめるし、味も申し分ない。凄いな、これ」


「悔しいけど全く分からないわ」


流石は二つ星の店だ。難しい顔をしている香織は調理方法が想像つかなくて悩んでいるのだろう。俺だって分からない。超一流のシェフが作っている品を素人同然の俺が理解できるはずもない。美味しいからいいけどさ。


「それでどんな様子?」


「進展なし。お店を出るまでに決着がつきそうにないな」


「想定通りということね」


「いや、そうでもないぞ」


あちらに動きが無くても、想定外の事態は発生する。主に俺に関してだけど。改めて考えるとこれから実行する内容は俺らしくない。だけどやると決めたのだからやらないといけない。


「何かあった?」


「緊張してきた」


「は?」


食べていた香織の手が止まった。仕方ないだろ。俺だって普通の人間だ。当然ながら緊張だってする。それなのに目の前にいる人物は俺が何を言っているのか理解できてない様子。俺の印象おかしくないか。


「今まであれだけのことをやっていたのに、緊張するものなの?」


「あれは場のノリと誰かしらと一緒にやっていたからだ。私が主役の場面じゃなかっただろ」


知らない人達の前でやった時、俺は一人だけじゃなかった。修学旅行でやらかした時だって主役は合唱部であったし、隣にはシェリーだっていた。俺への注目は少なかったはず。だから気軽にやれていたのかもしれない。


「完全アウェーだろ、ここ」


「いやいや、あの時ほどの人数じゃないからね」


テーマパークでの規模は違い過ぎるだけだ。あれに比べれば今回の人数なんてたかが知れている。それでも今回のメインは確実に俺。誰かの為にやるのは俺が決めたのだから覚悟は決めている。それでも緊張するものだ。


「失敗しないよな?」


「弱気になっているところ悪いんだけど、時間よ」


運ばれてきたデザートが準備を始める合図。ほぼ一口で口の中に放り込んで俺は移動を開始する。緊張で味が分からなかったのだが、それは香織に任せることにしよう。俺達の一番重要な情報なのだから。


「無理を言って申し訳ありません」


「いえ、如月様の申し出であればお断りするはずがありません。それに噂のアンノーンが歌ってくれるとなれば猶更です」


少しばかり強権を使ったのは仕方ない。今回ばかりは本当に俺らしくない方法を使っている。それ以外に方法が思いつかなかったともいえる。お店相手に俺が使える手なんて俺にあるはずがない。


「期待外れのものでしたらすみません」


「当店にとっては当たりも外れもありません。どうぞ、精一杯歌ってください」


意外ともいえるのだが、このお店で歌唱を披露するのは珍しくない。偶にピアノの伴奏のみで歌声を披露することがあるから。ただし、それをやれるだけの実力がある人物のみが許されている。俺がそこに入れるかどうかはこれからだな。


「気合を入れ直さないと」


舞台はすでに準備されている。これをごり押したのも俺の提案を受け入れた学園長の姉。結構乗り気だったのが妙に気になる。あの人の背後にシェリーが関わっている可能性もゼロじゃない。だけど現地にいないのであれば可能性として排除してもいいだろう。


「ご要望の通り、ベールで覆っていますので客席からは顔を見られることはないはずです」


「録音機材は?」


「抜かりなく」


これは俺の要望ではない。楽曲の提供を白瀬に頼んだら交換条件として録音を頼まれたのだ。何に使うのかまでは教えてくれなかったが、碌でもない結果に繋がるだろうな。それも覚悟の内だ。


「それでは行ってきます」


「ご武運を」


覚悟を決めて小さなステージへと上がる。その瞬間に誰もが静まり返り、俺の緊張は更に高まる。誰もいないステージに上がるのはこれが初めて。心細さはあるが、これが普通なのだと思い込む。過去ではなく、今の琴音としての関係者はいないのだから。


挨拶はなし。客席に一礼して、深呼吸。ピアノを担当してくれる女性へと合図を送り、気持ちを高める。楽曲はラブソング。幾ら何でもこんな日にロックは合わない。歌いだしは静かにゆっくりと。込める気持ちはたった一組へのカップルに向けて。勇気を与え、祝福ある未来を思い浮かべつつ、全力を持って応援する。


曲の長さは四分にも満たなかったはずなのにあっという間に終わった感じがする。始まりと同じく一礼、そしてピアニストにも一礼して足早に舞台から降りる。背後から拍手が聞こえてくるがそれよりも早くこの場を去りたかった。確認するまでもなく俺の顔は真っ赤に染まっているだろう。


「お見事でした。惜しむとしたらたった一組へと向けられた曲ということでしょうか」


「よく分かりましたね」


「これでもそれなりの歌声を聞いておりますから」


それだけで理解してしまう支配人の人も凄いよ。普通ならそんなことを感じられるはずもないのだから。支配人に俺に言葉を贈って、さっさと裏口から退散する。香織の元に戻るのは俺が歌った本人であると知らせるようなものだから。


「あー、馬鹿やった」


待たせていた車に乗り込み、首を垂れる。本当なら裏からこっそりと学園長たちの様子を確認するつもりだったのだが、それよりも気恥ずかしさの方が強くて逃げ出してしまった。今日一日、俺らしくないことばっかりやった為だろう。


「だから恥ずかしいのならやらなかった方が良かったじゃない」


「早かったな」


「親切な人が教えてくれたのよ。お連れの方が帰りましたよと」


車に乗り込んでそれほど経たない時間で香織もやってきた。教えたのは支配人だろうか。なるべく俺の姿を見られないように、舞台袖にいる人数を絞ったからな。香織に歌の感想を聞くのも恥ずかしい。本当にらしくなかったから。


「どうだった?」


「指輪を取り出したところまでは確認したわ。そこから先は知らない」


踏ん切りはついたといったところか。詳細については明日にでも連絡を取れば分かるからいい。そこまでやってくれたのであれば成功する公算は限りなく高いから問題にもならない。やって無駄じゃなかったな。


「最低限の仕事はしたといったところかな」


「顔真っ赤にしながらいっても、締まらないわよ」


興奮でなく、恥ずかしさが抜けない。一人でステージに上がるのはどうやっても慣れそうにない。やっぱり馬鹿をやるのなら誰かと一緒じゃないと性に合わないようだ。それを考えると一人で生きていくのは難しいな。


「一件落着ということで」


「はいはい、そういうことにしておくわよ」


聖夜の前夜はこれからだというのに、俺の仕事は終わった。明日は喫茶店の為に頑張らないと。売り上げに関係するのだから、俺の給料にも直結する大一番。頑張らない理由は一切ない。絶対に迷惑な客もやってくるけど、そこを何とかするのが腕の見せ所。


「というのが昨日の一部始終ね」


「何というか俺達の知っている琴音のイメージとは合わないな」


「そうね。琴音が人前で歌っているというのがそもそもイメージ出来ない」


日中の激戦を終えて、現在は喫茶店で打ち上げの真っ最中。やっぱりと店長と沙織さんも昨日の一件は気になっていたらしく、香織がその説明を担当していた。俺は恥ずかしさからジュースをちびちびと啜りながら、顔の熱さを誤魔化している。


「止めませんか、この話」


「気になっていたのだから仕方ないだろ。日中だとそれどころじゃなかったからな」


「琴音関係の人達が多かったのも原因ね。主に葉月先輩とか」


あの人は問題事を持ち込まないと気が済まないのだろうか。俺の衣装がいつもの恰好で、頭にサンタの帽子を被っているのがお気に召さず、持参してきたコスプレを強要してきた。あんなきわどいもの誰が着るか。


「私は見てみたかったけどね」


「香織ならあれを着るか?」


「絶対にお断り」


だろうな。大体、この冬真っ盛りの状況であんなミニスカートとか、半袖で胸を強調したようなものを着れるか。夏でも真っ平ごめんだ。衣装が入った袋ごと、顔面に投げつけてやったぞ。俺の暴挙に他のお客さん達は唖然としてたけど仕方ない。


「しかし今年は過去最高の売り上げだったな」


「私は本当に疲れたわ。予約されていた数も多かったから」


十二本家の人達に、その関係者。護衛関係の人達も合わさって結構な持ち帰りの量を確保しなくていけなかった。それを殆ど一人で作り上げた沙織さんは本当に凄いと思う。香織としてはプレッシャーが半端ないだろうけど。


「来年は私も手伝うから」


「腕を磨いておきなさい」


更に数が増えたら流石に手が足りないか。俺も何かしら出来るようにならないといけないけど、当日になると接客も大変だからな。俺も店長も結構な修羅場だった。護衛の人達を短期でも手伝わせた方がいいだろうか。


「それで話を戻すんだが、結果はどうなったんだ?」


「もちろんプロポーズは成功したみたいです。感謝の言葉が両者から送られてきました」


歌っていたのが俺だということは当たり前のようにばれていた。記念として録音したデータを白瀬から貰って送っておいたけど。今にして思えば早まったな。あれを披露宴とかで流されたら、俺は何処かの穴の中に入りたくなってしまう。


「これで琴音はキューピットとして適任ということになるのかな」


「止めてくれ。これ以上、厄介な案件は引き受けたくない。恋愛相談なんて私の範囲外だから」


「でも成功したのだから話は来るかもよ」


「あの二人が公言しなければ済む話だ」


大っぴらに話さないとは思っているからな。大人が高校生のアドバイスでプロポーズまで辿り着けたなんて流石に言えないだろ。問題があるとしたら学園長の姉だな。あの人は容赦なく俺の事を喋りそうで怖い。


「後は白瀬さんが録音したデータを何に使うかよね」


「大丈夫じゃないけど、何となく察している。私の逃げ場を塞ぐために使うと思っているから」


「何から逃げるのよ」


そりゃイグジストに加入させることだろうな。別にそれを脅しの材料にされたところで俺が簡単に加入するはずもない。それともシェリーに対する交渉の材料にでもするつもりだろうか。あれの行動もあまり読めないからな。


「は?」


「どうかしたの?」


ピンポイントに白瀬からメールが来たのだが、内容はラジオを聞けというもの。ご丁寧にどの局なのか指定までして。それだけで気付いてしまった。あの野郎、一番最悪な方法を実行しやがったな。


「えっと、ラジオは」


「止めろ、香織。私の恥を晒すな」


「いいじゃない。私は好きだったわよ」


「私も聞いてみたいわね。琴音の歌なんて聞いたことがないから」


「俺もそうだな」


完全アウェーなのはここもかよ。大体本人の許可も取らずにこんなことをしていいのか。俺からラジオ局に苦情の電話でも入れてやるか。その程度で白瀬がダメージを受けるとも思えないのだが。


『さてとある方からの提供により本日は現在話題沸騰中の歌手を紹介します。そしてお送りするのはその方の最新曲』


何かパーソナリティーの人は興奮していないだろうか。鼻息が荒いというか何というか。唯さんから何の連絡もないということは白瀬の独断専行だと思う。今の内にスマホの電源切っておこうかな。確実に二人位から連絡が来そうだから。


『それでは曲名、勇気ある幸福を』


この曲名は俺が考えていない。恐らく、白瀬が聞いた後に決めたのだろう。確かに所有権は白瀬に託していた。むしろそういう約束で提供してもらったのだが、誰がこんな展開を予想できる。


「人生最悪の日かよ」


「でも名前は言っていないわね。それが条件だったのかな?」


「それでも知っている人には分かるだろ」


絶対に白瀬へ苦情を言ってやる。そして連絡が来るであろう人達に何と言い訳をすべきか考えておかないと。まともなクリスマスを送りたかったが、周りの影響でそんなものは脆くも崩れ去った。この鬱憤は正月に全部ぶつけてやる。

前回の答え。

一つ目、ウェイターが指輪を運ぶ。

二つ目、鼓舞するために歌う。

三つ目、琴音が静流に告白して学園長に発破をかける。

確実にコメディになるのが三つ目でしたね。何故か書き終わった後に思いつきました。

さて、次回から正月へと場面が移り、琴音の父親に対する嫌がらせが始まります。

十二本家訪問編。しばしお待ちください。


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