118.思い出のフィナーレ-後編-
室内の準備はスタッフ達の頑張りで完了。観客である合唱部の面々も定刻通りに集合。香織や小鳥もいるな。後は内容の確認の為に集まった責任者と何名かのスタッフが今回の観客。
「さてと、時間ですね。シェリーは大丈夫ですか?」
「私よりも琴音ちゃんが大丈夫? 様子を見に行ったら寝落ちしていたじゃない」
あれは仕方ない。集中するために音楽を聴きながら目を閉じていたら自然と寝てしまったのだ。寝ていた時間は五分にも満たないと思う。爆睡していたのなら今回のイベントとして致命的な痛手になっていた。
「香織ちゃんをお目付け役に選んで正解だったわよ」
「お手数をお掛けしました」
眠りそうになる度に冷たいペットボトルを首筋に押し当てられるのだけは勘弁してほしい。あれは本当に心臓に悪いのだ。香織は面白がってやっていたが、お姫様役になったことへの報復か。
「それじゃ進行役は引き続き、お願いね」
「承りました」
一度深呼吸して気持ちを落ち着ける。周りを見渡せば期待に満ちた視線ばかり。今回の主役だって俺じゃない。観客の目的はシェリーであり、俺は添え物でしかない。だから気軽にやろう。
「本日は当パークへお越し頂きありがとうございます。そして皆様に私よりご質問があります」
それでは締めくくりのイベントを始めようじゃないか。思い出のフィナーレを。
「今夜限りが一回だけなんて誰が言いましたか? 夜はまだ続いています!」
俺の宣言と共に室内に歓声が響く。そしてモニターに映し出されている外では、唖然として見上げているお客の表情。やっぱりサプライズはこうでないと。
「ちなみにイベントではありますが、パーク内の施設に私達はおりません。ですので探し回る行為はお止めください」
実際はスタッフしか入れない大きめの会議室で行われている。そして俺とシェリーの声はパーク内に設置されている案内放送で使われているスピーカーから届けられる。つまり顔を出すつもりはないのだ。
「今度の主役はもちろんシェリー。そして補佐はアンノーンが務めさせていただきます」
「不完全燃焼じゃ帰れないわよ」
「残り僅かな時間、皆様がご満足いただけるよう精一杯歌わせていただきます」
テーマパークが閉まるまで残り一時間程度か。もちろん残りの時間全部を使ってずっと歌い続けるわけではない。そこまで俺の体力が続くはずもないし、覚えきれる楽曲にも限界がある。尚且つ、お客が帰らないのは迷惑でしかないのだから。
「それではシェリーから一言、お願いします」
「合唱部の子達と歌ったのは私としても楽しかったわ。それでも歌い足りないという私の我儘を受け入れてくれたスタッフの方々には感謝しております」
外から十二本家に入った人だけあってちゃんと建前を言ってくれるのは有難い。これが純粋な十二本家の人間ならば本音を駄々洩れで喋ってしまうからフォローが大変になってしまう。
「そして今回、私と一緒に歌ってくれるアンノーンは期待の新星。発掘したのは私であることを公言しておくわね」
「いらないことを言わないでください」
何だよ、期待の新星とは。無理矢理、俺の事を歌の道へと進めないでほしい。それと俺のネームなのだが、琴音でもなく、総司でもない。その為に正体不明ということにしただけ。俺は誰でもない、私なのだから。
「持ち上げられても出来ることしかやれませんよ」
「それが当り前じゃない。私達は期待されても、自分以上の成果なんて出せないものよ」
だけど観客は自分達の期待以上を求めてしまう。その為に努力するのがアーティストの一面。俺はそんな努力はしていない。やっていたことなんて以前に白瀬からの猛特訓を経験しているのみ。
「あまり待たせても仕方ないわね。スタンバイはいいかしら、アンノーン?」
「最初から出来ていますよ」
その為に準備をしていたのだ。これから行われるのはシェリーの独壇場。俺の存在は本当に隅っこにあるだけ。だからこそ気軽にやれるし、失敗することなんてあり得ない。それだけシェリーを信頼している。
「楽曲は去年、パークのテーマ曲であったファンタジア。シェリーの歌声に期待してください」
「私だけじゃなくアンちゃんにも期待ね」
「変に略さないでください」
確かに毎回アンノーンと呼ぶのは面倒だろう。だからってアンちゃんはないだろ。逆に肩の力は抜けきったから力むようなミスはない。それが素なのか計算されたものなのかは分からない。
「それでは今宵限りのサプライズイベントの開幕です!」
面白がっていたシェリーの表情が曲が流れ始めたと同時に真剣なものへと、変わるはずもなくワクワクドキドキといった無邪気に楽しむ様子へと変化した。そんな顔をされたら俺も楽しめる気がする。
合唱部が歌った曲と違い、こちらは最初から楽器の伴奏が付いている。始まりは二人同時に。途中からソロになったり、ハミングを挿入したりと結構やりたい放題に楽しんでいる。
「「ありがとうございました!」」
曲が終わり、二人揃って感謝の言葉を述べた途端。合唱部が総立ちで拍手してくれたのは本当に嬉しかった。たった一曲しか歌っていないのに俺は汗だく。隣にいるシェリーは涼やかな表情をしているのは経験の差かな。
「もうシェリーと一緒に歌いたくありません。疲れます」
「コンビ解消は悲しいわね。また無理矢理にでも引きずり込むから覚悟しておいてね」
「本気で止めてください」
今宵限りなのはイベントだけではない。俺とシェリーがコンビを組むのだって今宵限り。二度目は多分、ないはず。何よりシェリーと一緒の歌うのは本当に疲れる。あまりにもレベルが離れすぎていて付いていくのがやっとだ。
「それじゃアンちゃん。次よ、次!」
「ちょっと待ってください。枠は一曲分しか取れていないのですよ」
これは本当の話。本来ならば一曲歌って終わりにする予定になっている。二曲以上となってしまうとお客の帰る足に影響を与え、出入り口が混雑してしまう。ただでさえ、一回退場した人達が戻ってきそうなのに。
「責任者さん。どう?」
絶対に首を縦に振るなよ。俺だって覚えた曲は先程のファンタジアだけ。それ以外は情報すらないのだ。歌うことなんて絶望的に無理なのに、何をごり押ししようとしている。
「OKみたいよ」
「何を歌うつもりですか?」
責任者に対して恨みがましく視線を送っておく。色々と渋っていた割にはあっさりと許可を出しやがって。毒を食らわば皿までとでも考え出したか。後処理だって考えないといけないのに。
「自前の曲だと駄目よね。なら即興曲にしましょうか」
「無理難題を押し付けないでください」
即興ということはこの場で曲を作ることだよな。そんなの俺には無理だし、仮にシェリーが曲を作るとなれば俺が歌う羽目になる。難易度が高すぎるし、出来るなんて思えない。だから明確に拒否しているのに、シェリーが諦めようとしない。
「アンちゃんが適当にハミングするだけでいいわよ。私が合わせて歌うから」
「それが無理だと言っているのですが」
「アンちゃんなら大丈夫」
何を根拠でそんな太鼓判を押しているんだよ。それに合唱部やスタッフも期待するような視線を送ってくるんじゃない。確かに最初の頃は俺だって作曲に携わっていた。だけど白瀬が加入してからそういったことは任せきりでブランクが長すぎる。
「本当に適当にやりますよ」
「それで構わないわ」
プレッシャーが半端ない。何より今までの会話は全部外へと筒抜け。ライブというよりもラジオ放送みたいになっているのだが、これは本当に大丈夫なのだろうか。黒歴史にならないことを祈るばかりだ。
「それじゃ始めます」
ワンフレーズを簡単に考え、少しずつアレンジを加えていく。同じテンポの繰り返しを奏で、シェリーが歌いやすい様に進めていくのだが、いらない心配りだった。僅かな時間で乗ってきたぞ、この人は。
「以上となります」
「うんうん。思った以上の出来だったわよ」
こんなことは二度とやりたくない。心労が凄まじい勢いで蓄積したぞ。奏でたハミングは大人しめのもの。これから帰ろうとした人達を送り出すのをイメージした。それを理解したような歌詞を付けるシェリーが本当に凄い。
「それではシェリーも満足したようなのでサプライズはここまで」
「ご清聴ありがとうございました。また皆様に歌声を届けられるよう、アンノーンと二人でこれからを考えていくわね」
「だからやりませんと言っています」
「以上。シェリーとアンノーンがお送りいたしました!」
無理矢理締めやがったぞ、この人。やっぱり十二本家の人と結ばれるような人物は一風変わっている。琴音の母親だって最近は吹っ切れすぎて色々と心配な部分が現れ始めた。他の十二本家みたいにならないといいのだが。
「本当に疲れました」
「でも見てみなさい。皆、喜んでいるじゃない」
合唱部やスタッフから送られる拍手。そして外にいる観客たちもモニター越しに確認してみれば拍手を送ってくれている。これは確かに気持ちがいい。いいのだが、二度とやりたくないと思うのは仕方ない。
「それでどうするのですか、この後の処理を」
「そこはスタッフが頑張ってくれるはずよ」
パークの終了まで時間がないのに、誰も動こうとしていないぞ。まだサプライズが残っているかもと考えているのかもしれないが、これ以上は本当に何もない。パークの入り口なんて凄いことになっている。
「前代未聞の大騒動になりそうですね」
「私達は関係者出入口からこっそりと帰りましょう」
この騒ぎの張本人が何を言っている。でもシェリーが堂々と通常の出入口から外に行こうとしても更なる騒ぎになるのは確かだな。俺はステージ上でもベールで顔を隠していたら大丈夫だと思うが。
「これは動画再生、明日に回した方がいいかもしれない」
出入口が混雑しすぎて、予定よりもホテルへ帰る時間が遅くなるのが目に見える。これから昨日のライブ映像を見せるとなると就寝時間が遅くなりすぎる。教師たちの許可も取れなくなるな。
「何々? 何か面白い事でもやるつもりなの?」
「シェリーには関係ないことです。私も誰かに託さないといけない案件ですから」
それに俺も修学旅行としていられるのは今日まで。今回の騒ぎの責任を取って、途中退場しないといけないのだが帰りの足をどうするか。実家にも連絡していないから送迎に問題が出てしまった。護衛の人達に頼むのも有りか。
「丁度いいし、香織と小鳥に頼みましょう」
「私達に一体どんな厄介事を頼むわけよ」
「琴音さんの頼みなら出来うる限りの事をやります」
いつの間にか近づいてきた二人の信頼が痛い。小鳥も遠回しに無茶な要求をしてくると思っているみたいだし。合唱部の面々はシェリーが相手をしてくれているみたいだな。人気アーティストは大変だ。
「別に。昨日のライブ映像の放映を二人に託したいだけです」
「私の方は琴音がやればいいじゃない。流石に小鳥にはお願いしないといけないわね」
「いえ、私はこれで修学旅行から退場となりますから」
「何を言っているのよ」
香織が凄い怖い顔をしている。これが冗談でも本当であっても絶対に怒るのが目に見える。でも納得してもらうしかないんだよな。すでに教師達からのお達しが届いている。俺の一存だけでは覆らない。
「今回の騒ぎの原因として責任を取ることになりました」
「でもあれはスタッフから頼まれたものじゃない」
「個人的な部類になります。何より責任者の方々と勝手に交渉をしたのが一番の要因です。先に教師の誰かに相談するなり、学園長に話すなり方法はあったのですが。頭からすっぽりと抜けていました」
「徹夜が響いているわね」
「教師達にも立場というものがありますからね。これ以上生徒の暴走を容認する訳にもいかないのでしょう。私もちょっとやり過ぎたかなと思っています」
「言っておくけど、ちょっとじゃないからね」
退院直後から色々とやり過ぎたとは思っている。でも過去に戻ることは出来ないし、俺は一切の後悔をしていない。やりたいからやった。ただそれだけなのだ。我慢するという選択肢が出てこなかったのは不思議だけど。
「琴音さん。私が直談判しても変わりませんか?」
「小鳥の申し出は嬉しいのですが、それでは教師の方々が困ってしまいます。なるべく私達の権力は使わない方がいいです」
事情を知っている者達からしたらどの口が言っていると突っ込まれるな。単独行動の為だけに学園長と連絡を取るとか馬鹿と言われても仕方ない。それに小鳥の評価を落とすような真似はしたくない。俺関係なら無茶をするという評価は危ういからな。
「あとは帰りの足をどうするか。護衛の人達に頼むしか手がなさそうですけど」
「私が送っていくわよ」
合唱部の面々との触れ合いが終わり、こちらへ戻ってきたシェリーからそのような申し出があったのだが。俺としては色々と察した。この人の強引さは身を持って知ったのだから拒否しても結果は変わらないだろう。
「それじゃ本日は関係者一同、本当にお疲れ様でした!」
シェリーの言葉に全員が返す中、俺だけが今夜のイベントがまだ終わっていないことを察している。もう修学旅行とは関係ないとか言ってられないな。
修学旅行編も大詰め。
途中の路線変更でどうなるかと思いましたが何とかなるものですね。
それにしても琴音の未来は選択肢が有り過ぎてどうしたものか。