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117.思い出のフィナーレ-前編-


本番の時間が近づいてきた。出演者たちはそれぞれの待機場所へと移動を開始している。そして最初からナイトショーに参加する香織は緊張の面持ちで立ち尽くしている。それが普通なのだ。異常なのは十二本家の小鳥だな。


「香織。笑顔」


「無理に決まっているでしょ。こんな格好で観衆の前に立つなんて」


香織の恰好はお姫様らしく純白のドレス。見方によってはウェディングドレスに見えなくもないな。記念として着替えた俺と、何故か小鳥もセットで撮影はした。この姿の香織を店長に見せればどんな反応をするだろうか。やらないけど。


「琴音は緊張していないわね」


「緊張しているぞ。私としてそれを表に出さないのは慣れているから」


社交界で心情を表に出さないのは当たり前の技術だから。相手に悟られるような者は三流。悟られても挽回できるのが二流。そして悟らせず、常に自分の流れを維持できるのが一流。本当にあの場は気が休まらない。


「常に笑顔を作っていないと観衆が残念に思うからな」


「それが難しいのよ」


「なら観衆を見るのではなく、その先にある何でもないものを見ればいい」


人を見るから緊張するのならば、物や遠くを見ればいい。観衆が視線の先まで注目している訳ではないのだから。ただし、あまり観衆から外れすぎる視線は駄目。流石に気付かれる場合がある。


「あとは無心になるとか」


「笑顔で無心とか無茶な要求よ」


何とかなるものなんだよ。社会人となれば嫌なことでも笑顔で対応しないといけない場合もある。ただ大勢の前で何かをする場合はガチガチに緊張して思うように動けないものだ。俺にだって経験はある。


「なせばなる。やってみてから後悔しよう」


「琴音ならどうするの?」


「現実逃避する」


「うん。参考にならないわね」


琴音となる前ならばヤケクソでやっていたと思う。後は場の雰囲気に無理矢理飲まれてテンション上げて乗り切るとか。今だとそのどれも無理なんだよな。羞恥心の方が圧倒的に強すぎて。


「一蓮托生。私だってステージの上で歌うかもしれないから」


「巻き込まれるの前提で付き合ったけど。まさかこんな事になるなんて思わなかったわ」


だから逃げろとアドバイスしたのに。あの時点で離脱していれば今回の事態に巻き込まれることもなかったかもしれない。俺が本当に困って代役を頼む可能性はあったが。だって親しい友人で頼みを聞いてくれるの香織位だから。


「香織さん。スタンバイしてください」


「腹を括るしかないわね」


「頑張れ。私からはそれしか言えない」


「琴音もね。リハーサル、素敵だったわよ」


去っていく香織に苦笑いしか出てこなかった。あのリハーサルで自分の実力を痛感したから。文字通り、琴音の潜在能力でもシェリーの歌声に張り合うことなんて出来なかった。当然といえば当然なのだが。


「何が足りないといえば、全部なんだよな」


あれほど実力に差があれば悔しくもない。だがそれが原因でもある。歌に対する熱意が薄い。誰かの為に歌い、自分が楽しめる歌を披露できるのならば、また違った結果になるかもしれない。だけど俺にその目的がない。


「きっかけ一つで人は変わるものよ」


「シェリーもですか?」


香織もいなくなり、俺も自分の待機場所へと移動しようと動き出したら隣にシェリーがやってきた。彼女の実力は確かに凄い。一緒に歌った者の心を簡単に折りかねないほど。


「私は歌うのが好きなだけ。小さな時からね。だから努力もした。それは自分が楽しむためだから。観客が喜んでくれるのはその副産物でしかないわ」


「でも今ではその副産物が目的でもありますよね?」


「そうね。自分の歌で人が笑顔になるのは心地いいわ。それを琴音ちゃんも味わえば変わるんじゃないかしら」


「私はシェリーとは違います」


俺の場合は仲間と一緒に演奏するのが楽しいのだ。それは昨日の一件でハッキリしている。一人でやったところでやる気があまり出ない。恐らく今回の件だって俺一人で歌った場合は芳しくない結果になっていたはず。


「それに今回の件は仕事だと割り切っています」


「うーん、その考え方はいけないわね。仕事も楽しむ心構えじゃないとモチベーションが上がらないわよ」


「観衆の前で歌う時点でモチベーションは低下しています」


だったら昨日の件は何だったんだと言われるが、あれは仲間と一緒であり、テンションが振り切っている状態だったから気にならないのだ。だが現在の状態はどうだ。失敗しない様に周りに気を使わないといけない。これでどう楽しめと。


「だったら本番は」


「後半戦は無理にでもテンション上げますよ」


「よろしい」


前半戦は俺が考えたイベント。後半戦はシェリーが考えたイベントに分かれている。後半戦の内容については俺も乗り気だ。だって顔を出す必要性がないのだから。尚且つ、前半戦が失敗に終わっても挽回できるチャンスでもある。


「本番までどうしましょうか?」


「発声練習くらいしかないわね。合唱部も込みで私がレクチャーしてあげましょう」


外で行われているパレードが最終地点へ到着するまでそれなりの時間が掛かる。その間に出来ることとなれば妥当か。合唱部としてはまたとない機会だな。それに俺が混ざるのも違和感があるが。これも経験だな。


「合唱部の皆。今日は宜しくね」


「は、はい」


「緊張しなくてもいいわよ。私は貴方達のサポートをするだけ。メインである貴方達は肩の力を抜いて成功するように尽力するの」


「シェリーにフォローして頂くなんて恐れ多くて」


「畏まらなくてもいいわ。大船に乗ったつもりで精いっぱい歌って頂戴」


リラックスさせようとしているのだが、やっぱり合唱部の皆は緊張でガチガチだな。初めてのステージに、大物によるフォローで気持ちが落ち着かないのだろう。失敗してもいいくらいでやってくれれば良いのだ。


「硬くなりすぎ。だからちょっと発声練習しましょうか」


これで少しでもまともになればいい。何事も始めが肝心。出だしで転ぶと挽回するのも大変だからな。その場合は、シェリーが本気を出すかもしれないが、その時点で失敗だ。


「もう間もなく到着します。出演者の方々はスタンバイをお願いします」


幾らかの発声練習で固さが取れてきたのだが、やっぱりスタッフの声で再度緊張しだしたか。俺とシェリーは苦笑いを浮かべつつ、自分達にもこんな時があったなと思い出した。


「やっぱり最初は円陣をやっておきますか?」


「賛成。記念としてやっておきましょう」


俺の提案に全員が乗り気だな。共演するのならばやっぱりやっておきたい事の一つである。なるべく俺の記念ではなく、合唱部の皆の記憶に残ってほしいと思う。今回の主役は間違いなく彼女たちなのだから。


「それじゃ琴音ちゃんが号令ね」


「何で私が?」


「企画者じゃない。皆もそれでいいわね?」


シェリーの確認に合唱部の誰も否定しなかった。こういったのはシェリーがやるものだと思って何も考えていなかったのに。さて、何と声を掛ければいいか。


「楽しく歌い切りましょう!」


「「「おぉー!」」」


文字通りには進まないことは覚悟している。だけど今この時だけは成功を疑ってはいけない。何事も自信を持って行動しないと、結果は付いて来ない。


「パレードが最終地点を通過! 皆さん、出番です!」


スタッフの声で俺を含めた合唱部の面々がステージ中央へと進み出る。スポットライトで照らされる中で周囲を確認してみれば人が大勢押し寄せていた。それもそのはず。パレードの最後がここであり、ライブが行われる地点なのだから。


「本日は当パークへお越し頂きありがとうございます。誠に申し訳ありませんが、皆様に謝罪しなければいけないことがあります」


MCを務めているのは俺。会議で協議した結果、ステージの上では学生を主として行った方が学園のイベントとして成り立つのではないかという話になったからだ。仕方なく俺も了承したけど。他に適任がいないのだから仕方ない。


「本来であれば我がパークが誇る歌姫がラストを飾るはずでした。ですが大変申し訳ありませんが不都合が発生し、本日のイベントを変更させていただく結果となっております」


当然ながら一般客から落胆の声がここまで届く。それが当たり前のことだと理解している俺と違い、合唱部の面々は更に固くなってしまっている。大丈夫。ちゃんと期待している面々だっているのだから。


「本日修学旅行でお越し頂いていた学園からの協力によりイベントを行うことが出来ました。それが和名学園の合唱部の方々です」


合唱部の面々がおずおずと前に進み出て、一礼を行う。それにまばらながらに拍手が送られている。主に学生たちが中心だな。彼らにだって話は行っていないのだからサプライズにはなっただろう。


「本日一夜限りのナイトショー。皆様のご清聴をお願い致します」


さて、問題はここからだ。歌いだしは合唱部に掛かっている。合唱部が歌いだしてから演奏も開始するのだから、タイミングは全て彼女たち次第。ここが最初の難所であり、俺としては諦めているカ所でもある。


案の定、誰も声を出そうとしない。いや、出そうとしても思うように声が出てくれないのだろう。極度の緊張状態ではよくあること。だからこそ俺がここにいる。観衆がざわつく前に俺が先制し、歌を開始する。


俺の声に続くように合唱部も歌いだし、おおむね順調。途中から俺は声量を抑えていき、合唱部に場を譲る。そして中盤前にシェリーが登場して観衆が一気にヒートアップする。そこからは不安も何もなかった。


「ご清聴、ありがとうございました」


シェリーの登場。そしてパレードで回っていた面々も集まり、最後にはステージを埋め尽くすだけのキャラクターが揃う。俺とシェリーはその間を抜けるように消える。拍手喝采を受けるのは俺達じゃないからな。


「お疲れ様でした。それでは次の準備をしましょう」


「後半戦ね。水とかで喉を整えておきましょう。準備の方はスタッフが行っているから問題ないはずよ」


ステージでの衣装は動きにくいのでさっさと着替える。どうせ次のイベントでは必要のないものだから。俺達から少しばかり遅れてやってきた合唱部を労うのも忘れない。何人か泣いているが、それだけ思う所があったのだろう。


「でも無茶な要求をしてきましたね。楽曲を変えるなんて」


「仕方ないわよ。私達と比べられたら可哀そうじゃない」


主にシェリーと比べられるのが対象となっているのだが。俺なんて大して変わらないだろ。それでもモチベーションの方は違う。一回ステージに上がったおかげでやっとエンジンが掛かってきたな。


「合唱部の方々へ連絡です。五十分後に指定の部屋へ移動してください」


「何かするの?」


「限定ライブへご招待です」


これだけで俺が何を言いたいのか伝わったはず。一瞬ポカンとした後に歓声が上がっている。もちろんそれには香織と小鳥も招待するつもりだ。香織の様子を見れば疲れ切った表情をしている。


「お疲れ様でした」


「精神的に疲れたわよ。よく小鳥は笑顔を振りまけたわね」


「私は慣れていますから」


社交界で嫌な表情なんて出来ないからな。そこは経験の差だろう。俺だって同じだ。ステージに上がっている間は人の事を有象無象の何かだと思い込んでいたから。そうでもないと羞恥心でまともに喋れない。


「それじゃ私は準備の為に籠ります。集中したいので部屋に入って来ないでください」


合唱部の面々が目の前にいるので口調は変えておく。残り時間が僅かな間に別の曲を暗記しなければいけないのだから。別にステージで歌う訳ではないのだから楽譜を見ても問題はない。それでも覚えるに越したことはない。


「フィナーレまでもう少し」


残りの時間で皆の思い出に記憶される出来事を作る。それを目的として俺とシェリーは行動を開始する。

久しぶりに前後編で分けさせていただきます。

本当なら続けても良かったのですが、明らかに二話分になりそうだったので。

我が家の猫がやんちゃです。

電源コードとヘッドホンのコードにいたずらしてきます。

やーめーてー。


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