116.共演者と共に
合唱部が練習している現場をこっそりと覗いてみたらプレッシャーを掛ける必要性がないと判断した。真剣そのものであり、顧問の先生も指導に熱を入れている。出演まで時間がないのだから必死になるのも分かる。
「それでも教えないといけないよな」
すでに変装は解いている。むしろ打ち合わせの時点で全部戻していたのだ。あのような大事な場面で変装なんてしてられない。曲の合間を見て部屋の中へと入ると、全員が何とも言えない表情をしている。察するよ。
「私の我儘でご迷惑をお掛けして申し訳ありません。それとご協力、ありがとうございます」
「発案者が誰なのか教えられていなかったけど、琴音なら納得しちゃうわね」
合唱部の一人であり、クラスが同じ子が代表して接してきたな。他の子達は若干、警戒しているだろうか。しかし納得するものなのか。学園では比較的大人しくしているはずなのに。それとも誰かから話でも聞いていたのかな。
「練習は順調ですか?」
「順調な訳ないわよ。今までやったことがない曲だし、先輩たちはいないしで難航よ」
学年一つ分だとやっぱり人数的な問題も出てくるか。ここにいるのは総勢で十一人。これが多いのか少ないのかは分からない。合唱部に参加した経験はないから。でも先輩たちはすでに引退したのではなかったか。
「お知らせを一つ持ってきました」
「悪いものじゃないわよね?」
「受け取り方は任せます。合唱部の方々をサポートしてくれる人を教えておこうかと」
サプライズでやっても良かったのだが、本番中に委縮されたり、驚かれて失敗したら目も当てられない。だからこそ今の内に伝えておこうと思ったのだ。ただ明らかに安堵しているな。やっぱり自分達だけでは不安もあったのだろう。
「サポートは私とシェリーが担当します」
「は?」
「ご不満ですか?」
「マジで?」
「大真面目です」
あっ、何人か倒れ掛けたな。やっぱり大物過ぎたか。俺がサポートすることに疑問を感じる前にシェリーのインパクトが強すぎたな。クラスメイトは昨日の件があるから俺が参加することに否定的ではないのだが。
「どんな伝手を持っているのよ」
「個人的なものなのでお教えできません」
別に綾先輩の母親だと伝えてもいいのだが、秘密にしている場合もあるから止めた。あとで報復されるのが恐ろしい。別の問題は抱えているのだが、それはシェリーがやってきたら分かることだ。
「半端な歌声ですと飲み込まれてしまいますから頑張ってくださいね」
「その発破の掛け方は絶対に間違っているからね!」
軽い冗談なのに。誰も大物アーティストと張り合えとは言わない。それが出来るのはプロの方々だけ。実践経験もコンクールのみの合唱部に求めているものは違う。それは頑張っている姿なのだから。
「話題を無理矢理変えるけど、琴音は音楽関係に明るいわね。昨日の件もそうだし、今回は歌まで披露するの?」
「一応の為です。ステージの上には魔物が潜んでいますから」
俺の発言に誰もが頭の上に疑問符を浮かべているな。何処にでも魔物は潜んでいる。それがスポーツであろうとも、芸術の分野でも同じ。本来ならば出来ることが出来なくなることは本当に良くある。
「皆さんは気にしなくていいです。それをサポートするのが私たちなのですから」
そこで会話を打ち切り、俺は部屋を後にする。あまり長居して練習の邪魔をしても仕方ない。俺がいるだけでも意識する人はいるだろうからな。俺は別室で自主練だ。まずは琴音の声でまともに歌えるようにならないと。
「心配することもないのだが」
原曲を聞いて、サラッと歌ってみたが思ったほど違和感はないな。琴音となってから半年以上も経過しているのだ。琴音の声に慣れ、むしろ自分の声がどんなだったか忘れているほど。後はどれだけクオリティーを上げることが出来るか。
「こればかりは反復練習だよな」
何度も歌い、録音した歌を確認して駄目なところを探す。勇実の歌声に慣れているのもあるが、練習に付き合わされて俺として歌った経験もある。その度に勇実から駄目出しされたことを思い出したな。
「白瀬の方が辛辣だったな」
素人の学生にプロ並みの事を要求してくる奴だ。無茶ぶりは学生の頃から健在であり、負けず嫌いの俺は何とか張り合おうとしたのだが一度も合格点を貰ったことがなかった。どれだけ上を目指せばよかったのやら。
「頑張っているようね」
自分の事に集中していた所為で誰かが入ってきたことにすら気付かなかった。振り向けば有名アーティストが壁に寄りかかっている。声を掛けるタイミングを見計らっていたな。そして幾らか聞かれたか。
「ありがとうございます」
「間に合うように来るのは当たり前だと思うわよ」
「綾先輩を連れて来なくて、本当にありがとうございます」
一番危惧していたのが綾先輩がやってくることだったのだ。あの人だったら例え学園にいたとして仮病を使ってでもやってきそうで怖かった。俺の言葉にシェリーは目を丸くしたと思ったら腹を抱えて笑い出してしまった。
「確かにあの子ならやり兼ねないわね。今日の事は教えなかったから安心しなさい」
「綾先輩が来たら折角立てた計画が総崩れになりそうでしたから」
「我が娘ながら変な信頼のされ方をされているわね」
溜息を吐く辺り、思い当たる節が数多くありそうだな。何の計画性もなく一人暮らしをしようとした前科もある。その後のことは聞いていないが踏み止まってくれただろうか。凛辺りに後で聞いてみようかな。
「合唱部の部屋には寄りましたか?」
「部屋の外で聞かせてもらったわ。私が入ったら練習どころじゃなくなりそうだから」
「感想は?」
「学生としては上の下といったところかしら。頑張っているのは認めるけど、ステージに立つにはまだ早すぎるわね」
プロとしては駄目ということか。勇実の歌声に慣れている俺からしても、バックで歌ってもらうのすら躊躇ってしまう。学生という肩書があるからこそ、まだ頑張っているで済まされるのだ。
「この短時間で精度が上がるのを願うしかありませんね」
「本番まで後一時間くらいかしら」
時間がないな。集中していたのもあるが寝不足な所為で周りが見えなくなっている。スマホで時間を確認しても良かったのに。本当に何で徹夜状態でこんなことをやっているのやら。
「でも琴音ちゃんはいい感じね。伸びしろもありそうだから将来に期待しちゃうわ」
「私はそちらの道に進むつもりはありませんよ」
「勿体ないわね。何なら私がプロデュースしてあげましょうか」
「止めてください。それにやったとしてもそれはシェリーのおかげであって、私の力じゃありません」
「違うわよ。最初はそうでしょうけど、その後は己の力で勝ち取るものだから」
そうだろうけど、俺は歌手の道に進むつもりは毛頭ない。むしろ実家の件が片付くまで将来について考えられない。まだ琴音は実家に縛られている。それを何とかしない限り、将来が見通せない。
「それじゃお仕事の話をしましょうか。私はサポートに徹すればいいのよね?」
「最初は合唱部が担当します。その後にシェリーが登場するという流れです。出てくるタイミングはお任せします」
「分かったわ」
俺や責任者の人が指示を出すよりもシェリーに任せた方がいい。何度となくこういった仕事をしているのだから、俺達よりも現場の事をよく知っているはず。最初から出てもらわないのは観客が主役を勘違いするからだ。
「でもこれだと私が不完全燃焼になりそうね」
「だからといって全力で歌われるとシェリーの独壇場となってしまいます」
「大丈夫。来るまでの間に考えたのだけどこういったのはどうかしら」
やっぱりというか計画に変更は生じる。霜月家がやってくるのだから当然かもしれないのだが。詳しい話を聞いて、それが無理難題でもなくイベントとしては成立していること。純粋な霜月家でないだけでここまで差がつくものだろうか。
「一度きりのイベントとしては有りですね」
「でしょう。でもちょっと気が変わったわ。琴音ちゃんも参加して頂戴」
「仕方ありませんね。私がどれだけ力になれるか分かりませんが協力しましょう。折角のイベントですからね」
「そうよ。イベントは楽しまないと損よ」
それには大いに賛同しておく。楽しくないイベントなんて参加する意味すらない。そして企画したとしたら全力を出すこと。それがどれだけの犠牲を払うことになっても全うするのが当たり前。その結果がこれであるのだが。
「責任者の方に話は通しましたか?」
「大分渋っていたけど、納得させたわ」
やっぱり俺よりも先に責任者へ話をしていたか。当たり前のことだけど。俺はあくまでも学生しかないのだから。しかし何で責任者は渋ったのだろうか。イベントとしてはパークにとって有益なことなのに。
「一度きりというのが納得できなかったらしいわ。今回の事はあくまで代役でしかないと私は思っているのに」
「そういうことですか。恒常は難しいですからね」
問題点は色々とあるイベントだからな。下手に恒常とするならシェリーとの契約の話まで浮上してしまう。彼女にはそんな気はない。だからこそ一度きりということで相手を納得させたのだ。
「一回だけならハプニングが起こっても仕方ありませんよね」
「分かっているじゃない。琴音ちゃん」
別に俺がハプニングを起こすわけじゃない。霜月家に嫁いだ人間が何もせずに終わろうなどとは露ほども思っていないだけだ。思考回路が同質だと考えた場合、絶対に何かしらの事態が起こるものだと思っていた方がいい。
「後は衣装ね。その手配は終わっているのよね?」
「合唱部の採寸なども終わっている筈です。順次、衣装への着替えが始まっていると思います」
「琴音ちゃんは?」
「遺憾ながら私も着替えます」
ステージに立つ以上、今の恰好では駄目だよな。壁に掛けられているドレスを眺めて溜息が出てしまう。社交界での一件以降、何故かドレスを着る機会が増えていないだろうか。もう二度と着ることはないと思っていたのに。
「それじゃ一回だけ私と合わせて歌ってみましょうか」
「リハーサルですか。合唱部は?」
「本番のみでいいわ。自信喪失というか私と一緒に歌うことすら拒否されかねないから」
そこまで自信がある発言をしていても全く嫌味に思えないのは当然か。文字通り次元が違うのだから。というか、ここでは本気で歌うつもりかよ。俺だって合わせることなんて出来ないぞ。
「私に対する配慮はないのですね」
「十二本家の人間の神経が柔じゃないことを知っているから」
それは確かに。自信喪失へと陥ることはないな。奴らなら絶対に次は負けないと猛特訓しても不思議じゃない。後は潔く引き下がるか。俺だって負けるのが当たり前のことに腹が立つはずもない。
「丁度良く観客も来たみたいね」
「香織に小鳥か」
ドアの外には中で何をしているのか覗いている二人の姿があった。別に真剣な話でも、聞かれて困る話でもない。手招きで二人を呼ぶと一応の為にシェリーの紹介をしておく。香織は緊張で固まり、小鳥は普通だな。
「それじゃ琴音ちゃん。やりましょうか」
「観客は二人だけ。それでも十分ですね」
やるからには全力を出す。それで何処まで追いすがれるのかは全く分からない。何が何でも食らいつくつもりでやらないと絶対に完全敗北だろう。それだけは避けたい。負けず嫌いな身としては。
「それじゃスタート」
二人の観客以外、誰にも知られることのないリハーサルが始まった。
一日遅れのハッピーバレンタイン。
筆者は一日中、書き殴っていましたが何か?
父が貰ってきたチョコレートを母と言い合いしながら食しておりました。
何でチョコの種類で取り合いになるのやら。