第五十八話 「決断」
聖教国シャリーアとグレン帝国の国境は厳密に指定されているわけではない。どこまでも続く大地を行くと、国境なんて人が勝手に決めた境界でしかないのだと思わされた。
……ヴェール領を出てから、もうすぐ三年になる。
かつて通った道を、逆走しながら過去に思いを馳せる。
ここに来るまで色々なことがあった。
一度は失った日常を、再び手に入れることが出来た。
しかし、だからと言って忘れられるものではない。過去というのは自分を構成する大切な要素なのだから。
忘れられない。
それこそ、永遠に。
──あなたが私を忘れても、私はあなたを忘れない。
かつてあの子が歌っていた歌を思い出す。
あの歌は……なんて名前だっただろう。
もし次に会ったとき、聞いてみよう。
そんなことを思いながら……
俺は、聖教国シャリーアへと足を踏み入れた。
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「流石は宗教国と言ったところか。あちこちに教会があるな」
シャリーアの街を歩きながら、カナリアがぽつりと声を漏らした。
荷馬車を引いて歩くエリーを最後尾に進む俺達。俺は一応出身国ということで案内を任されていた。
「ほとんどの奴が何かしらの宗教に入っているからな。一番多いのはアーゼルだけど、それ以外も沢山ある。だからその分教会も増えてるんだよ」
「流石は地元民。詳しいな、クリス」
「まあな、つっても首都に来るのは本当に久しぶりだけど」
小さい頃に父に付いて二、三回来たくらいだ。
実際、ほとんど始めてきたといってもいい首都シャリーアの街並みはグレン帝国に比べて格段に穏やかなものだった。
戦争が始まろうとしている国と、そうでない違いと言えるかもしれないがそれを差し引いてもシャリーアの国風は穏やかな部類に入ると思う。
まあ、国のトップがアレだからな。そうなるのも仕方が無いのかもしれない。
「それで、例の司祭様のところにはすぐに行くんすか?」
「それがいいだろうな。我々には時間がない」
少し後ろを歩いていたユーリの問いに、振り向きながら答えるカナリア。
「二手に分かれよう。ユーリ、ヴィタ、イザーク。お前たちは我と司祭様のところへ向かうぞ。クリスとエマ、エリーは宿を確保してくれ」
「「「了解」」」
カナリアの号令で、動き出す俺達。
さて、宿を探すとしますかね。
「しかし、グレン帝国とは雰囲気が大分違いますねぇ……」
「エリーはシャリーアに来るのは初めてなのか?」
「ええ。シャリーアというか外国に来るのが初めてですよ」
「エマはシャリーア生まれだからねっ! この雰囲気久しぶりだよー」
そういえばエマは山賊をしていたってことだけど、それ以前のことは聞いたことが無かったな。
聞かないほうがいいのだろうか。
もしかしたら嫌な思い出があるのかも知れないし……。
何となく、聞かないほうがいい気がした俺は黙ってエマの頭をぐしゃぐしゃしてやった。
「髪が乱れるー!」
楽しそうに嫌がる(斬新な表現だな)エマから手を離した俺は、改めて宿を探すことにした。
誰にだって、聞かれたくない過去の一つや二つはあるだろうし。過去なんてほじくり返すようなものではないのだ。
「ほら、さっさと宿探すぞ」
「はーい」
俺はエマとエリーを連れてシャリーアの街を歩く。
懐かしい雰囲気を感じながら。
それから俺達は適当な宿を見つけ、無事にミッションをコンプリートした。
エリーの荷馬車を預かってもらい、案内された部屋に通された俺達はひとまず休憩を取ることに。
備え付けの茶菓子を頬張るエマと、お茶を淹れてくれるエリー。俺は俺で、少し疲れが溜まっていたので羽を伸ばすことにさせてもらった。
隊長様の目もないことだしな。
「お茶をどうぞ、クリスさん」
「ん、ありがと」
エリーから熱々のお茶を受け取り、口をつける。
このお茶も懐かしい味だ。実家にいた頃は似たようなお茶をずっと飲んでいたからな。うん、美味い。
「ふう……」
一息つく俺の隣で、エマが同じようにお茶を飲んで一息入れる。最近妙に俺の真似をするようになってきた気がする。
「そういえばクリスさん」
「ん?」
「えーと、私がこういうこと聞くのも違うのかもしれないですけど……」
何だろう。
妙に歯切れの悪いエリーの物言いに、思わず背筋を正す。真面目な話をする雰囲気だったからだ。
「クリスさんは……これからどうするんですか?」
「どうするって……何がだ?」
「戦争のことです」
……またその話か。
「クリスさんは元々シャリーアの人間ですよね? だったら、今回の戦争にまで付き合う義理はないと思います」
「義理はなくても義務はあるだろ。そういう約束で釈放してもらったんだから」
それに、俺がこうして自由に外を歩けているのはカナリアのおかげだ。そういう意味では、義理がないこともない。
「ここはシャリーアです。すぐに姿をくらませれば追ってはきませんよ」
「それって……」
ようやくエリーの言おうとしていることが、俺にも分かった。
「はい。シャリーアに亡命してはどうですか、クリスさん。今、すぐにでも」
「…………」
確かに、その選択肢もないではない。
国を挟んでまで俺の罪を追及したりはしないだろうし、こうしてグレン帝国を出た以上、それを実行すること自体は簡単だ。
けれど……
「俺は残るよ」
断言した俺の言葉にエリーが眉をひそめる。
「なんでですか? クリスさんが戦う必要なんてどこにもないじゃないですか」
「必要とかそういう問題じゃないんだよ、エリー。俺がそうしたいんだ」
短い付き合いだけど、それでも俺はあの小隊に世話になったのだ。あいつ等を裏切るような真似はしたくない。
それに……前にカナリアに言った言葉を嘘には出来ない。
彼女のようになりたいと思うから、ここで背を向ける訳にはいかない。
これがこの数日悩みぬいた末の俺の答えだった。
「そう、ですか……でしたら私から言うことはもうありません。クリスさんがそう決めたのなら、それでいいのだと思います」
「悪いな、エリー」
「いいんですって、これは私のおせっかいみたいなものですから」
手を振って否定するエリーは苦笑しながらそう言った。
おせっかいと言えばそうなのだろう。けど、それがエリーのいいところなのだと思う。
「ありがとな、エリー」
俺はエリーに礼を言って、椅子から腰を上げる。
「どこか行かれるんですか?」
「ああ、そろそろカナリアの用事も終わっているころだろうからな。迎えに行くことにするよ。二人はここで待っていてくれ」
「分かりました。お気をつけて」
エリーとエマに外出の旨を告げて、俺は外へと足を向ける。
二人には気を使わせてしまったな。俺が優柔不断だから、あいつらも心配しているのだろう。
「俺がしっかりしないとな」
新たに覚悟を決めた俺は、カナリア達を探して歩き出す。
選ぶということがどういうことなのか、理解しないままに。




