第五十六話 「迷い」
カナリアの元で任務を受けての帰り道。
ツヴィーヴェルンの街並みを、見納めだと眺めながら歩いていると、俺はその現場に出くわした。
「やめてください!」
悲鳴のような言葉に視線をやれば、いつものようにと言うのは本人に失礼ながら、エリーが面倒ごとに巻き込まれていた。
(……またかよ)
エリーという少女と付き合っていけばすぐに分かることなのだが、彼女はとんでもないレベルのトラブルメーカーなのだ。本人に言えば、トラブルを作っているつもりはないと否定するところだろうが。
そんな彼女は道を歩けば絡まれる。スリに遭う。鳥の糞が直撃する。そんなことが日常茶飯事なのだ。
……単純に運が悪いだけかもしれない。
エリー、哀れ。
とはいえ、慣れたこととは言っても見捨てるわけにもいかず俺はその現場に駆け寄った。
「おい、エリー」
「あっ、クリスさん!」
声をかけた俺に救いの神を見た! って感じの視線を向けてくるエリー。
「助けてください! 可愛い少女がナンパされてます! 可愛い少女が!」
「……お前、実は嬉しがってない?」
「まさか! そんなことはないですよぅ」
「…………」
気持ち悪い語尾のエリーは完全に調子に乗っていた。
置いて行ってやろうか。
「ああ! 待って下さい! すいません! 置いて行かないで! 謝りますからっ!」
「……ったく」
仕方が無い。
俺は目の前の少女がいかにしょうもない存在であるかを、ナンパしていた男に懇切丁寧に説明してやる。十分程度説明してやれば男も納得したのか、やがて頷いて去っていた。
「おい、もう行ったぞ……って何落ち込んでるんだよ」
「……もういいですよ、どうでも……」
全てに絶望したかのような表情のエリー。
一体何があったのだろうか。
「そうだ、ちょうどいい。お前にも伝えておこうと思ったことがあるんだよ」
「なんです?」
「俺達は明日からシャリーアに向かうことになったから」
ここを去る前に済ましておきたかったことの一つ。
次に会えるのがいつになるか分からない以上、こうして挨拶くらいはしておくべきだろうと思ったのだが……
「軍から任務が下りたんですよね」
「あれ、知ってたのか」
「はい、カナリアさんが言っていましたから」
「カナリアが?」
アイツも最近任務を受けたばかりのはずだが、何故その情報がすでにエリーへと渡っているのだろう。
「実は私、シャリーアまでお供することになりまして」
「え? そうなの?」
知らなかった。カナリアはそんなこと一言も言っていなかったのに。
「運悪く荷馬車の手配が間に合わなかったようでして。代わりに私が荷馬車を出すことになったんですよ」
エリーの話では朝一にカナリアが直々にエリーの元に尋ねて頼む込んだらしいのだ。確かに急ぎの任務で知り合いに頼るしかないとはいえ、こいつも運がない。
頼まれたら断れないからな。こいつ。
「まあ、そういうことならよろしく頼む」
「はい、こちらこそです」
都合の良いアッシーとして使われているというのに、そのことに全くこだわりがない様子のエリー。本当に損な性格をしている。
「というかお前、実家にいなくていいのか?」
「ええ、まあ。父は放任主義ですからね。私が何をしていようと我関せずです」
それもまたなんと言うか……どうなんだろうな。
他所の家庭の事情に首を突っ込むつもりもないが、もう少し歩み寄ってもいいのではないだろうか。
まあ、結局は他人事なんだけどさ。
「まあまあ、父のことなんてどうでもいいじゃないですか。それより暇なら、買い物付き合ってくれません?」
「ん? ああ、いいよ。俺も旅支度しないといけないし」
俺の言葉にエリーは嬉しそうに笑みを浮かべる。
荷物もちが出来て嬉しいのだろう。
全く、何て奴だ。
その日は結局、夕方までエリーと一緒に街を散策した。
そして、夜。
借家へと戻った俺はエマとヴォイドが楽しげにボードゲームに興じているのを発見した。
「あ、クリス、おかえりー」
俺に気付いたエマが声をかけてくるが、盤面に意識が向かっているのだろう。ちらりとこちらに視線を向けただけに終わる。
「むう……エマちゃん、何気に強いのう」
「というよりヴォイドが弱すぎるんだよ。もっと頭使わないとー」
どうやらヴォイドはエマにすら劣る頭の出来らしい。覗き込んだ盤面、四色の駒が入り乱れるそのゲームを俺は見たことが無かった。
どうせまたヴォイドが考えたゲームなのだろう。基本的に暇人だからな、こいつ。
「だー、負けてしもうたか!」
「ふふーん。エマに勝とうなんて百年早いのさ!」
「ぐぬぬ……泣きの一回頼む!」
「ふはは、いくらでも相手してやろう。貴様の気が済むまでな!」
……楽しそうで良かったね。
「そういえばクリス、わしは明日出て行くことにしたけん」
「あ、そうなの。だったら丁度良かった」
「丁度良かった?」
俺の言葉に聞き返すヴォイド。
俺はカナリアから受けた任務の話をして、明日の朝一でシャリーアに向かう旨を伝えたのだが……
「シャリーアか……なるほど、帝国はそういうこともするんか」
「ヴォイド?」
楽しげなリラックスモードから一転、真面目な雰囲気となったヴォイドは何かを考えている様子。
遅れながら、俺はそこでようやく気付いた。
もしかしてこれ、機密漏洩とかになっちゃう系?
そんな気がして仕方なかった。
ま、まあ大丈夫だろう。バレないって。
バレない……よね?
次の日の朝、聖教国シャリーアへと向かうため俺達はツヴィーヴェルンの端まで来ていた。
聖教国シャリーアへと向かう旅に同行することになったのは俺、カナリア、ユーリ、ヴィタ、イザークのカナリア小隊に加えてエマとエリーの部外者組だ。まあ、今回に限って言えばエリーも部外者と言えなくもないのだが。
クレハとアネモネはここで別行動をとることになった。
理由は適当につけていたみたいだが、恐らく二人ともヴォイドについていくということなのだろう。
「それじゃあ、アネモネ。またな」
「……カナリアも、元気で」
珍しく寂しそうな表情を浮かべたカナリアがアネモネの肩を叩く。普段なら他人との接触を極力拒むアネモネも、今回ばかりは嫌な顔をしない。
「では皆、行こうか」
見送りに来ていたアネモネに、最後の挨拶を交わしたカナリアが音頭を取る。それから順番に乗り込む俺達。最後に俺が乗り込もうとしたときに、アネモネが声をかけてきた。
「クリス」
「ん? 何だ」
「……貴方には伝えておこうと思って」
アネモネは俺に顔を寄せ、ひそひそ話をするような音量で告げる。
「私とアダム、それとクレハはヴォイドと共にシャリーアへ転移で向かう」
「え? それって……」
「ヴォイドは帝国を出し抜くつもりらしい」
告げられたその言葉に続けて、アネモネは「気をつけて」と俺に警告した。
気をつけて。
一体何に気をつければいいのか俺にはさっぱり分からなかったが、聞き返す暇も無くアネモネは振り返り、立ち去っていった。
「…………」
ヴォイドもシャリーアへと向かう。
それはつまり、王国も聖教国と同盟を結ぼうとしているということなのだろうか。だとしたら、ヴォイドがそうしようと思った原因は間違いなく俺だろう。
昨日の夜に俺が口を滑らせてしまったから……
「どうしたクリス、早く来い」
いつまで経ってもやってこない俺に、カナリアが呼びかける。
「……ああ、悪い」
俺は一旦思考を止めて、荷馬車に乗り込む。
グレン帝国、フリーデン王国。
それぞれの国に属する友人を持つ俺としては……一体どうしたらいいのだろう。
どちらの側に付くべきなのか。
俺には、まだ分からなかった。




