第五十五話 「告白」
三国会議の終結から三日後。
フリーデン王国のグレン帝国に対する宣戦布告は、帝国全体を揺るがす大ニュースとなってこのツヴィーヴェルン領にも届いていた。
「最近の両国の関係を考えれば全然不自然でもないっすね。北の方では小競り合いがずっと続いていたみたいですし」
そのニュースを俺と同時に耳にしたユーリは何でもないようにそう言った。
「これから忙しくなりそうね」
自分はカナリア様に従うまでだと、変わらぬスタンスを貫くヴィタ。
「我らにも追って任務が言い渡されるだろうな。準備だけはしておこう」
巻き込まれることに全く抵抗感のないカナリアの言葉。
俺は……俺だけはこの戦争ムードに付いていけていなかった。
わいわいとこれからのことを話し合うカナリア小隊のメンバーに、確かな溝を感じてしまっていた。
と、いうのも……
「いやー、匿ってもらってすまんね。クリス」
その宣戦布告をしたヴォイドが、俺とエマが暮らしている借家に来ていたからだ。
三日前、体中に傷を作って俺のところに転がり込んできたヴォイド。何があったのかと聞いても、「ちょっとライオンと遊んでたらこんなんなってしもうた」と、意味の分からない台詞で誤魔化されて、詳しい話は聞けていない。
ヴォイドがここにいることはカナリア達に伝えていない。
伝えたところで問題があるのかどうかは分からないが、万が一ということもある。
彼は、フリーデン王国側の人間なのだから。
「カナリアは知らなかったみたいだな」
「ん? わしがフリーデン王国の王子だったことをか?」
「ああ」
まあ、俺も知らなかったんだけどな。
「そりゃそうよ。わしが王子だってのはあんまり知られてないけえのう」
「お前、王子らしくないもんな」
本当に、何の冗談だと言いたくなる。
「それで、お前はいつまでここにいるつもりなんだよ」
「うーん。転移で王国に帰ってもいいんじゃけど、それだといくらなんでも不自然だからのう。一週間はここにいないと距離的におかしい」
「いや、そうじゃなくて、この家にいつまでいるのかってことだよ」
「なんよ。わしがいたら迷惑なん?」
「そういう訳じゃないけどよ……」
どうしても歯切れが悪くなってしまう。
カナリア達に黙っているのが妙な罪悪感としてあったからだ。それさえなければヴォイドを厭う理由はないのだけれど。
個人的にも、ヴォイドには恩があるから出来れば力になってやりたいところなのだが……
「いいじゃん、ヴォイドはいい奴なんだし好きなだけ居てもらおうよ」
悩む俺の隣で、エマがそう言った。
そう、ヴォイドが来てくれたおかげでエマの病気が治ったのだ。
ヴォイドの持つ権能によって、全快したエマ。ヴォイドには感謝してもしきれない。彼がいなければエマは死んでいてもおかしくなかった。それを思えば俺が罪悪感を感じる程度、なんでもないのかもしれない。
「……それもそうだな」
恩は返さなければいけない。
次の日、カナリア達が暮らしている借家に呼び出された俺は、新たな任務が軍から降りてきたのだと聞かされた。
「シャリーアへ遠征だって?」
「ああ、そうだ」
その内容に、俺は驚きが隠せなかった。
「どうやら上層部はシャリーアと同盟を結びたがっているようでな。そのための交渉に行けとのお達しだ。出発は明日。急な任務だが我々には時間が無い。急いで準備しておくように」
カナリアから言い渡されたその内容。俺には拒否権がなかった。
聖教国シャリーア。
その首都のシャリーアに司祭が住んでいるということなので、俺達もそちらに向かうことになった。
思うところが無いわけではない。
シャリーアの隣は俺の生まれ故郷なのだから、そちらに向かうとなればどうしても思い出してしまうことがある。
とはいえ、シャリーアとヴェール領はまた距離があるから『彼女』に会うことはきっとない。けれど……元気にしているのかどうか。それだけが気がかりだった。
「しかしお前も災難だったな。まさかこのタイミングで戦争が起きるとは。これなら監獄に居たほうが幸せだったかもしれんな……」
過去に思いをはせていた俺に、カナリアが申し訳なさそうな表情でそう言った。
「んー、どうだろうな。あっちはあっちで大変だったような気もするけど」
「しかし、今回の従軍は我にも責任がある」
ああ、そうか。
カナリアは俺を戦争に巻き込みそうなのを申し訳なく思っているのか。今、分かった。けど……
「本当に律儀な奴だよな、カナリアも」
「そうか?」
「ああ。従軍することにしたのは俺の意思だ。サインをしたのも俺の手だ。だったらカナリアに責任なんてないさ」
「……そう言ってくれるか」
ほっとした表情を浮かべるカナリアに、俺も気が軽くなる思いだった。
カナリアは色々と思いつめる性質だからな。そうじゃなくても隊長職として色々と気苦労があるだろうし。
「それじゃあ仕度もあるし、俺は一度戻るよ」
そう言葉を残して、立ち去ろうとする俺を、
「クリス」
カナリアが呼び止める。
「何だ?」
「我は……」
上手く言葉が出てこないのか、口ごもるカナリア。
なんだろうか。告白とかだろうか。まあ、んなわけないか
「……我は、お前を利用しようとしていた」
「え?」
一瞬、カナリアが何を言おうとしているのか分からなかった。
「我はお前の力を貸してもらうために従軍を進めたのだ。お前が転生者だったから、戦力としてお前を囲おうとしたのだ」
「…………」
ある意味、告白だったな。
なんて、冗談を言えるような雰囲気でもないか。
「だから今回の件は我のせいでもある。恨んでくれても構わない」
目を閉じてそう言ったカナリアは俺の言葉を待っていた。
なんと言ってやればいいのか。何と言えばいいのか。
俺は言葉を選び、カナリアに告げる。
「俺はお前のあり方を尊いと思う」
「……クリス?」
改めて言うのも小恥ずかしいが、この鈍感な少女にははっきりと言葉にしないと伝わらないのだろう。
「お前は妥協しないよな。真摯に生きてる奴ってのはそれだけで好感が持てる」
もしかしたら、こういうのをカリスマというのかもしれない。だとしたら俺には皆無の要素になっちまうけど。
「だからこそ、皆お前に付いて行っているんだよ。あの鬼みたいな訓練、聞いたぜ? お前の独自メニューなんだってな。本当に殺す気かと何度思ったことやら……けどさ、それでもお前はそれでいいんだよ。お前はお前のままであってくれ」
変わらないものなんてない。
そんなこと分かっている。
けれど、望むことくらい許されるのではないだろうか。
永遠を。
「お前と一緒に歩くのは楽じゃねえよ。でも……お前と一緒に居るのは楽しい」
「……そうか。我と一緒にいるのは、楽しいか……」
俺の言葉に、カナリアは目を伏せて体を震わせていた。
「カナリア?」
「いや、なんでもない。引き止めて悪かったな。もう行っていいぞ」
素っ気無いと取られても仕方ないその言葉。
けど、カナリアが何を思っているのかは分かった。
その声が、震えていたから。
「それじゃあ、またな」
今度こそ、俺はその場を立ち去ることにした。
誰だって、見られたくない顔ってのはあるだろうしな。
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『お前と一緒に歩くのは楽じゃねえよ。でも……お前と一緒に居るのは楽しい』
先ほど言われた言葉を反芻する。
面と向かって言われたのは初めてだった。
ユーリやヴィタにしても、自分のことを好いてくれているのは普段の態度から分かっていたが、こうして改めて言われるとどうしても心が動いてしまう。
「……楽しい、か」
本当は、不安だった。
自分が他の隊長たちよりも厳しい部類だという自覚はあった。けれど、自分は自分だと譲ることなんて出来なかったから。そのせいで、友人や仲間が離れていってしまうことがあっても、変えられなかった。
自分の歩く道は間違ってはいないか。
本当に、皆の為になっているのか。
眠れない日もあった。不安に押しつぶされそうになったこともある。
けれど……変わらないでいいと。自分は自分のままでいいのだと、そう言ってもらえたから。
まだ、戦うことが出来る。
「……クリス」
いつの間にか心に居座っていた男の名前を口に出す。
生意気な男だと思う。
口先ばっかりで、剣の腕も大したことがない。取り得と言えば魔術くらいのものだが、それも活躍している場面なんて見たことがない。
思えば、不思議なものだ。
好きになるとしたら……自分よりも強い奴だと思っていた。
「人の心と言うのはどうにも、思い通りにならんものよな」
笑みが漏れる。
可笑しな気分だった。
もしも戦争に駆り出されることになったら、彼だけは何としても守り抜こう。
そんな風に、思った。




