第五十四話 「鋼の男」
「宣戦布告、か」
グレン帝国に対して宣戦布告を宣言したヴォイドに、グレンが呟く。
三国会議の会場は不気味な静けさに包まれていた。それもそのはず、ヴォイドの突然の暴挙と言っても良いその行動に皆、度肝を抜かれていたのだ。
だが、グレンは違った。
「いいだろう。戦争がしたいというのなら是非もない」
にやりと、薄く笑ったグレンは背後に控えさせていた護衛の一人に声をかけた。
「おい、レオナルド」
「なんでしょう」
「奴を……殺せ」
グレンの命令を受けたその男。レオナルドは好戦的な笑みを浮かべて一歩前に出る。
「了解」
こきり、と間接を鳴らしたレオナルドに今まで傍観を続けていたリリーが悲鳴のような声を上げる。
「ちょ、ちょっと待ってください! 私たちは話し合いに来たはずでしょう! 何でそんな話になるんですか!」
この緊迫した空気の中、よく言えたもだと感嘆するものもいたが、彼女にしてみればこの静止は当然のものであった。
聖教国シャリーアの代表として、自身の無力さを自覚しながらも今回の会議に向けて何も思うところが無かったわけではない。
自分に出来ることを精一杯やりきろう。
そんな気持ちでいたというのに、今回の展開は彼女にとって裏切られていっても過言ではなかった。
だが……
「シャリーアは黙っていろ。これは帝国と王国の問題だ」
グレン帝国は、そんなもの最初から眼中にはなかった。
グレン帝国にとって、今回のメインはフリーデン王国との外交にあったのだから。聖教国はそのおまけに過ぎない。
黙って従うのなら良し、抗うのであれば力の差を思い知らせてやろう。
そんな魂胆が最初からあったのだから、リリーとは話し合いのステージに立てるはずもなかった。
「リリーちゃん、危ないから今日はもうお帰り。わしも用があるのは帝国だけなんでのう」
そして、それはヴォイドにとっても同じ。
彼の狙いは最初からグレン帝国ただ一点。
三国会議と命名されたこの会議で、真に話し合いを求めていたのはシャリーアだけだった。つまりは、そういうこと。
「そんな……」
リリーの口から漏れる落胆に、答える人間はすでにいない。
ここはすでに、戦場なのだから。
「…………ッ!」
風を斬る音が聞こえ、ヴォイドは半ば反射的に回避行動に移っていた。
そして、次の瞬間……
──ドンッッッ!!
円卓が爆撒して、粉々にされた木片が宙を舞う。
不意打ち気味の先制攻撃。派手な一撃から幕を開けた戦場で名乗りを上げる益荒男が一人。
「第五大隊隊長、レオナルド。アンタを殺す男の名前だ」
「……こりゃあ話に聞いていた以上やのう」
レオナルドの名前は他国にも轟くほどの勇名だった。
いわく、『鋼の男』。
それがレオナルドに与えられていた異名だ。
「ちっ……」
ヴォイドが舌打ちを一つ。
レオナルドの戦い方を知っていたヴォイドは彼の間合いに入らないようにと距離を取るが、レオナルドはそれすら許さない。
全力で後退するヴォイドに悠々と近寄るレオナルド。
「ここは狭い。外でやろうぜ」
言うが早いか、レオナルドはヴォイドの顔面を片手で掴み壁に叩き付ける。
そして、再びの轟音。
ヴォイドは強引に会場の外へと連れ出された。
「が、はっ……」
なんという膂力だろうか。
人間の腕力では到底不可能な所業をレオナルドは易々と行う。
「ほら、遊ぼうぜ」
レオナルドは新しい玩具を見つけた子供のような笑みを浮かべながらヴォイドを弄ぶ。
事実、王子なんていうご身分の相手に自分が負けるなんてちっとも思っていないのだ。
「……なるほどのう。お前さんもそういう類の奴か」
「あん?」
嬉々として戦闘行為に身を染める者。
ヴォイドはそういう者らを『戦闘狂』と称していたが、どうやらレオナルドもその分類にされるようだった。
「クソッタレが」
そして、ヴォイドはそういう人種を何よりも嫌悪していた。
何が楽しくて戦うのか。
それがヴォイドにはちっとも理解出来ないのだ。
一言で言えば、ヴォイド・イネインという男はどこまでも凡人だった。
フリーデン王国の王子として生まれたことこそ特殊ではあったが、その感性もあり方も行動原理も、どこまでも通常の枠を超えない。
そして、それは彼の前世に由来する。
「戦いなんて、全てなくなってしまえばいいのにのう」
「はっ! それをお前が言うか!」
レオナルドの嘲笑ももっともだろう。
さきほど会場で宣戦布告した男の台詞にしてはどこまでも皮肉が利いている。
しかし、ヴォイドの言葉に偽りはない。
彼は本気の本気で戦闘行為を嫌っていた。
けれど……守りたいものがあるから。自分の後ろには、傷つけてはいけない人達がいるから。だから、代わりに自分が戦うのだ。
誰も傷つけない最善の方法は自分が泥を被ること。
それこそがヴォイド・イネインの信条であった。
「まあ、それならここで戦う理由もないんじゃけどね」
レオナルドの狙いは自分。ならば戦う必要もない。ただ、逃げればいいのだから。
「けど、お前みたいな人種には負けたくないんでのう。悪いが……」
すっ、と。ヴォイドは両手を前に突き出すようにして構える。
「一瞬で終わらせるぞ」
ヴォイドはくいっ、と片手を捻る。
ヴォイドが何をしたのかレオナルドには分からなかった。しかし、起きた現象は火を見るよりも明らかだった。
「なっ!」
ズタズタ。
そんな表現が似合う様相だった。
音も無くレオナルドの服はズタボロに切り裂かれ、そしてそれは大地にも広がっていた。まるで巨大な獣の爪によって引き裂かれたかのような裂傷が刻まれていたのだ。
「……今ので決まらんか」
ぽつりと漏れたヴォイドの言葉。内心、レオナルド以上に驚いていた。
まさか今の攻撃を受けて、『無傷』だとは思わなかったのだ。
「何だ? アンタ何をしたんだ?」
レオナルドの問いに、ヴォイドは自分こそ聞き返したい気分だった。
(あれで駄目なら……こっちで行くかの)
ヴォイドは腰から一本の短刀を取り出した。
刃渡りはそれほどでもないその刀は、暗器としての特性を持ち合わせていた。そして、それを見ただけでレオナルドにはヴォイドの戦闘スタイルが理解出来てしまう。
「おいおい。何だよそれ。何でアンタみたいな奴がそんな武器を持っている? それは明らかに……暗殺用の武器だろうに」
王子の扱う武器としては不適切だろう。
いや、そもそも王子というにはヴォイドは戦い慣れすぎている。それはあまりにも異常なことだ。
「お前、何者だよ」
思わず漏れたレオナルドの問いに、ヴォイドは自嘲するかのような声音で答える。
「……ただの、亡霊だよ」
そう、自分はただの亡霊だ。
もう終わってしまった物語。その残滓を今も抱え続けているただの亡霊。
前世の記憶なんて、持っていないほうが楽だった。もしそうなら、自分はこんなにも苦悩することなんてなかっただろうから。
「仏千人神千人。それに比べて人は余りに多すぎる。そんで悪い奴のほうが多いってんだからやってられんよのう」
「……何が言いたい」
「別に。つまらん世の中じゃって言いたいだけよ。何で皆、もっと適当に生きられんかね?」
どいつもこいつも捻じ切れて、捻くれている。
……自分を筆頭に。
「来いよ、レオナルド。貴様に死を教えてやる」
「まるで自分は知っているかのような口ぶりだな、おい」
「そりゃあそうよ。何せわしは一度死んでるからのう」
一度死んで、何人も殺した。
死を理解するには充分過ぎる数だろう。
ヴォイドの言葉を軽口と判断したレオナルドは全身に魔力をまとい、本格的に戦闘モードへと気持ちを切り替える。
「やれやれ」
面倒なことになったのう。
重くなる足に力を入れて、ヴォイドは駆けた。
戦場を。
懐かしい、戦場の香りをその身に浴びながら。




