第五十二話 「曇天」
「ヴォイドがフリーデン王国の王子?」
「ええ、そうです」
アダムから聞かされた真実。彼の主人だと言うヴォイドの素性を聞いた俺はまず最初に、なぜアダムはそんな意味の分からない嘘をつくのだろうと思った。
「……嘘だろ?」
「いえ、本当のことですって。まあ、疑いたくなる気持ちは分かりますけどね」
アダムは苦笑しながら話を続ける。
「ヴォイド様はフリーデン王国の第三位王位継承者です。五人の兄弟の真ん中、三男として生まれた彼には王国に居場所がなかったそうです」
「居場所がなかった? 王子なのにか?」
「ええ。そういうことが間々あるのですよ。この世界では。貴族というのは実に醜悪ですからね。家督を継ぐことが最優先事項で、子供達は権力争いの道具でしかありません。その点、男のヴォイド様はあまりご実家で重要視されていなかったそうで……孤独な幼少期を過ごされたとのことです」
「詳しいんだな、お前」
「ええ。私も無関係ではありませんでしたので」
そう言って目を伏せるアダム。彼らの過去に何があったのかは分からないが、孤独というその単語には、共感してしまっている自分がいた。
境遇や経緯は全く違うとしても……ヴォイドもまた、俺と同じように居場所を失ったのだろう。いや、ヴォイドの場合は最初から無かった分、俺よりも酷いかもしれない。
(あの軽薄な男に、そんな過去があったなんてな)
人に歴史あり、とはいえまさかヴォイドが王子だったとは思いもしなかった。
「それで……そのヴォイドがエマの病気を治す権能を持っているんだよな?」
「ええ、そうです。三国会議が終わり次第、彼がこちらに飛んでくる予定になっていますので、それまで少しだけお待ちください」
懇切丁寧に説明してくれるアダム。
しかし、俺はそもそもの疑問として、アダムにどうしても言ってやらなければ気がすまないことがあった。
「というか、何でお前はエマに呪いをかけたんだよ」
「ああ。それはただの事故ですよ。運が悪かっただけです」
俺の問いにアダムは、申し訳なさそうな顔をする。
本当に申し訳なく思っているのかは、俺には判断出来なかった。
「私の権能は無差別型でしてね。たまにいるんですよ、私と接しただけで重病にかかってしまうような人が」
「……けど、エマとお前に接点は無かったはずだろ」
「ええ、ですが私からクリスさん。そしてクリスさんからそのエマというお嬢さんに移ったということも有り得るんですよ」
「…………」
アダムがそう言うのなら、それで納得するしかない。
納得するしかないのだが……気持ちの部分で整理が付かないのだ。事故だからと言って許せることと許せないことがある。今も苦しんでいるエマのことを思えば、俺は軽々にアダムを許す気にはならなかった。
「不安だというのなら、その子の傍に居てあげてください。私の権能は生きようとする意志の強い者にほど効果が薄いという特性がありますので、励ましてあげるだけで病気の負担は軽くなるでしょう」
そう言ってアダムはこんなことしか出来ませんが、と言っていくらかの金銭を手渡してきた。
「これで元気になるものでも買ってあげて下さい」
「……分かった」
礼を言うのも違うと思った俺は、そんな中途半端な了承の言葉で頷いた。
「それじゃあ俺は一度帰るよ」
「それがいいでしょう」
慇懃な態度で一礼して俺を見送るアダム。俺は振り返って、歩きだすその瞬間に、ふと気になった疑問をアダムに送る。
「なあ、何でお前はここに俺を招待したんだ?」
神域の、幻想的なこの空間に。
なぜ、一般人である俺を入れさせたのか?
「……見てもらいたかったんですよ」
「見てもらいたかった?」
「ええ。この教会は元々孤児院だったのを教会として再建したものなのです。この神域は、孤児院時代、子供たちの駆け回る中庭として存在していました。十年近く前の話になりますけどね。今では私以外、ここに来ることもありません」
アダムは、そこでほんの少しだけ、憂いを宿した表情で「だから……」と言葉を続ける。
「誰かに、見てもらいたかったのかもしれません」
何で俺に、と思わないでもない。
俺は無宗教論者だし、神なんて存在も頼っちゃいない。信じてはいるけれど。
そんな俺の内心を見透かしたのか、
「貴方なら分かってもらえるかも知れないと、思ったんですよ」
と、愚痴のような言葉を漏らした。
「貴方は私に似ている。そういう風に感じたのですよ。ただ、それだけのことです」
アダムは最後にそう言って、神域の奥へと消えていった。
俺は俺で、アダムに背を向けて外へと向かう。
アダムの言葉を信じるならば、すぐにでもエマの元に戻らなければならない。
無駄に荘厳な扉を開け、再び青色の教会へと舞い戻る。
「……終わったみたいね」
それなりに長い時間話し込んでいたというのに、入った時と全く変わらない場所に全く変わらない体勢で立っていたアネモネが俺に声をかける。
というか、どこかで座っていれば良かったのに。
「悪いな、待たせたか」
「……構わない」
淡々と、いつもの調子で口にするアネモネは突然くるりと身を翻し、教会の外へと向かい始めた。
「帰るのか?」
「……うん。カナリアも心配しているだろうし」
「そっか。それじゃあ、帰るか」
「……うん」
今まで色んな奴と出会ってきたが、アネモネほど癖の強いタイプはいないだろう。俺達は独特の雰囲気のまま、並んで家へと歩いていく。
教会の外では、いつの間にか広がり始めた曇天が、どんよりと空を漆黒に染めていた。
──雨が、来そうだった。




