第八話 「恋心」
メテオラを始めて使ってから、五年の月日が過ぎていた。
十歳になり、少年と呼べる見た目になった俺は現在、屋敷で剣術指導を受けていた。
キンキンと響く剣戟の中、俺と指南役の男はお互い模擬剣を振り回し、激突を繰り返す。
──ギィン!
数分にも満たない打ち合いの末、一際大きな衝突音と共に、勝敗は決定した。
「ぐぅ……ッ!」
からからと持っていた模擬剣を取りこぼし、地面に腰をつけたのは……指南役の男のほうだった。
指南役を見下ろす形の俺は無言のまま、模擬剣を鞘へと収める。
そんな俺の泰然とした様子に男は表情を崩し、驚愕交じりに吐露し始める。
「ありえない……私は三十年間剣の道に人生を捧げてきたんだぞ? それが十になったばかりの子供に劣るというのか?」
「……あなたの剣は見事でしたよ。すごく勉強になりました」
俺の言葉は嘘ではない。
あっというまに着いた決着だったが、彼の足運び、間合いの取り方、攻めと受けの理合など、学べるところは多かった。
「謙虚な子だな、君は」
「自分に出来ることと出来ないことは心得ておりますので」
「……君、本当に十歳なのかい?」
男は最後に、何の冗談だと言いたそうな表情でそう残してから屋敷を去っていった。
俺は指南役だった男に頭を下げて見送り、さきほどの打ち合いを反芻する。
「これで三十四人目か」
庭に残っていた俺に声をかけたのは父、アドルフ。この五年で少し老けたように思う。
過労でぶっ倒れる前に、俺が助けてやらないとな。
「ですね。また他の指南役を探してもらえますか?」
「……今でも十分強いと思うがな」
俺の言葉に首を傾げるアドルフ。
確かに、稽古という枠の中ではそれでもいいだろう。だが、俺が学びたいのは実戦のカンだ。それだけは、俺の力を持ってしても手に入れることは出来ないのだから。
「まだまだ学ぶことは沢山ありますよ」
本当ならアドルフに直接剣の指導をしてもらいたいところだったが……多忙の父に、無理は言えない。
いつか父を越えると心に決めて、俺は剣を振り続けているのだ。
「俺は私室に戻って、魔術の研究をしておきます」
「うむ、分かった」
昔はよく、精進しろよと付いていた台詞だが最近ではめっきり聞くこともなくなった。
言う必要がないと、判断したのだろう。
魔術と剣術。それが数ある教育の中で、最も伸びた科目だろう。まあ、どちらもチートを使っているのだから当たり前と言えば当たり前。
私室へと向かう廊下の途中、
「クリスちゃぁぁあん!」
「ぐへっ!」
俺の背中に飛びつくように突撃してきたのは俺の母親、サラだった。
「さっきの稽古見てたわよぉ。こんなに可愛いのに、凄いわねえ!」
「や、やめてくれ母さん!」
今年で三十になるというのに、サラはいまだに若々しい。その見た目と、豊満なボディに押され、実の母親だというのにうろたえてしまう。
一応念のため補足すると、もともと日本にも母親がいたせいで、真っ直ぐに母親として接しきれていないという事情も加味して欲しい。俺、マザコン違います。
「なんでよー。こんなに可愛いのにぃ」
「まず、その可愛いってのやめてくれ!」
俺の髪をぐしゃぐしゃと撫でながら頬ずりしてくるサラ。
サラは何かにつけて俺のことを構いたがる。可愛いと、男の子に言うにしてはいささか恥ずかしい言葉を口にしながら。
「今度、女の子用のお洋服とか着てみない? 絶対に似合うと思うんだけど……」
「絶対に嫌だ!」
俺はサラの拘束から抜け出し、自室へと避難。扉に鍵をかけ、追撃を阻止したあと、俺はため息を着きながら机へと向かう。
その途中、かけてあった鏡に自分の姿が写りこみ、陰鬱とした気分になる。
中性的に整った顔立ち、白い髪と白い肌は儚さすらかもし出している。切るのが面倒で伸ばし気味になっている髪と合わせれば、サラの言うように女の子に見えないこともない……かもしれない。
メテオラで姿変えようかな……
割と本気で悩む。
いや、それよりもメテオラのことだ。
俺は机の前の椅子に腰かけ、引き出しから一枚の紙を取り出す。そこには日本語で、
『自身の魔力量増加』
『森の消火』
『剣の才能』
『クリスタの傷の治癒』
『イワンのクリスタへの接触禁止』
『アドルフの体力回復』
『検証・二回』
と、書かれている。これは俺がメテオラで改変した事象の一覧だ。
この五年間で、過労で倒れたアドルフに使ったり、剣の技能を底上げしたりと、俺は計八回ほどメテオラを使用していた。
そして、検証を重ねて少しずつ分かってきたことがいくつかある。
一つは曖昧なイメージでは発動しないということ。『欲しい』という願望に対して、『何が』という対象のイメージがしっかりしていないと曖昧な文言として、メテオラは発動しない。
分かったことのもう一つは、メテオラの事象改変は違和感として残るということ。
例として、俺がこの女顔を直したとする。しかし、周りの人間は俺の元の顔を覚えたままであり、大騒ぎになるということだ。
調べてみれば、このメテオラ。案外使いづらい。破格の力であることは議論するまでもないことだが、軽々に使うには能力が重過ぎるのだ。軽々に使える能力ではない。それが十年間でたった八回しかメテオラを使っていない理由だ。
現在俺の左肩には100と痣が彫られている。余裕があるうちに、研究を続けていかないとな。
そんな風に思っていたときだ、ノックの音と共にメイドの声が聞こえてくる。
「クリストフ様。お客人がお見えになっております」
「すぐ行く!」
俺は椅子から飛び上がり、扉の鍵を解除して開け放つ。
メイドの横にちょこんと立っていたのは美しい金髪の少女、クリスタだ。
「おはよう、クリストフ」
「いらっしゃいクリスタ。とりあえず、入りなよ」
俺は手をすっと動かして、クリスタを室内へ誘う。
横を通り過ぎるクリスタから、ふわっと風に乗せられた花のような香りが鼻腔をくすぐる。
この五年で身長も大きく伸び、美少女としての存在感を一層強くあらわし始めたクリスタに目が奪われる。こういう感情を、恋って言うんだろうな。
「今日は何の勉強をしていたの?」
そんなことを考えていると、クリスタは机の上にあった紙を見つけたようだ。
可愛らしい顔で眉をひそめ、呟くクリスタ。
「何て書いてあるのか分からないわ」
「俺の作った暗号だからね。分かられても困る」
俺が転生者であることはまだ明かしていない。友人に隠し事をしているのは心苦しかったが、メテオラと同じだ。隠せるなら隠しておいたほうがいいだろう。
「クリストフは相変わらず凄いわねー」
感心した様子のクリスタは俺に羨望の眼差しを送ってくる。
……なんだかむずがゆいな。こういうの。
俺は話題を変えようと、口を開く。
「それより、今日は何して遊ぼうか?」
「それじゃあ……また勉強教えて!」
それに対するクリスタの答えは単純明快。一応言っておくとこの子は俺と同い年の十歳だ。
なんて勉強熱心なんだろうね。
「昨日も、それだったじゃないか。たまには普通の遊びをしてみないか?」
「それもいいけど……私は早く、クリストフに追いつきたいの」
クリスタは自分が俺と釣り合っていないと感じるときがある、と独白を始めた。
貴族の家系であること、メテオラという不思議な力が使えること、子供にしては大人びた精神。
などなど、俺は普通の子供ではない。そんな俺と比べても仕方がないことだとは思うが、
「私は、クリストフの役に立ちたいの」
真っ直ぐに俺を見つめるエメラルドグリーンの瞳には強い意志が宿っている。
俺は朴念仁などではないつもりだ。だから、クリスタが俺のことをどう思っているのかも、察しはついている。そして、俺自身の気持ちも。すでに無視できないほどに大きくなってしまっていた。
「……分かった。それじゃ魔術の勉強でもしようか」
「うん!」
子供らしくはないかもしれない……それでも、別にいいだろう。やりたいことをやればいいのだ。
それに今学んだことは、今後きっとクリスタの役に立つ。
俺は将来のクリスタをイメージしながら、勉強を続けた。
将来、か……
今は恥ずかしくて言えるわけもないけど、きっといつか──
クリスタに告白しよう。
俺は隣に座る少女を見て、そう決意するのだった。
それから三日後のことだ。
クリスタが……死んだ。