「たった一つの譲れないコト」
「……貴方の勝ちです」
教会の中央。そこで仰向けに倒れているアダムが、瞳を閉じて呟く。
「殺すなら殺しなさい。貴方にはそうする権利がある」
諦観した雰囲気を放ちつつ、ぞんざいな口調で言い放つアダムに俺は少しだけ残念な気分にされた。
「分かってないな。俺はそんなもの求めてない。俺が望むのは二人にかけた呪いの解除、それだけだ」
手に掴む刀には、勝利の余韻がべったりとへばりついている。しかし、俺の目的は敵を殺すことなんかじゃない。そこを履き違えてはいけないのだ。
「申し訳ありませんが、私の権能は与えるだけです。解除なんて出来ないのですよ」
「……何? そんな訳無いだろう。だったらエマの呪いはどうやって解除したんだよ?」
アダムの言葉は予想外のものだった。
エマという前例がある以上解除することは不可能ではないのだと思っていたのだが……一体どういうことだ?
「解除? 私は何もしていませんが……例のお子さんは病気が治ったのですか?」
驚いた表情のアダムからは、嘘を言っている雰囲気は感じられなかった。
「ああ……エマにかけた病気は時間経過で治るのか?」
「私の権能はそんなにヤワではないですよ。時間で治るのなら不治の病なんてこの世のどこにも存在しなくなってしまう。しかし……いや、もしかしたら……」
アダムはそこで何か思い至ったのか、視線を俺から逸らし、教会の隅で蹲るイザークへと向ける。
「……何だよ」
視線を向けられたイザークが力ない声を出す。
今にも倒れこんで、そのまま死んでしまいそうな勢いだ。
「なあ、アダム。本当にお前はカナリア達の病気を治せないのか?」
「ええ、この期に及んで嘘はつきませんよ」
「…………」
まずいことになったな。
カナリアとイザークにかかった病気を治す方法が見つからないのは非常にまずい。治療院に連れて行くことに意味が無いのはエマの時に分かっている。ならば……どうする? メテオラでも治せないとなると本格的に八方塞だ。
「私が治すことは出来ませんが……方法もないことはないですよ」
その時、アダムが一筋の巧妙となるであろうことを言い始めた。
「何だよ、その方法ってのは」
「一つの例として、権能があれば治せないこともないでしょう。クリスさんにしてみても、貴方は私の呪いを自力で克服することが出来た。つまりは権能には権能で対抗すれば、望みはあるということです」
「確かにそうかもしれないが……俺の権能で直せるものには限界があるぞ」
俺の権能ではすでに進行している病気を治すことが出来ない。俺の権能は留める権能であるから、すでに変容してしまったものを元の形に戻すことは出来ないのだ。
簡単に言えば、ある程度時間が経ってしまうと元には戻せないということ。
「この場合……二人を治すのは多分無理だ」
権能を手に入れたとしても、出来ないことは出来ない。
「いえいえ、クリスさんに頼るまでもなく、もう一人私の権能を無効化出来る人はいるのですよ」
「え? それって……」
「ええ、私の主人です」
アダムの言葉に、俺はヴォイドの姿を探す。
いつの間にか視界からいなくなっていたヴォイドがどこに行ったのかと探してみると……
「ふわぁぁ……横になると眠くなるのう」
「危ないので体は動かさないで下さいね」
クレハの太ももに頭を乗せ、耳かきしてもらっているヴォイドの姿がそこにはあった。
……というか、何してんだよアイツら。
「おおー、もう終わったん?」
どこまでも暢気な口調で、ヴォイドがこちらに手を挙げて呼びかける。
「ええ、まあ。私の負けです」
「アダムの権能は直接戦闘には不向きじゃしのう。まあ、しょうがないわ」
クレハに合図して、立ち上がったヴォイドは大きく伸びをしてから、こちらに向かって歩いてくる。
「さて、クリス。カナリアとイザークにかかった病気が治したいんよな?」
「あ、ああ」
「それ、わしの権能なら出来るぞ」
なんでもないように、ヴォイドはそう言った。
「本当か?」
「おうよ。こんなくだらんことで嘘ついても仕方なかろう。正直、今回の件はお前さんに大分負担をかけてしもうたみたいやし、特別サービスで治してやってもいいぞ」
「…………」
正直、ヴォイドの言っていることをどこまで信じていいのか俺には判断出来なかった。仲間だと思っていたのに、俺の敵だと言ったヴォイド。
しかし、それでも今までと同じような態度で俺に接してきている。それは敵対なんて言えるようなものではなく、普通の友達同士か何かのような気安さを伴っていた。
ヴォイドが何を考えているのか分からない。
それが、堪らなく怖かった。
「そう警戒せんでええよ。今回は、ドンパチやろうって気はないけん」
「……分かった」
ヴォイドは仮にも命の恩人だ。
少しだけ、信じてみてもいいのではないかと思った俺は首を縦に振り……
「……クリス、よせ」
イザークに、止められたのだ。
「イザーク?」
「ソイツの言うことを聞くな。お前は日常を守りたいンだろ? だったら関わるな。お前はお前のことだけ考えていればいいンだよ。オレ達のことでお前が責任を負う必要はねェ」
イザークは精一杯の力を振り絞ったという様子で、言葉を吐き出していく。
「これはオレ達の失態だ。自分で挑んで自分で負けて、自分で始末をつけるべきことなンだよ」
「……お前は」
何を考えている?
続く言葉は口には出さない。
聞いたところで意味なんてないだろうから。
イザークの隣で眠り続ける少女に視線を送る。
イザークに恩なんてないにしても、彼女にはある。しかも、元はと言えば俺が原因でこうなったようなものだ。だったらカナリアを救う責任は俺にはある。
「……あれ?」
カナリアに視線を送って……俺は気付いた。
最初は苦しそうにうめいていたカナリアに、その気配がなくなっていることに。
気になった俺はカナリアの元に駆け寄り、その体調を確認すると……
「治ってる?」
そうとしか思えなかった。
体温も平熱。うめく様子もないし、顔色も良好。脈は測ったことがないから詳しくは分からないが……自分のそれと比べて、大きな違いがあるようには感じなかった。
「何ですって?」
俺の言葉に、アダムが驚愕の表情を浮かべる。
「在り得ない。こんな短時間で私の祈りが消える訳が無い」
そう言ったアダムも、遠目からカナリアに注視するが……やはり彼から見ても、俺と同じ結論に至ったのか、信じられないといった表情を浮かべていた。
「ということは……やはり、貴方ですか」
アダムの視線が、イザークへと注がれる。
「貴方……私の呪いを、奪い取りましたね?」
アダムがイザークに向けて、忌々しそうに呟いた。
「今頃気付いたかよ。自分の権能だってのに、案外わかっちゃいねェんだな」
イザークが、アダムの呪いを奪った?
アダムが何を理解したのか、俺には分からなかった。
そして、俺はそれを永遠に知ることはないだろう。
なぜなら……
「仕上げだ」
──次の瞬間に、俺は代理戦争から脱落してしまったから。
伸ばされたイザークの腕が、俺の体に触れる。
その瞬間に……俺は意識を奪われた。
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前世の記憶。
妹もまだ元気だった頃の記憶。
「なあ。お前将来は何に成りたいんだ?」
俺の父親、栗栖大吾が俺に尋ねたことがあった。
「何になりたいかって? うーん。なんだろうな、これってのがある訳じゃないんだけど……強いて言うなら、父さんみたいになりたいかな?」
「オレみたいに?」
「うん。父さんみたいに誰かを守れるような人になりたい」
俺の父はぶっきらぼうで、愛想がないとよく言われていたが、誰よりも優しい人だということを俺は知っていた。
だから、俺はそんな優しい父のようになりたかった。
「そうかよ。オレみたいになりたいか。だったら今よりもっと背ェ伸ばさないとな。今のちんりくりんのままじゃ、守りたいもんも守れねぇ」
がしがしと、俺の頭を雑な手つきで撫で回す父は、鼻の頭を撫でながら言葉を続ける。
「まあ、お前がガキの間くらいはオレが守ってやるからよ。心配すんな」
父がそういう仕草をするときは決まって照れているときなのだと、俺は長年の付き合いで知っていた。
本心を隠して、よく誤解されていた父。
けれど俺はそんな不器用な父が、好きだった。
誰かの為に、本気で何かを出来る人というのは案外少ない。
そして、誰かの為に泥を被ってやることが出来る人は、極端に少ない。
しかし俺の父親はそんな少数派に属する人間だった。
困っている人を見捨てない、誰かの為に本気で取り組む、弱きを助け強気を挫く。誰よりも勇敢で、誰よりも大きく見えた父。
俺はそんな父親に……英雄の姿を、重ねていたのだ。
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「……あれ?」
ここは、どこだろう。
まず感じたのは、それだった。
「クリスぅぅぅぅぅううううう!」
「ぐほっ」
続けて、衝撃。まるでラグビー選手のタックルか何かのような衝撃を腹部に食らった俺は転げ回る。
何事かと思って視線を下げると、そこには小さな少女がいた。
「あ……」
思わず声が漏れる。嬉しくて。
「起きたんだな……エマ」
「それはこっちの台詞だよ!」
手をぶんぶんと振って感情を持て余すエマに、俺は頭をぽんぽんと叩く様に撫でてやり、落ち着くように告げる。
それから俺は周囲を見渡して、遅れながらここがどこかを把握する。
「ここは前に使ってた方の借家か」
エマが病気に罹ってからは、別の借家に暮らしていたので少しだけ久しぶりのこの部屋は、俺が使っていた二階の部屋だった。
俺と、クレハと、エマと、そして……アネモネが使っていた部屋。
ついこの間のことだというのに、ずっと昔のことのように感じる。
それだけ、めまぐるしく時間が過ぎたということだろう。
「とにかく、皆にクリスが起きたこと話してくるね」
俺が感慨に浸っていると、エマがそう言って部屋から出て行く。
再び一人になった部屋で、俺はふと気になったことを確認することにした。
「やっぱりか」
妙な確信があった。
イザークが俺に触れたときに、俺の中にあった何かがすっと抜け出していくかのような感覚を感じていたから。
俺の左肩、そこには痣一つない綺麗な肌が広がっていた。
「…………」
代理戦争について、俺は何一つ理解していなかったのかもしれない。
誰が敵で、誰が味方だったのか、今となってはそれすら分からない。
いくつもの疑問を残したまま……俺の戦争は、こうして幕を閉じたのだ。




