「慈愛の女神・スペルビア」
「なんで、お前が……」
「時間です」
俺の口から漏れた問いに、クレハではなくアダムが答える。
「『彼』が、来ます」
そう言った瞬間、静かに空間がきしみ始めた。
白い光がクレハのすぐ横に満ち始め、ゆっくりと一人の人間が姿を現していく。
全く不可思議としか言いようがない現象ではあったが、この状況に俺は心当たりがあった。
一度は俺も使ったことがあるメテオラ。恐らく、『逆側』から見たらこのように見えるのだろう。
ゆっくりと姿を現した男は周囲を見渡して嬉しそうな声を上げる。
「おお、勢揃いって感じやね。いやー、遅れてしもうてすまんのう」
「時間にはぴったりですので、反省する必要はありません」
「お? 珍しく優しいのう。もしかしてずっと会えなくて寂しかったか?」
「なに有り得ないことをほざいているんですか。猛省してください」
「いきなり辛辣!?」
いつものように、変わらない会話を繰り返す主従二人。
決められた役割を果たすかのようにはしゃぎ続けるヴォイドが、『転移』のメテオラで姿を現したのだ。
「ま、クレハに弄られるのも楽しいもんだけど……ちぃと場違いっぽいのう」
ヴォイドは教会中にざっと見渡し、そう言った。
「イザークとカナリアがここにいるのは想定外やったのう。アネモネの姿も見えんし……アダム、何があった?」
頭を掻きながらアダムに視線を送ったヴォイドが尋ねる。
それに対してアダムは恭しく膝を着き答える。
「アネモネは裏切りの兆候が見えましたので『処分』しておきました。この二人はその敵討ちだとか何とかで」
「はぁ? 何勝手なことしとんや。アネモネの処分なんて頼んでないぞ」
不機嫌そうにそう言ったヴォイドに慌ててアダムは頭を下げる。
「申し訳ありません。しかし、これも貴方様の目的のため、必要なことだと判断してのことです」
「……まあいい」
ヴォイドの冷淡な声が聞こえた。
「ヴォイド……」
「ん? 何や、クリス」
信じていた。
俺を助けてくれたヴォイド。
何を考えているのか分からない奴だったけど……俺はコイツが、悪い奴じゃないと信じていた。
「お前は……」
だからこの感情はきっと怒りだ。
自分で勝手に信じて、勝手に裏切られて、勝手に感じたこの怒り。
けれど、俺は……お前のことを──
「俺の、敵なのか?」
──友達だと、思っていたのに。
否定して欲しかった俺の問いに、ヴォイドは頷いた。
「わしはお前の力を貸して欲しいんよ、クリス」
俺に向けて、手を差し出してくるヴォイド。
俺はヴォイドの考えていることが分からなかった。
俺の敵だと言いながら力を貸してくれと言う。矛盾したその台詞に、俺は困惑していた。
「耳を貸すな!」
俺が戸惑っていると、イザークが張り裂けそうな声で叫んだ。
「それだけは駄目だ! その先に『未来』はねェ!」
一体何を知っているのか、イザークは緊迫した表情で訴える。
「うるさいのう、赤髪」
頭を掻いたヴォイドは、
「──殺すぞ?」
一瞬としか思えない速度でイザークに詰め寄り、その体を地面に叩き付けた。
「……が、ッ」
「権能も消え取るみたいやし、もう限界じゃろう」
「ぐ……」
喉元をヴォイドに押さえつけられているイザークが苦悶の声を上げる。
俺はどうすればいいのか、どちらに加勢すればいいのか分からなくてただ立ち尽くすことしか出来なかった。
「今すぐこの場を去るって言うなら命くらいは見逃してやるけん。命は大切にしろや」
すっ、とイザークの拘束を解いたヴォイド。
そのままイザークへの興味を失ってしまったのか、再びこちらに向かい合う。
「んー、色々と言いたいことはあるんやけど……ひとまず、わしらに付いて来てくれんかのう」
「……理由を言え、ヴォイド。俺は白紙の契約書にサインするつもりはない」
「ま、そうなるよな……」
「ヴォイド様」
俺達が話していると、突然アダムが口を挟んできた。
「何や」
「彼はまだ、戦うつもりのようですよ」
アダムの指差した先、ふらふらと頼りない足取りで、しかし確かに二本の足でイザークが立ちふさがるようにそこにいた。
「まだだ……」
口から血と共に言葉を吐き捨てる。
その瞳は未だ何も諦めてなどいなかった。
「私が終わらせますよ」
指を鳴らすアダムが群青のオーラを解き放つ。
どこまでも混沌とした青の塊。それこそがアダムの色なのだ。
「──汝に捧ぐ鎮魂歌」
それに対してイザークも再び黒の権能を開放する。
しかし、その力もアダムとは相性が悪い。悪すぎたのだ。
アダムの権能は与える力。そして、イザークの力は奪う力。双方の力のベクトルが合致してしまっている以上、アダムの権能は他の誰よりもイザークに対して猛威を奮う。
単純な相性の問題。
イザークはアダムには勝てない。
しかし……
「む?」
イザークの狙いはアダムではなかった。
一瞬の隙を突いて群青の包囲を突破したイザークは真っ直ぐに駆ける。
俺に向けて。
ドスッ──嫌な音がして、視線を下げれば……イザークの腕が俺の胴体を貫通しているのが見えた。
「なん……で……」
思わず漏れた問いに、イザークは口元を歪めて答える。
「これで……オレの勝ちだ」
イザークの声が、妙に遠くから聞こえたような気がした。
痛みはすでにない。
俺はゆっくりと、眠りにつくような穏やかさのまま……絶命した。
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そこは真っ白な空間だった。
どこまでも広がる真っ白な空間。
何もない。何もない。ただただ真っ白な空間が広がっている。
その不気味とも言える空間に、俺はただ一人佇んでいた。
「やあ、いらっしゃい」
突然の声に俺は振り向く。
するとそこには銀髪を揺らす少女がいた。
一瞬アネモネの姿を幻視したが、よく見るまでもなくあの無愛想な幼女と目の前の少女は全くの別物だった。
目の前の少女は、ニコニコと笑みを浮かべて俺を見ていたのだ。
これがアネモネのわけがない。あのアネモネがこんな陽気な表情を浮かべていたら真っ直ぐに治療院へ連れて行くところだ。
だとするならば、
「お前、誰だ?」
目の前の少女に、俺は心当たりがなかった。
「うんうん。それが正しい反応ってモンだよね。しょうがないしょうがない。ただまあ、初対面の相手、それもレディ相手って言うのならもう少し気の利いた言い回しが欲しかったかな。例えば自分から名乗るとかさ」
迂遠な言い回しで、銀髪の少女はそう言った。
「悪かったよ。俺の名前はクリスだ」
「うん。知ってた」
ぶん殴ってやろうかしら。
「そんな怒らないでよ。憤怒は君の性質ではないだろう? いやまあ、近似と言えばそうなんだろうけどもう少し心の余裕って奴を持とうぜ」
ビシッと親指を立てる少女。
よく喋る奴だ。ますますアネモネとは別物だな。
「それで結局、お前は誰なんだよ」
「うん、そこだよね。その説明さえしてしまえばほとんどのことに納得がいくと思うんだよ」
うんうんと頷いた後、少女は突然、バッと両手を広げて快活に名乗りを上げる。
「ボクは慈愛の女神・スペルビア。君をこの世界に転生させたモノだよ」




