「権能開花」
雨上がりの表通りを駆け抜ける。
向かう先は教会だ。きっとカナリアはそこにいる。
カナリアにしてみれば、余計なお世話でしかないだろうが、俺は彼女の為に何かをしてやりたかった。カナリアには大きな借りがある。今更過ぎるけれど、まだ間に合うのならそれを返したい。
それに加えてもう一つ。
俺はもう一人にも、返さなければならない恩がある。
もう、返すことは出来ないけれど。それでも俺はアイツに救われたのだ。
このまま忘れるなんて嫌だから。
──あの無愛想な幼女のことを。
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クリスが教会を訪れる数十分前のことだ。
カナリアとイザークは完全武装の上、教会を訪れていた。
青く、蒼く、碧く澄んだ教会内は月光を受けてキラキラと輝いている。神秘的な場所にふさわしいその光景に、しかしカナリアは特に感慨を受けることなく眼前の人物を見据えていた。
「貴様がアダムか」
「ええ、そういう貴方は軍人さんですか? ……事情を察するに、クリスさんはどうやら失敗したみたいですね」
教会の中央部。
ステンドグラスによって反射する光を背後に、アダム・ヴァーダーは立っていた。
「おかしいですね。彼が負けるなんてそうそうないはずなんですが……」
首をかしげるアダムは知らなかった。
クリスにした約束であるカナリア小隊全員の殺害、その中に転生者が二人も含まれているということを。
「アネモネを殺したのはお前か」
怒気を込めたカナリアの言葉に、アダムは飄々と答える。
「ええ、まあ」
「……アネモネはどこにいる」
「え? ああ。遺体ですか? メテオラを使って消しましたよ。誰かに見つかっても面倒ですのでね」
「……そうか」
何の感情も宿さない事実だけを伝えたアダムの言葉に、カナリアは理解した。
──コイツは駄目だ、と。
同じ言語を使うとしても、それは『会話』にはならない。価値観が違いすぎて、何を言っても暖簾に腕押し。無意味なのだと。
「オイ、カナリア。いきなり突っ込むのだけはやめろよ。相手の力もまだ分かってねェんだから」
「……分かっている」
今にも飛び掛りそうな雰囲気を放っているカナリアに、イザークは密かにため息をつく。
彼にとってアネモネは少しの間共に旅をした程度の間柄でしかなく、それだけ現状に対する激情というのはカナリアに比べて薄い。
だからこそ、冷静な判断が出来る自分がこの場をある程度コントロールしなければならないだろうと思っていた。
「おい神父。ウチの大将はヤル気満々みたいだからよォ。命乞いするなら今のうちだぜ」
ま、許してもらえるかどうかは怪しいがよ、と最後に付け加えるイザーク。
「私と戦うつもりですか? やめたほうがいいですよ。貴方達では私に勝てませんから」
「余裕だな、アダム。もしかして我々も転生者だということを知らないのか?」
危機感の感じられないアダムの言葉に、カナリアは眉を潜めて問いかける。
その問いに対してアダムは、本当に驚いた表情をして見せた。
「ああ、そういうことでしたか。なるほどなるほど。そうなるとクリスさんにした約束は、かなり厳しい条件だったみたいですね」
「……本当に知らなかったのか」
アダムの様子に、カナリアは本気でわけが分からなくなっていた。
アダムがクリスに出した条件。カナリア小隊全員の殺害。
その狙いが分からなくなったからだ。
カナリアは、アダムが転生者同士を戦わせる為にそのような条件をクリスに出したのだろうと判断していた。つまりは代理戦争の駆け引きの一つとして、アダムの行動を捉えていたのだ。
しかし、アダムがそのことを知らなかったとなると話は違ってくる。
「貴様は何の為にあのような条件を出したのだ?」
「クリスさんはそんなことまで話してしまったのですか」
やれやれと肩をすくめるアダム。
「私は私で何とか彼の目的を果たそうとしただけですよ。些か情報不足だったようですがね」
「彼?」
アダムの言った三人称に、カナリアは問い詰めようとするも、
「仕方ないですね……やりましょうか」
思わずぞっとするほどに濃密な殺気が、アダムから放たれた。
軍属としていくらかの修羅場を潜ってきたカナリアにしても、ここまで危機感を煽られる現場は数えるほどしか覚えがなかった。
「……お前、本当に神父なのか?」
「ええ。神に祈りを捧げる者ですから」
腰から二本の刀を抜刀したカナリアに、指を鳴らしながらアダムが答える。
一触即発の空気の中でも、アダムは余裕の表情を保ち続けている。刃を向けられて、何とも思っていないのだ。
煌く白刃に対して一切の恐怖を抱いていない。つまりは……
(こいつ……死ぬのが怖くないのか)
こういう死を恐れない手合いは厄介だ。死の恐怖を前に体が硬直してしまうのは当然の生理現象であり、武人とはその恐怖と上手く折り合いをつけることから始まる。
しかし、アダムの場合は全くの例外として扱われる。
彼は刃を恐れない。痛みを恐れない。死ぬことを恐れない。
そういう人物を正確に形容するのならこの言葉が適格だろう。
つまりは、『狂人』。
それがカナリアのアダムに対する印象であった。
「オレが前に出る。カナリアは援護に回れ」
すっ、とカナリアの前に体を割り込ませたイザークが、ゆっくりと拳を構える。
「……イザーク」
「ああいう手合いならオレの方が慣れてンだよ。いいから黙って下がってろや」
油断なく視線をアダムに固定するイザークがカナリアに対していつものようにぶっきらぼうな口調で指示を送る。
「……分かった」
自分とアダムの性格的な相性が最悪であることを、カナリアも感じていた。
だからこそ、ここはイザークが前に出るほうがいいだろうと判断して、頷く。
後ろに下がったカナリアを背後に感じながら、イザークは薄くその口元に笑みを浮かべる。
──守ってやろうだなんて、オレらしくもねェ。
その笑みにはそんな自嘲と皮肉の感情が込められていた。
「戦いの前に笑みを浮かべるとは、余裕ですね」
「ああ、何せオレは最強だからなァ、万に一つも負けはねェ」
自身の権能に絶対の自信を持っているからこその大口だ。
イザークの権能は勝利への渇望から生まれたといってもいい。負け続け、奪われ続けた人生の果てに、ただ一つの勝利を望んだ男。
今宵の決戦は、そんな男の詠唱から幕を上げる。
《陽が昇り、月が煌き、人は死ぬ。人が真理に勝てねェなら、疾く去るがいい。此処は殺戮の舞踏会、弱者は不要──》
生きるとは、戦うことなのだ。
そのことをイザークという男は誰よりもよく知っている。
《──卑欲連理・汝に捧ぐ鎮魂歌》
だからこそ……
「いい加減ウゼェからやめようぜ、こんなことはよォ。どいつもこいつも悲壮感撒き散らしやがって。自分が世界で一番不幸だとでも思ってンのか? ハッ! だとしたら傑作だぜホントによォ」
イザークは戦闘行為に、一切の躊躇いがない。
息をするように人を殺すことが出来る。
アダムとはまた違うベクトルで、イザークという人間は壊れていた。
彼もまた、『狂人』と呼ばれる人種なのだ。
「ダチが死んだくらいで怒ってンじゃねェよ。仲間内で殺し合いさせられた程度で悲しンでんじゃねェよ。絶望ってのはなァ、そんなもんじゃねェんだからよォ!」
ドロドロと、何色にも染まらない黒いメテオラをイザークは身にまとう。
これこそがオレだと、誰に憚ることなく公言しているのだ。
「そんでテメェもだ、腐れ神父。何もかも諦めたような目しやがって。オレはそいういう腑抜けた奴が一番嫌いなンだよ」
「……随分と好き勝手言ってくれますね」
どこまでも横柄なイザークに、どこまでも慇懃に対応するアダム。
二人の狂人が向かい合う。
「ほら、見せてみろよテメエの権能をよ。どうせ下らねェ祈りなんだろ。オレが全部まとめてへし折ってやるからかかって来いよ」
「……貴方は何も分かっていない」
イザークの挑発に対して、アダムは逆に白けたような表情を見せ、額に手を当てる。
「権能なんて比べるものではないでしょう。それぞれの祈りに優劣はないのですから。それに神から頂いたこの素晴らしい力を戦いのためだけに使うなんて主に対する冒涜ですよ」
穏やかな口調から一転、たしなめるかのような声音になったアダムは、
「ですが、」
手を広げ、何かの舞台にでもいるかのように大仰な態度を以って宣言する。
「久方ぶりに貴方のような人種に出会いましたのでね、私の情熱をご覧に入れるのも悪くはないでしょう」
貴方のような人種。
それはもちろん褒め言葉などではない。
同じ狂人だとしてもアダムとイザークは正反対の振り切れ方をしている。
対極にある同種だからこそ、絶対に分かり合えない境界が存在しているのだ。
「私の祈りが下らないと言ったその言葉……」
ギロリ、と。
人が変わったかのような形相でアダムはイザークを睨み付ける。
それだけは譲れないものだから。
アダムにとって、自分の権能を侮辱されることだけは到底許しがたいことだから。
自身に課した枷を越えて、ここに災厄の祈りが顕現する。
《嗚呼、憧憬こそが人の性。求め、欲し、渇望せよ。それこそ我欲の究極なり──》
青く、蒼く、碧い色。
集合体としての人間を象徴するかのように混沌とした青の集まり。
《──人の業に是非はない、正否はない、美醜はない。誰しも輝ける明日を望んでいるのだから──》
アダムの祈りは人間という生物全体に及ぼす超広範囲型の拡散兵器としての側面を持っている。
故に形容するのであれば、この色こそが相応しい。
《──卑欲連理・神聖なる祝福》
──即ち、群青。
破滅をもたらす害悪を撒き散らしながら、アダムはイザークを標的に据える。
「……貴様、楽に死ねると思うなよ」




