「依存」
かなり昔のことだ。
俺がまだヴェール領で暮らしていたときのこと。
俺はある日、高熱を出して倒れたことがある。
卒倒しそうな勢いだったサラと、珍しく狼狽していたアドルフが印象的だった。当時の俺は意識もあるのかないのか分からないような状態だったから、今の今まで忘れていた。
俺の傍らで、寝る間も惜しんで看病してくれた女の子の事を。
今思えば、あの頃から俺は彼女のことが好きだったのだろう。
誰かに何かをしてもらうのが、あんなに嬉しいことなのだと改めて感じた。俺も彼女のようになりたいと、思わされた。
それだけ彼女の姿は俺にとって神聖で、何よりも尊いものだったのだ。
英雄になりたいという夢も、きっと彼女に支えられて生まれたものなんだと思う。誰かを必要としているから、誰かに必要とされたかった。相互扶助の形は、嫌いじゃない。
俺は誰かに必要とされたかった。
俺は誰かと共に居たかった。
ただ、それだけ。
たった、それだけ。
それだけの、祈りなのだ。
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「…………」
自然と瞼が持ち上がり、真っ白な天井を視界に収めると同時に俺の意識は覚醒した。
妙に体が重い。
ああ、そうか。俺は……負けたんだった。
「クリスさん。起きたんですね」
聞こえた声にゆっくりと顔を向けると、そこにはエリーが椅子に座った状態で、俺に笑顔を向けていた。
「血だらけで倒れているクリスさんを見つけたときは私、心臓が止まっちゃうかと思いましたよ。大事に至らなくて、本当に良かったです」
「俺は……どれくらい寝ていた?」
「大体丸一日ってところです。一体何があったんですか?」
「それは……」
何て言ったら良いのだろう。
エリーは転生者のことも、代理戦争のことも、権能のことも何も知らない。説明することは簡単だが、そのことでエリーに余計な心配をかけたくはない。そんな気持ちから言いよどむ俺に、
「そういえば、前にもこんなことありましたよね」
と、エリーは気を使ってか話を変えてくる。
「前って……ああ、エマの時か」
もう随分と昔のことのような気がする。
エマと出会い、衝突して、和解したあの出来事。
俺の……大切な人が出来た、あの日。
「ここは俺の家か。エリーが運んでくれたのか?」
「ええ、結構大変だったんですからね? 感謝してくださいよ」
「ああ」
感謝している。
感謝してもしきれないほどに。
出会った頃は俺が守ってやっているつもりだった。
彼女の護衛として、彼女を守ってやっているつもりだった。
だというのに、実際のところ守られていたのは俺の方だったのかもしれない。少なくとも助けられたのは俺の方だ。
「く、クリスさん。まだ起きないほうがいいですって! 傷も治ってないんですから!」
「エマの容態を見に行くだけだ」
俺は痛む体を持ち上げて、部屋を移動する。
そんな俺を心配そうに支えてくれるエリー。
そうしてエマのいる部屋に向かった俺は……
「あ、れ……?」
思わず、声が漏れた。
目の前のエマの容態が、信じられなくて。
「すー……すー……」
規則正しい寝息を続けるエマに駆け寄って、その額に手を当てる。
熱は、下がっていた。
「……何で」
「エマちゃんも病気、治ったみたいで良かったです。目が覚めたら復調祝いもしてあげないといけませんね」
頭が混乱していた。
何故エマの病気が治ったのか分からない。
もともとアレはアダムの権能によって呪われた結果だ。それがこんな簡単に治るはずがない。
(元々死に至るようなものではなかった? それかそもそもアダムの権能ではなかったのかも……)
様々な憶測が脳裏を過ぎるが、今はそんなことどうでもいい。
「……良かった、本当に」
俺はエマの髪に手を伸ばして、ゆっくりと頭を撫でてやる。変わらない寝息に視界が滲む。
これが、命の重みなのだと感じた。
大切な人、守りたい人、一緒に居たい人。
それらを失うのはとても辛い。そんなのは、二度と御免だ。
「クリスさんはエマちゃんのことが好きなんですか?」
俺が震える手でエマの髪を撫でていると、エリーがそんなことを聞いてきた。
俺は手を止めないまま、答える。
「……俺はエマと一緒に居たかった。エマが俺を必要としてくれていたから、俺もエマを必要としていた」
俺は存在理由を求めていた。
俺以外の誰かから、必要とされたかった。
誰からも必要とされなくなってしまえば、存在価値が0になる。だから俺は必死になって誰かの役に立とうとしていた。
求められることを、求めたのだ。
「そのことに気付いちまったからさ。もう、好きなんて言っても説得力がねえよ。この感情はただの……依存だ」
恥ずかしくって人になんてとても言えない俺の祈り。
共生と言えば聞こえは良いが、相手にしてみればただの依存に過ぎない。
例えば親しい誰かから、『力を貸してくれ』と頼まれれば俺は拒むことが出来ないだろう。
誰かから求められ、必要とされたい。
その欲求に抗えないのだ。
「エリーが俺と旅に出たいって言ってくれたときはさ、本当に嬉しかったんだ」
誰かに必要とされたかった。
「だから一緒に旅をして、行商を続けるのも悪くないって思えた」
周りの奴らがどいつもこいつも輝いて見えた。
「でもさ、それだって結局は俺の依存心から来たものだったんだよ」
だから俺も、そうなりたかった。
「俺は、こんな俺が……」
けれど、俺は自分では輝けない。
まるで太陽の光を浴びて輝く月のように。
偽者の、輝き。
俺はそんな俺が……
「大嫌いなんだ」
今ならはっきりと言える。
何も出来ない自分のことが、嫌いだ。
エマのように真剣に生きているわけでも、エリーのように夢を持っているわけでも、カナリアのように理想を掲げているわけでもない。
俺にとって彼女たちは眩しすぎて、遠すぎて、高すぎた。
どんなに手を伸ばしても、届かないのだ。
どんなに切望しても、俺は彼女たちのようには……なれない。
「そうですか」
俺の独白に、エリーは短く呟き……
「私はクリスさんのこと、好きですよ」
俺に、そう告白したのだ。
「自分が嫌いなのはそれだけ理想が高いってことじゃないですか。いいと思いますよ。向上心の高い人は好感がもてます」
「…………」
向上心なんて、欠片も持ち合わせてはいない。
魔術の才能も、剣術の才能も、メテオラを利用した結果なのだから。ただのズル。卑怯者の力だ。
だというのに、エリーは俺を褒め続ける。
「クリスさんはいつも誰かのことを気にかけてくれますよね。あなたはそれを依存心だって言いましたけど、誰だって誰かに依存して生きています。人は一人では生きられないんですから、当然のことですよ」
そう言ったエリーは目を伏せて、己の過去を語りだす。
「私も昔、嫌なことがあったんです。それが原因で男の人が怖くなりました。目が見れないんですよ、私。どうしても目を逸らして逃げてしまうんです」
男性恐怖症。
自分のことをそう言った少女は、俺の手を取って言葉を続ける。
「でも、クリスさんみたいに優しい人もいるって分かったから私、もう一度目を見ることが出来るようになったんです」
エリーのセピア色の瞳が、真っ直ぐに俺を見つめている。
とても、綺麗な色だと思った。
「私はクリスさんのことが好きです」
エリーは再び、繰り返す。
「クリスさんが今、何に絶望して立ち上がれなくなっているのかは知りません。けど、これだけは知っていてください」
エリーはどこまでも優しい口調で、その言葉を放つ。
「私はクリスさんと一緒に居たい。私にはあなたが、必要なんです」
「……俺、は……」
一緒に居たいと、そう言ってくれたエリー。
彼女の過去に何があって、どういう経緯で俺を求めてくれたのかは分からない。それでも……
「俺も……エリーと一緒に居たい」
この気持ちにだけは、嘘がつけないから。
俺の言葉に笑顔を浮かべるエリー。
その表情を見て、俺は気付いた。
出会った頃にも感じた思い。
(エリーは……クリスタに似ているんだ)
初恋の少女と目の前の少女を重ねて見ている自分に気付く。
俺にとってエリーは日常の象徴だった。
普通に出会い、一緒に旅をして、共に笑って、別れ、再会して、こうして肩を並べて生きている。
代替品と言うのなら、そうなのだろう。
一度は失ってしまった日常を、俺はエリーで埋めていた。
どこまでも普通な彼女と、俺は一緒に居たかったんだ。
「クリスさんは私のこと、どう思っていますか」
エリーが俺に問いかける。
その声が少し震えていて、緊張しているのだと分かった。
「俺は……」
好きだと言ってしまえばいい。それで俺の望む幸せが手に入る。普通の日常が手に入る。
世界を旅して、笑って過ごせばいい。
大好きな人と共に。
「…………」
だけど、それでいいのだろうか。
アダムのこと、カナリアのこと、イザークのこと、代理戦争のこと。
それら全てから目を逸らして、逃げてもいいんだろうか?
エリーの言うとおり、これはエマの時と全く同じだ。逃げるか、戦うか。選択肢は二つに一つ。
だったら……
「少し、待っていてくれないか。エリー」
二度も世話をかけるわけにはいかないから、今度こそ、自分の足で立ち上がるのだ。
そのための勇気なら、もう貰っているのだから。
「…………」
俺の言葉に、エリーは優しく微笑んで、
「はい。私、待つのは慣れてますから」
そう、言ってくれたのだ。
「どこかへ、行かれるんですか?」
続くエリーの言葉に、俺ははっきりと告げる。
「ああ、やり残したことがあるからな」
俺にはまだ返しきれていない恩がある。
その清算を終えたら、また一緒に旅をしよう。
だから少しだけ待っていてくれ。
「行ってくるよ──教会に」




