「交わる道程」
カナリア達が借家として使っている建物の一室。薄暗い室内で、カナリアは一人外出の準備をしていた。
他の部屋で寝ているであろう仲間達を起こさないように、物音を立てないように気をつける。そうでなくても、今のカナリアは他の者たちに見つかりたくはなかった。
深夜に血だらけで帰って来れば誰だって心配する。
カナリアは仲間達に出来るだけ心労をかけたくはなかった。
とはいえ、服に付着した血のほとんどは返り血であったが。
シャワーを浴びて、軍服に着替え、刀を八本腰にする。
「…………」
アネモネ。
自分が付けてあげた名前を、口に出さないまま噛み締める。
クリスが嘘を言っている可能性もあったが、あの緊迫した様子から嘘をつく余裕なんてないだろうと判断した。だから、カナリアの中でアネモネの死は決定的なものとして落ち着いている。
嘘だなんて喚いたりしない。
未だ幼い肉体とはいえ、その精神はすでに完成している。
だから、喚いたりしない。
代わりに……
「絶対に、許さない」
誰だろうと、絶対に。
「誰を許さないってンだ」
ふいに聞こえた声に、聞きなれたその声に、カナリアは一瞬心臓を跳ねる。
「何だ、まだ起きていたのか」
声のほうに視線を向けると、部屋の扉にもたれかかるように、イザークが腕を組んで立っていた。
「アンタがなかなか帰ってこねェから心配してたンだよ。最近、どうもキナ臭ぇからな」
「そうか」
「そうだ」
イザークが何を思ってここに来たのか、カナリアには分からなかった。
それに今はそれどころではない。
「…………」
カナリアは黙ったまま、部屋を出て行こうとして、
「どこへ行くつもりなンだよ」
腕で扉を押さえつけたイザークに、阻まれる
「少し教会へな」
「へえ、オレは行ったことねェけど、その教会ってのはよっぽど物騒なところなンだろうな。完全武装じゃねェか、オマエ」
「気にするな。少し野暮用があるだけだ。ついでもついで、朝飯前で事足りる些事だよ」
「ふうん」
納得いかないといった様子のイザーク。
しかし、カナリアにとってこれは個人的な案件でしかなく、誰かの力を借りることは些か以上に躊躇われることだった。
だからカナリアは黙ったまま一人で教会へと向かうつもりだった。
だというのに、
「オレも行くぜ」
「…………」
イザークは迷い無くそう言った。
「大体の想像は付いてンだよ。アンタとはそれなりに長い付き合いだからな。どうせ、『無関係の人間は巻き込めない』なんて思ってたンだろうが」
「イザーク、お前は……」
「オレは無関係じゃねェだろ。この場合」
イザークはカナリアの台詞を先回りして、反論を許さない。彼にしては珍しく饒舌だった。
「オレとアンタの立場にそれほどの違いはねェだろうが。だったら、今回の役目はオレでもいい。違うか?」
「これはそういう問題ではないだろう」
「じゃあ、どういう問題なンだよ」
言い争うかのように言葉を交わす二人。
ユーリやヴィタにしてみればいつも見ている光景であったが、今回ばかりは彼らにも引けぬ事情があった。
カナリアにとって、これはアネモネの敵討ちだ。他の誰にも譲れない。
「我は一人で行く」
断固として譲らないその姿は彼女の信条を見事に現していた。
彼女は誰に対しても妥協しない。
そこに、例外は無いのだ。
「自分で決めた道は自分で歩く。我はそう決めているのだ」
唯我独尊。
そんな言葉がとてもよく似合う言葉。
ともすれば独りよがりな偽善者としてしか見られることのないそのあり方を、イザークは眩しく思っていた。
自分もこんな奴になりたかった、と。
彼の権能は奪う権能。
つまりは自分以外への羨望から発生する祈りだ。
そして現在、彼の最も欲する姿とは。
「オレはアンタと共に行く。それがオレの決めた道だ」
堂々と、告白まがいの台詞を口にするイザーク。
ここで身を引くようなら、カナリアを羨む資格すらなくなってしまう。そんな気がした。
「アンタはアンタのやりたいように。オレはオレのやりたいように。今までも、これからも、そうだろうが」
「……『約束』には、そんな条件なかったはずだ」
「これは約束じゃねえ。ただの気まぐれだ」
そう、気まぐれ。
エマの苦しむ姿を見て、心を動かされてしまったのも全て気まぐれ。
イザークの言葉に、カナリアは一瞬呆気に取られたような顔をして、
「……我はお前のことを誤解していたのかもな。中々どうして……面白い」
笑いを堪えるような仕草でそう言ったカナリアに、イザークは肩をすくめる。
「ほら、行こうぜ。さっさと終わらせて眠りてェんだよ」
「ああ、そうだな。すぐに終わらせよう」
カナリアのようやくの承諾に、イザークは振り返って部屋を出る。
扉に手をかけたその瞬間に、バシッ、と背中に強い衝撃が走った。
「……なンだよ」
背中を叩いてきたカナリアに眉を潜めるイザーク。
「なに、少し嬉しくなってな。見逃せ」
それだけ言ってさっさと部屋を出て行くカナリア。
全く。いつも唐突で、自分勝手な奴だ。
何で自分はあんな奴に……。
「ケホッ」
咳が漏れる。
(カナリアの奴、派手に叩きやがって)
僅かな痛みの残る背中に、さきほどのカナリアの言葉を思い出す。
「これが惚れた弱みって奴なのかねェ」
独り言を吐いて、イザークはカナリアの後を追う。
その口元が、微かに歪んでいた。




