「未だ、雨はやまず」
「……ぐっ」
口から血と共にうめき声が漏れる。
痛い。
痛いのは苦手だ。どうして戦いなんてものがこの世に存在するのだろう。どうして俺達は争わなければいけないのだろう。
自分から戦いを挑んだ奴の台詞ではないが、それでもやっぱり……戦いは苦手だ。
「……俺の、負けだ」
「…………」
地に伏せる俺の言葉に、カナリアは黙ったまま目を伏せる。
敗者にかける言葉はない、と。そういうことだろう。
俺からふっかけた決戦は、返り討ちと言う無様な結果に落ち着いた。周囲は俺達の魔術や剣術で地形が変わってしまっている。斬撃で地形を変えられるなんて、いくらなんでも規格外すぎた。
俺が弱いわけではなくて、カナリアが強すぎるのだ。
そう思わなければやっていられない。
何せ、俺は『手加減された上で、手も足も出なかったのだから』。
「なあ、カナリア。お前はどうして権能を使わなかったんだよ」
「クリスこそ、メテオラを使えばもう少しいい勝負になったはずだが?」
俺の問いに、カナリアも問いで返す。
どうしてメテオラを使わなかったのか。その答えはきっとカナリアが権能を使わなかった理由と全く同じだ。
これは代理戦争ではない。
ただの、俺達の戦争だ。
ただ、それだけのこと。
カナリアもそのことは分かっているのか、俺と同じようにわざわざ口に出して説明してやったりはしない。勝負の経過に意味なんてないのだから。
大切なのは、俺が負けてカナリアが勝ったこと。
だから俺は、
「俺を殺してくれ、カナリア」
これ以上、無様を晒したくなくてカナリアに懇願するのだ。
エマを救えず、アネモネを見捨て、カナリアを裏切った。
笑っちまうほどにどうしようもない。こんな男に、生きている価値なんてないだろう。さっさと死んだほうがマシというものだ。
「それが君の望みなのか」
「ああ、いい加減、自分で自分が許せそうにない。ここまで自分が嫌いになったのは……久しぶりだよ」
俺の独白に、カナリアは「そうか」と刀を納め、
「だったら、殺してなんてやらない」
「……なんでだよ」
「死にたい奴を死なせてやるなんて、そんなのはただの救いだ。我は死にたがりの介錯を務めてやるほど優しくはない」
甘えるな。
静かに憤慨するカナリアは俺にそう言った。
甘え、か。
それもそうなのかも知れない。自分から死を望むなんて、一生物として倒錯している。現実からの逃避。ただの逃げ。
例えば自らの権能を祝福だと謳った神父なら、俺の台詞を決して許容出来ないだろう。死にたくなくても、死んでしまう者もいる。だというのに自ら生を手放すとは何事かと、俺を糾弾するだろう。
だけどさ、俺は思うんだよ。
生きてることに意味が無い存在は、果たして生きている価値があるのかと。
命の価値。
俺がエマの命を取ったように、人それぞれに個々人の命の重みと言うものが有り、時にその重石を天秤に載せ非情な決断をしなければならないこともある。
そのときに、命の価値というのは確かな基準として存在する。
だったら……その価値が0ならば、生きていても死んでいても同じことだろう。そして、俺と言う存在にはどれほどの重さがあるというのか。
俺にはそれが、分からない。
「死にたいと言うのなら、ひっそりと我の目に留まらぬ所で自害しろ。ただし……その前にいくつか質問に答えてもらう」
「……ああ、そうだな」
カナリアは俺を殺してはくれない。
なるほど、本当に価値がゼロだと言うのなら殺すことすら意味が無い。
それからカナリアは俺に幾つかの質問をしてきた。それに対して俺は敗者の義務感から、アネモネのこと、エマのこと、アダムのことを話していった。
そして最後に、アダムと交わした取引のことも。
「そうか……」
聞きたいことを聞き終えたカナリアは最後に、一言だけ声を漏らす。
カナリアの胸中にどんな感情が渦巻いているのか、その表情からは読み取れなかった。ただ、面白いものではないことだけは確かだろう。何せ、カナリアよりもエマの命を優先したと、そう明言したようなものなのだから。
誰だって、自分を軽んじられて面白いはずがない。
「アネモネ……」
瞳を閉じて、友人の名を口にするカナリア。
俺はアネモネとカナリアがどんな出会いをして、どんな付き合いを経て、どんな関係に落ち着いたのか知らない。
「カナリアは……これからどうするんだ」
「無論、アダムとやらには償いをしてもらう」
断言するカナリア。
償いというのが具体的にどのような形になるのかは、簡単に想像できる。
「……そうか」
しかし、終わってしまった俺にとって、そんなことはどうでも良かった。
全て、透明に過ぎた。
「我は行く。お前も死ぬほどの怪我ではないだろうから、治療院にでも行ってこい」
「……そうだな」
頷いて答えるものの、俺にそうする気などかけらも無かった。
体にへばりついて離れない虚無感が、俺を縛っている。指一本動かしたくなかった。
「ここまでのことをしたのだ。お前は現時点を持って、軍簿から名前を消させてもらう。事が落ち着いたら刑務所に逆戻りだからな」
「……ああ」
そういや、そういう契約だったな。
三年間の服役の代わりに、三年間の軍属を要請する。俺に許されたたった一つの活路。そして、それを取り付けてくれたのは目の前の人物だった。
「色々面倒かけたな」
「我が好きでやったことだ。礼などいらん」
それでも、俺は言ってやりたかった。
ありがとうと。
しかし、その言葉を口にする権利が俺にあるのかどうかも分からず、結局その言葉を口に出すことはなかった。
こちらに背を向けて、歩き始めるカナリア。
彼女は歩み続ける。
英雄は戦い続ける。
ならば、俺は?
俺は……
「クリス」
最後の最後。
この場を立ち去る最後に、カナリアが背を向けたまま、俺に向けて最後の言葉を送る。
「我はお前のことが……嫌いじゃなかったよ」
「…………」
「それでは、な」
そう言って、今度こそ姿を消していくカナリア。
彼女がどんな気持ちかなんて、分からない。
人は人の心を理解することなんて、不可能なのだから。
それでも……
「あぁ、チクショウ……嬉しいなぁ……」
彼女にそう言ってもらえて、本当に嬉しかった。
こんな俺にも生きてきた価値があったのではないかと、勘違いしてしまいそうになる。あの光のような少女の影で少しでも輝けたのではないかと、錯覚してしまいそうになる。
「……どこで間違えちまったのかな」
もしかしたら、もっと優しい世界があったかもしれない。
カナリアと、ユーリと、ヴィタと、イザークと、エマと、アネモネと、エリーと、そして……
「……クリスタ」
ふいに口から漏れたのは初恋の少女の名前だった。
今頃、彼女は何をしているだろう。
ヴェール領で、静かに暮らしているのだろうか。
あの日の言葉通り、俺の帰りを何時までも待ち続けているのだろうか。
会いたい。
強く、そう思った。
瞼が重い。
どうやら体力の限界のようだ。
薄れ行く視界の中。
──俺に駆け寄る人影が、見えた気がした。




