「悲しみを越えて、軌条は続く」
アダムから言われたカナリア小隊全員の殺害。
それが、エマを助ける為の条件である訳だ。
エマの命と、カナリア小隊全員の命。
どちらが重いかなんて、そんなこと論じられるはずも無い。命の重さは、重さでなんて量れないのだから。
けれど……俺は選ばなくてはならない。
誰を生かし、誰を殺すのか。
前に友達とトロッコ問題について議論したことがある。目の前に線路を変更するスイッチがあって、現在のルートの大数人と、ルートを変更した際の少数人のどちらを轢き殺すのかという問題だ。
例えば、自分の手を汚すのが嫌なら運命に従いスイッチを押さないだろう。命の重さを平等と捕らえ、より多くの人を救おうとするのならスイッチを押すだろう。
俺は……どちらの意見だったんだっけ。
かなり前のことだったから、忘れてしまった。
議論の内容までもっとしっかりと覚えていたら、少しは参考になったかもしれないのに。
今、俺の目の前にもスイッチがある。
押すか、押さないのか。
しかし、今度は議論にすらならない前提だ。
なぜなら、『スイッチを押した先こそ大数人』なのだから。前提からおかしい。これではスイッチを押す奴なんていないだろう。もしも……『命の重さを等価とするならば』、という条件が付くが。
「…………」
いい加減、時間もないことだし決めてしまおう。
俺に出来ることは、選択した後の責任を取ること。
スイッチを握った時点で、『押すことを選ぶか、押さないことを選ぶか』のどちらかしか選べないのだから。
結局、どちらにしても残った片方を見殺しにすることには変わりがない。
「…………ああ、思い出した」
そうだ、そうだった。
確か俺はあの時の議論でも……
同じ意見を言って、『スイッチを押した』のだった。
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雨が、降っていた。
まるで誰かが泣いているかのように。
「……ここなら、いいかな」
町外れの空き地。雨天の中で歩いている人もいないし、ここなら大丈夫だろう。俺は長く歩き続けた足を止め、後ろに振り返る。
「なあ、クリス。そろそろ話してくれるか? 何も言わずに付いてきてくれ、なんて突然どうした?」
「すぐに終わらせるさ……カナリア」
俺の視線の先で、カナリアが眉を潜める。
いつもの軍服に、刀を八本も帯刀している。武装を解け、なんていったら明らかに不審だから言えなかったのだが、タイミングが悪い。
「なあ、アネモネを探しに行った件はどうなったのだ? なにやら心当たりがある風だったが、それも聞かせてくれ」
アネモネを探しに行く前、俺はカナリアの元に訪れていた。
今となっては見当違いの邪推だったが、それでも可能性は一つずつ潰さなければならなかった。間違っても、見落とせないことだから。
「アネモネか……」
結局、彼女に対する疑いも意味がないものだった。
まさかエマに呪いをかけたのは、エマを知っている人物である、という前提から間違っているとは思っていなかったからだ。
先入観とは恐ろしい。
アダムから俺、そして俺からエマへ。そんな感染経路も、当たり前にあったというのに。
「なあ、どうしたクリス? 様子が変だぞ」
「あ? ああ……そうかもしれないな」
何せ、余りにも考えることが多すぎる。
余裕と、時間がない。
だからこそ。
「手早く済まそう」
俺はカナリアの前で、ゆっくりと腰に指した刀を引き抜く。
花一華。
いまや形見となってしまったこの刀。嫌でも思い出してしまう少女の姿を、俺は頭から追い払う。そんな感傷を抱いたままでは、刀なんて振れやしないから。
「クリス?」
「刀を抜け、カナリア。俺はお前に……死んでもらうことにした」
俺の言葉に、間が抜けた表情を浮かべるカナリア。
カナリアの間が抜けた顔なんて、レア中のレアだな。ここに携帯があれば写メっていただろう。けれど、ここにはそんな便利グッズなんてない。だから、俺は目に焼き付けることにした。
……決して、忘れないように。
「ま、待ってくれクリス。一体、君は何を言っている? 我にはさっぱり分からないのだが……」
「アネモネが死んだ」
分からないのなら、分からせるまで。
「アネモネが死んで。エマが死にそう。だからカナリアに、死んでもらう」
きっと、意味が分からないだろう。
アダムとの会話やエマの病気についてカナリアは何も知らないのだから。
それなのに、死んでくれなんて横暴が過ぎる要求だが、俺としてはもう選んでしまったから、止まれない。トロッコは、止まらない。
「行くぞっ!」
「…………ッ」
突然の俺の攻勢に、しかしカナリアはしっかりと対処した。常在戦場を心得ている彼女はそういう切り替えもピカイチ早い。
だが、それでも剣筋にブレが生じるのは仕方がないだろう。
剣とは、心を映す鏡。心が揺れれば、刃もまた揺れる。
俺がカナリアに勝つには、その揺れを突くしかない。
「しっ!」
風が舞う。
居合いの要領で放たれた俺の斬撃が、カナリアの刀によって弾かれ、火花を散らす。二刀流に構えるカナリアの防御を貫くのは容易ではない。だが、やらなければ……エマが死ぬ。
「ああああああッ!!」
咆哮一閃。
力任せの斬撃も簡単に流されてしまう。
やはり剣術において、カナリアは一歩も二歩も俺の先を行っている。純粋な打ち合いでは勝ち目がない。ならば……
「弾け飛べ──《デア・フリッカー》!」
魔力を衝撃に変換。その勢いでカナリアの左の刀を弾き飛ばす。
これで、手数は封じた。後は押し切るっ!
「らアッ!」
ギィィィン、と甲高い音がしてかち合う二つの刀。
「クリス!」
カナリアが俺の名前を呼ぶのが聞こえる。どこか遠いところから聞こえているように不明瞭ではっきりしない。まるで深い水底に沈み込んでいるようだ。
俺はカナリアに答える代わりに、魔術の詠唱を開始した。
「燃え盛れ──《デア・フレア》!」
炎の壁を生み出し、距離を取る。
「凍りつけ──《デア・キュール》!」
地面を凍らして、行動範囲を制限。
「轟け、奔れ──《デア・ドンナー》!」
左手から、渾身の雷撃を放つ。
これこそが本命。
火系統の炎、氷、雷属性の二章節。その三連唱。体から魔力がぐんぐん吸い出されるのを感じながら、俺は黄金の閃光を放出し続ける。
もともと雨でぬかるんでいた地面が突然凍りついたのだ。いかにカナリアといえど、足を取られるのは致し方ない。そして、一瞬でも隙が出来ればその瞬間に俺の魔術が炸裂する。
不可避の一撃と化した電撃を前に、カナリアは持っていた刀を……投げた。
ヒュッ、と風を切り裂く音が刹那。刀と雷が衝突してスパークを撒き散らす。
(なるほど、避雷針代わりって訳か)
しかし地面と接しているわけでもない刀が完全に電流を逃がすことが出来るわけも無い。若干の威力減衰、射程縮小は仕方がないにしてもだ。
「ぐあッ!」
バチィィィィ!
雷の直撃を受けたカナリアがうめき声を上げる。
しかし、意識を奪う程の効果は得られていない。さきの避雷針代わりに加え、カナリアが刀を鞘含め八本も持っているせいでそちらに流れてしまっているのだろう。
雷はあまり使わないほうがいいかもしれない。そうでなくてもこの悪天候。こちらに電気が返ってこないとも限らない。
魔術を使う際に最も気をつけなくてはいけないのは自爆だ。
気象条件や立地条件、それらによって魔術の使用方法は厳選していかなければならない。だからこそ、人同士の実戦では魔術が余り使われることがない。
余りにも使い勝手が悪いから。
(とはいえ、鍔迫り合いになると向こうが有利か)
魔術が使えると言うアドバンテージを活かさない手はない。しかし、そこに拘り過ぎると足元を掬われかねない。刀の打ち合いも、出来ることなら避けたい。
ならば……
「…………ッ」
攻めあぐねていると、カナリアと、目が合った。
天色の瞳。
綺麗に澄んだその瞳が、俺を真っ直ぐに射抜く。
怒りとも、悲しみとも付かないその瞳の色。強いて言うならば、『憐憫』だろうか。
「クリス……」
カナリアが、口を開く。
「我らは転生者同士だ。だからこういうことになる日が来るかもしれないとは思っていた。そして、その時は全身全霊を持って迎えようとも」
「…………」
「何か事情があるのだろう。それくらいは察してやる。だがな、我もそう易々と負けてやるつもりはない。我が負けてやるとしたら……それはたった一人の例外だけだ」
スッ、とカナリアが構えを取る。
左半身を前面に押し出した半身を、前傾姿勢で固定する。
引き絞られた右手の刀。間違いなく、刺突の構え。
「……往くぞ」
カナリアなら俺を本気で殺そうとはしないだろう、なんて打算がなかったと言えば嘘になる。だが、そんな考えは甘い。甘すぎだった。カナリアという女を俺は真に理解などしていなかったのだ。
「ははっ……格好いいなあ、カナリアは」
「そういうクリスはとても格好が悪い」
ばっさり言うなあ。
否定も出来ないけど。
「はあ……」
ため息を一つ。
意識を深く、深く、落としこんでいく。ただ一つの目的を達成できるように。
エマを、失わないために。
カナリアを……殺す。
地を蹴ったカナリアが迫る。
俺はそれを迎え撃つ。
俺達の進む道が、決定的に別たれた瞬間だった。




