「走馬灯」
クズクズと、まるで体が泥にでもなってしまったかのようだ。
痛みもすでに遠ざかり始めている。
だけど、この手に感じる温かさだけは……手放したくない不確かな、熱量。
ああ、そうか……これが、この温かさが……人なのか。
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昔からそうだった。
私は触れた相手の心が分かる。
何故だかは分からない。
何時からかは分からない。
けれど、気付いたら、私はそういうモノになっていた。
前世の記憶。
人を斬って、人を斬って、人を斬り続けたあの記憶。
私に選択肢なんて無かったけれど、そんなものは言い訳にもならない。きっと、私が悪かったのだ。私が罪深かったのだ。
女神に呼ばれ、転生したことだって、正直どうでも良かった。
代理戦争なんて、興味も無かった。
全ての事象が私にとって透明に過ぎた。触れれば溶けて、風に飛ばされる程度の残滓。人の心も同じこと。
強欲、怠惰、傲慢、色欲、暴食、憤怒そして、嫉妬。
誰の心に触れても醜いものしか伝わらない。
よく言うらしい。相手の気持ちを理解しなさいと。
だが、実際に分かってみればそれが素晴らしい訓示などではないことを否応無く理解させられる。
誰だって、醜いものは嫌いだろう。
だから私は遠ざけた。
止めろ、近寄るな、私に触れるな、お前ら全員キモチワルインダヨ。
……そんなある日のことだ。
私は一人の友人となる少女と出会った。
『どうした、君。ご両親はいないのか?』
あんな気持ち悪い者、とっくの昔に捨ててきた。
『そうか、一人なのか……実を言うと我も一人なのだ』
あなたが? とてもそうは思えないのだけれど。綺麗なお洋服を着て、可愛がられている。
『いや、まあそうなのだがな。そういう物理的なところではなく、我は一人なのだよ』
……言いたいことが分からない。
『済まない。どうも我は父上に似て言葉遣いが迂遠に過ぎるようだ。善処するよ。ええと、つまりだな。何が言いたいのかと言うと……』
それから少し悩んで、女の子は手を差し出してこう言った。
『我と、友達になってはくれまいか?』
どこにどう着地したらそんな結論になるのか。話がいきなり飛びすぎだろう。さてはこの人、B型だな。どうせこの人もそこらにいる愚鈍な下衆と同じ。腹の中では何を考えているのやら。まあいい。友達になりたいというのなら、なってやる。私の本質を知った上で同じことが言えるなら、だけれども。
私は女の子の手を取った。
そして流れ込む、女の子の感情。
それはどこまでも美しい覚悟であった。
困っている人は見捨てられない。
ただ、その一心でこの女の子は私に話しかけてきていたのだ。
これには私も絶句した。
何千という人間に触れてきて、ほとんど唯一初めてと言ってもいいほどの美しさを、その女の子は有していた。
驚く私を前に、その女の子は私が手を取ったことを親愛の証か何かのように受け取ったようで、
『よろしく頼む。我はカナリア・トロイ、訓練兵だ』
どこまでも純粋な笑みと共に、そう言ったのだ。
それから私たちは色々な話をした。
カナリアは私が転生者と知って尚、変わらぬ態度で接してくれた。
彼女に敵意がないことは、触れてすぐに分かったから、私も彼女といるときだけは安寧とした時を過ごすことが出来た。
私が他人の心が分かると告白した時、カナリアはこう言った。
『それは些か不便だな。君に対してサプライズパーティーが出来ないではないか』
私が前世の私のことを独白した時、カナリアはこう言った。
『それは辛かったな。だが、心配することはない。現世では我が必ず幸せにしてみせるから』
名前を問われ、自分には名前が無いと白状した時、カナリアはこう言った。
『ふむ。ではそこに咲いている花の名前はどうだ? 綺麗な花だし、良いと思うぞ。……ん? はは、名前なんて適当で良いに決まっているだろう。それで何が変わるわけでもない。ただ、名前が変わるだけだよ』
そんな適当に名前を着けないでよ、と私が白眼視した時、カナリアはこう言った。
『我はな、花の中ではあの花が一番好きなのだよ。何と言っても花言葉が良い。それに別名も綺麗だ。改名するならコレにしようと決めていたのだが、どうにも我には似合いそうにないのでな、君にあげることにしよう』
そう言って、カナリアは私に名前をくれたのだ。
歪な私と、どこまでも真っ直ぐな彼女。
そんな対照的な二人だからこそ、相性は良かったのだと思う。
カナリアは、私の唯一無二の親友になった。
それから私はカナリアの為に何か出来ないか考えて、工房を開くことにした。
自分には刀の知識があったし、それを役立てるのも良いだろうと思ってのことだ。私の打った刀を、カナリアが使ってくれるのは嬉しかった。
いつの間にか、刀は私の中でただの憎悪の対象ではなくなっていたのだ。
そんな、幸福とも呼べる時間の中で、私はあの男と再会した。
『大分なまくらになってしもうたみたいやね。前合ったときは触れたら斬れる刀みたいやったのに』
あの空ろな男、ヴォイドが私の前に姿を現したのだ。
『わしの目的、嬢ちゃんは知っとったよな? 悪いんやけど、力貸してくれんかな』
こともあろうに、あの男はそんなことをのたまったのだ。嘗て、死闘を演じた私に向かってかける言葉などではない。だけれども、私にしてもあの時とは事情が違った。
この男の目的を知っているだけに、私は恐ろしかった。彼の興味が、カナリアに向かってしまうのではないかということが。
だから、私は彼と約束したのだ。
『……あなたに力を貸してあげる。だから、カナリアには手を出さないで』
それが、私と彼の約束。
まさか、それから数年間も放置されるとは思っていなかったが。そして同時に、再び再会したときにあんな要求をされるなんて思わなかった。
私が様子を見張ることになった少年。
彼もまた、カナリアに似て不思議な人だった。
何度か触れて感じたのは、どこまでも広がる深い愛情だった。慈愛、と呼ぶのだろう。そんな優しさに満ちた心だった。あの人に言わせて見れば、それはただの自愛だと嘯くだろうが。
それでも、私は人の心が読めるのだ。そこに嘘なんて挟まない。
ありようそのまま、私は感じ取ることが出来る。
だから、意外だったのだ。
たった一人の、見も知らぬ少女を救えなかったことで本気になって落ち込む彼のことが。そんな優しい心、今まで触れたことがなかったから。
それから彼のことが気になり始めた私は、ことあるごとに彼と接触を持とうとした。そのときは、ヴォイドから頼まれていたから、なんて自分を誤魔化していたけれど。
人の心に触れ続けた私が、今更自分に嘘なんて……本当に、出来の悪い冗談のよう。
けれど、あの人と共にいる時間は、不思議と安らぐことが出来た。カナリアとは全く違う思想に思えるのに。けれどやっぱりどこかで、似通っているのかも知れない。
彼女は弱い人を見捨てない。
──君ならもっとやれる。諦めるな。
彼は弱い人を見捨てない。
──大丈夫。俺がなんとかしてやるから。
……ああ、改めて考えると本当に対照的で、似たもの同士な二人だ。
本当に、面白い人達。
彼はいつも私をおちょくって弄ってきたけれど、それもいつからか気にならなくなっていた。むしろ、少し嬉しく感じていたかも。なんて、私はいつから被虐趣味に目覚めたのかな。
あなたのせいよ、責任を取りなさい。
……そうね。どうやって取るか、っていうと悩むところなんだけど。
やっぱり、最後の願いはこれかな?
──私のことを、どうか忘れないで。
私はそれを、言葉にしようとして……
「…………にげ、て」
結局、私の口から出た願いは、彼の安全だった。
……なんだ、私、彼のことが好きだったのか。
今更気付くなんて、遅すぎるけど
もし来世があるのなら……
……もっと素直に生きられるかな?
その時は、また……皆で……
薄れ行く意識の中で、誰かの慟哭が聞こえた気がした。




