「透明少女は夢を見ない」
いつからそうだったのか分からない。
気付いたときにはそういうモノとして存在していた。
それ以外の生き方なんて知らなくて、ただただ自分の存在理由を求め続けた人生。
それが悪いだなんて思わなかった。
それが罪深いことだなんて思わなかった。
人を斬って斬って斬り続けた末に呼ばれた異世界で、自分の罪を知った。
自分がどれほど恥知らずな存在だったか、思い知らされた。
だからこれは罰。
人の気持ちが分かってしまう、それはきっと、人の心を理解出来ない私への呪いなのだ。
分からないものは怖い。
だから遠ざけ、逃げてきた。
そんな私が今更こんなことを言うのは傲岸不遜に過ぎるというものだけれど。
もしも、許されるなら……
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俺は目の前の少女、アネモネの言葉を待っていた。
瞳に涙を貯め、言葉を探すアネモネはやがて……
「……私は……人になりたい」
と、呟いた。
「人に?」
鸚鵡返しに聞き返す。
言われたことの意味が分からなかったからだ。
何かの比喩だろうか。
しかし、アネモネは俺の言葉には答えず、何かを決心した表情を浮かべる。
「……私は貴方に謝らなくてはならない」
「謝るって……何をだ?」
「私は貴方を騙していた」
ドクン。
アネモネの言葉に、心臓が高鳴る。
あり得ない。あり得ないと思っていたことだが……アネモネが、今回の犯人なのか? エマを呪い、苦しめている犯人が、このアネモネなのか?
(いや、待て。早まるな。アネモネはまだ何も言ってないだろうが)
逸る鼓動を無理やりに押さえつけ、俺はアネモネに聞き返す。
「騙していたって、どういうことだ」
「……私はヴォイド・イネインと、裏で繋がっている」
「ヴォイド?」
思わぬ名前が出てきた。
それに裏で繋がっているって……どういうことだ。
「……簡単に言えば、私とアイツは持ち主と持ち物の関係。私はヴォイドの目的に協力する代わりに、お願いを聞いてもらっていた。その契約を交わしたのが、丁度一年前」
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
一度に言われても訳が分からなくなる。
一つずつ、確認していきたい。
「アネモネはヴォイドの……仲間なのか?」
「……そう」
アネモネの肯定に、俺は少しだけほっとした気分になる。
ヴォイドは俺の命の恩人だ。彼の仲間であるというのなら、少なくとも俺達にとって悪い存在ではないだろう。
もしかしたら……『犯人』なんじゃないかと思っていただけに、その情報は俺にとって吉報に違いない。
そんな俺の表情を見てアネモネは、
「アイツを信用しないほうがいい」
と、いつもより数段強い口調でそう言った。
「信用しないほうがいいって……ヴォイドはいい奴だろう? 俺の命だって助けてくれたし、代理戦争だって乗り気じゃない風だった」
「……貴方にとっては、そうなんだ」
落胆というよりは、腹立たしいといった感情をその瞳に宿すアネモネ。
無表情な彼女が、ここまで感情を込めて話すのは初めてかもしれない。
「っと、ひとまずヴォイドが良い奴か悪い奴か、ウザイ奴かの議論はこの際置いておいてだな」
話が逸れそうになっているのを自覚して、俺は軌道修正を試みる。
俺がここに来た目的を忘れてはいけない。エマの病気の原因を突き止めるのが最優先だ。
「エマの病気に関する権能、アネモネは心当たりがあるか?」
そう、そこが俺にとって最も知りたい情報だった。
それさえ知れれば後はどうでもいいくらいだ。
その俺の最重要の質問に、アネモネは少し躊躇った後、首を『縦』に動かした。
「……ッ」
慌てるな。
つかみ掛かったりしても意味がない。
冷静に、クレバーに、迅速に、スマートに。事態を把握して収拾することに全力を注げ。
「話を聞きたい。さっきも言ったけど、エマの症状はかなり悪い。時間がないんだ。知っていることがあるなら、教えてくれ」
いくらか焦りが乗った声に、アネモネは首を振る。今度は、『横』に。
「……エマのことは、諦めたほうがいい」
その言葉に、俺は、ついさっき自制した感情を……抑えることが出来なかった。
「知ってることがあるなら、教えろ!」
気付けば俺はアネモネに掴みかかり、怒号のような声を上げていた。
「…………」
アネモネは何も言わない。
弁解も、説明も口にしない。
「……言え、言ってくれ……頼むから……」
お前を、傷つけたくない。
そんな願いを言葉に込めながら、俺は……腰に吊るした刀へと、手を伸ばしていた。
「……私は貴方のことが嫌いじゃない」
唐突に、アネモネが話題を変える。
あの無表情なアネモネのその言葉に、普段なら飛び上がって喜ぶところだろうが、生憎今の俺にはそんな心の余裕はなかった。
「だから、私は貴方とエマのどちらかを取れと言われたら、貴方を取る」
「俺は! 俺なんかより、エマのことだッ!」
俺は腰から花一華を抜き放ち、その刀身をアネモネの前に晒す。
「言え!」
こんなことではいけない。そうは分かってはいても、体は焦りによって突き動かされる。今この瞬間にも、エマの命の灯火は消えようとしているのだ。悠長にしている暇なんて、ない。
「…………」
アネモネは俺の凶行にも、全く慌てる様子がない。
首元に触れる刃の冷たさが、感じられない訳でもないだろうに。
「言えッ!」
客観的に見れば、俺はいい感じに屑野郎として写ることだろう。
俺はアネモネからもらった刀を、大切にしてと頼まれた刀を、こともあろうにそのアネモネへと向けているのだから。
だが、それでも……俺はエマのために行動すると決めたのだ。
俺がどんなに最低な奴に成り下がったとしても、必ず助けると誓ったのだ。
エマのために、何を犠牲にしても構わないと、覚悟したのだ。
「……貴方は、とても優しい」
ポツリと、アネモネが呟く。
「……貴方は他人の為に、本気になれる人。自己の不利を知ってなお、他人の利を優先できる人」
……そんなことはない。
俺は自己中心的な男だ。いつだって、誰かのためってお題目で、結局は自分のために行動してきた。傷つきたくなくて、逃げて、逃げて、逃げ続けてきた。
怠惰というなら、これ以上のものはないだろう。
そんな俺の内心を見透かしているのか、アネモネは言葉を続ける。
「……前に貴方は強い人だと言ったけど、撤回する。貴方はとても弱い。傷つくのも傷つけるのも耐えられない。怖くて怖くて、仕方がない」
「…………」
「……だけど、貴方は誰かの為なら強くなれる人。今だって、嫌で嫌で仕方がないのに、私を傷つけ自分を傷つけている。それは、きっとエマのため」
「…………」
「……そんな貴方の刃は、とても美しいと思う」
俺は何も言えなかった。
何で、アネモネの言葉はここまで心に響くのか考えて、それに気付く。
──アネモネの手が、俺に触れていることに。
だから、とアネモネは言葉を続ける。
「貴方の刃を、私なんかで汚したくはない」
すっ、と。
アネモネは刃を挟んだ指先を動かして、立ち上がる。
俺は、何も出来なかった。
「……すまない」
俺は何をしていたのだろうか。
逆上して、掴みかかって、どう考えたって普通じゃない。
「……いいよ。クリスなら」
どこまでも優しい声音で、アネモネはそう言った。
どこまでも優しい笑顔を浮かべて。
アネモネは人間になりたいなんて、言っていたけれど。
こんなに優しい奴が、人でないわけがない。
なんて、穏やかな気持ちと共に、俺はそう思った。
「駄目ですよ、貴方は『刀』なんですから……そんな人間みたいなことを考えては」
ズブリと、気持ち悪い音が俺の鼓膜を打った。
「…………………………え?」
思わず漏れたその言葉。
突然現れた声に、俺は呆然としてしまう。
声の元を探れば、すぐに気付いた。
その人物は、いつからそこにいたのかアネモネのすぐ後ろに立っていたのだ。
「……アダム?」
「お久しぶり……でもないですかね、クリスさん」
朗らかに、柔らかに、笑みを浮かべる神父。
先日この教会を案内してくれたアダムは以前と変わらぬ柔和な態度をもって、俺に相対していた。
この状況にいくつもの疑問がぐるぐると頭の中を駆け巡るが、事態はそれどころではない。
「……が、はっ」
小さな口から肺の中に詰まった空気をしこたま吐き出すアネモネ。
その衝撃でいくつかの血飛沫が宙を舞い、礼拝堂の地面を濡らす。
「……失礼」
アダムはそう言って、『アネモネの胸部に突き刺していた己の腕を引き抜いた』。
びちゃびちゃと大量の血液が零れ落ちる。
それと同時に、アネモネはその小さな体躯を地面へとぶつける。
自身の血によって出来た池に、自ら体を浸すアネモネ。
そこまで来てようやく、現状を認識した俺は遅れながら叫ぶのだ。
「アネモネぇぇぇぇぇぇぇええええええッ!!」
獣の咆哮のような絶叫が、礼拝堂に響き渡った。




