第五十話 「そして運命は廻り続ける」
雨が降っていた。
先日より曇天続きの空模様だったが、ここに来てついに決壊した。
空から降り注ぐ涙を浴びながら、俺が向かうのは青色の建物。教会だ。
「……青い教会、か」
青と言えば、青色は自然界に存在しない色であるから、その色を見ると食欲が減衰すると聞いたことがある。海外なんかでは青色のケーキなんて珍しくもなんともないが、俺がかつて暮らした日本という枠組みの中においては、なるほど、青色の食べ物と言うのはお目にかかったことがない。
青色は、自然界に存在しない。
青とは、人が生み出した色なのだ。
いや、人が生み出したとまで言ってしまうといささか誇張が混じるか。人が発見した、と。その辺りが妥当と言うところだろう。
青色は、嫌いじゃない。
だがどうなのだろう。誰だって好きな色の一つや二つはあるだろうが、それは本質的にその色が好き、と言うわけでもないのではないかと思う。
赤はリーダー、青は相方、ピンクは女の子で黒は敵。そして黄色がカレー。
そんな感じに、誰だって色に対するイメージを持っている。それこそ共感覚なんて特殊体質を獲得するまでもなく、人は色とイメージを複合的に持ち合わせている。
であるなら、色に対する好みも、結局は色に付属するイメージの好みと言えるのではないだろうか。
俺が青色が好きなように。
澄み渡る、空をイメージ出来る青色が好きなように。
……あれ……自然界に、青、あるくね?
まあいいか。そんなことはどうでも。
結局は好みの問題。
カナリアはそうだな。派手な金色辺りが好きそうだ。何事も頂点、最高地点の一番でなければ妥協できない(それはすでに妥協ではない)彼女なら、そんなところだろう。
イザークはそうだな。中二っぽいところがあるアイツなら、普通に黒とかじゃないだろうか。全ての色彩を飲み込み、取り込む黒色。実に陰鬱とした彼にお似合いの色合いだ。
では、『彼女』はどうだろう。
「なあ、お前は何色が好きなんだ?」
礼拝堂の中央。
そこで一心に祈りを捧げる少女へと、俺は問いかける。
「……私の好きな色は、透明」
それ、色じゃねえよ。
なーんて。野暮な突っ込みはしたりしない。
結局、どうでもいい質問なのだから。
少女はくるりと反転して、俺と向き合う。
「……何のよう?」
いつもと変わらぬ淡白な口調で少女……アネモネはそう言った。
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「……どうして私がここにいるって分かったの?」
私は目の前の少年に問う。
「カナリアに聞いたのさ」
目の前の少年は答える。
「三日も姿をくらましてる、なんて何があったのかと思ったぞ。どうしてカナリア達のところから何も言わず立ち去ったんだ? アネモネ」
少年……クリスの問いに、私はすぐに答えることが出来なかった。
エマが病気に臥せっているのは知っている。知っていたから、私は彼らの元を離れたのだ。今の私に、彼らと共にいる資格なんてないのだから。
エマの病気は、私のせいだから。
「何か言ってくれよ、アネモネ。聞きたいことが山ほどあるんだ。ひとまず、借家に戻らないか?」
じり、とにじり寄ってくるクリスに、私は一歩後ろに下がる。
来ないで。来ないで。私に触れないで。きっと貴方も本当の私を知ったら幻滅してしまうから。お願い、来ないで。
私の明らかな拒絶を見て取ったクリスは、困ったように肩をすくめる。どうしたものかって表情だ。いつも、何かに巻き込まれている彼らしい複雑な表情。
「ひとまず、報告しておきたい。エマの病状が悪化したんだ。それで、イザークからエマの病気は権能によるものじゃないかって話を聞いて、俺、カナリアのところへ行ったんだ」
クリスの言葉に私は相槌を打つでもなく、ただ黙って聞く。
そうすることが、まるで義務か何かのように。
「それでカナリアとイザークに権能のことを聞いた。それで二人とも、どうやらハズレっぽいんだよな。もちろん、最初から疑ったりしてなかったけどよ。それでも確認はしておきたくてさ」
分からない。
クリスが何を言おうとしているのか、分からない。
「ここに来たのも、アネモネを探してのことだ。カナリアもあちこち探したらしいんだけど見つからないって。それで、もしかしたらここかもなって思ってさ。俺、来たんだ」
つまり、最初に言ったカナリアに聞いてここに来たと言うのは、若干のズレがあったと言うわけね。なるほど。確かにカナリアには思い至らない場所かもしれない。あの人は、神を崇めるだなんて一般的な思考は持ち合わせていないだろうから。
「……それで、私が犯人じゃないか疑っていると」
私の問いに、クリスは「違う」とはっきりと明言した。
しかし、どうだろう。
彼にとって私という存在がどれほどの重さを持つのかは知らないけれど、それでもエマと比べてしまえばそこらの草花と大差ない価値には違いない。そこらの、アネモネと同価値。ただの石っころ。
ならば彼は私から何がなんでも話を聞きたいはず。時間もないだろうし、それこそ拷問か何かをしてでも、私から真実を聞き出そうとするだろう。
事実、そうされては私は困ってしまう。
だからこそ、私は彼らの元から逃げたと言うのに、この人はどうしてこうもすぐに私を見つけてしまうのか。本当に、困った人だ。
……なんて。
困ったなんて、まるで人間みたいな感情が、私にある訳もないのに。
「アネモネ、お前の権能がどういう権能なのか、教えてくれないか」
「……それを聞くって事は、つまり私を疑っていると言うことではないの?」
「だから、ただの『確認』だって」
「……そう」
怖い。
怖い、怖い。
クリスが何を考えているのか分からなくて、怖い。
分からない者は怖い。分からない物は怖い。分からないモノは怖い。
彼の冷徹な眼差しがどのような感情を宿しているのか、どのような覚悟を携えているのか分からなくて、怖い。
「…………」
ここで教えることは簡単。
でも、そうしたときに彼は私をどう思うだろう。
もしかしたら軽蔑するかもしれない。侮蔑するかもしれない。軽侮するかもしれない。蔑視するかもしれない。それならば、まだいい。もしも……もしも『恐怖』されてしまったら。きっと私は耐えられない。
彼にそんなことを思われてしまうことが、堪らなく怖い。
だから、言えない。言いたくない。
不思議。本当に不思議な気分。カナリアにならきっと伝えられる。でも、目の前の少年にだけは知られたくない自分がいる。
恐怖なんて、私はされる側であって、する側ではないというのに。
「……アネモネはさ、出会ったときからそんな感じだったよな」
唐突に、クリスが独白を始める。
「なんていうか、壁があるって言うかさ。俺達の前で本音を言ってくれない感じ。だから初対面だと変な奴ってどうしても思っちまうし、どれくらい踏み込んだらいいか分からなくて、結局離れていっちまう」
「…………」
「お前、無愛想だしさ。普通なら避けちまうところだよ。お前に自分から近寄ろうなんて思う奴は、カナリアみたいに傲岸不遜な奴か、あの時の俺みたいにそういう『他人に興味がない相手』を求めてる奴だけだ」
「…………」
「だから俺とお前は本当ならすれ違う運命にあったのかもしれない。けどさ、こうして出会って、話して、俺は救われた。救われたんだよ」
「…………」
「あの時の俺は本当に酷かった。お前のこと、ただの気分転換の道具みたいに扱ってさ。その上、時間が解決してくれた、みたいな言い方で感謝の一言も言わなかった」
「…………」
「だけどさ、間違いなく俺はお前に……アネモネに救われたんだよ。今の今まで言ってこなかったけど
さ、本当に感謝してるんだ」
それは……私が、アイツの指示を受けていたから。
仲良くするように、行動を誘導できるように、近寄るために、そうしていただけのこと。私が貴方のためを思ってした結果ではない。
「今更だけど……ありがとう。俺を助けてくれて」
お願いだから。お礼なんて言わないで。私が益々惨めになってしまう。
惨めさなんて、何でもないけれど。貴方の前で、そんなみっともない私ではいたくないから。謝らないで。
「だからさ、アネモネが何か困っているなら力になってやりたい。隠している事があるなら教えてくれよ。俺も一緒に考えてやるから」
「……私は……」
分からない。
私はこんなに弱かっただろうか。
こんなにもただの言葉に、心揺さぶられる存在だっただろうか。
いや、そんなはずはない。私は刀だ。刀に感情なんてありはしない。だから……この胸の痛みは、何かの間違いなのだ。
「……私は、私は……」
私は……




