第四十八話 「呪い」
「エマ……」
布団に横たわり、荒い呼吸を繰り返すエマに、思わず呼びかけるが反応はない。それほどまでに、体力を奪われてしまっているのだ。
「体温は……四十度、か。これは尋常ではないな」
俺の隣で、男には任せられないということでエマの体温を診てくれていたカナリアの言葉にぎょっとし、俺は体温計を奪い取るようにして確認するが、俺の目から見てもその診断結果は変わらなかった。
「何で、こんな……」
病気、なんだろうと思う。
朝一でエマの異変を察した俺はカナリアを呼び治療院へと駆けた。しかし、医師の診断結果は病名不明。未知の病とのことだった。だから、エマの体に何が起きているのか、正確に知ることは出来ない。
入院するという手もあったが、それで何が変わるわけでもない。この世界の医療レベルは、とても低い。悪戯にエマの体に負担をかけるよりは、自宅で安静にしていたほうがいいとの判断だった。
(感染症の疑いがないわけでもない……けど)
エマを一人にするわけにはいかない。
俺だけは、どうなったって傍にいてやらないと。
そう、約束したのだから。
「……すまないが、我も一度皆のところに戻る。今後の方針を固めないといけないのでな」
本当に申し訳なさそうな表情で、カナリアがそう切り出してきた。
「いや、こうして新しい寝床を確保してくれただけでもありがたいよ。本当ならエマは部外者なんだから」
「全く、何を言うかと思えば。ほかならぬエマ君のことだぞ。部外者など二度と言うな」
いつになく力強いカナリアの言葉に、俺はわずかに面食らう。
そして、自分の失言を詫びた。
「そうだよな、すまない」
「クリスも、余り根つめすぎないようにな。何かあったらすぐに頼ってくれ」
そういって、借家を出て行くカナリア。
ここは先日まで使っていたのとは別の借家だった。
感染のリスクを減らすため、別室で暮らすことになった俺達に当てられたこの借家の広さは前ほどもなく、二階もないが、それでも二人で住むには充分すぎる広さだった。
「俺が……看ててやるからな。心配するな」
未だ返事のない、同居人に決意と共に言葉を送る。
何があっても、俺はお前を見捨てない。
死ぬときは一緒だ。
そのくらいの覚悟なら出来ている。
「病気ってのは移したら直るらしいぜ。俺にならいくらでも移してくれていいからよ……早く元気になってくれ」
しっとりとしている茶色の髪を、ゆっくりと撫でる。
いつもの癖ッ毛も元気がなく、しょんぼりしているように見える。
「ぅ」
「エマ? 起きたのか?」
微かに聞こえた声に、俺は前のめりになって聞き返すが、ただの寝言だったようだ。寝言というよりはうめき声か。その辛そうな声を聞いているだけで胸が痛む。
変われるものなら変わってやりたいと、強く思う。
「何でエマなんだよ……こいつは、やっと新しい生き方を、見つけたばっかりだってのに……」
恨まずにはいられない。
こんな非情な運命を用意した神を。
祈らないけれど、恨む。なんと自分勝手な考えだろう。傲慢にもほどがある。
「……何か、料理でも作るか」
このまま黙ってここにいても、気が沈むだけ。それなら何かしら作業をしていたほうが気が紛れると言うものだ。
「少しだけ離れるけど何かあったらすぐに来てやるから、心配するな」
濡れたタオルを額に置いて、その場を離れる。
料理は何が体にいいだろう。あまり重くないものがいいのだろうか。こんなときのために病院食を習っておけば良かった。
なんて後悔しながら、俺は食べやすそうなお粥っぽい料理を作ることにした。
四十分ほどしてから、エマの元に料理を運ぶ。
「エマ、起きれるか?」
体の刺激にならないように、軽く体に触れて問いかけるもエマからの返事はない。体が休息を求めているのだろう。だったら、無理に起こさないほうがいいかもしれない。
……かもしれない、かもしれない。
エマがこんなに苦しんでいると言うのに、その苦しみをちっとも緩和してやれない自分に腹が立つ。出来ないことだとは分かっていても、浮き足立ってしまうのだ。
「大丈夫だからな、エマ」
細く、小さな手を俺の両手で包み込む。
大丈夫、なんとかなるさ。また一緒に街を歩こう。
じわり、と視界が滲む。
いけない。
俺がこんなことでは。
しっかりしないと。
そうは思うも、感情と言うのは中々どうして言うことを聞かない。
俺が服の袖を瞳に押し付け、必死に感情を押し殺していると……
「……クリス? 泣いてるの?」
そんな、弱々しい、けれど待ち望んだ声が聞こえたのだ。
「エマ! 良かった、起きたんだな」
「何か、あったの?」
「ああ、あった。けど大丈夫。大丈夫だから」
俺は思わず、エマの手を強く握り締めていた。
この手の温もりを失いたくなくて。
「そうだ、お腹すいてるか? 料理作ったんだけど、食べれそうか?」
「……あんまり、食欲ないかも」
「そっか、でも落ち着いたら絶対食べるんだぞ。食べるもの食べないと、元気でないからな」
「……うん」
力ない、声。
どうしたんだよ。元気だけがお前の取り得だっただろうが。起きたのならもう少し何か言ってみろよ。飯だって、いつもならバクバク食べてたじゃないか。遠慮なんかするなよ。
「……少し、眠たいかも」
「そうか、だったらもう少し寝ていたらいい。料理なら、いつでもいくらでも、作ってやるから」
「……うん」
そう言って瞳を閉じるエマ。
そのまま口がゆっくりと開き、ねえ、と俺を呼ぶ。
「なんだ?」
「……何だか寒いからさ、手……握ってもらえないかな?」
エマの言葉に、俺は仕方がない奴だと笑みを浮かべて、手を握り直してやる。
それから安心したように眠りにつくエマ。眠るまで、眠っても、俺は手を離さない。いつまでも、いつまでも。この手を離したら、何もかも俺の手から滑り落ちてしまいそうな気がして……。
更に三日が経った。
相変わらず、エマの容態は一向に良くならない。むしろ、悪化しているといってもいい。一日の三分の二を寝て過ごすエマ。起きたとしても動くこともままならず、ごく少量の食事を口にするだけだ。
そして、その少量の栄養さえも、エマは堪え切れずに戻してしまう。
ごめんね、と謝るエマに俺は何度、大丈夫、と返した事だろう。
分からない。
これからどうなるのかも、分からない。
そんな時だ、珍しくイザークが俺達の前に姿を見せた。
「よう、邪魔するぜ」
「……イザークか」
「ああ、オレだ。それで? エマの様子はどうだ」
「相変わらずだ」
「……そうか」
何の遠慮もなく部屋に上がってきたイザークはエマの傍に腰を下ろす。
そのままじっと、何も言わないまま黙ってエマの容態を見ている。
移るかもしれないから来るな、とカナリアから言われているはずなのに、この部屋には来客が多い。カナリア、クレハ、エリー、ユーリ、ヴィタは毎日のように顔を見せに来ている。一度も顔を見せていないのはアネモネだけだ。
「……もともとちっこい奴だったが、更に細くなっちまいやがって」
ぽつりと、イザークが言葉を漏らす。
「何だよ、心配してるのか? イザーク。お前はそんな柄じゃないだろう」
「…………」
俺の言葉に、イザークはこちらを振り返る。
「奴隷商に売りつけたのは誰だ? お前だろう? 今更エマを心配するようなポーズはよせよ。イラつくから」
「…………」
「そもそも、奴隷なんかやらされていたからそこで病気をもらったんじゃないのか? 潜伏期間だってあるだろうしよ。全くない話とは言い切れない」
「…………」
イザークは、何も言わない。
黙って俺の言葉を聞いている。
その態度が無性に癇に障る。ああ、虫唾が走る。
「何か言えよ」
「オマエ……」
俺の言葉に、イザークはゆっくりと口を開く。
「少し休んだらどうだ。三日間、ろくに寝てもねェんだろ。隈、酷いぜ」
「隈なんか、どうでもいいだろうっ!」
淡々としたイザークの態度に、俺はいい加減我慢の限界だった。
病人の前で、声を荒げるなんて良くはないと分かってはいても、止められなかった。
「俺のことよりエマだ! 何でいきなりこんなことになってんだよ! なあ!」
答えが欲しくて、欲しくて、堪らない。
結果には原因が付きまとう。ならば、原因さえ分かれば、結果を変える事だって出来るはずなんだ。だから、欲しい。答えが、欲しい。
「……すまない」
俺は大きく息を吸って、吐く。
らしくもなく……いや、らしいっちゃらしいか。
いつものように、一人で右往左往しているだけ。
「……何なら看病だって変わるぞ」
「いや、いい。それは俺の役目だ」
「そうか」
「ああ」
言葉は簡潔に、だけれどイザークも、全く思うところがないというわけではない。そのことを知っていて、俺はイザークのせいにしようとしていた。
病気なんて、誰のせいでもないだろうに。
ちらり、とエマに視線を送る。
一体エマは何に罹ってしまったのだろう。
日に日に衰弱していくエマを見るのは、正直堪える。俺に出来ることなら何でもする。だが、その肝心の何をすればいいのかが分からない以上、打つ手なし。八方塞なのだ。
「……はあ、くそっ」
毒づかずにはいられない。
俺のそんな様子を見て、イザークが口を開く。
「なあ、普通の風邪とかじゃなさそうなンだろ? だったらよ、『最後の手段』を使ってもいいンじゃねえか?」
イザークの言葉に、『最後の手段』とやらに、俺は希望を感じて飛びついた。
「最後の手段って、何だよ?」
「だから、メテオラだよ」
イザークの言葉に、俺は一気に気分を沈ませる。
何だよ、最後の手段ってそれのことかよ。
「何落ち込んでンだよ」
「おい、イザーク。俺がメテオラを未だ使っていないとでも思っているのか?」
だとしたら、いくらなんでもバカにしている。
俺がエマのためにメテオラを出し渋るとでも思っているのだろうか。そんなもの、とっくの昔に試している。
「この病気は、メテオラを使っても治らなかったんだ。何でかは分からないけどよ」
そう。合計で二十回くらいは無駄撃ちしただろうか。そして、そのどれもが効果がなかった。言葉を変えてみたり、病気ではなくエマの元気な姿をイメージしたりと、色々やってみたが、完治には至らなかったのだ。
俺がそのことをイザークに伝えてやると……
「嘘、だろ……」
イザークは、驚愕の表情を浮かべ、
「治せ、──メテオラ!」
エマの傍で、メテオラを唱えた。
白い光がエマを包むが、やがて弾かれたように虚空に消える。そして、当然のようにエマに変化はない。俺が何度もやって確かめたことだ。俺とイザークのメテオラに違いがないのだとしたら、結果に違いはない。
「駄目だったろ?」
俺は諦観を込めて、イザークに呼びかけた。すると……
「……ふざけやがって!」
突然イザークの怒号が、部屋に響いた。
いつも飄々としているイザークが、ここまで怒りを露にするのは初めて見る。
「何だコレは!? クソがっ! ふざけやがって! 誰だ、こんなクソみてえな『願い』を持ってやがるのは!」
激昂するイザークは尋常ではない。
さきほどとは打って変わって、俺がイザークを宥めるような形になる。
「おい、イザーク。どうしたってんだよ。何が言いたい?」
「くっ、そっ……はあ……ッ!」
イザークは感情を何とか処理しようと、先ほどの俺と同じように深呼吸を繰り返す。
やがて気分も落ち着いたのか、それでも幾分昂ぶったまま、イザークが説明を始める。
「オマエも知ってるだろうが、メテオラの力は神の力だ。メテオラで出来ねえことなんて、ほとんどないといっていい」
「……つまり、エマの病気はその出来ないことの一つなんだろ?」
そんなこと、状況を見ればすぐに分かることだ。
メテオラで治せないのなら、メテオラで治せない。ただそれだけのことだ。言うまでもない。
俺の言葉に、イザークは、
「違う」
と、断言した。
「は? だって、実際……」
「メテオラなら、どんな不治の病だろうと一瞬で治す。神の力ってなァそれほどの奇跡を持ってるンだよ。だから、エマがどんな病気だろうと、メテオラで治せねェ道理はねェ」
治せない、はずがない?
いや、そんなはずはないだろう。だって、実際に治せないのだから。
混乱する俺に、イザークはその事実を告げる。
「メテオラで治せない、ってことはメテオラよりも上位の力がエマに介入してる証拠だ」
「上位の、力?」
「ああ。間違いない。エマは……」
ゆっくりと、吐き出すようなその言葉。
「……『権能』によって、呪われている」




