第六話 「戦う者達」
「きゃあああああああああああぁぁッ!!」
突然屋敷に響いた悲鳴に、俺は椅子からすぐさま立ち上がる。出来るだけ普段と同じように過ごそうと、俺は勉強をしていたのだが……どうやら異常事態のようだ。
声は玄関の方から聞こえた。俺は自室のドアを蹴破るように開き、玄関向けて走る。
すぐにたどり着いたそこには……
「なんだ……これ……」
屋敷で働いていたメイドが倒れていた。真っ赤な血を止め処なく流しながら。
その傍らで、返り血を浴びながら会話を続けるのは見たことない二人の人物。赤髪の少年がまず口を開き、それに続く形で隻眼の大男が会話を始める。
「おォ、ようやく使用人以外を見つけたぜェ」
「子供か、ヴェール家の人間と見て間違いないだろうな」
「これで仕事の終わりも見えてきそォだな。女は殺さねェ主義だってのに……酷いもんだぜ」
赤髪の少年は両手を広げて、やれやれと首を振る。
そんな様子を憮然とした表情で見る、隻眼の大男。
「それなら俺が殺っても良かったのだが」
「ジョーダン! 獲物が目の前で、オレ以外に殺されるってのは我慢ならねェ!」
「……いつも思うが、お前の信条とやらは理解できん」
こいつらは……何を言ってやがる?
そんな……そんな……メイドの首を片手に、メイドの体を足蹴にしておいて、なんでそんな普通にしていられる!?
「っとと、無視して悪かったな小僧。まあ、安心しろや。殺しはしねェよ。ただまあ……手足の一本や二本は、保証できねえがなァ」
「……ッ!」
次の瞬間。二十メートル近い距離を、赤髪の少年が一気に詰めて来る。
速い……!
俺は咄嗟の動きで、少年の手刀を体を大きくねじってかわす。魔力を体に纏って、身体能力を底上げ。回避すると同時に不意打ちの一撃を見舞う。
使うのは上級魔術……雷の魔術だ。最速の詠唱を、早口に唱える。
「迸れ──《ドンナー》!」
……バチィ……ッ!
規模はそれほど大きくない。だが、その速度は音速すら超える。我ながら見事な返し技として、雷光の一撃が少年へと迫り……
「おっと」
大きく仰け反った動きで、かわされる。
くっ……なんであれがかわせるんだよ!
「魔術師か、その歳で大したもんじゃねェか!」
「おい、イザーク。俺も力を貸そうか?」
「いらねェ! 大将はそこで黙って見てろや! 今、オレは最ッ高に『生きてる』ンだからよォ!」
戦闘中にも関わらず、余裕の様子で会話するイザークと呼ばれた少年。
なんとか身体能力を底上げすることで戦えてはいるが、長くは続かないぞ。これは。
それほどまでに身体能力の面で、差が激しい。背を向けた瞬間にやられることが本能的に分かるため、逃げることすら出来ない。
退くは地獄、耐えるも地獄。
くそっ、今更ながら足が震えてきやがった。
初の実戦に、早鐘の鼓動を打つ心臓。八方塞に思えたその時だ。
「伏せろ、クリストフ!」
その声を聞くや否や、俺は即座に地面に体を投げる。
俺の頭の上を、神速の斬撃が通り過ぎる。
「ちっ」
イザークは舌打ちをして、その刃をかわすため大きく後退する。
そうして出来た隙に、新たな参戦者は俺の腕を取って立ち上がらせた。
「私が時間を稼ぐ。お前は逃げろ」
「と、父さん……」
思わず泣きそうになる。
俺をかばうように屹然と立つのは俺の父、アドルフだ。
「領主、アドルフ・ロス・ヴェールだな」
アドルフの登場に、それまで傍観者に徹していた隻眼の大男が前に出る。
その姿を視界に収めたアドルフが、声を上げる。
「隻眼のイワン……なんでお前がここにいる!」
イワン。そう呼ばれた男は微かに笑みを浮かべるだけで、答える気はないようだ。
アドルフはイワンとイザーク、その両方に油断なく視線を送りながら俺に囁いてくる。
「クリストフ、いいから逃げろ」
「で、でも……父さん……」
俺はアドルフの言葉に従うか否か逡巡する。
結局はその一瞬で……
「逃がさん」
「行かせねェぞ」
二手に別れ、俺たちを挟むように陣取った二人の襲撃者にその機を失う。
四人の人物がこの場に立ち、三人が戦いを始める。
アドルフは一振りの剣を器用に使って、挟撃をいなす。
イワンは両手に構えたナイフで間断なく攻め立てる。
イザークはその身体能力を活かし、激しく、時にトリッキーに攻め手を変える。
俺は……俺だけが、何も出来ずにいた。
「らああああああ!」
アドルフが吠えて、横一文字に剣を振るう。
剣で起こしたとは到底思えない衝撃が屋敷を揺らすが、二人の対敵にはダメージが見えない。剣を振るう数瞬前に、その身を引いていたのだ。
「すげェな、このおっさん」
「やはり、一番の障害は『剣鬼・アドルフ』だったか……」
僅かに生まれた間隙に、イザークとイワンがそれぞれ声を漏らす。
俺はその一連のやり取りを見て……自分が完全な役立たずだと自覚させられた。させられて、しまった。
俺は何を考えていたんだ。魔術が使える? メテオラとかいうチート能力がある?
だからどうした。そんなもの、戦いに慣れていない俺なんかが持っていても意味ないじゃねえか。練習では使えてもいざ実戦になれば、腰が引け、足が震え、腕が上がらない。
なんだこの体たらくは? こんなテイでよく役に立つだなんて思えたもんだよ。我ながら笑えてくる。
「クリストフ、大丈夫だからな」
……しまいにはこうして父の足を引っ張っている。
この二人相手にここまでやれている父の腕は相当にいいのだろう。だが、俺がいるせいで防戦に回っている。
俺が、いるせいで!
そのときだ、突然後ろから抱きしめられる感覚と、浮遊感。
「クリストフ、逃げるわよ!」
「か、母さん!?」
隙を伺っていたのだろう。サラが俺の体を抱き、この場から逃げるために駆け出し始める。
「誰が逃げていいって言ったよォ!」
五人目の登場により一層喜色を深め、迫るイザーク。
その進撃は、しかし俺とイザークの間に立ったアドルフに防がれる。
「誰が追っていいと言った……ッ!」
アドルフとイザーク。両者が激突し、再び衝撃に揺れる屋敷内。
はは……俺の父さん、本当にカッコいいなあ。それに比べて俺は……
「もう大丈夫だからね、クリストフ」
母に連れられてようやく逃げ出せたまさに腰抜け。いくら子供だからって……情けなさ過ぎるだろ、俺。遠ざかりつつある父の背中を見ながら俺は自分の無力を恥じた。そして、その時同時に……気づいた。
(えっ……)
視界に写る父の姿。さらにその奥……
(なんで、そこにいるんだよ……)
開けっ放しの玄関。いつからいたのか。そこには一人の少女の姿があった。
(──クリスタ!!)
敵に気づかれる前に、早く逃げろ!
俺は言葉に出すことも出来ず、必死に念を送るが……
「む、子供か」
敵の片割れ、イワンがその巨体を振り向けながらクリスタの存在に気づいてしまった。
クリスタは震える声で呟き、俺を見る。
「く、クリストフ……何、これ……?」
震える声。クリスタは屋敷の惨状に、完全に硬直している。
やけにゆっくりと流れる視界の中、イワンがゆっくりとクリスタへと向かって行くのが見える。
……おい。何するつもりだよ、お前。
クリスタの目前に立ち、ゆっくりと手を伸ばすイワン。
気づけば、俺は絶叫していた。
「『その子に触れるんじゃねえ』!」
ぶわっ! と、俺の体から白の光があふれ出し、イワンへと突撃する。
俺の言霊に反応したメテオラ。その光に触れたイワンは、
「なっ……動けん!?」
クリスタに触れる、まさにその瞬間。金縛りにあったかのように動きを封じられる。
体を抱きしめるサラの手を振り払った俺は、後方から聞こえる叫びを無視して、クリスタの元へと駆ける。
──いつしか体の震えは、止まっていた。
「あああああああッ!」
絶叫しながら駆け寄る俺に、イワンは向き直る。
俺の唱えたメテオラは『クリスタへの接触の禁止』。ならば、ターゲットを俺に変えてしまえばその効果は意味がないものへと成り下がる。
「クリストフ! よせっ!」
イザークと対峙するアドルフの横を通り過ぎ、さらに奥。イワンただ一人へと視線を向けて突撃する。
「……向かってくるなら仕方ない。相手してやろう」
ナイフを構える相手は歴戦の戦闘員。対して俺は、無手の子ども。
相手にならないだろう。
……普通なら、な。
「迸れ──《ドンナー》!」
俺の最速の技。
イザークにはかわされたが、こいつならどうだ!
走る一筋の閃光を、イワンは身をひねってかわす。戦いをこなして来た場数が違うのだろう。俺の何のひねりもない一撃なんて、どんなに速かろうがかわされてしまう。そういうことだ。
なら……次だ。
「む……!」
「らぁぁぁあああああ!!」
俺が叩き込むのは、渾身の一撃。
魔力を全開にして、身体能力を跳ね上げる。元の膂力の低さなんて関係なくなるくらいに魔力を練り上げる。
魔力をこれでもかと込めたこの一撃は、もはや魔術と言ったほうが適切かも知れない。
俺の赤色の魔力がはっきりと視認できるほどの密度となって、俺の腕を覆う。それはあたかも流星が大気圏に突入し、摩擦熱により真っ赤に発火するかのごとき現象。
故に俺は、この技をこう呼ぼう……
「流星光底!」
真っ赤な流星と共に……轟音。
神速の掌底が、イワンのナイフを折り砕き、その腹部へと到達する。
「な……ぐ、は……ッ!」
その場の誰もが驚愕の表情を向けている。
俺の掌底はイワンの腹部を貫通し、真っ赤に濡れていた。
俺が腕を引き抜くと同時に倒れる巨体。
その場の誰が予測できただろう。倍近く体格差のある俺が、ただの一撃でこの巨体を絶命させるなんて……俺でさえここまで上手く行くとは思わなかったくらいだ。
「ッ!」
勝利の余韻もつかの間、とんでもない激痛が俺の右手を襲う。
それはこの技の反動。俺の腕をぬらす血はイワンのものだけではない。皮膚が裂けて、血が次々にあふれる。動かしにくいこの感じ、骨も逝ってるかもしれない。
「クリストフ!」
思わず崩れ落ちた俺の耳に届いたのは、アドルフの焦った声。
俺を呼ぶ声に振り向けば……
「お前、もしかして……『そう』なのか?」
眼前。
顔と顔が引っ付きそうなほどの近距離に、イザークが立っていた。赤髪が視界に揺れる。イザークの二つの瞳は真っ直ぐに俺の瞳を捕らえている。
咄嗟の出来事に、硬直する俺にイザークは、
「……また会おうや、兄弟」
それだけ言って、風のように立ち去っていった。
この場の誰もがイザークの突然の戦意喪失に面食らう。
……だが、去ってくれるなら追う理由もない。
腰の抜けていた俺はゆっくりと、視線を動かしてクリスタを捕らえる。
恐怖のせいからか、気絶しているクリスタの体を左手一本で支えてやる。
助けることが出来て……本当に良かった……
ゴチン、と割と痛い感じに頭を殴られ振り向くと、そこには複雑な表情を浮かべたアドルフがいた。
「この、バカ息子が……俺の言うことなんて一つも聞きやがらねえ」
「ご、ごめん……」
いつものアドルフと違う、荒々しい口調に思わず謝ってしまう。
それからアドルフは、ガバッ──俺の体を思い切り抱きしめる。
「無事で、良かった……ッ!」
潤んだ瞳でそう語るアドルフに、俺も感極まって涙がこぼれてくる。
「……ごめん、なさい」
今度は心の底から、その言葉を口にする。
お互いの無事を喜び、静かに涙をかわす親子の姿がそこにはあった。
その輪の中に、ふらふらと近寄り、加わろうとする人影が一つ。
「クリストフぅぅぅぅ! もう、いきなり駆けていって……心配かけないでよぉぉぉぉぉ……ッ!」
ぼろぼろと涙を溢しながら近寄るサラを……
「あ! 『駆けないで』と心配『かけないで』が、『かけてある』……なんちゃって!」
「「マジで台無しだから、黙ってて母さん(サラ)!!」」
俺とアドルフは、揃って蹴飛ばすのであったとさ。
こうして山賊騒ぎは、いくらかの犠牲者を出しながらも収束していった。
何人かの『取り逃がし』を除いて。そしてその中には、「赤髪のイザーク」の名前も含まれていた。
あの少年の残した言葉を反芻する。
またいつか会うことになる。
そんな不思議な確信を、俺は抱いていた。