第四十三話 「ツヴィーヴェルンの違和感」
砂糖菓子がこれでもかと盛られた皿がいくつも置いてある長テーブル。
二十人くらいは余裕で座れそうなその席に現在座っているのは俺ともう一人。
「クリス君はエリザベスの護衛をしてくれていたそうじゃないか。すまないね、あの不出来な娘の為に、わざわざ」
恰幅のいい小父様といった相貌の男、エリーの父であるシュトルムだ。
「いえ、こちらも報酬は頂いておりますので、当然のことです」
何で俺がこの人の相手をしなければいけないのかと思わないでもないが、それを決して顔には出さない。何せ、相手はこの都市の最高権力者。日本で言えば総理大臣級の要人である。
下手なことは言えない。そのことが更にプレッシャーとなって、俺の気を重くさせるのだ。
「クリス君のことはエリーから聞いていたよ。中々の好青年らしいじゃないか」
「恐縮です」
この言葉を何度口にしただろう。
何故かこのシュトルム卿は俺のことをべた褒めしてくる。エリーが一体どういう風に俺のことを伝えていたのか非常に気になる。
というか、当のエリーがこの場にいないってどういうことだよ。さっさとエマと二人で自室に引きこもりやがって。
「エリザベスは昔からどんくさくてなあ、君も道中は苦労しただろう?」
「いえ、そんな……助けられることも多かったですよ」
やりづれえ。
いつまでこの無意味な問答が続くのだろうか。
とはいえ、ここですぐに席を立つのも印象が悪くなりそうでいやだ。今後この人と対峙することもあるだろうからな。出来るだけ悪印象は与えたくない。
「おっと、もうこんな時間か。どうだね? 良ければ夕餉でも一緒に」
「えっと……」
どうしようか悩んでから、結局俺はその提案を断ることにした。
帰りが遅いと皆が心配するだろうし。
「すいません。今日はこのくらいにしておきます。また、後日改めて訪問させてもらってもよろしいですか?」
「ああ、もちろんだ。君とはもう少し話をしてみたいからね。いつでも来ておくれ」
そんなやり取りを最後に、俺はシュトルム卿との初対面を終えた。
それからメイドの案内でエリーの部屋へと向かい、きゃっきゃうふふと楽しんでいるエリーとエマを目にする。
へえへえ、楽しそうでよござんすね。こちとら胃に穴が空きそうだってのに。
「帰るぞ、エマ」
「えー、もう少し待ってよー」
「早く帰らないと皆が心配するだろうが」
「むー」
膨れながらも、部屋の片付けを始めるエマ。
好きにさせてやりたいが、今回は任務で来たのだから仕方がない。団体行動を乱してはいけないのだ。そこのところをしっかりと分かっているのか、エマも文句を口に出したりはしない。
子供っぽいところはあるが、根は良い子なのだ。
……って何で俺は父親みたいなことを考えてるんだよ。
「送っていきますよ。慣れない道では大変でしょうから」
エマの仕度も終わり、さて帰るかという段になってエリーが道案内を提案してきた。いくら道に詳しいといっても、帰りの危険性を考えればその提案を受けるわけにはいかなかったので一度は断ったのだが、
「だったら、クリスさんの泊まっているところにお邪魔させてもらえませんか?」
と、更なる提案をしてくるエリー。
珍しく強引な様子に違和感を覚えながらも、今後のことを考えれば少しでも情報が欲しかったため、連れて行くのもいいだろうと判断した俺は、結局エリーを連れて借家へと戻ることにした。
「両親は心配しないのか?」
「母はいませんし、父も放任主義ですので問題はないですよ」
お泊りということで、シュトルムの意見も聞いておいたほうがいいのではないかと聞くと、エリーは首を横に振った。
領主の娘にしては扱いが雑じゃないだろうかと思いつつ、しかしそもそも行商の旅をさせられていたのだったと思い直す。
どうも屋敷を見た後で、更にいつもより豪華な服装に身を包むエリーを見ていると良い所のお嬢さんみたいに見えて困る。実際にそうなんだけどさ。
次の日。
朝日が完全には昇りきらない時間帯に、俺達は集まっていた。
元々の八人に加えて、エリーまでいるのだからやや手狭に感じる部屋の中、今後の方針について話し合われていた。
例によって、司会進行を務めるのはカナリアである。
「まずは到着報告と被害状況の確認のため、ツヴィーヴェルン邸に向かうのが一つ。こちらは我と、クリス、エリーの三人で向かう」
カナリア言葉に俺は頷いて返す。
「それと平行して冒険者ギルドの方に向かい、依頼を受けてくるのがもう一組。こちらはユーリを代表に、ヴィタとイザークが同行してくれ」
「依頼って、具体的に何をすればいいんすか?」
「魔物の討伐、被害地域への援助、物資の運搬……とにかく必要と思ったものを順次こなしていってくれ。そこの判断は任せる」
「了解っす」
カナリア隊の副隊長でるユーリが軽い口調で応える。
こうして俺達の方針が決定した。
ちなみに、さっき名前の挙がらなかったアネモネ、クレハ、エマの三人は自宅待機となっている。
「それでは、行くとしよう」
音頭を取るカナリアに俺とエリーが続く。
てきぱきと指示をこなす姿は堂に入っていて、格好がいい。本当に男前な女だと思う。
「シュトルム卿は今日もご在宅と言う事だが、執務は自宅で行われているのか?」
「はい。父は滅多に外出しないので家に向かえばとりあえず会う事は出来ますよ。ただ……」
「ただ?」
口ごもるエリーは、実に言いづらそうに口を開く。
「父はその……少し失礼な態度を取るかもしれないので、先に謝っておきますね」
ぺこり、と頭を下げるエリーに、カナリアは構わないと手を振って答える。
「トップがへりくだっているよりは随分とマシではないか。それにシュトルム卿は商いに通じ、政策も優秀と聞いている。多少傲慢であっても当然だと思うが?」
「そう言ってもらえると助かります」
ほっとした様子のエリー。
しかし、シュトルム卿はそこまで横柄な人柄だっただろうか。昨日話をしてみた感じではむしろ好意的な態度だったように思うのだが。
「おおう……また立派な屋敷であるな」
ツヴィーヴェルン邸に着くや否や、カナリアが感嘆の声を上げた。
やっぱり最初はビビるよな。
「すぐに開けさせますんで、少し待っていてください」
そう言って門番に話を通しに向かうエリー。
まもなく門が開かれ、二度目の訪問となる。
「父は現在執務中とのことですから、小一時間ほど待ってもらってもいいですか?」
「突然訪ねたのはこちらだ。会ってもらえるだけ有り難い」
小一時間とは結構な待ち時間になるが、それでもそう言って身を引いたカナリアは現在、いつもの軍服に身をまとっている。
しかし、武装はしていない。その辺りは一応の礼儀として弁えているらしい。時折忘れそうになるが、このカナリアという少女は一般的な常識を持ち合わせている稀有な人材だ。
まあ、俺の周りに変人が多すぎるということで、相対的に常識人っぽく見えているだけの可能性も捨てきれないが。
ともあれ小一時間、何をするでもなくボーっと待っているのもつまらない。俺はこの機会にエリーと久闊を叙するのもいいだろうと、通された待合室にて話しかけてみる。
「よう、エリー。髪切った?」
「え? ……いや、切ってませんけど」
だと思った。
シアンブルーの髪は前回あったときより更に伸びている気がする。もう少しで腰まで届こうかという長さで、むしろ早く切ったほうがいいのではないかと思うほどだ。
「えっと……何だか不思議な感じですね。たった二週間程度しか離れてなかったのに、ずっと何年も会っていなかったような気がします」
「俺もそんな感じだ。もう少しで存在を忘れるところだったぞ」
「いくらなんでもそれは酷いですよっ!」
ガーン、といった擬音がぴったりな表情を浮かべながら肩を落とすエリー。
しょうがないじゃないか。だってお前、影薄いんだもの。
「うう……私は一日たりとも忘れていなかったのに……」
「いや、その……悪かったよ。こっちも色々あったんだ」
エリーを弄って遊ぶのはいつものことだったが、ここまで落ち込んだのは見たことがないな。流石にショックがでかかったようだ。
俺がエリーに何とかフォローを入れようとしていると、カナリアが横合いから現れて口を開く。
「クリスは、一時期すごく落ち込んでいてな。何をするにも手がつかず、食事ものどを通らずって様子で、エマも心配していたものだよ」
う。
あの時のことを言われると痛い。
帝都で救えなかった奴隷の少女。時間がなんとか解決してくれたとはいえ、あの時の無力感は到底忘れられるものではない。
「え? 落ち込んでいたって、クリスさんがですか?」
「ああ。今でこそ落ち着いているが当時は酷いものだった」
うんうんと腕を組み、頷くカナリア。
そこまで酷かっただろうか。自分としてはそんな気もしないのだが……カナリアが言うのなら、そうなのだろう。迷惑をかけた分、いつか返さないとな。
「そ、そうですか。クリスさんが……」
エリーと別れてすぐに落ち込み、任務を受けた頃には回復していた。
その事実をエリーがどう受け取ったのか知らないが、それからエリーはとてつもない上機嫌で俺達の相手をしてくれた。
メイドに頼み、いかにも高級そうな、そして実際に高級なのであろう茶葉や茶菓子を次々に運んでもらうエリー。人様の家で、しかも仕事中にばくばくと手を付けるわけにもいかず九割本気の遠慮をすることになってしまった。その辺り、エリーも相変わらず空気が読めない。
まあ、そこがエリーの可愛いところと言ってしまえば、それまでだけどな。
「……って、何考えてんだか」
エリーが可愛い? そんなこと、あるわけないだろうに。
百歩譲って可愛いにしたって、それは『馬鹿な子ほど可愛い』的な可愛さだ。そうに違いない。うんうん。
自分で自分の思考に突っ込みを入れながら、待つこと三十分程度。
執務を急いでくれたのか、思ったより早くに俺達はシュトルム卿との謁見を許された。
「よく来てくれたな、クリス君。昨日の今日だがまた会えて嬉しいよ」
「恐縮です」
シュトルム卿はまず、俺に向かって挨拶した。
見知った間柄なので、隊長であるカナリアよりも先に言葉を交わした事に不自然はない。そう、ここまでは、不自然はない。
「さて、帝都からの増援ということだったね。詳しい話を聞こうか」
執務に追われているのだろう。シュトルム卿は前置きもなしに、本題へと入った。『カナリアには一瞥
もくれず、俺に向かって』。
「えと……」
これには俺も焦った。普段から平常心を保つことを心がけ、全然出来ていない俺としてはいつもどおりに、驚いた。まさか俺に話を振るとは思っていなかったからだ。一応顔見知りで、初対面であるカナリアよりはいくらか話しやすいだろうが、これはれっきとした任務だ。ならば、その最高責任者とも言えるカナリアを立てるのが部下として、当然のことだ。
だから俺は、
「失礼ながらシュトルム卿。そう言った話をするのであれば、私よりもこちらのカナリア隊長となされた方が円滑に進むかと存じます」
と、失礼にならない範囲でシュトルム卿にカナリアとの話し合いを進めたのだが……それに対し、シュ
トルム卿は、
「そちらは『女性』であろう。話し合いになぞならん」
なんて、明らかに侮蔑の意味を込めた台詞を吐き捨てるように口にしたのだった。




