第三十九話 「初任務は唐突に」
「その頭の傷はどうしたんすか?」
衝撃の風呂場事件があった次の日。小隊の訓練に来ていた俺の頭に巻かれた包帯を見て、ユーリが心配そうな表情を浮かべていた。
「あー、何でもない。気にしないでくれ」
事情を説明しようにも、アネモネからあの出来事を忘却するように固く固く誓わされてしまったため、誤魔化すしかない。
俺の適当とも言える返事に、「中々大変そうっすね」と笑ってくれるユーリ。
初顔合わせのときは散々だったが、こうして普通に接してくれる彼らには非常に助かっていた。皆人間が出来ている。
「次っ」
カナリアの声が聞こえてそちらを見ると、地面に伸びているヴィタの姿があった。俺とユーリは互いに視線を通わせて、「お前行けよ」と存外に告げる。
「いや、ほら。俺怪我してるし」
「何言ってんすか。意識ある内は大丈夫に決まってんでしょ」
「…………」
「…………」
「ユーリ、来い」
「何で自分なんすかたいちょぉぉぉ! やめろぉ! 死にたくない! 死にたくなァい!!」
引きずられていくユーリに合唱して、瞑目。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏……
俺が手を合わせていると、カナリアはくるりと振り向き、
「次はクリスだからな」
と、死刑宣告を行った。
俺はこの時悟った。
人が死ぬのなんて、結局早いか遅いかの違いだけってことを。
訓練でへとへとになった俺は借家へと舞い戻る。
軍隊の訓練がこれほどきついとは思わなかった。吐くまでやらせるんだから効率的じゃねえよ。
「ただいまー……」
「あ、おかえりー」
「……おかえり」
声が一つ多い気がしたが気のせいだと自分を誤魔化しリビングに。するとそこには、何故かアネモネがいた。本当になぜだ。
「何でお前がここにいる」
「……遊びに来た」
「呼んだ覚えはないぞ」
「エマが呼んだんだよ。ねー」
「ねー」
妙に腹立つなこいつら。また俺はあの雑用役をやらにゃいかんのか。
「……今日は疲れてるから構ってやれんぞ」
さすがに体がだるかったので前もって釘をさしておくことにした。
「最近はクリスも真面目になったからねえ。よしよし、それならエマが料理を作ってあげよう」
「ああ、頼むわ」
正直料理をするのすらめんどくさい。料理当番をエマに任せた俺は円卓を囲む椅子に腰をおろす。さて、料理が出来るまで何をしようか。
テレビやゲームがあれば暇つぶしになるんだが、この世界ではそれも望めない。なので俺は、いつの世も変わらぬ娯楽を堪能することにした。
「なあ、アネモネ。何か面白い話してくれよ」
「……無茶振り」
「暇なんだよ。助けてくれ」
暇を持て余すと死んじゃう病なんだ。と付け加えると、アネモネはすぐさま治療院へ行け、頭の。と、相変わらずの無表情で辛らつな言葉を吐いた。
しかし、こいつの無表情も変わらないな。笑うとどんな顔するのか……ちょっと見てみたい。顔の造形だけは整ってやがるからな。こいつ。
「……あ、そういえば」
「お、何かあるの?」
はっ、と思いついた様子のアネモネは円卓に体重を預ける形でおいてあったそれを手に取り、こちらに渡してきた。
「……例のブツ、出来た」
「ん? おお! こいつは!」
「……貴方の刀、銘は『滅塵龍牙暗黒剣・紅蓮改』」
「そんなだせえ名前なの!?」
何だそのツッコミどころ満載の中二ネームは。センス尖り過ぎだろう、おい。
まず、黒なのか紅なのかはっきりしろ。それに改って何だ改って。ついでに剣じゃねえだろそれ。せめて刀にしろや。
「……むう。格好いいのに」
「いやいや! いまどき中学生でももっとまともなネーミングするわ!」
こんな名前の刀を持ち歩きたくねえよ。持ってるだけで恥ずかしいよ。
「違うネーミングはねえのかよ」
「……もう一つある、けど……」
「けど? とりあえず言ってみてくれよ」
「……………………花一華」
妙に渋ってから、アネモネはその名前を口にした。ハナイチゲ。
ふむ。滅塵龍牙暗黒剣・紅蓮改よりは随分いい名前だな。
「悪くないな。綺麗な音だし、適度に格好いい。うん。良いんじゃないか? というか俺はそれがいい」
滅塵以下略だけは嫌だからな。
「……そう」
アネモネは一度頷いてから、俺にその刀……花一華を渡してきた。
テレテッテテー。クリスは、【花一華】を手に入れた。
「……大切にして」
「おう。物を大切にすることに関しては自信あるぜ」
特に自信があるわけでもなく一般レベルの保管スキルなのだが、俺は大見得きってそう言ってやった。すると、アネモネは……
「……ありがと」
そう言って、薄く、本当に薄く笑みを浮かべた……ような気がした。
まあいい。いつかもっとはっきり笑わせてやる。
そんな妙な覚悟を胸に宿して、俺はアネモネから彼女の打った刀を受け取ったのだ。
帝都一の刀匠と呼ばれるだけあって、その刀身はどこまでも美しく輝き、全ての色を反射していた。そして、それが俺には……どことなく寂しそうに感じられた。
次の日。
俺がグレンフォードに向かうと、カナリア達が忙しなく動き回りながら、早口に言葉を交わしていた。何かあったのだろうかと思い、カナリアに聞いてみると、
「さっき軍から任務が与えられてな。すぐにここを出発して、出かけることになった」
「は? 任務って遠征の?」
「そうだ。向かうのはここから北の大地にある村なのだがな。そこで問題が発生しているらしく、その解決に迎えとのお達しだ」
あまりにも急すぎる任務に、俺は首をかしげずに入られなかった。そして、それはカナリア達にしても同じことだったようで、全員が疑問符を浮かべながらも遠征に向けて身支度をしていた。
「遠征には明日から向かう。クリスも今日は帰って準備してこい」
「了解」
帰れるってんなら断ることもない。俺は来たばかりのグレンフォードに背を向け、借家へと戻る。
……しかし、遠征か。面倒なことになったものだ。
俺は何が必要かカナリアに聞いておくべきだったと後悔しながら、持っていくものリストを頭の中で作り上げていく。
そうして家に戻ると、すぐに帰ってきた俺にエマが驚いた様子で事情を聞いてきたので、俺はカナリアに言われたことをそのまま伝える。すると、
「エマも行く!」
なんて、半分ぐらいは予想できていた言葉を口にした。
「いや、でもこれは軍の任務だから一般人は来れないだろ。何しに来たって話しだし」
「でも、クリスがいないとお買い物だって出来ないし……」
「金なら置いて行くし大丈夫だって」
なおも渋るエマをどうにかこうにか宥めて落ち着かせる。
「でも、でも……」
泣きそうな顔ででも、と繰り返すエマを見ていると悪い気分になってきた。どうにかしてやれないだろうか、なんてことを思っていたその時だった。
コンコンと、玄関のほうからノックの音が聞こえてきた。
とにかく、また後で話そうとエマに声をかけて俺は玄関へと向かう。押し入り強盗がないわけでもないから充分に注意して、扉をわずかに開けて視線を向けると、そこには、
「よう。久しぶりやね」
なんて暢気な声と共に片手を上げる、ヴォイドの姿があったのだ。
「ヴォイドか。どうした急に?」
相手を確認した俺は扉を開けて中に招いてやる。
こいつに家の場所を教えた覚えはないが、こいつのことだ。何を知っていても不思議ではない。
「お久しぶりです。クリス」
「おう。クレハも元気そうでなにより」
いつものように従者っぽくヴォイドの後ろにつき従うクレハとも軽く言葉を交わし、家の中へと。愚図るエマも、久しぶりの再開に喜んだ様子で彼らをもてなした。少しだけ機嫌が良くなったようだし、その点だけはヴォイドに感謝だな。
「それで、何のようなんだ」
「いきなりやね。もうちょっと再会を楽しもうや」
「こっちも色々忙しいんだよ」
「明日から遠征行くんだってのう」
「……なんでそのこと知ってんだよ」
本当に何でも知ってやがるな、こいつ。一々驚くのも面倒になってきたぞ。
「まあ、わしにはわしのコネっつーか繋がりがあるんよ。流せ」
「はあ……そんで、そういうわけだからこっちも時間がないんだよ。用件があるなら早く言え」
「まあ、一言で言うとな。その遠征、クレハを連れてってくれんかね」
「はあ?」
ヴォイドの用件とは、全くもって意味が分からないものだった。クレハを連れて行く? 出来るわけないし、そもそもなぜそんなことを頼むかが分からない。
「わしとカナリアだって知らない仲じゃないしのう。そこはわしから頼んでおくから問題ない。何なら、エマちゃんも連れて行けるように取り合ってもいいで」
ヴォイドの言葉に反応したのはエマだ。ほんとっ!? と、顔を輝かせるエマを落ち着かせ、話の続きを伺う。
「連れて行けるとしてだ、何で連れて行かなくちゃならないんだよ。そこが分からない以上お荷物でしかねえぞ」
ヴォイドの目的を問いただす俺に、しかしヴォイドはいつと変わらぬ様子で飄々と言葉を返す。
「何、わしも旧友の力になりたいってだけなんよ。わしは今帝都を動けれんし、クレハを貸すくらいしか出来んのが申し訳ないけどね」
と、これまた意味の分からないことを言い出したヴォイドに俺は再び首をかしげる。「旧友? 誰のことだ」と、尋ねる俺にヴォイドは「まだ知らんかったか」と前置きして、その衝撃の言葉を口にした。
「今回クリスらが行くのはつい先日、魔物の大量襲撃が報告された通商都市ツヴィーヴェルン。その名前に聞き覚えはあるやろ?」
「ツヴィーヴェルン? ってまさか……ッ」
「そう。エリーちゃんの生家が、今回の事件に巻き込まれとるんよ」
二週間ほど前に別れた少女、エリザベス・ロス・ツヴィーヴェルンの顔を、俺は衝撃と共に思い出していた。
『絶対、約束ですからねっ!』
いつか一緒に旅をしようと約束した、少女の言葉と共に。




