第三十七話 「アネモネ」
暗闇が支配するその場所で、少女はただただ祈り続ける。
助けたかった。
なんとかしたかった。
運命を、乗り越えてみせたかった。
だけど、幼い自分には何も出来なくて、愛しいあの人を守ってあげることが出来なかった。
だからこれは私の罪で、罰なのだ。
未来も、信念も、望みも、情熱も、覚悟も、憧れも、すでに磨耗して残ってなどいない。
しかしそれでも、たった一つだけ残っているものもある。
だから大丈夫。
さあ、もう一度、立ち上がろう。
最愛の人に向けた、愛を歌って。
──あなたが忘れてしまっても、私は決して忘れない。
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カナリア小隊専用の休憩室。
今日は初顔合わせだというのに、俺は再会したイザークに平常心を保つことが出来なかった。
何があったのか、目の前の少女に説明しようかどうか逡巡し……
結局、俺はカナリアに打ち明けることが出来なかった。
──イザークとの過去の因縁。
──英雄になるという虚飾に塗れた夢を、自ら踏みにじったこと。
それらを目の前の少女に打ち明けることがどうしても出来なかった。
「……すまない」
「謝る必要などないさ。だが、相談ならいつでも乗る。それだけは覚えていてくれ」
「ありがとう、カナリア」
ここ最近の俺の態度は決して良いものではなかったが、それでも真摯に接してくれるカナリアがあり難かった。
だからこそ、自分のようなものに彼女の時間を割いてしまうのが申し訳なく感じて、俺はカナリアから逃げるように部屋を後にした。
今日が小隊の初顔合わせだというのに……ああ、くそ。やっちまったな。
皆は俺のこと、変な奴だと思ってるだろうな。自業自得といえば、それまでだけど。
「……どうするかな」
すぐに家に帰るのも嫌だった俺は、ふと目に付いたそこへと足を向けることにした。あれ以来、一度も向かっていないし進捗を聞いてみるのもいいだろう。
それに、一人で鬱々としているよりは誰かと会ったほうが気晴らしになるだろうしな。あんまり親しすぎると、逆に気を使っているのが分かって嫌だし、『彼女』くらいの親しさの人物がちょうどいい。
そう思って向かった先は、カンカンと小気味いい音が断続的に鳴っている刀匠・アネモネのいる工房だ。二度目になるが、中は単純な構造だから迷うこともない。
かつてアネモネのいた方向を目指して歩きながら、誰かいませんかーと声を張り上げる。
すると程なくして、前回と同じようにアネモネはその小さな背丈でひょこひょこと歩きながら現れた。
銀髪に煤がついている。作業中だったのだろうか。
「よう、また来たぜ。今暇か?」
俺は出来るだけ気さくに話しかけたつもりだった。
しかし、
「……帰って」
アネモネから返ってきたのは冷酷な声と、警戒心に満ちた視線だった。
「あれ?」
明らかに機嫌が悪いアネモネ。いや、あれは機嫌が悪いとかって次元じゃない。俺を完全に拒絶している。
もともと無愛想な奴だったが、ここまで敵愾心むき出しではなかったはずだ。カナリアと一緒じゃないから、男の俺を警戒しているのかもしれない。
「大丈夫、大丈夫。ちょっと遊びに来ただけだからさ、変なことはしないって。そう警戒しないでくれよ」
「…………」
うわー、全然信じてないよ、これ。
めっさ見てるもん。めっさ警戒してるもん!
「俺、安全、君、スパナ下ろす。おーけー?」
なるべく分かりやすく俺は彼女に俺の安全性を説いてやる。
というか何でスパナなんて持ってんだよ。刀を打つのに関係ないだろう。
今にも投げつけてきそうなそれを下ろさせるのに、さらに五分程度の説得が必要だった。やっぱり来たのは失敗だったかもしれん。
「……何のよう」
「だから言ったろ。暇だから遊びにきただけだって」
「……ここは遊ぶところじゃない」
そんなことは分かっとるわい。
だけど、下手に突っ込むとまた機嫌を損ねかねないので黙っておく。
「何となく、お前に会いたい気分だったんだよ」
「……ナンパ?」
「違うわ! 誰がお前みたいなロリの相手するか!」
どうせナンパするならせめてカナリアくらいの胸は欲しい! って、結局突っ込んでしまった! しかも軽くディスってるし!
やっちまったと頭を抱える俺を、怪訝な面持ちで見るアネモネ。
目が言っていた。本当に何で来たのだと。
「ま、まあ暇なら相手してくれよ」
「……生憎、暇じゃない」
「嘘つけ、スパナ持ってるじゃん。どうせスパナごっこでもしてたんだろう」
「……信じられないなら、来る」
そう言って工房の奥へと向かっていくアネモネ。
その背を追っていくと、太いパイプが立ち並ぶ廃熱施設のようなところへ辿り着いた。それがどういう役割を持っているのか俺の知識では分からなかったが、何だか大切そうなものだということは理解出来た。
「……ここ、見る」
そう言ってアネモネがスパナで指した方向へ目を向けると……なるほど。鉄パイプの一部が外れてしまっている。それを直すために螺子を締めなおしていたのだろう。
「……ここは熱が良く通る。だからたまに見てやらないと脆化してるとこがあって危ないの」
「ほうほう。要は熱膨張して大変ってことか」
「全然違う」
知ったかぶってみたが、どうやら空振りだったようだ。
おかしいな。金属って確か、熱して冷やしてを繰り返せば脆くなるんだよな? てっきりそのことを言っているのだと思ったのに。
「……それは炭素含有量の大きい金属の話」
「あ、そうなの」
「……それに単純に脆くなるだけじゃない。硬さを保つためには脆性劣化は避けられないけど、軟鉄を挟むことで強度を上げられる。そして、それが刀の基本的な作り方」
かつてない長台詞を吐いたのは彼女の得意分野だからだろうか。饒舌なアネモネというのも中々どうしてイメージと合わないものがある。
しかし、ここは褒めておくのが吉だろう。悔しいけど。
「いやー、アネモネちゃんは偉いですねーよちよち」
「…………」
「あれ? 怒ってる? やめて! スパナ振り回さないで!」
静かに憤慨したまま、ブンブンとスパナを振り回すアネモネ。
少しからかいすぎたようだ。
身体的特徴ってネタにしやすいからつい口を出てしまうんだよな。性格が悪いのは自覚してる。すいませんでした。
「……私、十六歳。あなたより年上」
「からかって悪かったって。そう怒るなよ……ほら、俺も手伝ってやるからスパナ寄越せ」
お詫びに俺は何をやっているのかイマイチ分からない作業を手伝うことにした。んっ、と某ジ○リ映画に出てくる少年のように手を差し出す俺。傘は握ってないけどな。
「…………」
武器を手放すのが怖いのか、躊躇った様子を見せるアネモネ。
若干の戸惑いを見せてから、おずおずとアネモネはスパナを手渡してきた。
「うし、まずは何からすればいい?」
「……あっち」
それから俺は、アネモネの指示に従って作業を進めていった。
もしかしたらアネモネが一人でやったほうが良かったかもしれない。こういった作業なんてしたことがなかった俺は、手間取りに手間取ったのだ。
「……ありがと」
しかし、全ての作業が終わったときにアネモネはそう言ってくれた。
それが妙に嬉しくて、また来るよ、と言い残してその日は工房を後にした。
思ったより良い気分転換になった。なんだかんだでアネモネを弄ってると楽しいし。ぜひまた行くことにしよう。
特にアネモネから拒否もされなかったので、俺はそう心に決めて帰路についた。少しだけ晴れた心の内を自覚しながら。
クリスが工房を後にしてから数分後。
その人物は夜の帳の中、ゆっくりと姿を現した。
アネモネはその姿を見つけて、また来たのかと嘆息する。この神出鬼没な男の出現もいい加減に慣れてしまっていた。
「久しぶりやね。アネモネ」
「……久しぶり」
和風な服を、着流すように身にまとう青年、ヴォイド・イネインであった。
「……もしかして、見てた?」
「ん? クリスと一緒に仲良さそうにしてたことか? 見てないぞ」
「……しっかり見てる」
「仲良さそうってとこは否定せんのやね」
「…………」
ぶん殴ってやろうかと半ば本気で思っていた。それを実行に移さなかったのは、過剰反応するってことは図星か? と、からかわれるのが目に見えていたからだ。
だからアネモネは、大体いつもしている憮然とした表情をより一層際立たせて、「……何の用」とヴォイドを問い詰める。
「いや、用ってほどのもんじゃないんじゃけどね。ちょっとクリスのことで説明したほうがいいと思ってのう」
「……説明?」
「おう。アイツが転生者だってのはもう気付いとるじゃろ?」
「……もちろん」
「アイツはようやく見つけた『白色』なんよ。間違っても手を出さんようにね」
なんでもないように語ったヴォイドの言葉に、アネモネは目を見開く。
「いやー長かったわ。でもようやくこれでわしも帝都に腰を落ち着けられそうじゃ。三国会議も近いしタイミング的にはばっちしじゃね」
「……おめでと」
白色の発見。それはつまり、彼の計画の第一段階が完了したということだ。
そして同時に、第二段階の始まりでもあった。
だからこそ、彼が何を言い出そうとしているのか簡単に想像がついた。
「アネモネ、アイツのこと担当してくれんかのう」
思ったとおり。アネモネは即座に頭の中で準備していた言葉を吐き出す。
「貴方がすればいい。私は今、忙しい」
「そこんとこ何とか頼めんかのう? こっちも会議の準備せんといけんし、色々と手一杯なんよ。クリスはアンタのこと妙に気に入ってるみたいやし、それほど難しくはないと思うで?」
しかし、ヴォイドは簡単に引こうとはしない。それだけ彼にも余裕がないということだろう。実際面倒という気持ちがあるものの、スケジュール的にそこまで詰まっているわけでもない。それに加えて、あのクリスとか言う女みたいな相貌の男はまたここに来るだろう。
ならば結局、受けても受けなくてもかかる労力は大差ない。
最終的にそう判断したアネモネは、ヴォイドの頼みを引き受けることにした。
ああ、面倒だ、と嘆息しながら。




