「激化する戦場」
夜の帝都、その主な戦場は二つ。
一つはグレンフォード。二人の賊によって攻撃を受けたその戦場は、奇跡的に均衡が保たれていた。
「敵はたったの二人だぞ! さっさと殺せ!」
グレンフォードの警備を任されていた第四大隊隊長、マシュー・スタンの怒号が響き渡る。
「絶対に門に近づけさせるな! ここ以外に中へと進入する道はない! しっかりと見張っていろ!」
何人かの部下にそう告げて、マシューは戦線を押し上げることにした。
第四大隊は防御と防衛に特化した隊だ。第五大隊の隊長、レオナルドほど個人の武勇に特化してはいないものの、マシューの本領はその統率力にあった。一糸乱れぬ連携を見せる兵士達は、その反逆者を着実に追い込んでいく。
「ちぃ!」
その反逆者であるところの俺は舌打ちをして、後退を続けざるを得ない状況だ。
アドルフと別れてから、すぐにここまで来たのだが……流石に防御が厚い。俺がここを突破するのは不可能に見える。流石の防衛力といったところか。
何とか攻撃を避けて、即死しないようにするので精一杯だ。
飛んでくる矢を剣で叩き落し、魔術を魔術で相殺し、兵士を体術にてひれ伏す作業を続けながら、いつ死ぬとも分からない戦場を俺は駆け抜ける。
しかし、どうしても意識の外を付いてくる攻撃と言うのは存在する。そして、それを打ち落とすのがヴィタの役目だ。
バシュッ! と、時折飛んでくる矢が正確に俺を援護する。超長距離の狙撃を可能にしているヴィタの力量には舌を巻く。この遠距離からの一方的な攻撃こそが、ヴィタの持ち味だった。
「弓兵を探せ! 援護がなけらばあの小僧もおしまいだ!」
「そ、それが探索は続けているのですが、中々姿が見えなくて……少なくともむこう三百メートル以上は離れた位置から撃っている様なのですが……」
「三百だと!? 馬鹿を言うな! しっかりと探せ!」
ははは、焦ってる焦ってる。いい調子だ。
このまま状況を維持していれば、いつか活路は見えるだろう。
俺は僅かな光明を見出して戦場を駆け抜ける。
大きな怪我を負わないことを第一目標にして、ヴィタの援護有りの状況ならば耐えられる。
第四大隊は防衛に特化した隊であるから、盾や遠距離からの攻撃を得意とする兵が多く、中々決定打を生み出せていない。彼らは向かってくる敵に対しては強いかもしれないが、逃げ回る敵には上手く機能しないのだ。
とはいえ、耐えて十分といったところだ。
不利な状況であることは否めない。そんな滅びの見える拮抗状態のこの戦場。それとは逆に、波乱に塗れているのがもう一つの戦場だった。
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時は少しばかり進み、クリスが借りていた家の付近にて、ユーリは未だ抵抗を続けていた。
圧倒的に不利な戦況下で既に一時間近くも戦い続けたユーリは満身創痍。崩れ落ちそうになる体を奮い立たせ、声を張り上げることで自身に気合を入れる。
「おっ、おおおおおおお!」
雄たけびを上げて、金砕棒を振り下ろすユーリ。普通の人間なら下敷きになるだけで潰れてしまうであろう重量を伴ったその一撃を、メキメキと妙な音と共に受け止めた男がいる。
「まだまだ軽いぜ!」
第五大隊の隊長、レオナルドだ。
「ぐっ」
ありえない、ありえない。なんだそれは? 何で素手で俺の金砕棒を受け止めることが出来る?
激突を始めてすでに時間が経っているが、未だユーリはレオナルドに一撃も入れることができていなかった。いや、攻撃自体は当たっているが彼に対してダメージらしきダメージが入っていないのだ。
「化け物め!」
「お互いな!」
指を鳴らしながらレオナルドはユーリを攻め続ける。金砕棒は攻撃にこそ絶大な威力を発揮するが、防御となればその取り回しにくい形状と重量が、むしろ足を引っ張っている。
「ぐあああああああッ!」
「ほらほらァ、また『一本』もらいだぜっ!」
激痛に汗の玉を額に浮かべるユーリ。興奮状態にあっても、その痛みまでは消し去ることが出来ない。
「もう『十三本』だぞ? そろそろ諦めたほうが楽になれるんじゃないか?」
ニヤニヤと笑うレオナルドの顔には隠しきれない嗜虐心が浮かび上がっていた。腹立たしい。何よりこんな相手に歯が立たない自分自身に、ユーリは憤慨していた。
体中を苛む激痛に動くことすら億劫になるが、その雑念を気合で払い再び突貫する。攻めて、攻められ、攻めて、攻められ。幾度となく繰り返したその激突は傍目から見ても分かった。これは勝負にすらなっていない、と。
「づぅ……ッ!」
「はい十四と十五本目」
バキッ、とこの数分で聞きなれた音が耳を打つ。
鼻骨、頬骨、左肩甲骨、上腕骨、指骨、胸骨、肋骨。
体中の至る箇所で、ヒビや骨折が生じている。その箇所、計十五ヵ所。普通なら歩くことすらままならない状態だ。
「ぐ、おおおおおおッ!」
だというのに、ユーリは戦うことをやめない。
それだけが、自分の唯一の取り得だから。これ以外で、彼女に対して報いる方法が思いつかないから。
友人であり、仲間であり、恩人であり、そして想い人であるカナリアに対する最初で最後の恩返し。ここで男を見せなくていつ見せる。
「こんな所で、退けねぇんだよぉおおおおおおおおおおお!」
轟ッ、と風を引き裂いて突撃するユーリ。
だがしかし……
「はいはい、お疲れさん」
帝国軍最強と名高い、レオナルドには適うはずがなかった。
レオナルドの拳が金砕棒を粉々に打ち砕く。幾度となくぶつけられた衝撃に、レオナルドの拳よりも先に金砕棒が耐え切れなくなっていたのだ。
武器を失ったユーリにすでに、勝ち目はない。
それでもユーリは退かない。
──ゴキャッ。
肩の骨を外される。
しかし、それでもユーリは退かない。
──ボキッ!
足の骨を砕かれる。
しかし、それでもユーリは退かない。
──グチャリ!
手刀が体を貫く。
しかし、それでもユーリは退かない。
譲れない、想いがあったから。
──『我にはお前が必要なのだ、ユーリ』
誰からも必要とされない一生で、初めて誰かに必要とされた。
その事がただただ、嬉しかったのだ。涙が出るほどに。
「俺にとっちゃあ、それは特別なんだよ……誰にも理解されねえだろうけどよ。俺にはそれだけで充分なんだ。それだけで──命を賭けるには、申し分ねえんだよ」
人は一人では生きられない。孤独死、なんて言葉があるのがその証拠だ。そのことを、ユーリは誰よりも誰よりも理解していた。
それはただの依存心だと、笑いたい奴は笑えばいい。
それでも、それこそがユーリ・クラフトという男の行動原理であり彼の覚悟なのだと、高らかに歌い上げよう。誰がなんと言おうと──
「俺の生き様を笑わせねえ」
ボロボロの状態でも、ユーリは決して生を諦めない。
ここを死地と決め、決死の覚悟で抗い続けるユーリが歩みを止めたのは、それから更に数十分後のことだった。
「う、あ……」
顎の骨を砕かれたため、満足に言葉も出せないユーリがフラフラと突撃を続ける。服は血まみれ、体はバキバキの状態にあってユーリを突き動かすのはかつての誓い。
そして、惚れた女に対する矜持だけ。
狂気とも呼べるその姿勢に、レオナルドは感嘆していた。
「ここまで馬鹿を貫ければ見事としか言いようがないな。俺とタイマンでここまで食らい付いてきたのはお前が初めてだ。誇れ」
どこまでも尊大な口調ではあるが、確かにユーリを認める言葉だった。
そしてその言葉を最後にレオナルドの拳がユーリに叩き込まれ、遂に立っていることすら出来なくなり、ユーリは地面に派手に転倒した。
しかし、それでも……ギリギリと、ユーリは唯一動かせる右手でレオナルドの左足を掴んでいた。すでに常人程度の握力しかなくなっているそれはレオナルドに何の痛痒も与えない。
ボロボロのユーリの頭にあるのは果てしない怒りだった。
俺は……大切な人の為に、力になってやることすら出来ないと。
カナリアの為に、鬼になると誓った男は涙を流し、己の無力さをかみ締めていた。俺はここで死ぬ。だが……カナリアが救われるのならそれでいい。
皆はどうなったのだろう。別れてからかなりの時間が経ったが、カナリアは救い出せているのだろうか。
いや、どちらにしても自分に出来ることはもうない。ならば後は仲間を信じるだけだ。
(後は……頼んだっすよ。皆……)
そんな一縷の望みを仲間に託し……ユーリは意識を手放した。
次の瞬間のことだ。
カナリアを愛した男が一人……この世を去った。
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ユーリが倒れる少し前のこと。
「はあ、はあ……」
帝都の街並みを遮二無二駆ける影が一人。
「いたぞ向こうだ! 回りこめ!」
真っ白な髪を煤やら埃やらで汚したクリスであった。
たった一人で駆けるクリスを追い込まんと、軍人達が周囲を駆け回っているのが分かる。逃げ切れるだろうか。それすらも分からない。だが、やらなければいけない。それが自分に残された唯一の道だから。
そう……
グレンフォードでの戦いはクリスの敗走と言う形で終わっていた。
帝都の空を、どんよりとした雨雲が覆い始める。
月明かりは未だ、見えない。




