「刃の重み」
「……何を、言ってる」
戦うのが怖いんだろう。
そう言ったアドルフに、俺は声を絞り出すようにして反論する。
「ははっ、戦うことが怖い? もしそうならとっくの昔に逃げ出してるって。そんな奴がどうしてこの場に留まってるってんだよ」
「……私は覚えているぞ。クリスタを助ける為にイワンへと戦いを挑んだお前の姿を。お前は自分が危険に晒されているときは、どこの小鹿だと言いたくなるほど頼りないが……好きな子を守るときだけ、私にも負けない気概を見せる」
そう言って剣の切っ先を下げるアドルフの言葉を反芻する。
好きな子を守るときだけ、か。
「お前は戦うには臆病で……優しすぎる」
「俺は……」
この世界に来て、初めて刀剣類を目にした。初めて魔術という兵器に触れた。初めて……人を殺した。
「お前のことは赤ん坊の時から知っている。お前がどういう奴かなんて、私以上に知っている人間はいないだろうよ。その私が言うんだ、間違いない。お前は──戦いなんて向いていない」
断言するアドルフ。
そしてその言葉は……間違いなく、本質に迫っていた。
俺は戦いなんて好きじゃない。
血を見るだけで卒倒しそうだし、肉を食うのにも抵抗が出来た。
剣を持たないのは、間違っても殺してしまわないため。剣では手加減がしにくい。魔術のほうがよっぽど楽なのだ。
殺すのも、殺されるのも怖い。
当たり前だろう?
戦いってのに直に触れちまえば誰だって思う。こんなのは御免だと。後に残るのは死か、後味の悪い勝利だけ。ふざけるなって話だ。
戦いってのも目にするたびに、俺は思う。
こいつらは揃いも揃って頭にウジでも沸いてるのかと。なぜ嬉々として己の命を投げ出せる。お前にとって、お前とはそれほど価値の低いものなのかと。
「その気持ちは良く分かる。意外に思うかもしれないが、これでも昔は虫も殺せぬ臆病者だったんだよ、私は」
ふっ、と薄く笑ってそう言ったアドルフ。
それから真面目な表情になり、
「ヴェール領に戻らないか、クリストフ」
突然、そんなことを言い始めた。
「あれから年月も経った。少し変装をすればお前のことに気付くものもいないだろうさ。領主として、戻ってくる許可を正式に出してもいい」
「な、なんで……」
「本当は無理やりにで連れ帰るつもりだったんだけどな。なんとなく、キチンと話してみたくなった。どうだ、クリストフ。私と……俺と、家に戻らないか?」
それは……とてつもなく、心を揺さぶられる提案だった。
ヴェール領にはサラも、クリスタもいることだろう。色々と問題はあるだろうが、領主であるアドルフがそういうのなら一番大きな障害はなくなったに等しい。
思ったことがないわけではない。こっそりと、ヴェール領に戻ることが出来ないだろうかと。メテオラがあればそれも不可能ではなかったからだ。
それでも……それでも俺がそうしなかったのは、アドルフや皆に迷惑をかけたくなかったからだ。俺がいることで、彼らに余計な負担を強いることになるのを、どうしてもよしと出来なかったからだ。
けれど……
「サラも、クリスタもお前がいれば喜ぶ。一緒に帰ろう、クリストフ」
そんなことを言われたら……固めた決意が揺らいでしまう。
悩んだ時点で、俺はヴェール領に戻るという選択を、選択肢に入れてしまっていた。かつての楽しかった日々を夢想する。
また、もう一度。そう期待せずにはいられない。
運命の天秤が、逃避へと傾いた。
──その瞬間のことだった。
『クリス君、我は君が欲しい』
脳裏に、一人の少女の影が過ぎ去った。
「……そうか。それがクリストフの『答え』か」
気付けば俺は兵士の死骸から一本の剣を拾い、構えていた。ほとんど無意識のことだった。
俺の心が、逃避することを拒んだのだ。これが、逃げ続けた俺の弱さを完全に振り切った瞬間だった。
「戦うんだな」
アドルフの問いに、俺は頷き口を開く。
アドルフには、俺の心の内をはっきりと伝えるべきだと思ったのだ。アドルフが、俺に対してそうしてくれたように。
「借りがあるとか、志を共にした仲間だからとか、色々理由付けは出来るけどさ。結局のところは全部、そこに繋がってるんだ」
ヴィタに言ったときは、半分以上が冗談だった。
しかし今は、純然たる本心としてその言葉を口にする。
「俺は、カナリアのことが好きなんだ」
あの光のような少女のことが、あの料理の下手な少女のことが、あの無鉄砲な少女のことが、あの堅苦しいしゃべり方の少女のことが、あの意外と健啖家な少女のことが、あの時たま可愛らしい仕草を見せる少女のことが……好きなのだ。誰よりも、誰よりも。俺はカナリア・トロイという少女を、愛していた。
憧れていた。この人のようになりたいと。
羨んでいた。この人のようになりたいと。
求めていた。この人のようになりたいと。
そして、いつしかそれは恋へと変わっていた。この人と、共にいたいと。
「……本当にお前は、私に似ているよ」
告白する相手が違うだろうと、アドルフは笑い、
「行け、クリストフ」
剣の切っ先を俺とは反対側、グレンフォードの方角へと向けた。
「お前が剣を取ったんだ。私の告白は失敗に終わったってことだ」
「気色悪い言い方するなよ、父さん」
「馬鹿言え、息子からいきなり『好きな子が出来た』なんて言われた父親の気持ちがお前に分かるか。果てしなく気持ち悪いぞ」
お互い様だ、そう言って俺たちは初めて笑みを交わす。
「一緒には行けないが、せめて帝国軍の撹乱くらいには手を貸してやる」
「……ありがとう」
万感の想いを込めて、俺はアドルフに感謝の言葉を送る。
それに対してアドルフは一度だけ、頷く。もう行け、とそういうことなのだろう。俺たちは語り終えたのだ。
故に舞台は次の幕へと移る。
アドルフの姿を越して、俺はグレンフォードへと向けて走り出した。
二度と、振り返ることもないまま。
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ふぅ、とため息を付いてアドルフは空を見上げた。
そういえば、あの日もこんな曇天だったよな、と。
守りたい者がいた。それだけで男は強くなれる。それがアドルフの持論であり、経験則だった。そしてその系譜はしっかりと息子にも受け継がれているようだった。
そのことを確認できただけでも、父親冥利に尽きるというものだろう。本当なら、クリストフを引きずってヴェール領へと戻るのが理想だったのだが、息子にああまで言われては諦めるよりない。
一言で言えば、アドルフも、サラも、クリスタも振られてしまったのだ。クリストフは今、一人の少女のことしか見えていない。
三人がかりで、一人の少女ほどの重さにもならなかったというのだから、クリストフの思いは本物だ。だからこそきっとアイツは成し遂げるだろうと、アドルフは根拠のない自信を浮かべるのだ。
「相手は飛竜どころの騒ぎじゃないが……ま、何とかしろよ。男の子だろ?」
去っていった息子の背に、届かない最後のエールを送るアドルフ。
もしかしたら、アイツが嫁を連れて帰ってくる日が来るかも知れないとほくそ笑みながらアドルフはゆっくりと歩を進める。クリストフとは、逆方向へと。
「あーあ、クリスタちゃんになんて言おうか。絶対泣くよなぁ、これ」
なんて、ぼやきながら。
一人の男の脚本が、崩れ去った瞬間だった。




