「運命交差」
レンガ造りの建物を視界に収めながら、深夜の帝都を疾走する人影が三つ。
「…………」
誰も何も語らない。
強襲を受けるという予定外もあったが、ユーリがあの場を引き受けてくれたおかげで事前の打ち合わせから大きく逸れることなく事態は進行している。
「クリス、私はここで離れるわね」
「分かった。援護は頼むぞ」
短い会話にお互い頷いて、俺たちはそこで道を違えた。
ヴィタには高所から俺の援護を頼んでおいた。弓兵である彼女は囲まれればなすすべがない。故に狙撃ポジションを確保することが肝要になる。
後はヴィタの援護を受けながら、俺がグレンフォードに待ち受けているだろう兵士を撹乱すればいいだけ。
言うは易し、行うは難し。
だが、やるしかない。その覚悟は出来ている。
しかし、そこはいいとして……
「……妙だな」
敵の数が少なすぎる気がする。
ユーリの方に集まっているにしても、全く遭遇しないというのはどういうことだ。グレンフォードに向かう道は最も警戒されて当然だと思うのだが……
静かに過ぎる帝都を走りながら頭を過ぎったその疑問。
それに対する答えはすぐに見つかった。
「……は?」
路地裏から大通りに移ったとき、その光景が視界に飛び込んできた。
街灯の明かりがチカチカとそれらを映し出す。
最初に目を引いたのは赤。紅の液体が、ひび割れた路面の傷跡に沿うようにして流れ、まるで何かの紋様のように赤色の曲線が帝都の地面を彩る。
紅の流出元である黒の軍服を身に纏う軍人達が数十人。その全てが……斬殺されていた。
「…………」
斬殺、惨殺、鏖殺。
命の鼓動が全く感じられないそれらは既に骸と成り果てていた。
いかな惨劇がこの場を襲ったのかは分からない。そして、この惨状を生み出したのが誰かも分からない。全てが、分からなかった。
「分からないって顔だな」
「…………え?」
「お前にはお前の思惑ってのがあるんだろうけど、私だって黙ったままじゃいられんのだよ」
「……あ、あんたは」
声が震える。
死体の山の頂点に君臨する人物が一人。
ゆっくりと存在感を膨らませていく人物。むせ返る様な血の匂いが鼻腔を刺激する。返り血に塗れたその姿を見れば、すぐに理解できた。この人物こそがこの地獄を作り出した張本人だと。
「呆けるな」
呆然とする俺に、その人物はたしなめるような口調で声を発した。
ああ、叱られることさえ懐かしいと思う。
帝都にいるであろうことは分かっていたが、まさかこんな所で会えるなんて思わなかった。
「と、父さん……」
愛した父の、姿がそこにあった。
はは、全く変わってないな。
「何で、ここにいるんだよ。それにこの死体は……」
周囲を見渡しながら、俺はアドルフに歩み寄った。
いや、歩み寄ろうとして、
「止まれ」
剣の切っ先をこちらに向けたアドルフの制止によって、阻まれた。
「父さん?」
「……言っただろう。私にだって望む結末があると」
その言葉と、雰囲気からはっきりと理解させられた。アドルフが……俺を拒絶しているということを。
私。その一人称は公私を分けるアドルフの公の方だ。
「な、なんで」
思わず漏れた問いに対してアドルフは、
「グレン元帥が各国に宣戦布告を発したのはお前も知っているだろう。それに対する私の答えがこれなのだ」
すでに真っ赤に塗れた剣を構えるアドルフ。
その殺気は真っ直ぐに俺へと注がれている。
「う、嘘だろ……」
アドルフは……本気で俺を殺すつもりなのか?
「行くぞ!」
たじろぐ俺を、アドルフは待ってはくれない。
駆け出してきたアドルフに、全く戦闘準備の出来ていなかった俺はただ後退しながら剣筋をかわすことしか出来ない。
「話を聞いてくれ!」
アドルフは恐らく、帝国軍人をターゲットにして凶行に及んでいるのだろう。ならば俺が反乱軍として帝国に矛を向けてたことを説明すればこの不毛な戦いを終わらせることが出来る。
そう思っての呼びかけだったが、
「シッ!」
返ってきたのは斬撃の嵐だった。
カナリアに勝るとも劣らないその剣筋を何とか捌く。
昔は気付かなかったが、この父は……化け物だ。メテオラを使っていなかったとはいえ、かつてあのイザークとサシで互角にやりあっていたのだからその実力の高さも伺える。
そんな相手の攻撃にいつまでも耐えられるわけがない。
話を聞いてもらうためにも、本気で向き合うしかない。
決意を固めた俺は右腕に魔力を集中、練り上げ、何千回となぞった型と共に俺の生み出せる最高の一撃を生み出す。つまり、
「流星光底!」
赤色に輝く流星がアドルフに迫り……
「発勁・鉄破!」
──ドンッッ!! と激しい衝突音を轟かせ、同じく掌底を繰り出したアドルフの一撃に相殺される。
全くの同威力。一拍遅れて衝撃が大地に刻まれ、大気を揺らす。びりびりと腕から伝わる衝撃に奥歯をかみ締めながら俺は驚愕していた。
思えばそれも当然のことなのかもしれない。俺は父を師として体術や剣術の基礎理論を叩き込まれた。そこから派生した技、つまりは互いに使用する武技が似通ってくるのはある種の必然。
魔力を応用した技と、体技を応用した技であるという点こそ違うが、生み出される結果は同じ。そのため、互角の戦いが展開される……わけではない。
「が、ハッ!」
衝撃の影に隠れる形で接近してきたアドルフの持つ刀の柄が俺の腹部を叩く。アドルフはそのまま左足を軸に半回転。遠心力を存分に乗せた回し蹴りで俺を追撃する。
しかし、その動きも予想は出来ていた。
俺は半ば自分から吹き飛ぶようにしてその威力を減衰すると同時に距離を取り、
「燃え盛れ──《デア・フレア》!」
牽制気味の炎の壁を作り出す。
それともう一手!
「轟け、奔れ──《デア・ドンナー》!」
炎の壁は追撃を阻止する防波堤であり、そして次の魔術を隠すための目くらましだ。炎の壁を突きぬけ、反対側にいるであろうアドルフに黄金の閃光が奔る。
手加減はした。死にはしない。だが、いくらなんでもやりすぎたかも知れないと、雷の威力で捲れあがった路面を見ながら俺は一息つく。
パチパチと炎が周囲を照らす大地の上に、
「……もう終わりか」
その鬼は、立っていた。
手加減はした。
しかし、それでも間違いなく意識を奪う威力は込めたつもりだし、実際そうなるはずだった。だというのにアドルフに全くひるんだ様子はない。
たった一振りの剣を握っているだけの男に、俺は果てしない恐怖を感じた。
「う、ああああああ!」
殺される。
脳裏を過ぎったその不吉な予感を振り払うように、俺はアドルフに突進した。
それは破滅へと突き進む無謀の突貫。しかし、アドルフと相対したものは少なからずそう言った焦燥感に蝕まれる。怖い、怖い。ただその一念に支配されるのだ。
彼の瞳に、射抜かれてしまえば。
「発勁・写世」
くるりと世界が反転する。
投げ飛ばされたのだと気付くのに、数拍の間が必要だった。それほどに流麗な動きをもって、制されたのだ。
大地を無様に転がる俺に、アドルフが問いを放つ。
「クリストフ。どうして武器を手に取らない」
「……え?」
「お前には剣の技を伝えたはずだ。それ以外の武器にしても、使えないということはないはずだ。それなのになぜ、お前は無手なんだ」
アドルフの疑問も、至極真っ当なものだ。
戦いにおいて、武器の有無は戦況を左右する重要なファクターであるから、全く武装をしていない俺は圧倒的な少数派だ。
魔術戦が得意だから、金に困っていたから、必要を感じていなかったから。
色々と答えは浮かぶが、そのどれもが正解で、そして同時に不正解でもあった。
「…………」
俺は押し黙る。
父に嘘など、つきたくなかったから。
「私にはなんとなく、分かるがな。クリストフ、お前……」
アドルフは俺に一歩踏み出して、その決定的な台詞を吐いた。
「戦うのが、怖いんだろう」




