第四話 「風の悪戯」
「クリスタ!」
アドルフに許可をもらい、屋敷を出た俺はその人影を見つけて駆け寄っていた。
手を振りながら走る俺を出迎えてくれたのは金髪の少女、クリスタだ。
白のワンピースに日よけの帽子を被ったクリスタは、俺の姿を見つけるやいなや腰に手を当て頬を膨らませる。
「遅いよー、クリストフ」
「ごめんごめん」
そんなクリスタの様子が可愛くって、俺は謝りながらも笑みを浮かべてしまう。
クリスタは仕方ないなあ、とう表情で、
「もう……まあ、いいわ。それより今日は川に遊びに行かない?」
と、魅力的な提案をしてくる。
最近めっきり暑くなってきたしそれもいいだろうと、俺は二つ返事で了承。
そうしてやってきたのは、村の中を流れる川だ。ここなら流れもそこまで強くもないし、子供だけでも危なくはないだろう。
俺達は早速、土手から川原へと降りる。水辺に座り込み、ちゃぷちゃぷと水と戯れるクリスタ。俺はその隣に立って、川面を眺める。綺麗な水だ。環境汚染とかされてないからだろうか。
川にやってきたはいいものの、どうやって遊べばいいか分からず立ち尽くしているとクリスタが、
「クリストフは泳ぐのとか、好き?」
と、帽子が飛ばないように手で押さえながら、俺を見上げるような角度で聞いてきた。
「まあ、嫌いじゃないかな」
「そ、それじゃあさ。いつか海に行ってみようよ。ここからだと少し遠いけど、いつか一緒に……」
「もちろん、いいよ」
こんな可愛い子からデートの誘いを受けて、断るバカはいないだろう。
クリスタは頬を染めながら、嬉しそうに笑った。この表情を見れただけでも、頷いた価値はある。
「もう少し、奥のほう行ってみよっか」
クリスタは川上のほうを指差してそう言い、立ち上がる。その時だ……
ブワッと一陣の風が通り過ぎ、立ち上がったばかりのクリスタのワンピースの裾が大きくめくれてしまう。
「あ、っ……!」
慌てて裾を押さえるクリスタ。しかし残念ながら……僅かに遅い。
俺は日に晒されたことのないだろう純白の肌と、同じく清楚な白の下着をばっちり目撃してしまった。
いや! 見たくて見たわけじゃない! 見えたことは嬉しいけど……ってそうじゃねえ!
真っ赤な顔でこちらを見るクリスタの表情は怒っている、というよりは恥ずかしいという感じだ。
気まずい空気が流れる中、再び一陣の風がっ! チャンス! ……ってそうじゃねえ!
クリスタは今度はきちんとワンピースの裾をガード。ドヤ顔を俺に送る。クリスタはスカートの裾がめくれることを回避した……のだが。
「帽子がっ!」
無情にもクリスタの被っていた日よけの帽子が風にさらわれる。
クリスタは慌てて手を伸ばすも、届かない。遠ざかる帽子に近づこうと一歩踏み出したとき……
「危ないっ!」
俺の叫びも僅かに遅く、クリスタは川に足を取られて転んでしまう。
前のめりに川面へダイブするクリスタ。そこまで派手な転び方ではないが……
「だ、大丈夫?」
びっちゃびちゃになったクリスタはどう見ても大丈夫ではないが、思わず聞いてしまった。
「う……」
クリスタは何かを堪えるように顔をしかめてから、
「うわああああぁぁぁぁぁん!」
大声で泣き始めてしまう。
俺は泣き出してしまったクリスタの前でおろおろしながら、とりあえずとクリスタの身体を川原へと引き上げてやる。
遠くで流されそうになっていた帽子も風の魔術で回収し、クリスタの元に戻る。そこで俺はすすり泣くクリスタの前で、どうしたものかと途方に暮れる。
泣いている女の子をなぐさめるなんて、童貞歴二十五年の俺にはハードルが高すぎる。
どうしようかと悩んでいたその時だ、俺はクリスタの膝が僅かに出血していることに気が付いた。
「クリスタ……大丈夫だから」
俺は彼女に泣きやんで欲しくて……メテオラを使用した。
「『クリスタの傷を癒してくれ』──メテオラ」
白い光がクリスタの膝に集まり、その怪我を治していく。
この世界に治癒魔術は存在しない。魔術は火、水、風、土の四つの系統に分けられ、そこから数多くの属性に派生する。火系統の炎属性、雷属性、氷属性といった感じにだ。しかし、どの派生を調べてみても治癒属性の魔術は存在しなかった。
そのため、俺はクリスタの治療にメテオラを使ったのだ。
回数制限のあるメテオラをこんなところで使うべきかと思いはしたが、悩みはしなかった。これでクリスタが泣き止んでくれるなら安いものだろう。
「まだ、痛いところとかある?」
俺は他に傷がないか探そうと、クリスタの身体を見て……気付いた。
水に濡れた白のワンピースは、透けるのだという事に!
「クリストフ……」
「え、いやっ! やましい気持ちとかはこれっぽっちしかないからね!? 俺は単純にクリスタのことが心配で……っ!」
俯いていた顔を上げて、若干赤くなった目で俺を見るクリスタ。
透けた身体を直視することが出来ず、俺は視線を右往左往させていた。だから、反応することが出来なかった。
「んっ」
「……っ!」
突然のことに俺は硬直してしまう。
近づけていた顔を離すクリスタの顔は真っ赤だ。恐らく、俺も同じような色をしているだろう。
一瞬とはいえ、確かに感じた熱。俺は唇に手を当てて、しばし呆然とする。
……キス、された……
ドキドキと心臓の音が高鳴る。クリスタの唇から視線が逸らせない。しっとりと濡れたその口が開き、
「クリストフ……ありがとう」
言葉を紡いだ、その時だ。
(あ、れ……?)
クリスタの言葉に俺は刹那、既視感に襲われる。こんなことが前にもあったような……
「クリストフ?」
黙りこんだ俺にクリスタが小首をかしげる。
「え、あ……ああ、そうだ! 服、濡れたままだとアレだから……とりあえず家に帰ろう。俺も送るから!」
いろんな意味で動揺していた俺はしどろもどろになりながらも言い切った。
それから俺達はクリスタの身体を隠すように寄り添いながら、着替えを求めてクリスタの家へと向かう。手を繋いで歩く道中、俺は近すぎる距離感にドキドキしっぱなしだった。
未だに唇が熱を持っているようだ。クリスタの顔がまともに見れそうにない。
この時、右手に伝わる確かな熱に俺は、はっきりと自覚したのだ。
俺の背に隠れるように歩く小さな少女に抱く──恋心を。