「決起」
ヴィタと散策をした日から数日が過ぎた。
あれ以来、ヴィタとカナリアのやり取りが普通に見れなくなっていた。ヴィタがカナリアを尊敬していたのは知っていたが、ヴィタのカミングアウトを聞いた後では、それもいかがわしさを感じずにはいられない。
俺は俺で、カナリアを妙に意識してしまう日々が続いている。
ヴィタのせいだ。好きな人の名前を挙げろと言われてカナリアの顔が思い浮かんだのは完全にたまたまだ。たまたまに決まっている。
俺は自宅で朝食を口にしながら、自分に言い聞かせるよう念じる。
「相変わらずクリスの料理は美味いな。これなら旅の間も自分で作ったらよかったのではないか?」
「クリスは自分で作るの好きじゃないんだってさ。なんでも、料理に一番大切なのは食べてくれる人を思う心なんだって」
「ほほう。なかなか詩的な表現をするではないか。では、今度我がクリスのために料理を一品……」
「うん! それだけはやめようか!」
エマが必死で止めようとしている声が聞こえる。朝から騒がしい奴らだ。
というか……
「何でカナリアがここにいるんだよ」
「え? それを今更言う?」
エマが驚きの声を上げる。
まあ、それもそうか。何せカナリアは数日前から俺の自宅に飯をたかりに来ているのだから。
「む。我がここに来るのは駄目なのか?」
「いや、駄目じゃないけどさ。なんでわざわざウチに来るんだよ」
それも、俺が意識しているときに限って。
「……クリスに会いたいから、では理由にならないか?」
バキューン!
カナリアの上目遣いに、そんな擬音が聞こえた気がした。
「べ、別にいいんじゃねえの?」
「……何で顔赤らめてるの」
「気にするな。うん」
エマのジト目が突き刺さるが、気にせず朝食の続きだ。朝はしっかり食べないと一日もたないからな。
妙に居心地の悪いテーブルで食事をとる俺たち。それから俺とカナリアはグレンフォードに向かうため、一緒に家を出る。
「行ってきます」
家に残るエマにそう告げて、カナリアと並び歩き出す。
空は雲ひとつない晴天。
だんだん肌寒くなってくる季節だというのに、今日は気温が高い。慣れない軍服の前襟を広げて風を通すことで熱を逃がす。そうしていると、
「グレンフォードに着いたら、きちんと着こなすのだぞ」
俺の様子を横目に見ていたカナリアのお小言が飛んできた。
「しょうがないだろう。今日は暑いんだから」
カナリアの言葉に俺は、襟を手でパタパタさせる。
カナリアのようにきっちり着こなしていては熱中症で倒れかねん。
全く反省する色のない俺の様子にカナリアは、
「仕方ないな。見逃すのは今日だけだぞ」
やれやれと言いたげな様子で目を瞑る。
そんなやり取りをしながら歩いていると、前方に見知った人物を見かけた。俺が反射的に顔をしかめる中、共通の知人であるカナリアがその人物に近寄っていったので俺もしぶしぶ後を追う。
……朝から嫌な奴に出会っちまったな。
「おい、イザーク!」
「あァ? カナリアか」
「カナリアか、じゃないだろう。今日は小隊の訓練日だぞ。そんな私服でどこに向かっている」
最近イザークのサボりが増えたと嘆いていたカナリアが詰問口調でイザークに問いかける。
それに対し、イザークはカナリアの後を追うように歩く俺を一瞥。舌打ちをしてから、飄々と答え始める。
「今日は気が乗らねェから訓練はパス」
「そんな理由が認められる訳ないだろう。最近のお前はたるみ過ぎだ。今すぐ着替えて、訓練室に向かえ」
腕を組んでそう命令するカナリア。直属の上司の命令に歯向かうのは軍規違反だ。今回は全うな命令であるし、イザークは断れるはずもないのだが……
「嫌だね」
「なっ! イザーク! 貴様、上官の命令に逆らうつもりか!」
「おいおい。アンタの小隊に入るときの条件を忘れたのかァ? 俺に命令しない。それがアンタと交わした約束だろォが」
どこまでも横柄な態度でイザークがそう言い放つ。
なんとなく、割って入りにくい雰囲気だな。
「小隊の連携が取りにくくなるだろう!」
「オレは一人で十分強ェからいいンだよ。連携なんて」
たしなめるような態度のカナリアに、それを聞き流すイザーク。
「もう行くぜ。このまま話してもラチが明かねェだろォしよ」
「おい! 待て、イザーク!」
カナリアの静止を無視して歩き出すイザーク。
やがて、人ごみの中に消えていく姿に、
「一体、どうしたというのだ。アイツは」
取り残されたのは怒り心頭のカナリアと俺。
……気まずくなっちまったじゃねえか。
それからしばらく不機嫌になったカナリアに、俺はため息をつくのだった。
訓練が終わってからのことだ。
話があるということでユーリ、ヴィタ、俺の三人はカナリアに呼び出され作戦室(初顔合わせのときに使った部屋だ)に集まっていた。
規則性もなく並んだ椅子に各々座る俺達。
俺も手近な椅子に腰掛けて、何の話だろうかとカナリアに視線を送っていると……
「ちょっと、何じろじろカナリア様のこと見てるのよ」
他にも空いている椅子はいくらでもあるのに、わざわざ俺の隣に腰掛けてきたヴィタが小声で話しかけてきた。
「どこに視線を置こうと俺の勝手だろうが」
「ふん。どうせ、いやらしい視線でも送ってたんでしょ」
憮然とした表情のヴィタは口を尖らせながら告げる。
嫉妬か何かだろうが、お前にだけは言われたくない。茶化し返してもいいのだが、隊長様のお話が始まりそうだ。ここは黙っておくのがいいだろう。
そう思っていると、案の定。カナリアが話を始める。
「メンバーが一人足りないが……仕方ない。始めよう。今回は我々の具体的な方針を通達しておこうと思ってな。頼りになる戦力が一つ増えたところで、ようやく駒が揃ったのだ」
頼りになる駒って……俺のことかな。嫌だなぁ、そういう言われ方するの。プレッシャーがかかるじゃないか。
「言うまでもないが、ここで話すことは極秘事項だ。他言無用で頼む」
そう言ってカナリアは一枚の紙を渡してくる。
俺がその紙に目を通していると、真っ先に質問の声を飛ばしたのはユーリだった。
「これは何っすか?」
「それはとある会議の開催予定日時と場所を示したものだ」
カナリアの言葉に再び視線を紙に戻す。
『三国会議』……一番最初に目に付いたのがその単語だった。
「三日後に予定されている三国会議。そこにはフリーデン王国、聖教国シャリーア。そして我らグレン帝国の首脳が集まることになっている」
カナリアの言葉に、俺はハッ、とサラと再会したときのことを思い出す。
……そうだ。確かサラもそんなことを言っていた。とある会議のため、司祭様がこの国に来ていると。おそらくサラはこの会議のことを言っていたのだ。
「我らは三国会議に合わせ、グレンフォードを落とす!」
「…………ッ!」
カナリアの言葉に、その場の全員が息を呑んだ。
──ついに……この時がきたのか、と。
「グレンフォードは要塞として機能させることも出来るからな。別会場で行われる三国会議の方に護衛が集中している間に、この国の中枢を押さえる」
カナリアの話ではこれ以上の好機は今後ないだろうとのことだ。
反乱に手を貸すと言ってくれている人間は四十六名。その人数でクーデターを起こそうと思ったら、この機を置いて他にない。
「ぎりぎりのタイミングでクリスが加入してくれて助かったな」
「それにしたって、厳しい人数差だと思うっすけどね」
帝都に集まっている軍人だけでも千に届く勢いなのだ。その全員が戦えるわけではないとしても、この戦力差は大きい。
ユーリの懸念も頷ける。
「……我は長い間、虐げられた民をこの目で見てきた」
ぽつり、とカナリアの漏らした言葉は彼女の独白だった。
「その痛ましい姿を見るたびに思っていた『この世界は間違っている』と。しかし、その術を持たない我にはどうすることも出来なかった……」
胸に手をあて、瞳を瞑るカナリアは過去の出来事に想いを馳せているのだろう。……俺にも分かる。その気持ちが。
この世界は間違っている。
幾度となく感じてきたことだ。
救えなかった名も知らぬ少女の姿を思い浮かべ、俺はカナリアの言葉に共感する。
ふと見れば、ユーリもヴィタもカナリアの言葉に思うところがあるのか、真剣な表情で耳を傾けている。
そんな空気の中、カナリアは「だが!」と前置きして、
「今は違う! 戦える力があり、戦う意思がある! そして、絶好の機まで訪れたのだ! 我はもう……これ以上、民の涙を見たくない!」
力強く切り出したカナリアは立ったままバッ、と右手の甲を上にして部屋の中央に差し出し、
「たとえ一人であろうと我は往く。共に命を賭ける命知らずは……手を貸してくれ」
そう、俺達に告げたのだ。
手を貸してくれ。それが二重の意味を持っているのはすぐに分かった。
そして、その意味を誰よりも早く理解して立ち上がったのはヴィタだ。
「この命、カナリア様の為に捧げるととうに誓っております。あなたが死ぬ時が、私の死ぬときです。どこまでも──お供いたします」
カナリアの右手に自分の右手を重ねるヴィタ。
続いて立ち上がったのはユーリだ。
「自分は死ぬつもりなんてないっすよ。だけど、向かう先は一緒っす。だから──皆で生きてやりとげましょう!」
三人の手が重なり、最後は俺だ。
ゆっくりと立ち上がり、ここが引き返せる最後の境界と理解する。理解して俺は……
「この世界は間違っている。だったら正さないといけない。俺は……俺もそれが『正しいこと』なんだと思ってる」
スッ、と一番上に自分の手を重ねるのだった。
「よくぞここまで馬鹿者が集まったものだな」
ニヤリと笑うカナリアに俺達も釣られて笑みを浮かべる。
これじゃあまるっきり悪者だな。
いや、悪者なのか。軍に反旗を翻そうってんだから、完全に悪者だよな。
でも……それでもいい。
「共に往こう、我が同士よッ!」
「「「オオッ!!」」」
俺達は戦うと決めたんだ。
この、間違った世界と。




