第三十五話 「失意の中の再会」
ガチャリ、と俺は借りている部屋の扉を開いて中に入った。
その音に反応して、すぐさま駆け寄ってくる影が一人。
「あ、お帰り! クリス! 思ったより早かったね!」
にこにこと笑顔を向けてくるエマはしかし、俺の様子を見てすぐに血相を変える。
「く、クリス!? 何かあったの!?」
「……どうした」
「どうしたはこっちの台詞だよ! 何があったの? 顔……真っ青だよ!?」
エマの言葉に俺は自分の頬に手を当ててみるも、自分では分からない。けれど、エマがそういうのならそうなのだろうな。
ゆっくりと部屋の中へと移動する俺を、エマが心配げな様子で見守っている。今まで見たことがない俺の様子に、エマは戸惑っているのだ。
しかし、俺は俺で先ほどの出来事が頭から離れない。
幽鬼のようにふらふらと歩く俺は、ふと立ち鏡に目が向かった。
そこに写る俺の顔は、なるほど、エマが心配になるのも頷けた。
俺はゆっくりと鏡に近づいて行き、そこに写る額に……自分の額を思い切り叩き付けた。
「ちょ! 何してんのさ!」
派手な音と共に鏡に俺の血が付着する。
ガラスではなく、金属を加工して作られた鏡はとてつもなく硬い。それが分かっていながら、俺は自分の頭を叩きつけずにはいられなかった。
「クリス! 落ち着いて!」
俺の突然の凶行にエマは俺の体に抱きついて、止めようとする。
額から顔を伝って流れる温かい液体の感覚を覚えながら、俺はその場にへたり込んだ。
「…………」
「い、一体何があったの?」
恐る恐る尋ねるエマに、俺は……
「……救えなかった」
懺悔を零していた。
「え?」
「救えなかったんだよ!」
俺は結局、通りで出会った少女を助けることが出来ず……見捨てた。
「秤にかけちまったんだよ! 俺は! 迷った時点でクソ野郎だ! 本当の善人なら迷ったりなんかしないのに!」
エマの時は助けた。困っている人を見逃せない、と。
そして、今回は見捨てた。全く同じ条件だったというのに、だ。
「何が英雄だよ! クソッ! バカか!? 何を言ってんだよ、自分の勝手で助けたただの独りよがりの偽善者が!」
ダンッ! と、俺はあらん限りの力を込めて床を殴る。
「本当に何様だよ、テメェは! 俺に、俺には選ぶ権利なんかねえのに! 俺は……助ける人間を選んでたんだよ!」
メテオラなんて力があったから、思い上がっていた。
俺には誰かを助ける力がある。だから英雄になるんだ、って。
恥ずかしい。
与えられた力で得意になって、自分で出来ることなんて何一つないのにそれを自分の力と勘違いしていた馬鹿な俺。まるでガキだ。
帝都の現状をなんとかしたい? 何とかできるわけないだろう。こんな俺なんかに。
「クリス! やめて!」
何度も拳を地面に叩きつける俺に、エマが叫ぶ。悲壮な声で。
「……俺は本当に何やってんだよ……」
助けるなら、助ければ良かった。
少女を助けて、今後も見かけた『困っている人』を助けていくだけで俺は俺でいられた。いや、俺は誤魔化すことが出来たのだ。
メテオラが尽きるまでそれを繰り返していれば、その間は気付かずにいられたのだ。
「くっ、ぅぅ……ッ」
──俺の醜い、心の内に。
失意に沈んでから、一週間が経った。
軍のルールや、組織体系をそれなりに理解した俺は本日、ついに配属される小隊が決定した。
そのことを告げに来たカナリアが心底嬉しそうな顔をしていたのが印象的だった。だが、俺はというとあれから沈んだままで、カナリアに対しても素っ気無い態度しか取ることが出来なかった。
「クリス、早く起きないと遅刻しちゃうよ! 今日は部隊の人と初顔合わせなんでしょ!」
エマの声が聞こえる。
俺はまどろみの中、ベッドから出ようとして……その気力が沸かなかった。
最近、寝つきが悪い。睡眠不足のせいで、体に倦怠感がまとわりついている。
なかなか起きようとしない俺に、エマがいつものように俺の体を揺すってくる。
「早く起きてよー! 折角ご飯も作ったのに、食べる時間なくなっちゃうよ?」
「……ああ」
「おーきーてー!」
段々強くなる揺れに、俺はしぶしぶ起き上がる。
それから時間がないため、急いで食事を取ってグレンフォードへと向かうため部屋を後にする。
「いってらっしゃい! 頑張ってね!」
「ああ」
短く答えて、俺は部屋の扉を閉める。
前に使っている宿とは違う部屋だ。グレンフォードに近く、家賃も安いこの一室を借りてエマと二人で暮らしている。
グレンフォードへ向かう道すがら、エマのことを考えていた。
その時考えていたのは感謝や後ろめたさではなく、このままだとエマが離れていってしまわないかという、醜い依存心だった。
きっと、今一人にされると俺はもっと駄目になる。そんな気がした。
「俺はどこまで……」
続く言葉を飲み込んだ俺は、グレンフォードの門をくぐる。
与えられた軍服はまだ新しく、汚れの見当たらない新兵そのもの。慣れない服装と生活に何とか適応しながら軍人としての生活を続ける俺。
今までやったことと言えば、街の見回りやカナリアの補助的な仕事という、主体性のないものばかり。
しかし、これからは小隊に配属された身として、色んな任務をこなしていかないといけなくなる。
……ああ、面倒だ。
「クリス君。ようやく来たか。遅いから迎えにきてしまったぞ」
「……カナリア、大佐でしたか」
下を向いて歩いていたから、気付くのが遅れてしまった。
「わざわざすいません。俺なんかの為に時間を取らせてしまって」
「……元気がないと思っていたが、最近はより卑屈さが増してきたな」
皮肉げな口調ではあるが、それは励ますような温かさを持っていた。
不器用な彼女なりに、いつも通りに接してくれているのだ。
「今日が初顔合わせだからな。前に教えたが……我と同じ小隊だ。光栄に思いたまえ」
「……はい」
「むう。君はもう少し明るいほうが魅力的だと思うのだがな。イメチェンなら失敗だと教えておく。ほら、着いたぞ」
ノックもなしに入ったその部屋の中には、三人の人影があった。
「お帰りなさい、カナリア隊長」
「うむ、ただいま」
真っ先に俺へと視線を向けてきたのは、最初に口を開いた少女だった。
桃色の髪が特徴的なその少女は、俺に怨嗟を込めた視線を送ってくる……なんで睨まれてるのやら。
「そっちの子が新人っすか。よろしく頼みますよー、自分ユーリっす。気軽にユーリって呼び捨てでいいっすよ」
軽い体育会系みたいなノリで話しかけてきたのは二人目。ユーリと名乗った少年だ。何が面白いのか、にこにこと笑っているのが印象的。
そして最後の一人が……
「……え?」
「よォ、久しぶりだな。兄弟」
ゆっくりと近づいてくるその姿には見覚えがあった。
いくらか成長しているが……間違いない。
「お前……なんでここに……」
「そりゃァ、軍に入ったからに決まってンだろ。何はともあれ、同じ部隊になったんだ。『過去の因縁』は忘れて、仲良くやろォや」
手を差し出してくる赤髪の少年。
俺はその手を掴むことが出来ない。
それどころではないからだ。
「……よろしく頼むぜ、兄弟」
俺の目の前にはかつて死闘を演じた少年。
──イザークが、立っていた。




