第三十話 「すれ違い」
とある喫茶店のテーブル席に、俺とサラは向かい合って座っていた。
「ご、ごめんなさい! 私、覚えてなくって……同じ村の人だったのね」
「覚えてなくても仕方ない」
「そっか、だからずっと不機嫌だったのね。本当にごめんなさい」
そう言って頭を下げてくるサラに俺は罪悪感を感じながら、怒ってないと告げ、紅茶のカップに口をつける。
俺は自分がサラの息子であったことは言わないまま、サラのことを一個人として知っていたのだと説明した。そのほうが色々と話しやすいと思ってのことだ。
「二年前にヴェール領を出てからはどうしてたの?」
「まずは帝国に行こうと思って旅をしてたんだけど、いきなり砂嵐に襲われちゃってさ。偶然出会った旅団と一緒に砂嵐が収まるのを待ってたんだけど……そこにサンドワームの大群が押し寄せたんだ」
「ええ!? ……それで、ど、どうなったの?」
「何とか魔術を使って撃退したよ」
「……良かった」
「でも、良かったのはそこまででね。その旅団ってのが実は……奴隷を商品にしてる悪い奴らでね」
「ええ!?」
「そこから三十対一の大立ち回りさ」
一々驚いてくれるサラに、俺も饒舌になっていく。
いつの間にか、俺とサラは二人で笑いながらこの時間を楽しんでいた。
サラが聞いてきたのはヴェール領を出てからのことがメインだった。それはサラが唯一知らない俺のこと。そのことを知りたがったのはただの偶然なのだろうか。
──もしかしたら、思い出せないだけで、記憶の片隅には俺との思い出があるのかもしれない。
……いや、そんな都合のいいことはありえないな。
それに、もしそうだとしても思い出せないことに変わりはない。
「クリスくん?」
いつの間にか話が止まっていたようで、サラが眉をひそめながら俺を呼んだ。
心配そうな声音のサラに、俺は感傷とも懐古とも言えるその感情を自覚する。きっと今、俺は酷く辛そうな顔をしていることだろう。
「ど、どうしたの? どこか、痛いの?」
俺の様子に、どこかズレたことを心配しているサラ。
本当に、母さんは全く変わってないな。
「なんでもないよ。ただ……嬉しくってさ」
「嬉しいの?」
「うん。こうして話が出来て本当に良かった。本当に……」
この場を作ってくれたエマには感謝しないといけないな。
彼女のおかげで、俺はこうしてサラと話をすることが出来ている。
二年間、ほとんど一人で旅を続けていたからだろうか。サラに再会したことで、俺は昔のことを強く思い起こされていた。サラがいて、アドルフがいて、クリスタがいたあの日々を。
俺の様子をみて、テーブルを挟んで向かい合っていたサラが立ち上がり、俺のそばに寄ってくる。
「大丈夫だから、ね?」
そう言って俺の体を抱きしめるサラ。
こうして抱きしめられるのも久しぶりだ。
一緒にいたころにはそれこそ何度も────
「…………」
────本当は……村を出たくなんてなかった。
サラと、アドルフと、クリスタと、みんながいる村で一緒に過ごしたかった。
でも、俺がしたことの責任は取らないといけない。だから……だから俺は……
「俺は……ッ!」
「よしよし、泣きたいときは泣いたらいいのよ。あなただって、子供なんだから」
サラは優しい手つきで、俺の頭を撫でてくれる。
エマの頭を撫でてやるようになったのも、サラの癖が移ったからだ。この手の温かさを知っていたからだ。
俺の優しさも温かさも、全部サラから貰ったものなんだ。
「エマちゃんの前じゃ泣けないものね。今は私しかいないから……好きなだけ泣けばいいわ」
泣きじゃくる俺をあやすサラは……いつものサラだった。
俺は泣き虫だったから。サラにはよく、こうしてあやしてもらっていた。
あのころと、全く変わらないその手つきに──俺は涙が止まらなかった。
騎士団の人がサラを迎えに来るまで、ずっと。
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サラとクリストフの再会から数時間後。
騎士団の面々に与えられていた宿、そこで連れ戻されたサラとアドルフが言葉をかわしていた。
「心配したよ、サラ。でも無事でよかった」
ぽんぽんとサラの肩を優しく叩くアドルフに、サラは言葉を返す。
「途中ですごく優しい子に助けてもらったから大丈夫よ」
「そうか。それなら、その子にも感謝しないとな」
妻の無事を喜ぶアドルフは『あの子』とやらに感謝しながら、「疲れただろう。そこにかけるといい」と、サラにお茶の席を勧める。
「それで、その子はどんな子だったんだ?」
サラと自分の分の紅茶を準備しながら、アドルフがサラに問いかけた。
「えっとね、真っ白な髪が特徴的な子だったかな。すごく強くて、まだ十三歳くらいだと思うんだけど大人の男相手に大立ち回り! 勝てるなんて思わなかったからびっくりしちゃったわ」
「ふむふむ」
「それと、無性に撫でてあげたくなる感じだったわね。なんと言うか……一言で言うなら好き! って感じの子だったわ」
「おや、一目ぼれか? 夫の前で堂々としたものだな」
からかい気味にそう言ったアドルフにサラが笑い返す。
「そんなんじゃないわよ。ただ、守ってあげたくなる子だったのよ。不思議とね」
「へえ、その子の名前は聞いたのか?」
アドルフは紅茶のカップを口に運びながら、問いかけた。
「クリストフ」
「…………え?」
するっ、とアドルフの手からコップが滑り落ち、派手な音と共にその中身を床にぶちまけた。
「ちょっと、何してるのよアドルフ!」
「す、すまない」
慌てて床を片付けるアドルフの内心は、床以上にぐちゃぐちゃだった。
『あの子』とやらの特徴が、何故かサラの忘れている息子にそっくりだったからだ。サラは息子を失ったショックで、記憶を失った……ということになっている。どんな名医にも理由が分からなかったから、もっともらしい理由としてそれが選ばれた。
しかし、もしサラの言っているクリストフが、息子のことなら……
そこまで考えて、はっ、とアドルフはとある少女のことを思い出す。
(もし、クリストフがこの街にいるなら……)
クリストフの姿を追いかけ、騎士を目指した金髪の少女。
今度こそ、彼を守れるようにと誓った少女はわずか二年で騎士団の中でも上位の実力者として数えられるまでになった。今回、アドルフの推薦で護衛団の一人に選ばれた少女。
(ようやく会えるかもしれないぞ……クリスタ)
二年間、少年の背を追い続けた少女の幸運をアドルフは祈る。
きっと、彼女は自分以上に会いたがっているだろうから。
たった一人の、私の息子に。
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アドルフとサラが、再会する少し前のこと。
サラに別れを告げて、俺は妙にすっきりした気分を味わいながら帝都の街を歩いていた。その途中、
「ん? あれは……」
見覚えのある荷馬車に目が留まった。
それは実際何度も使わせてもらった荷馬車……エリーの荷馬車だ。
俺はすぐさま近づいて、エリーの姿を探す。そしてエリーはすぐに見つかった。
「よう、エリー」
「あれ? クリスさん?」
俺は軽く手を上げて、エリーに近づいていく。
エリーは店の片づけを終えたところのようで、荷馬車を動かそうとしていた。
「今日は一日、店を出すんじゃなかったのか?」
「そのつもりだったんですけどね。カナリアさんが軍から急な呼び出しがかかったとかで席を外しちゃったんですよ」
「なるほどね」
エリーは男性恐怖症だ。
男の客に絡まれたりしたら困るから、こうして誰かが手伝いとして着くことになっているのだが、今回は不運に見舞われたようだ。
「大丈夫だったのか?」
「ええ、親切な人も助けてくれましたので──そうだ! 聞いてくださいよ! つい五分ほど前までその人と一緒にいたんですけどね、その人と友達になっちゃったんですよ!」
嬉しそうにくねくねと体を揺らすエリー。少し気持ち悪いな。
「もう! 私、嬉しくって!」
「お前、友達少なそうだもんな」
「酷い!? 事実ですけど!」
事実ならいいじゃねえか。
「そういうクリスさんこそ、エマちゃんとデートなんじゃなかったんですか?」
「……なんで知ってるんだよ」
「エマちゃんが自慢げに言っていたので」
「……あいつ」
恥ずかしいからそういうこと言うなっての。
「一緒にいないところをみるに、喧嘩でもしました? 心なしか目も赤いですし」
「し、してねえよ」
「でも、泣いていたと」
「…………」
「え? マジですか? うわー! クリスさんの泣き顔とか超レアじゃないですか! 私も見たかったです!」
「うるせえ! 誰にも言うんじゃねえぞ!」
俺は恥ずかしくなって、目をごしごしと拭いて赤みを消そうと試みる。
その様子がさらにエリーの嗜虐心に火を注いだようで、それから宿への道中、俺はエリーにいつもの仕返しだといじられ続けた。




