第二十八話 「変わらないもの」
クリスの裁判が行われるのと同時期に、その会議は予定されていた。
各国首脳会議。
グレン帝国、聖教国シャリーア、フリーデン王国、それらの首脳が一堂に会するその会議のため、各地から有能な護衛を引き連れたその国のトップが帝都、ガルディアに集まってきていた。
聖教国シャリーアからは、司祭と呼ばれる女性とその護衛……アドルフ・ロス・ヴェールと他数人が帝都に訪れていた。
他の宿よりも数段豪華な宿舎に通された一行は、二週間後に控えている会議に向けて自分たちの方針をまとめているところだった。
その一行が集まっている部屋に、バンッと派手な音を上げて扉を開き姿を見せた男が一人。それはアドルフの直属の部下、自警団長のルークだった。
「アドルフ様!」
「どうしたんだルーク。騒々しいぞ」
司祭の前で、礼なく振舞うルークをたしなめるアドルフ。ルークは場の雰囲気を察して慌てて頭を下げるが、その慌てた様子には依然変わりがない。
「そういえばルーク。お前にはサラの護衛を任せていたはずだが、サラはどうした」
「そ、そのことなんですが……」
申し訳なさそうな顔で事情を説明し始めるルーク。その話を聞き終えた後、アドルフは血相を変えて騎士団に指示を飛ばす。
「全員、今すぐサラを探してくれ! 保護したものには金一封を授けてやる! 急げ!」
「あ、アドルフ。全員では私の護衛がいなくなるのでは……」
「司祭様は黙っていてください! 皆、急げ!」
アドルフの言葉にばたばたと宿を飛び出していく騎士たち。今は普段着の彼らが街中を走り回ったとしても大きな騒ぎにはなるまい。
そうして、人気の減った室内。そこに残されたのはアドルフと、
「ぐすん……私、司祭なのに……」
涙目で地面に膝を付く司祭の、哀愁漂うその姿にアドルフもかける言葉を見失う。
もちろんアドルフも、司祭の安全は気にかけている。だからこそ、こうして自分がここに残っているのだ。戦力的に、他の連中を残すよりは人手が必要なサラの捜索にまわした方が効率的だと判断してのことだったのだが……
「よよよ……」
落ち込む司祭に、アドルフはもう少し言葉を選ぶべきだったと反省した。
そうして司祭と二人で宿に残っていると、買出しに出ていた仲間の一人が戻ってきた。
茶色の買い物袋を胸に抱くようにしながら部屋に入ってきたその少女は、部屋の中を見るやいなや、
「一体、何があったんですか」
と、呆れた表情でアドルフに問いかけた。
「実はな……」
アドルフはこれまでの経緯を少女に話し始めた。
親子並みに年の離れた二人ではあるが、同じ村出身の仲間ということもあり、気さくに会話を交わしている。
サラのことも良く知っていた少女は、アドルフの話を聞くとすぐに、
「では私もサラを探しに行くことにします」
と、そう言い残して再び部屋を出て行った。
宿を出て、駆け出したその少女の頭上。
──綺麗な金髪が、風を受けて舞い上がった。
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「はあ、はあ、はあ」
俺は息を切らせながら、路地裏を疾走していた。
右手にエマを、そして左手には……
「ご、ごめんなさい。巻き込んでしまって」
息を切らせ謝罪してくる俺の母親、サラの手を握りながら。
「話は後だ、まずは逃げ切ることだけ考えろ!」
「は、はいっ!」
短い会話を終えて、俺たちは再び走ることに集中する。
俺たちを追ってきているのは恐らく冒険者の男たちだ。なぜサラが追われているのか分からない。もっと言えば、なぜサラがここにいるのかも分からない中、俺はサラを守るために必死になっていた。
ちらりと後ろを振り返れば二人の人影が見える。全く見逃す気がないように見えるその様子に辟易しながら俺はどうするか考える。
サラを見捨てるというのはあり得ない。
エマもいるし、逃げ切るのは難しいかもしれない。
それなら……
「二人とも、ここで待ってろ!」
これしかないだろう。
俺は二人の手を離して、男たちの方へと身を返す。
「クリス!」
エマの声が聞こえるが気にしない。
俺はぐんぐんと近づいてくる男たちに向けて拳を振るう。
狭い路地だ。武器を振り回してもろくなことにならないのが分かっていのか、男たちも素手で俺に対抗してくる。
「邪魔するな! ガキ!」
拳と拳がぶつかり、空気が振動する。
わずかに押し負けていることを考えると打ち合いは避けたほうがよさそうだ。
「なんであの人を追っている!」
俺はそう叫びながら男の拳を屈んでかわし、足払いをかける。
バランスを崩した男の服を掴んで体重をかける。地味に痛そうなこけ方をした男を一瞥して、俺は上半身を大きく仰け反るようにしてもう一人の男の手刀をかわす。
一度下がった俺は、助走を付けて跳躍。
振るわれる男の拳を払って、側面の壁に着地。再び跳躍。
三角とびの要領で膝蹴りを男の口元に見舞うと、錐揉みしながら男は吹っ飛んだ。路地に捨てられていたゴミの山に突っ込み、動かなくなる男。どうやら気絶したようだな。
それから俺は地面に転がる男の間接を極めて、動きを制限する。
「は、離しやがれ!」
「離して欲しかったら質問に答えろ! なんであの人を追いかけていた!」
ぎりぎりと力を込めながら詰問する俺。
男もだんだんと痛みが強くなってきたのか、苦悶の表情を浮かべている。
「わ、分かった。離すから少し緩めてくれ、このままじゃ腕が折れる」
「……いいだろう」
あくまで俺が主導権を握っているのだと主張するように、俺はわざと横柄な態度で男の言葉を待つ。
「……その女、シャリーアの人間だろう」
ぽつりと漏らした男の声に、俺は続きを催促する。
「それで?」
「この国のこと、何も知らない癖に偉そうなことを言っていたんだよ。それが頭にきて……ちくしょう!」
男は本当に頭にきているのか、そう言って歯軋りした。
「あの人は……一体、何て言ったんだ」
俺は嫌な予感をひしひしと感じながら、男に問いかけた。
男は非常に悔しそうな顔をして、
「あの女、腹を鳴らす俺たちの前で……『パンがなければお菓子を食べればいいじゃない』、なんて抜かしやがったんだ!」
「どこのマリー・アントワ○ットだよ!!」
嫌な予感が当たりやがったぜちくしょう! そうだ、サラはこういう人だった!
「完全に自業自得じゃねえか!」
俺の叫びが、路地裏に響き渡った。
それから俺は男たちに平身低頭の構えで謝罪を繰り返し、いくらかの謝罪金という名の手打ち料を払って何とか見逃してもらった。
残された俺たち三人。サラに向き合った俺はこめかみ辺りの筋肉をぴくぴくと痙攣させていた。簡単に言うと、怒っていた。
「頼むからああいう心臓に悪いことは止めてくれ。完全に自業自得だし、そもそもどこであんな言葉覚えたんだよ」
ぐちぐちと小言を言う俺に、それを何故かにこにこと聞いているサラ。
その様子を見て俺は……ふと、昔のことを思い出していた。
大人になっても精神年齢が子供のままだったサラはよく怒られていた。
あるとき、「剣士になってみたい!」と突然わけの分からないことを言い出したサラは中庭で慣れない剣を振っていたのだが……案の定すっぽ抜けた剣は屋敷のガラスを盛大に割り砕き、屋敷の中にあった高級な壷を粉々にした。
飛んできた使用人の前で、俺はとっさに自分がやったことにした。剣の稽古中に手を滑らせてしまったのだと言って、誤魔化した。
まだ子供だった俺の仕業ということで、お咎めも大したことなかったのだが、その晩、俺はサラに小一時間説教をしたのだ。
どちらが親か分からないそのやり取り。
どうでもいい過去の日常を、俺は思い出していた。
「…………」
「どうかしましたか?」
突然黙りこくった俺に、サラが心配そうな声をかけてくる。
『どうかしましたか』……俺の記憶にあるサラは、こんな話し方をしたりしない。これは、『お客さま』と話すときに使っていた口調だ。
「……なんでもないよ」
効果を確かめてはいなかったが……俺のメテオラはきちんと機能したらしい。
『サラの記憶から、俺の存在を消してくれ』
それは俺が祈ったメテオラだ。もう会うこともないと思っていたのに……こうして会ってみると、後悔の念が沸かないわけもない。
記憶のサラと、目の前のサラに確かな隔たりを感じながら俺は立ち尽くしていた。すると……
「大丈夫ですよ」
サラはいつものように……昔のように、俺の頭を撫でてくれたのだ。
「あ……」
変わりないその温もりに、俺は思わず声を漏らす。
「そうだ、あなたの名前を聞かせてもらってもいいかな?」
「……クリストフ」
つい……本当につい、俺は捨てたはずの名前を口にしていた。
「わあ、本当に!? 私、子供がいたらその名前をつけようと思っていたのよね。すごい偶然だわ!」
手を合わせてにっこりと微笑むサラに、俺は言葉を返せずにいた。
「私の名前はサラ。サラ・ロス・ヴェール。よろしくね、クリストフ君」




