第二十六話 「軍人の日課」
旅を始めて五日が過ぎた。
強い魔物と遭遇したり、山賊に襲われたりすることもなく順調な旅路を送っていた。もっとも、襲われたところで俺たちなら簡単に返り討ちに出来るだろうけど。
今回は六人での旅ということで、色々と助かることがあった。その一つが見張りを交互に出来るということ。夜の間も警戒を怠れない旅路において、自分が寝ている間に見張っていてくれる仲間というのは非常にありがたかった。
「それじゃあ後は頼むわ。わしは寝させてもらうけんね」
「ああ、見張りお疲れ様」
俺は眠たげに瞳をこするヴォイドと見張りを交代していた。
昨日早めに寝させてもらった俺は早朝の見張り係だ。朝焼けがうっすら見える程度の明るさの中、俺は少しだけ凝っていた体を動かすためにストレッチを開始する。
大きく伸びをして、筋肉を動かしていく。
「暇だし、型の動きでも練習するかな」
少しずつ調子を取り戻す体を本格的に動かしたくなった俺は、荷馬車から少しだけ離れて体術の型をなぞり始める。
「ふッ!」
短い呼気と共に、振るわれる拳が風を生む。
それから素早く右手を引くと同時に、仮想敵に向けて左の蹴りを見舞う。
タンッ、と地面を蹴り完全に宙に浮いた俺は腰の回転で続けて右の後ろ回し蹴りをなるべく上段に打ち込む。
バランスを崩さないように意識しながら着地……と、同時に右の足払い!
回転による遠心力を利用しながら蹴り、拳、蹴り、蹴りと動きを加速させていく。
自分の動ける範囲を再確認しながら続けていく一人稽古。
「……ふう」
一通り動きを確認して、肺から空気を出して呼吸を整える。
まだ傷も癒えていないし、このくらいにしておくか。
「見事な動きだったな」
突然、そんな台詞と共に姿を見せたのはカナリアだ。いつもの黒の軍服ではなく、学校の体操服みたいな白のシャツに紺の短パンを着ている。
「もう起きたのか」
ここ数日で敬語の抜けた口調を使い、俺はカナリアに問いかける。
「ああ。いつもこの時間は訓練の時間に決めているのでな」
そう言ったカナリアの手には……なるほど、いつも持っている刀が握られている。それを使って素振りでもするのだろう。
「折角だからクリス君もどうだ。気持ちいいぞ、素振りは」
「付き合うよ。どうせ暇だし」
俺が提案を受けると、カナリアは一度馬車に戻ってからもう一本刀を持ってきた。さらに二本の木刀も持ってきたことから、この後の展開が読めるね。
受け取った彼女の刀を受け取り、俺たちは並んで素振りを始めた。
刀剣の類を振るのはいつぶりだろうか。一人で旅を始めてから、触る機会の減ったその馴染み深い感触を感じながら素振りを続けていく。
数は数えていないので正確ではないが、三百は確実に超えただろう回数を振り続けた俺たちはやがてどちらともなく休憩に入った。
近場にあった岩に並んで腰掛ける俺たち。カナリアは汗を拭いながら、俺に話しかけてきた。
「良い剣筋だったな。それに回数も中々だ。クリス君は剣を嗜むのか?」
「昔はな。今は全然使ってないけど」
「それは勿体無い。どうして使わないのだ」
「毎日金欠だったからな。買う余裕がなかったんだよ」
カナリアの問いに答えながら、俺はそれが嘘だと自覚していた。買う金がなかったなんてただの言い訳。俺は剣を持つことが出来ずにいたのだ。
ヴェール領にいた頃は毎日のように振っていた剣を、俺は捨てた。
どうしても昔のことを思い出してしまうし、それに……
──刃は、人を殺すためのものだから。
「もう少し体を動かそう。仕合なんてどうだ」
「言うと思ったよ」
「では?」
「もちろん、受けるよ」
俺の言葉に、にやりと笑うカナリア。
本当に剣が好きなのだろう。素振りをしていたときの活き活きした様子からもそれは分かった。
このときのために持ってきていた木刀を受け取り、俺たちは向かい合って構える。特に決まった作法もない仕合。お互い好きな構えを取るのだが、スタンダードに正眼に構える俺と違い、カナリアはやや特殊な構えを見せた。
「八双の構え」
「……それが構えの名前か」
「やや特殊だろう」
やや傾いた木刀を右手に寄せ縦に構え、左足を前に出したその構えは野球のバッティングフォームにも似ている。
それは袈裟懸けのように斜めに切り込むことを前提とした構え。狙いが見え見えであるがゆえに対処法も見える。
「ほう」
カナリアの感嘆が漏れ聞こえる。
俺はカナリアの構えに合わせて、木刀を掲げて上段に構えなおす。真っ直ぐに振り下ろすこの構えはカナリアの攻撃的な構えよりさらに攻撃的だ。
ようは斬られる前に斬ることに主眼を置いた構え。
斜めに迫る袈裟切りより、真っ直ぐに振り下ろすこちらが早いだろうと判断しての構えだった。
「では、行くぞ」
俺の構えから自分の不利が分かっているだろうに……カナリアは構えを変えないままこちらに向かってきた。
剣の戦いは一撃必殺。ゆえに構えは最も重要といえる要素だ。上級者同士の戦いならば、構えだけで勝敗が決まってしまうこともある。それほどに構えは重要なのだ。だと言うのにカナリアは構えを変えないまますり寄ってくる。
つまり……
「面白い」
自分の剣速に、絶対の自信があるということだ。
俺はハンデ付きの剣速勝負に付き合うことを決め、同じように駆ける。
数瞬で距離の詰まった俺たちはほぼ同時に木刀を振り下ろした。
そして、決着は一瞬でついた。
「ぐ……ッ」
俺は持っていた木刀を思わず取りこぼす。
からからと音を立てて地面を転がる木刀。
俺の……負けだ。
「参りました」
俺は潔く自分の負けを宣言して頭を下げる。
腕を打った衝撃は思わず木刀を取りこぼす程度に強く、怪我をしない程度に弱い絶妙な力加減がされていた。あのやり取りの中で力加減をしてなお、速度で俺の剣閃を上回ったのだから認めざるを得ない。レベルが違う、と。
「すごい剣技だな」
「君も素晴らしい剣筋だったぞ。ただ……我とクリス君では剣に捧げた時間が違う」
「毎日訓練してるっての頷ける強さだよ。見事なもんだな」
「我は剣と料理くらいしか取り得がないものでな。こんなことくらいしか出来なのだよ」
俺の賞賛に対して、頬を赤らめながら謙遜するカナリア。
ただ一点、どうしてもツッコミたいところがあったが、何とかスルー。
「そういえば、カナリアはなんで軍に入ったんだ?」
「我の父が軍属なのでな。その影響だ」
木刀を片付けながら自分の生い立ちを語るカナリア。
軍の中でも偉い地位にいる親父さんから国を支えるため、幼いころから軍人としての作法を叩き込まれたのだとか。
「そのせいでこんな堅苦しい話し方になってしまってな。女らしさの欠片もないだろう?」
自嘲するように口元をわずかに歪めるカナリアに俺は率直な感想を返す。
「そうかな? カナリアはどっちかというと美人系だから、そういうしゃべり方も悪くないと思うよ」
「び、美人? 我がか?」
「うん。いつも言われてそうだけど」
俺はそう言って、慌てるカナリアを改めてみる。
スラッと伸びたシルエットはよく言えばスレンダー、悪く言えば発育が悪いといった感じ。それがまた、紺色の長髪をなびかせ凛と佇むカナリアの雰囲気を助長させている。
「うん、美人だ」
「そ、そうか……そんなことを言われたのは初めてだ……」
何かを隠すように口元を押さえるカナリアは見えている箇所だけでも分かるほど真っ赤な表情をしている。
なぜかこっちまで照れてくる。
今更ながら、とても恥ずかしいことを言ってしまったような気がするぞ。
「で、ではそろそろ戻ろうか。皆もそろそろ起きる頃合だろう」
「そ、そうだな」
こうして俺たちは微妙な雰囲気のまま、荷馬車へと戻った。
少しだけカナリアと仲良くなれただろうか。そんなことを考えながら。




