閑話 「戦いの始まり」
旅における最も重要なことはなんだろうか。
人によってそれは意見の分かれるところだろう。
商人であるエリーならば『到着する早さ』と利益を考えるかもしれないし、真面目なカナリアなら『安全性』ともっともな意見を主張するかもしれないし、エマは元気に『楽しさ』とある種の真理を語るかもしれない。ヴォイド達は……なんて言うだろうか。想像も出来ない。
結局、何が言いたいのかというと、俺は旅における最も重要なことは『食事』にあると思っている。
人は食べねば生きていけない。
なればこそ、最重要とするのは食事である。
「つまり、そういうことだ」
「長々と語ってますけど、つまり食事当番を決めようってことですよね」
俺の語った旅に関する価値観を一言でまとめるエリー。
結論を急ぐのは商人の悪い癖だな。情緒がない。
「結論、料理の腕はそれぞれ違うだろうから専任の料理当番を決めたい。もちろん最も料理の腕のいいやつがなる」
なるべく美味い飯が食べたいからな。こういうことは早いうちに決めておくのがいいだろう。
太陽が頂点に差し掛かる頃のこと。昼食のことを考え始める段になって、俺は全員に利があるであろうその提案を発した。
馬車を止めて全員が円を作るように集まっている中、俺の提案に対して真っ先に声を上げたのはカナリアだった。
「クリス君の言いたいことは分かるが、それではその者に負担がかかってしまうのではないか?」
「だったら、食事当番は料理以外の雑用を完全免除って形にするのはどうだろう。それならある程度バランスが取れないか?」
「……ふむ。皆がそれでいいのなら、我も納得しよう」
カナリアはそう言って旅の仲間達に視線を送る。
真っ先に平等性に目がいく辺り、真面目な彼女らしい。
俺も発案者として、反対意見がないか皆の顔を見ていく。そして、特に不満がなさそうなのを確認して、
「よし、それじゃあ料理当番を決める方法だけど……実際に各々一品料理を作って、それを俺が審査する形にしようと思う」
「あれ、クリスは料理作らないの?」
俺のすぐ隣に座るエマが首をかしげる。
「俺は護衛の仕事があるからな。手伝うくらいなら構わないが、毎回料理を作るのは難しい」
「そっかー。クリスの料理食べてみたかったのになー」
「それなら暇なときに作ってやるよ。ただ、味には期待するなよ」
「ホント!? 約束だからね!」
こうしてエマとの約束が一つ増え、仲間たちから若干冷えた視線を注がれながら、その料理対決が幕を上げたのだった。
ルールは二つ。
一つ、素材は荷馬車に持ち込んだ物、プラス現地で調達できるものに限る。
一つ、一時間以内に料理を全員分完成させること。
これらは実際に料理長を任せたときのことを考えてのことだ。あるものから人数分の料理を時間以内に作れるかを計るためのルールだった。
俺は作る必要がないので、一人優雅に待っている。
調理用具が全員分ないので、ある程度時間がかかるのは仕方ないだろうと思っていたのだが、十分程度で一人目の調理が終わった。
「カナリアさん、早いですね」
「我にかかれば造作もない」
若干得意げに胸を張るカナリア。残念ながら、張れるほどの胸囲はないのだが。
とはいえ調理時間の短さは評価できる。
俺は若干査定をプラスに動かしながらその給仕を見守り……
「……なんすか、これ」
「鳥の丸焼きだ」
目の前の大皿に乗せられた鳥そのもののソレに戦慄を禁じえない。
これを……調理と言って許されるのか……ッ!?
皮すら剥いでいないそれ。時折抜け落ちる漆黒の羽が焦げ臭い匂いを発していることから一応焼いては
いるのだろう。いささか以上に焼きすぎな気もするが。
「ご、豪快ですね」
何とか搾り出したその感想に、カナリアは顔を輝かせる。
「そうだろう! 我は昔から料理が好きでな。それなのに両親は我に料理を任せてくれなんだ。軍に入ってからは仲間たちにも好評で、時折振舞っておるのだが……皆は我に気を使っているのか毎日は作らせてもらえなかった。料理当番、よければ我に任せてくれ」
「う、うん。一番評価の高い人に任せるから、まだ分からないけどね!」
料理が好き? この有様でかよ!
仲間に好評? 上司に気を使っているだけだよ!
俺はツッコミたい気持ちを抑えて、なんとか無難な言葉を選んでおく。もちろん、彼女だけは料理当番にしないと心に誓って。
「…………」
しかし、どうしよう。
この料理と言うのも料理に失礼な代物。食べないと駄目ですかね。
お腹一杯だから食べられないやー作戦もこの品が最初だから通用しない。非常に困った。
「さあ、冷めないうちに食べるといい」
にこにこと俺に料理を勧めてくるカナリア。
ここで俺はあることに気付く。
料理好きを自称し、これまで何度も料理を振舞ったことがあるような発言をした彼女。そんな彼女が自分の料理を食べたことがないだなんてことがあるだろうか、と。
そんなことはありえないだろうから、自分の料理を食した上で、この様子ということになる。
それならば……もしかしてこれ、美味いのか?
いや、きっと美味いんだ! でないと、ここまで自信たっぷりに勧めてきたりしないだろう!
俺は震える腕を無理やり動かしフォークを掴むと、警告を訴える臭気を無視してその鳥の腹辺りにかぶりついた。
「む! こ、これは……!」
「お、おいしいか?」
カナリアは期待の眼差しで俺に感想を求める。
俺はゆっくりとフォークを皿に置き、告げた。
「食えたもんじゃねえ!!」
一人目、カナリア・トロイ──計測不能、論外。
次に給仕してきたのはエリーだった。
「えっと、上手に出来たか分かりませんけど、召し上がってください」
「おお、見た目はかなり良いな」
出てきたのは鶏肉をメインとした料理。
鳥の肉を使っているのはカナリアと同じなのだが、こちらはきちんと皮を剥いで照り焼きにしてある。うん、普通で良かった。
「お肉は保存がききにくいですからね。早いうちに使うことにしました。それとお肉だけだと寂しいので、添え物として旬の山菜をいくつか」
「これはエリーが採ってきたの?」
「はい。野草についての知識もありますのでこのくらいなら」
エリーは何でもないように語るが地味に凄いぞ、これは。
この世界では植物図鑑なんてものは希少だ。そのため、どの山菜が食べられるかどうかという知識があまり出回っていない。だから旅を続ける冒険者であっても、大丈夫という確証がない山菜には口をつけないのが絶対の掟だ。
それなのにエリーは山菜をこうして俺に出してきている。彼女の性格から考えてもこれは絶対の保証があってのことだ。
彼女の貴族としての知識量が遺憾なく発揮された結果がこの彩り豊かな一皿である。
「では、いただきます」
「……ごくり」
高まる期待と共に、俺はフォークに突き刺した一切れの鶏肉を山菜と共に口に運ぶ。そして……
じゅわっ、と広がる肉の旨味が口一杯に広がる。適度に振られた胡椒がスパイスとして、鶏肉の美味しさを引き立てている。さらには山菜だ。こちらには塩が揉まれていたのだろう。鶏肉とは間逆とも言える味が舌を刺激して、それぞれが相乗効果となって味の協奏曲を俺に運んでくる。
うん。
俺は一度頷いてから、エリーに感想を告げた。
「思ったより……普通」
二人目、エリザベス・ロス・ツヴィーヴェルン──六〇点、普通。
次に現れたのはクレハを連れたヴォイドだった。
「二人同時に終わったのか?」
「……私はヴォイド様の道具です。道具は料理を作りません」
時たま繰り出すクレハ・ワールドに俺が若干引きつった笑みを浮かべていると、
「はっはっは、すまんのう。こう見えてクレハは料理がド下手なんよ。死者が出ても困るし、勘弁してやっててってててててて痛い! 痛いってクレハ!」
「言わなくていいことを言うのはこの口ですか。自省してください」
そう言ってヴォイドの顔面にアイアンクローをかますクレハ。
今回ばかりはヴォイドに否がないように見えるのだが……頬が若干赤いところを見るに、恐らく照れ隠しだろう。哀れ、ヴォイド。
「まあ、ヴォイドが折檻受けるのはいつものこととして……お前の料理には期待していいんだろうな、ヴォイド」
正直、こいつの作る料理に関しては予想が出来ない。
俺と同じ転生者だということで、この世界にはない超絶美味い料理を作る可能性も考えられるし、そのズボラな性格から、全く料理が出来ないという可能性まである。
「まあ、食べられんってことはないじゃろうから安心せい」
そう言ってヴォイドが持ってきたのは……割と普通の見た目の魚料理だった。
「白身魚のムニエルもどき、ってところじゃね。味見もちゃんとしとるからね。クレハが」
「とても美味でした」
そう言ってぺろりと舌で唇を舐めるクレハは食べる専門ということか。ひそかに期待していた分、少しショックだな。
見るからに従者という感じのクレハが俺たちの中で一番料理が出来そうだったのだが……人は見かけによらないな。
「では、いただくかな」
「お粗末!」
「ちょっと早くね。まだ口つけてないよ」
俺は決め台詞をフライングしたヴォイドにツッコミを入れて、料理に口をつけた。そして、その直後。俺は驚愕した。
「う、美味い!」
見た目が普通だったから期待できないかと思ったが……全然そんなことはなかった。魚自体の旨味もあるのだが、何よりソースが絶妙な甘味と酸味を演出している。
間違いなく、暫定トップの美味さ。
どちらかに賭けろと言われたら不味いほうに賭ける程度の期待値だったヴォイドの料理は俺にとってダークホースと言えた。
「気に入ってもらえたみたいじゃね」
「ああ! 特にこのソース、どうやって作ったんだよ」
「ああ、それは卵と油と砂糖があれば割と簡単に作れるんよ。酸味を出すのに少し苦労したんじゃけどね」
「へー……ん?」
途中、俺はヴォイドの言葉の中に気になるワードが登場したことに首をかしげる。
「卵とか砂糖って、荷物の中にあったっけ?」
「いや、なかったのう。探しても見つからんで困ったわい」
「それじゃあ、どうやって……」
凄く、嫌な予感がする。
「どうやってって……メテオラで取り寄せたに決まっとるじゃろ」
「どんだけ下らないことにメテオラ使ってんだよ!?」
卵と砂糖が欲しくてメテオラ使ったの!? バカかこいつ!?
「問題なかろう。メテオラを使っちゃいけんなんて言われてないしのう」
「たかが料理に使うなんて思うわけねえだろ!」
間違いない! バカだこいつ!
そもそも料理当番になったらどうするんだ。毎回メテオラ使うつもりかよ。
予想外のバカさ加減を見せ付けたヴォイドに反則負けだと告げてやる。
「むう、納得いかんのう」
三人目、ヴォイド・イネイン──八〇点、ただし反則。
思った以上にまずい。不味くはないけど、まずい。
点数的にはヴォイドがトップだが、長い目で見たら知識もあるエリーが料理当番に適任だろう。だが、エリーの料理は普通過ぎるから絶対すぐに飽きる。このままではまずい。何とかしなければ。
これまでに現れた三人の料理人達の戦歴を振り返りながら俺は嘆息する。
正直、最後の一人にも期待が出来そうにないからだ。
「ど、どうかな。クリスのために一生懸命作ってみたんだけど……」
後ろ手にもじもじと体を揺らすエマが給仕したのは、
「飯炒め、か」
あまりにも質素なものだった。
チャーハン風に米を焼いたものだが、この世界では調味料が少なすぎるため味が薄くなりがちだ。卵も保存と運搬が困難であるから旅には持ってきていない。
だからこのチャーハンもどきはきっと美味しくない。
それが分かってなお……俺はこの料理に、今日一番の喜びを感じていた。
自信がないのか、上目がちにこちらの様子を伺うエマ。その様子が可愛くて、正直料理の味とか関係なく満点を付けたい気分だった。
「エマ、ありがとう。頂くよ」
「う、うん。クリス……食べて……」
ここだけ桃色空間になったかのような空気が生まれる。それを審査の終わった他の奴らが白けた目で見ているが、気にしない。
俺はゆっくりとスプーンで米をすくい、口に運んだ。
そして……
「うおおおおおおぉぉぉぉぉッ!!」
俺は咆哮した。
「何だこれ!? ……美味すぎるッ!」
その、あまりの美味しさに。
「ちょ、ちょっとクリスさん! いくらエマちゃんが可愛いからって贔屓しないでくださいよ!」
俺の様子を見ていたエリーが不満の声を上げる。
その声が非難めいて聞こえるのはエリーの料理を『普通』の一言で片付けたからだろう。すまん、エリー。
だが、この料理に関しては譲れない。
料理をしたのがエマということで、いくらか甘めに採点するつもりだったのだが……その考え自体が甘かった。エマの料理はガチだ。ガチに美味しい。
俺が他の奴らにも食べるよう薦めると、半信半疑の表情でそれぞれが料理に口を付け始める。そして、
「「「「なんじゃこりゃぁぁぁあああ……ッ!」」」」
揃って咆哮を上げた。
「おいしすぎですぅ!」
「これは見事じゃのう」
「む、ついに我のライバルが出てきたか……」
「これは美味しいですね」
四人が異口同音に賞賛を告げる。
「えへへ」
エマはそれらを聞いて、嬉しそうに口元をほころばせた。
これはもう、悩むまでもないな。
「優勝はエマで決定!」
俺の言葉に、反対する奴はいなかった。
四人目、エマ・ライラック──百点、優勝。
こうして、俺たちの料理当番が決まった。
しかし……俺たちは知らなかった。
「「「…………」」」
旅を始めて三日目の昼食。
「き、今日も炒め飯なんだね」
誰かがふと漏らしたその言葉。
俺たちは知らなかった。
エマが……炒め飯しか作れないということを。
次の日から、料理当番はカナリアとクレハを除いて日替わり制になった。




