第二十五話 「序幕の終幕」
クリスが使わせてもらっている宿の一室。
そこで、そのやり取りは行われていた。
「はい、あーんして。クリス」
「……あーん」
「…………」
「んんっ、どうも我は訪れるタイミングを間違えてしまったようだな」
順に、腕が使いにくい俺の食事を手伝ってくれているエマ。
そして、親鳥にエサを与えられているかのごとき俺。
さらに、それを白けた目で見ながら無言のエリー。
最後に、先日の約束を果たしに来たカナリアが続く。
この場にいるエマを除いた全員が微妙な表情をしていた。
一番、この状況が理解できないのはエリーだろうな。帰ってきてから、エマの態度が一変しているのだから。
エリーの変なものを見るような視線を無視して、エマは幸せそうな表情で俺に次々と食事を与えている。
「一体、何があればこんな新婚三日目みたいな関係になるんですか」
「俺に聞くな」
ポツリと漏れたエリーのため息交じりのそれに一応の反応を示しておく。
昨日は疲れや傷からすぐに休息を取った。そして、朝起きたらすでにこんな状態だったという、ね。正直、俺も戸惑っている。
「……満更でもないくせに」
「…………」
今度はスルー。
だって……否定できないのだもの。
女の子にここまであからさまな好意を向けられて嫌がる男がいるだろうか。いや、いない。
俺が反語まで使って言い訳を重ねていると、エリーの様子なんて眼中にないかのように振舞ってきたエマが口を開く。
「どうしたの、クリス? もうお腹いっぱいなの?」
「ある意味な。……というより、お客さん来たんだから離れろっての」
俺は三人揃って放置気味にしてしまっていたカナリアに向き直る。
居心地悪そうに佇むカナリアは昨日と違い、腰に二本の刀を差しているだけだ。背中越しに差していた残りの六本が見当たらないことから、どこかに置いてきたのだろう。
「すいませんね。こっちにも色々ありまして」
「いや、こちらがお願いする立場なのだから文句はない。それより、もし取り込み中ならまた出直すが……」
「いいんですよ。こっちとしても早いうちに済ましておきたいことですし」
軍人からの事情聴取というのは、元の世界で言うところの警察の取調べと同義だ。面倒なことは早めに終わらせるに限る。
「そうか、では早速だが事情を聞かせてもらう」
そうして始まった事情聴取。
何故か膝の上に乗ってきたエマを抱えながら、俺はカナリアに問われた質問を適宜答えていく。
貴族の男……ガドモンと言うらしいその男に目をつけられた経緯に始まり、どういった理由であの戦いにもつれ込んだのか。
しかし、メテオラの件は隠しながら話していくと、どうしても深く突っ込まれるところがあった。その中でも、最も深く聞かれたのが、
「では、どうやってエマ君の奴隷紋を消したのだ?」
「…………」
こればっかりはメテオラのことを白状しない限り、説明不可能だろう。
どう誤魔化すか、あるいは白状するのか考えていると、
「まあいいさ。人には言いたくないこともあるだろう」
と、思ったよりあっさり退いてくれたカナリア。
「ただ、向こうの主張が君に奴隷を奪われた、というものだったからな。どうやってかは置いておいたとしても、その事実だけは確認させて欲しい」
トントンとテーブルを叩きながらメモを取るカナリア。
俺は心配そうな表情でこちらを見てくるエマの頭を撫でてやりながら答える。
「それは俺がやったことで間違いないです」
「そうか。……しかし、困ったな」
「どうかしたんですか?」
「……奴隷紋を勝手に解放することは法には触れない。そもそもそんなことを想定していなかったからそれも当然なのだが……ここで問題なのはガドモン氏が君の行いを『窃盗罪』として告訴しようとしていることなんだ」
カナリアの言葉に、俺は一瞬息に詰まる。
告訴。つまりは裁判沙汰にしようということだ。
この世界にも裁判という概念はある。民事や刑事のような分類もなく、裁判官の多数決により一発裁定が下されるこの裁判は……正直言って、腐っている。
貴族の地位を利用したり、もっと直接的な賄賂という手段をとったりととにかく黒い噂が耐えないのがこの世界での裁判だ。
滅多に起きる事じゃないから油断していた。
俺はガドモンという男の執念に半ば呆れながら、面倒なことになったと頭を抱える。
「ガドモンは君を有罪にすることで、自分の罪を有耶無耶にしようとしているのだろう。……さらに、君にとっては不幸なことに、相手は貴族だ。裁判となれば不利は免れないだろう」
「……ですよね」
はあ……どうしよう。
無論、メテオラがあればどうとでも出来る。
出来るが、メテオラは極力使いたくない。
元々回数制限のあるメテオラだ。なるべく使用を抑えたいという思いはあったが、ヴォイドの話を聞いて、その思いはよりいっそう強くなっていた。
他の転生者に襲われた場合、対処できるように。
「……どうしよう」
「だ、大丈夫だって! エマもクリスの無実を証言するからきっと何とかなるよ!」
エマは落ち込む俺を、その小さな手をぎゅっと握って励ます。
……そうだよな。エマの証言があれば案外簡単に勝訴するかもしれない。
「ありがとな、エマ」
「お、お礼なんていいってば」
俺の感謝の言葉に、エマは嬉しそうな顔で手を横に振る。
謙遜するエマは多分、褒められたりされるのが慣れていないのだろう。
俺はめいいっぱいエマを甘やかすことに決めていたので、さらにエマの頭を撫でてやることで感謝を伝える。
……なんか、頭を撫でるの癖になってきた気がする。
「……えへへ」
というのも、撫でてやるたびにエマが嬉しそうにはにかむものだから仕方ない。頬を染めるエマがたまらなく可愛いのだから仕方ない。
「んんっ!」
また置いてけぼりにされていたカナリアがわざとらしく咳払いをする。
その表情は怒っているというよりは、照れている感じだ。
……俺たちのやり取りは見ているだけで照れちゃいますか。そうですか。
「とにかく、クリス君には裁判のため一度帝都に向かってもらう」
「まあ、そうなりますよね」
裁判所はグレン帝国に一つしかない。
グレン帝国の首都、ガルディア。グレン帝国の中で最も大きな都市であり、帝国軍の司令部がある都市でもある。
「道中は監視として私が付き添うことになるが、移動手段に心当たりはあるだろうか」
「軍の人が送ってくれたりはないの?」
「裁判に関しては軍の関与するところではないのでな。一ヵ月後に予定されている裁判に遅れないよう監視はするが、送ったりはしない」
「それはまた非効率なことで」
監視って、つまりは最大一ヶ月も同行を共にするということだろう。もちろんその間、他の業務は滞る。明らかに非効率だ。
「相手が貴族だから、いつも以上に気を使っているのだよ。……忌々しいことにな」
本当にそう思っているのか、ため息を吐きながら言葉を漏らすカナリア。
その様子に同情しんがら、今後の日程について話していく俺達。
それから、カナリアはちらりとこちらを見て「最後に」と前置きして、質問を飛ばす。
「戦う気はないと、そういうことでいいのか?」
戦う気、つまりは貴族達に反抗するつもりがあったのかという質問だろう。もちろん、そんなものはない。あれは完全に成り行きであって、俺に意思ではない。
そのことをカナリアに話すと、ほっとした表情を見せ、
「カナリア・トロイ。階級は大佐だ。よしなに頼む」
と、片手を差し出してきたので、俺もそれに片手を出して応える。
「改めまして、クリスと言います。これからよろしくお願いしますね」
ぎゅっと握手を交わす俺たち。握ったその手は女の子にしては固く、力強いものだった。
軍人として毎日の訓練を怠っていないのだろう。そのことが分かる手だった。
ともあれ、こうして俺は新しい同行人を得て、目的地を定められたのだった。
それから一週間後。
朝日が顔を出してまだ間もない頃。
炭鉱の街、リコルの外縁部でその一団は出発の準備を整えていた。
「それでは帝都、ガルディアに向けて出発しようではないか」
謎のリーダーシップを発揮するカナリア。
「寄り道しなければ一週間くらいで着きそうだな」
地図を見ながら、旅の日程を確認する俺。
「旅とか久しぶりだなあ……楽しみだねっ!」
俺の隣でニコニコと楽しげに笑うエマ。
「皆さん早く乗ってください。そろそろ荷馬車動かしますよー」
御者台に座り、馬の手綱を握るエリー。
そう、帝都への移動手段として俺はエリーの荷馬車を頼ることにしたのだ。エリーにも恩があるし、それを踏まえて少し高めの報酬を渡している。
その報酬を渡したときのこと。目をドルマークにしながら引き受けたエリーの姿は記憶の隅に封印することにした。
「いやー、わしらまで送ってもらってすまんのう。荷馬車を売ってから移動手段に困るとは思わんかったわ。はっはっは!」
「それもこれも馬を借りる金さえ博打につぎ込んだヴォイド様のせいでしょうが。猛省してください」
豪快に笑うヴォイドと、その様子を見て関節を極めるクレハ。
こいつらまで付いてくることになったのは予想外だったが、旅は道ずれ世は情け。それに何よりヴォイドには大きな借りがあるしな。断るはずもない。
しかし合計六人か。なかなかの大所帯になったものだ。
少し前までの俺からしたら考えられない事態だな。人生、何が起こるか分からない。
そんな感慨にふけりながら、俺は再び旅に出た。
仲間と共に。
──こうして旅が始まり、長く続いた序章がようやく終わる。
集まった彼らは、すでに『運命』という名の鎖に縛られていた。
そして、運命は廻り始める。
あるいは……狂い始める。
舞台を帝都に移し、物語は加速する。
未来を、信念を、望みを、情熱を、覚悟を、憧れを、そして愛を賭けた戦いが始まる。
そう……
……『代理戦争』の、幕が上がるのだ。
勝ち残れる転生者は、ただ一人。
逃れることは──『運命』が許さない。




