第二十四話 「生きるということ」
「ははは、そんな体でよく言えるもんだ! すでに瀕死じゃないか! おいお前ら、そろそろ終わらせろ!」
貴族の男の声が聞こえる。弓使いの近くで指示を飛ばすだけのそいつに刹那の間、視線を飛ばす。
──お前だけは許さない、と。
しかし、男の言うとおり俺の体は満身創痍。もう八方塞のこの状況。メテオラを使うしかないかと思っていた。その時だ。
「全員武器を捨てて、両手を挙げろ!」
新たな介入者の声が響く。
それは見たこともない女性だった。
「我は帝国軍第三大隊所属、カナリア・トロイ大佐だ! 我が名のもとに停戦を申請する! 従わない場合は我が軍の懲罰対象になると知れ!」
二十人近い軍服の集団の先頭に立つその女性は、凛とした声を響かせながら手を掲げている。
遠目の判断になるが、彼女が軍の人間であることはその徽章からも分かる。この国において、軍人というのは平民よりも高い地位にあり、また有事の際の戦力として非常に重宝されている。
逆らうとまずい。俺は一瞬でその判断を下し、元々武器も持っていなかったため右手のみを弱々しく上に挙げて戦闘の意思がないことを示す。
他の男たちも突然の介入に頬を引きつらせている。個人の雇い主の依頼で、特定の誰かを攻撃するのは明確な規則違反となる。
どうせ大金掴まされて目がくらんだのだろうが、この状況は奴らにとって最悪以外のなにものでもないだろう。
いつの間にか上がっていた雨。微かな月光が大地を照らす中、カナリアと名乗った女性がこちらへと歩いてきた。
近づかれたことで分かったのだがこの女性、思ったより若そうだ。女性にしては高い身長と、凛とした佇まいから上方修正されていたその認識を改める。恐らく、未だ少女と言ってもいい年齢だろう。
腰の辺りまで、すらりと伸びた黒髪をなびかせながらカナリアがこちらに向かって来る。
「不当に冒険者を雇い集めている者がいるとのタレコミを聞いてな。我らが参った次第である。一見、君たちが被害者のように見えるが、相違ないか?」
漆黒のコートを風になびかせ、カナリアが堅苦しい口調で問いを口にする。
「あ、ああ」
端的に答えながら、俺はカナリアの立ち姿を見る。
背中にかかるようにして携えられている六本もの刀剣が目を引く。左右の腰にも普通に刀が吊るされているため、通算八本もの武装になる。なぜこれほどに帯剣しているのか疑問に思いながら、俺はエマへと視線を移す。
「怪我とかはしてないみたいだな……良かった」
「エマのことはいいよっ! それよりクリス、早く治療院に向かおうよ! 早く止血しないと!」
痛ましげに顔を歪めるエマの頭をぽんぽんと軽く叩く。
「このくらいならまだまだ大丈夫だっての」
「いや、我の目から見ても全然大丈夫そうには見えないのだが……よく立っていられるな、君」
カナリアが心底不思議そうに首をかしげている。
輸送の準備もしているから、と治療院への運搬を提案してくるカナリアに俺は首を横に振って答える。昔、あそこの世話になったとき、アホみたいに金を取られて後悔したことがある。それ以来、俺は二度と行かないことに決めているのだ。
「こうして軍を動かしてくれただけでも十分ですよ。感謝しています」
「ふむ、君がそういうのなら我はもう何も言わないが……一応、何があったかだけ教えてもらえないだろうか。これも規則でね、事後になろうとそれなりに理由付けが必要なのだよ」
「それはもちろん、構いませんよ。ただ少し疲れたんで、日を改めてもらえると助かるんですけど」
「それで構わない。宿の住所などを教えてもらえれば、こちらから伺おう」
俺はカナリアに住所は分からないが、と宿の名前だけ教えておいた。カナリアは後で調べて向かわせてもらうと頷いて、俺に背を向けた。
軍の人間がそれぞれ、男たちに事情を問い詰めている中、俺はしばし立ち尽くす。
突然終わった戦闘に、心が切り替え切れていないのだ。
「く、クリス?」
そんな俺の様子を、エマが心配そうに覗き込む。
「ん、悪い。早いところ帰ろうか。せっかくシャワー浴びたのに、また入り直しだな」
「そんなことより、早く治療しないと……」
「俺は昔から打たれ強いから平気だっての」
俺は散々心配し続けるエマの手を掴んで、歩き出す。
ほんの数時間前に、殺されかけたとは思えないその関係。本当に不思議な話だ。
「…………」
「…………」
水溜りを跳ねさせながら歩く俺たちは、お互い何を話していいか分からず、妙な沈黙を保っていた。
戦いの最中、俺は自分の本心を口にした。
それに対して、エマも自分の本心を口にした。
一人は嫌だと叫んだエマは、俺のことを少しでも認めてくれたのだろうか。俺はエマの助けになることが出来るのだろうか。エマは俺に、助けて欲しいと思っているのか。
調子のいいことを言ってはみても、俺にはエマの心の内が読めない。
それもまあ、当然のことなのだが。
他人の考えていることが分かるなんて、超能力でも使わなければ無理だ。
だからこの感情はきっと、恐怖と呼ぶのが相応しい。
人は一人で生きてはいけない。
だから群れ、周囲に合わせようとするのだ。
俺はそれが出来ずに、落ちぶれた。自分の殻に閉じこもり、死ぬまで孤独を気取り続けた前世の自分を思い出す。
──もう二度と、生きる理由を見失ったりしない。
手を握る少女の温もりを忘れない。
自分の罪がどうとか、やるべき責任がどうとか、そのための資格がどうとか、そんなのはもうヤメだ。
俺は俺のやりたいようにやる。守りたいと思ったから、守る。ただそれだけ。
自分の決めた道だ。だったらその道がどんなに怖くても、決して振り返ったりしない。
俺はエマを握る手に少しだけ力を込める。
人は他人を理解することなんて出来ない。
でも、だからこそ──
「…………」
──人は寄り添い生きるのだろう。
理解しようと、努力するのだろう。
少しだけ強く握り返されたエマの手を感じて、そう思った。
それから宿に戻って、ボロボロの俺を見つけたエリーが悲鳴を上げたのはまた別の話。




