第二十三話 「指切り」
夜の帳が下りた第三採掘場。
少年と少女の戦い。その幕が下りようとしていた。
「はぁ、はぁ……」
距離を開く両者は、どちらも肩で息をしている状況。しかし、外傷が見られるのは片方だけだった。
戦いの決着。
それは──クリスの敗北という形で訪れようとしていた。
「なんで……なんで攻撃してこないの! クリス!」
叫ぶエマの体は綺麗なもので服にかすかな汚れが付いている程度だ。それに対して俺はあちこち出血しているし、左手は相変わらず反応がない。ここまで一方的な戦いもなかなかないだろう。
口の中を切ったせいで、じんじんと痛むのを我慢しながら俺は言葉を返す。
「言っただろ。俺は俺の守りたいものを守らせてもらうってよ」
「そんな血だらけで、全然守れてないじゃない!」
「俺の守りたいものは、俺自身なんかじゃねえよ」
まだ分かってなかったのか。
自分が大切なら、そもそもこんなところに来たりしないってのに。
仕方ない。俺が何を言いたいのか分からない様子のエマに、言葉で告げてやる。
「俺の守りたいものは、エマ。お前だよ」
「……何言ってんのさ。頭打っておかしくなったの? どういう結論に至れば、エマのことが大切だなんて冗談が言えるのさ」
「冗談なんかじゃ、ねえ!」
俺は震える足腰に気合を入れなおして、真っ直ぐに立ち上がり、吠える。
「ああ、バカなこと言い出してるのは自覚してるよ! それでも仕方ねえだろうが! 守りたいって、思っちまったんだからさ!」
大声で想いをぶつける俺に、エマは信じられないといった表情。
「ほ、本気なの?」
「ああ、本気も本気だよ! 本気でどうにかしてやりたくて、本気でそばにいてやりたくて、本気で守ってやりたいんだよ!」
何が言いたいのか分からなくなってきたが、構わない。
俺は勢いに任せて本心をまくし立てる。
「お前の境遇に同情しちまったんだよ。もう、どうしようもないくらいにな。これまで沢山、辛い事あったんだろ? だったらさ、それを忘れられるくらいに楽しい事を探せよ」
「……そんなの無理だよ」
人の価値観はその人の人生の中で育まれるものだ。だから、無理だと呟くエマはそう思うしかない人生を送ってきたのだろう。だったら、いや、だからこそ。残りの人生は幸せにしなくちゃいけないんだ。
「お前の人生を狂わせた責任はちゃんと取る。そんなことで罪がなくなるだなんて思っていないけど、それでもその覚悟はあるんだ」
俺はゆっくりとエマに向かって歩を進める。
「来ないで……」
「俺はさ、ずっと怖かったんだよ。いつか俺のところに報いが来るんじゃないかって」
「だから、来ないでって……」
「エマに出会ってさ、俺は良かったと思ってる。だって、ようやく俺は自分の罪に向き合う事が出来たんだから」
「来ないでよおおおおぉぉぉぉ!!」
エマの言葉を無視して、ゆっくりと近づいて行った俺は──
「──エマ、約束しよう。お前が俺の罪を忘れない限り、俺はお前のために生きてやる」
短刀を取り落としたエマの小指に、そっと俺の小指を絡ませる。
「あっ……」
指きりげんまん。
雨で冷えた体温が、伝わる。
「お前が寂しい時は傍にいてやる。お前が嬉しい時は一緒に笑ってやる。お前が悲しいときは一緒に泣いてやる。お前が怒っているときは代わりにそいつを殴ってやるよ」
「あ、あ……」
「俺の命が要らないって言うなら、いつでもその短刀で刺し殺してくれて構わない。出来ればまあ、そうならないで欲しいけどな」
「あ、ああああ……」
「俺はバカだからさ、言われないと気付けないんだよ。だから……どうして欲しいか言ってくれ。俺の全力で、それに応えてやるから」
「エマは、エマは……」
ボロボロと涙を溢すエマが、俺の前でようやくその願いを口にする。
ずっと、ずっと言えなかった、その本心を。
「家族が……欲しい……ッ!」
決壊するかのように、エマの口から次々と願望が流れ出る。
「友達が欲しい! 仲間が欲しい! 温もりが欲しい! 誰も失いたくなんてないッ! エマはもう……一人は嫌なんだよぉっ!」
俺はゆっくりとエマの体を抱きしめて、頭を撫でてやる。
嗚咽交じりに泣き声を上げるエマに、俺は答えてやる。
「お前が望む限り、俺はお前の味方であり続ける」
俺の言葉を証明するように、俺はエマの頭を撫で続ける。何度も、何度も。
これでエマの心が救われるなら、安いものだ。
「クリス! クリスっ!!」
「ああ、ここにいるぞ、エマ」
俺の名前を呼び続けるエマ。
こんな展開になるなんて、数日前の俺からしたら想像も出来なかったな。
でも、悪くない気分だ。自分から殺されてもいいだなんて、ドMをこじらせた奴みたいだが、それでも構わない。
これが俺の背負わなければならない罰……いや、そんな言い方はもう止めよう。これは俺がやりたいことなんだ。
気付いてしまえば簡単なことだった。結局、俺は正しいと思った事をしているだけ。その場しのぎの言い訳を続ける、自分勝手な傲慢さ。それが俺の本質で、生き方なんだ。
しばしの感傷に浸る俺たち。
しかし、そんな時間も長くは続かなかった。
「──お邪魔するぜ、ガキども」
突然の声に振り向けば、いつの間にか十人ほどの男たちが俺たちに向かい立っていた。そのほとんどが武装している。服装や武器がばらばらなことから、彼らが冒険者であることが想像できたが……なぜ、彼らはこんなところに来た?
「あ、あ……」
俺に寄り添うエマは事情が分かったようで、身を震わせながら声を漏らしている。
エマの視線の先、男達の中央に立つ唯一武装していない男の顔を見て、俺も遅れて理解する。
あいつは……エマの前の主だったやつだ。
メテオラでエマを奴隷から開放させたときに傍にいた奴。数日前のことだったから良く覚えている。
「何しに来やがった」
「いや、何。私は受けた屈辱はきっちり返さないと気がすまない性質でな。それにいくら捨て馬とは言え、奪われるのは気に食わん。その前に足を折ってやろうと思っただけよ」
「……下種が」
俺に復讐するついでにエマも巻き込もうって魂胆か。
男たちは下卑た視線で俺たちを見ている。生理的嫌悪感を誘う目だ。
俺はエマを彼らの視線から遠ざけるように、俺の体の影へとさりげなく誘導する。
「く、クリス……」
「大丈夫。俺がなんとかしてやる」
震えるエマに、俺は力強く言葉を返してやる。安心できるように。
「お前ら、やれ!」
貴族の男の言葉で、一斉に男たちが殺到する。
今の俺は左手が利かない状態だ。接近戦では分が悪い。
そう思った俺はすぐさま魔術を詠唱し始める。
「燃え盛れ、紅蓮の咆哮──《ヴァリエ・デア・フレア》」
右手から炎の渦を発生させ、男たちに線ではなく面の波状攻撃を仕掛ける。
超大規模の魔術の行使により、辺り一帯が昼間のような明るさに包まれる。あまりの熱量に気温すら上がった中、男たちは素早く回避行動に移る。
流石に、一度で全員を倒すことは出来なかったか。
なら次だ。
「エマ、後退するぞ!」
俺はエマの手を握り、唯一炎を展開していない後方を退路と決める。
「う、うん!」
流石にこの人数差で戦い続けるのは厳しい。
メテオラを使う手も考えたが、回数制限のあるメテオラはなるべくなら使いたくない。ヴォイドの話を聞いた後ではなおさらだ。
魔力で身体能力を強化して逃亡を計るが……子供と大人ではそもそもの身体能力からして違いすぎる。俺たちは先行する二人の男に呆気なく追いつかれてしまう。
「エマ、伏せてろ!」
エマを半ば投げるように振り払いながら、俺は二人の男と接敵する。
「流星光底!!」
この二年で威力の抑え方を学んだ俺は自損することも、殺害することもない威力に定め、右から迫る男に掌底を放つ。
吹き飛ぶ男を見やりながら、俺は身を翻して回し蹴りをもう一人の男に叩き込む……が。
──バシィ! と、派手な音と共に衝撃が殺される。俺の蹴りは交差するように重ねられた男の腕によって防がれたのだ。
男はそのまま、俺の右足を掴むと高く掲げる。
「くそっ!」
宙ぶらりんにされた俺は腕力の差に苛立ちながらも、素早く技を返しにかかる。
腹筋を使い、ぐるりと体勢を変えた俺は揺れる左足を男の首にかけるように回し、思い切り力を込める。
ぎりぎりと始まる力比べに、男が苦悶の表情を浮かべ、
「大人しく、死ね!」
「大人しく死ぬ奴なんて、いるわけねえだろ!」
本当なら付けた勢いのまま男の体勢が崩せればベストだったのだが、流石にあの体勢からでは不可能だったか。
俺は根競べを一度諦め、右手を男の腹に合わせ、唱える。
「迸れ──《ドンナー》!」
「ぐああああッ!」
バチバチとスタンガンを当てられたかのような反応を見せた男はそれからすぐに白目をむいて、意識を失った。
「クリス!」
男の力が抜けたことで、地面に落下し叩きつけられた俺が耳にしたのは、エマの切羽詰った声。
見れば幾本もの弓矢がこちらに飛来していた。
休んでいる暇はないみたいだな。
「弾け飛べ──《デア・フリッカー》!」
衝撃を生み出す魔術。俺はそれを球形に展開して弓矢の軌道を逸らす。
弓矢はなんとか防げたが、その隙にさらなる敵の接近を許してしまった。
二刀流の男、槌を掲げる男、鞭をしならせる男にそれぞれ視線を送り、俺は真っ先に二刀流の男へと駆けた。
他の打撃系の武器なら、食らっても被害は少ない。それに鞭は混戦状態では使いにくいだろうと判断してのことだ。
「しッ!」
迫り来る双刃を見極め、かわす。刃物は受けるわけにはいかないから、かわすしかない。ぎらりと光を反射する刃に本能的な恐怖が沸き立つが、それを必死に押し殺し相対する。
右の刃をかわし、一歩詰める。左の刃は振りぬく前に腕を打ち、止める。前進した勢いのまま膝蹴りを見舞うが、決定打にはならない。さらに追い討ちをかけようとして……俺はその場を飛びのいた。
──ゴオォォォォッ!!
二刀流の男ごと焼き殺す勢いの炎に俺は面食らいながらも後退。
魔術師までいやがるのか。面倒だな。
鮮烈に輝く紅の炎に一瞬目がくらむ。そして、その一瞬の隙に生まれる鋭い痛み。俺の右足を鞭が打ったのだ。
距離があったため、それほどの威力ではないがジンジンと痛みが伝わってくる。わずかに崩れたバランス。そして……
「喰らうがいいッ!」
背後に回り、槌を掲げた男がそれを振り下ろす。
俺は頭上に迫るそれを、とっさに右手を差し出して受ける。
「ぐっ、おおおおおぉぉぉぉぉ!!」
激しい鈍痛と、嫌な音が響く。再び右足に痛み。くるぶしの辺りを打った鞭と、槌の威力に押されて俺はその場に転倒する。
視界に光った白刃に反射的に回避。二振りの刃をごろごろと転がってかわす。
その勢いのまま、カポエイラでもするかのように俺は体を半回転させて二刀流の男の足元を蹴りつける。
そうして生まれたわずかな隙に俺は立ち上がり、なんとか距離を取ろうと後退する。
「ぜえ、ぜえ……」
数の暴力の何と恐ろしいことか。
次々と襲い来る攻めにすでに満身創痍の状態だ。ぷるぷる震える足に活を入れ、眼前を見据える。
「……ッ!」
その時だ、俺は見てしまった。
飛来する弓が、エマを狙っている瞬間を。
「あああああああああああ!!」
咆哮と共に、俺は駆ける。
振るわれた鞭が額を打つが、そんなこと気にもしない。
裂けた皮膚から流れる血が視界を汚す中、俺はエマの元に辿り着き、その小さな体を抱きしめる。
「ぐ、ふっ……」
アドレナリンの過剰分泌で薄れている痛覚でも分かった。俺の背中に数本の矢が突き立っていることが。
「く、クリス……」
「だ、大丈夫だって。こんなの、何ともねえよ」
右手は骨が逝ったのか、動かすだけで激痛が走る。
右足も鞭によって与えられた痛みを主張し続けている。
視界も悪く、意識はぼー、っとして来やがった。
俺は体を引きずるようにして、エマの前に立つ。
視界には二刀流の男、槌を持つ男、鞭を持つ男、魔術師であろう杖を持つ男、遠くで弓を構える二人の男が見える。
状況は最悪。
だというのに、俺は全く怖くなんてなかった。死んでしまうかも知れない戦場で、俺はほくそ笑む。
──ああ、何でもねえよ。こんなもん。
「守るべきものが俺の後ろにはいるんだよ」
──ああ、だからまだ戦えるさ。
「約束したんだよ、だから……」
震える右手を横に伸ばし、エマを庇うように広げ、宣言する。
「俺は、負けないッ!」




