第二十一話 「譲れぬ思い」
ぽつぽつと小降りな雨が大地を湿らせる中、街の外周近くにある第三採掘現場に四人の人影があった。
周囲には作業員たちが置いていったのだろうピッケルや運搬用の一輪車が散在している。
俺は視線の先、そそり立つ鉱山へと体を向けているため背中しか見えないその小さな人影にゆっくりと声をかける。
「よう」
「……生きてたんだね、クリス」
こちらへと振り返った少女、エマの茶色の癖毛は雨でしっとりと濡れている。さらにはそれほどの雨量でもないというのに、着ている外套がびっしょり濡れていることから、長い間雨の中立ち尽くしていたことが容易に想像できた。
「エマ。お前に謝りたくて会いに来たんだ。話を聞いてくれるか?」
「謝りに? ……変なことを言うね。謝らなきゃいけないのはエマのほうなんじゃないかな。普通は」
「だとしても、だ。それに全ての原因は俺にある。まずは俺から謝るのが筋ってものだろう」
僅かに俯くエマの表情からは、何の感情も読み取れない。
何を考えているか分からないというのは恐怖だ。それでも俺はエマに向けて一歩を踏み出す。
そのときに、俺をここまで案内してくれた二人、ヴォイドとクレハにお礼を告げておく。
「二人ともありがとう。ここから先は俺たちだけにしてくれるか」
「ま、そうじゃろうね。人の喧嘩を見る趣味もないし、わしらは退散させてもらうよ」
何から何までしてもらった上に最後は除け者扱いしてしまったことを悪く思ったが、ヴォイドは全く気にしていない様子。
「悪いな」
俺が最後に感謝の旨を告げると、ヴォイドはひらひらと手を振って背を向けた。
また後で改めて礼を言わないとな。それほどのことをしてもらったのだから。
でも今は……
「…………」
無言でこちらを見るエマに俺は向き合う。正面から。
「エマ。お前の親父を殺したのは俺だ。だから俺はエマに殺されるだけの理由があると思う。だけど、先にこれだけは言わせてくれ。……お前の家族を奪ってしまって、すまなかった」
深々と頭を下げる俺。
視線が下がって、エマがどんな表情をしているのか見えなくなったが、それでも俺は頭を下げ続ける。
「なんで……」
微かな雨音に紛れて、エマのか細い呟きが聞こえてくる。
僅かに顔を上げてエマを見ると、エマは怒っているような悲しんでいるような複雑な表情を浮かべていた。
「なんで、そんな風に謝るの! 謝るくらいなら、最初からやらなかったら良かったのに!」
「エマ、俺は……」
「聞きたくない! 言い訳なんて聞きたくないよ! 謝罪なんてもっといらない! エマは、エマは……」
抱えきれない何かを吐き出すように、エマは言葉を続ける。
「ずっと、一人だったエマを救ってくれたのがオヤジだった。オヤジさえ居れば、それだけで良かったのに! なんで!? なんでオヤジを殺したのッ!? なんでエマの大切な人はすぐにいなくなっちゃうんだよぉッ!」
頬を伝い流れ落ちる雫が雨と交わり大地に吸い込まれる。
痛ましいと、そう思った。そしてその責任は俺にある。
──俺はエマに、何がしてやれるんだろう。
「クリス!」
叫ぶエマは懐から短刀を取り出す。
前に俺を刺したものと同じものだろう。刃渡りはそれほど長くはないが、その切れ味は身をもって知っている。
俺を殺すつもりなのだろうか。そう思っていたのだが、エマが続けて放った言葉は予想していないものだった。
「エマと殺し合いをするんだ、クリス! もう、ごちゃごちゃしたのは面倒だよ! 手っ取り早く、力で決着を着けよう!」
真っ直ぐに向けられた切っ先が、雲の切れ間から差し込んだ月光を受けて怪しく光る。
それに対して俺はゆっくりと無手を構える。
「いいよ。それでエマの気が済むのなら」
「お互い、手加減なしだからね」
視線を交わす二人の距離は目測で十数メートル。
魔力で強化した体なら一瞬で埋まる距離だ。そして、それはエマも同じだろう。
エマの武器は短刀で間違いないが、警戒するべきはそれだけではない。
宿で見せたあの不可思議な現象。
持っていなかったはずの短刀が陽炎のように現れたあの現象も警戒しなければならない。どういった原理かは分からないが、恐らく魔術。
つまりエマは魔術と体術の両方を扱う戦士だということだ。
……俺と同じようにな。
「ふっ!」
短い呼気と共に、駆け出したのは……エマだ。
魔力で強化しているのであろう脚力を持って俺に迫る。その身体能力は年齢の割りに高く、熟練されたものだったが俺も伊達に冒険者家業を続けていたわけではない。
エマの短刀が煌き、足もとを薙ぐ。
膂力では俺が完全に勝っているだろうから、真っ先に対処しなければならないのはこの短刀だ。
とはいえ、リーチもたいした事ないその短刀を避ける事は容易い。俺は余裕を持って白刃をかわしながら、相対するエマを分析する。
数合で分かった。
エマの戦闘能力は……はっきり言って論外だ。
短刀も振り回すだけ。体捌きに至っては素人と言っていいレベル。殺し合いをしようなんて言い出した割りに、全然大したことないその動きに俺は心の隙を生んでいた。
「ぐっ!?」
左手の二の腕辺りに鋭い痛み。
ちらりと視線をやれば、そこからドクドクと血が流れていた。
──切り傷。しかし、刃を受けた覚えはない。
突然のことに俺は何が起こったのか分からず、狼狽したたらを踏む。
「そこっ!」
俺の様子を好機と見たエマの体が跳ね……体を捻って遠心力をプラスした回し蹴りが俺の胴を撃ち、吹き飛ばす。
「がはっ!」
肺から空気を吐き出しながら、地面に打ちのめされる俺。
顔にへばりついた泥を拭いながらすぐさま起き上がると、エマの短刀が眼前に迫っていた。
──ザクッ!
「ぐう……ッ!」
鋭い痛みが脳に伝わる。
エマの短刀は俺の左肩に突き刺さり、真紅の血を滴らせる。
「油断したね、クリス!」
俺に突き刺さっている短刀を握る右手を押し込むエマ。俺も右手でエマの腕を掴んでそれを阻止しようと試みるも、激痛で上手く力が入らない。ゆっくりと体内に侵入してくる切っ先に苦悶の声が漏れる。
「ぐ、うう……」
左手が上手く動かない。
腱をやられてしまったのかもしれない。少なくとも、この戦闘中の復調は望めないだろう。
「これで、詰みだよ」
呟くエマの左手、何も持っていないその空手の先がゆらゆらと陽炎のように揺れ始める。これは……前に見たのと同じ現象……ッ!
「──陽炎!」
なかったはずの、二本目の短刀が姿を見せる。
振るわれるエマの左手に、がら空きの俺の胴体。
……まずいッ!
「らああああぁぁぁぁ!」
叫びと共に、俺は刺さっていた短刀を強引に引き抜く。
血が噴出するが、構っていられない。
二本目の短刀をぎりぎりのところで後退し、かわす。
「ちっ!」
エマが舌打ちをしたのが聞こえる。
俺は血が出続けている左肩を抑えて止血を試みながらエマと距離を空ける事に専念する。一度体勢を立て直す必要があると判断してのことだ。
「……っ」
傷口がズキズキと痛みを主張している。
しかし、あの窮地をこれだけの被害で抑えられたのは僥倖だ。エマの使った技の正体もなんとなく分かってきたしな。
距離を空けて向かい合う俺たち。
俺は時間稼ぎの意味も含めて口を開く。
「その魔術……闇系統のものだろう」
「魔術名まで聞けば流石に分かっちゃうよね。そうだよ、エマは闇魔術の使い手。そして闇魔術が使えるってことの意味、クリスなら分かるよね?」
闇魔術。それはあまりポピュラーな魔術ではない。
なぜなら、闇魔術は普通の人間には使う事の出来ない魔術だから。
「お前……亜人種だったのか」
「大正解。やっぱり元貴族だけあって、色々詳しいんだね。いまどき亜人種なんて知っている人は少ないと思うよ」
そう言ってエマは片手で前髪を大きくかき上げるようにして、その額を晒す。
髪に隠されていたそこには、小さな小さな『角』が生えていた。
「気味悪いよね。こんなもの生えてたら。エマの本当の両親がエマを捨てた理由も分かるってもんだよ」
「…………」
亜人。
それは突然変異を現した者の総称だ。
今でこそ一つの種族しかないこの世界だが、大昔はもっと沢山の種族がいたらしい。血統が交わり続けて平均化する前の時代。その頃に分けられていた種族的特長を色濃く反映させた固体を、亜人と呼ぶのだ。そういう意味では、これは一種の先祖返りと呼んでいいだろう。
そしてここで問題となるのは、その亜人と呼ばれる人たちが普通の人とは違う身体的特徴を持っており、時として……迫害の対象になり得るということだ。
「ほんと、理不尽だよね。生まれ持った性質なんてどうしようもないのに、それを理由にされても困っちゃうよ」
「エマは……この世界を恨んでいるのか?」
「別に恨んではいないよ。そういうモノなんだなーって思うだけ。ただ、間違っているとは思うけどね」
クルクルと短剣を回転させるエマは何でもないように語る。
間違いなく、壮絶と呼んで差し障りない人生を歩んできたのであろう少女。それなのに、仕方がないの一言で片付けようとしている。その達観した考え方を身に着けるまでにどれだけの苦悩を刻んできたのか想像もつかない。
少しずつ雨足が強くなり始める中、エマは独白を続ける。
「オヤジもこんな世界のあり方を間違っているって感じていたよ。結局、異端として国を追われることになっちゃったんだから色々終わってるよね」
「……イワンのことか」
「そそ。奴隷制度の撤廃を求めていたんだってさ。奴隷の撤廃を求めて、結局奴隷みたいな生活を送るはめになったんだから、皮肉な話だよね」
自嘲気味に呟くエマ。
その姿を見て、俺は気付いた。
エマのそれは達観などではなく、諦観なのだと。
この少女は世界に絶望して、あらゆるものを諦めてしまっているのだろう。
「クリスは言ったよね。社会のルールを守れって。それって、つまり奴隷は奴隷らしく従ってろってこと? でもそれなら、エマのこと助けてくれた理由が分からないよね。奴隷をわざわざ助けようとするなんて、社会のルールに反しているんだから」
「お、俺は……」
「結局のところ、クリスの主張はぶれ過ぎなんだよ。一貫性がない。そんなんじゃ、誰も納得させることなんて出来ないよ。……自分を誤魔化すにはちょうどいいのかもしれないけどね」
……確かにエマの言う通り。俺の主張は曖昧なものだ。
しかし、俺がいかに嘘つきな人間かなんて、ここに来る前のひと悶着で嫌というほど自覚させられたことだ。
だったら、少しずつ進んでいけばいい。間違いながら、間違い続ければいい。俺はそう思っている。そう思えるように、なったのだ。
それに……
「俺は俺の正しいと思ったことをするだけだ。それだけは今も昔も、変わってなんかいない」
「……つまり、オヤジを殺したことも『正しいこと』だったって言うの?」
エマの試すような視線が俺に突き刺さる。
誤魔化し続けたことだけど、いい加減俺も素直に自分の心をさらけ出すべきだろう。そう思った俺ははっきりとその言葉を告げてやる。
「そうだ」
俺の断言に、エマが意外そうな顔をする。
ここまではっきりと言うとは思っていなかったのだろう。
それもそうだ。被害者の遺族の前で、加害者が開き直ったようなものなのだから。
「イワンは俺の大切な人を傷つけようとした。だから、俺が殺してやった。そのことで謝る事はあっても後悔したりなんかしない……もし時間が戻っても、俺はやっぱりイワンを殺すよ」
「……やっと本心を聞かせてくれたね。エマはその言葉が聞きたかったんだよ」
エマはゆっくりと目を細めてゆき、やがて閉じた。
物思いにふけるエマが何を思っているのか……女心に鈍感な俺でもなんとなく分かってしまった。
これまでのエマの戦闘能力を見れば分かる。エマの保護者がどれだけエマを戦闘から遠ざけようとしていたかを。つまり……エマのことをどれだけ大切にしていたかを。
ゆっくりと瞳を開いたエマは宣言する。
「エマ・ライラック。父の無念、晴らさせてもらうよ」
「クリストフ・ヴェール。守りたいものを、守らせてもらう」
名乗りを上げた両者。
本心を告げ、お互いを知り、初めてフルネームを名乗った二人はこのとき、本当の意味で出会ったと言えるだろう。
同時に駆け出す両者。
──こうして再び、闘争が幕を上げた。




