第十七話 「報い」
「よう! 元気しよるかい、クリスよ。数日ぶりじゃのう!」
「…………どうも」
「はっはっは……なんで、嫌そうな顔するん?」
それはアンタが全然会いたいタイプの人間じゃないからだよ。
なんてストレートすぎる言葉を飲み込んで、目の前に立つ男……ヴォイドへと当たり障りのない会話を続けていく。
人の姿もまばらな真昼間。エマの生活品を購入しようと街にくり出した俺たちは偶然出くわしたヴォイドに声をかけられた。エリーとエマもそばに居るが、この軽薄そうな男に警戒しているのか特に話に加わろうともしない。
「しっかし、クリスはまた新しい女子連れとるんか。羨ましい身分じゃのう。どうかね、一晩だけわしに貸してはくれんだぶらふぁっっっぁぁぁ!!」
「ヴォイド様、自重してください」
「痛い! 痛いってクレハ! わしの腕はそんなに曲がらな……ギブギブギブギブ!!」
メキメキといった快音と、ヴォイドの絶叫が周囲に響く。
俺たち? もちろん全員ドン引きしてますよ。
ひとしきり折檻を終えてから、クレハがパンパンと手を叩く。
「ふう、クレハのスキンシップは少々過激でいかんね」
「いや、スキンシップとかって次元じゃねえだろ。あれは」
あれだけの暴行を受けてもけろっとした様子のヴォイド。こいつの体はサイボーグか何かかよ。
だらしなく気崩した服の隙間から見える肌はどう見ても人肌。サイボーグ説、撃沈。
そんなくだらないことを考えていると、俺はふと気付いた。
「そういやお前ら。荷馬車はどうしたんだよ」
そう、二人のそばには先日あった荷馬車が見当たらない。
「ああ、あれな。売ったんよ」
「売った?」
「おう。わしらにはどうも、行商は性に合わんかったようでのう。新しい何かを探してみようと思うとるとこよ」
「行商、っていうか働くこと自体向いてなさそうですけど……」
思わずなんだろうけど……エリー、君もなかなかズバッとモノを言うよね。
「はっはっは。いやぁ、恥ずかしいのう!」
「分かっているなら、反省してください」
ヴォイドとクレハの二人は相変わらずの様子。
本当に自由なやつらだ。全然、羨ましくはないけどな。
それから二人は知人と待ち合わせをしているとのことで、すぐに俺達のもとを去って行った。
嵐のような登場の後、それまでずっと黙り込んでいたエマがようやく口を開く。
「へ、変な人たちだね」
「ああ、俺もあのクラスの変人にはあったことがないな」
ナンパとデンパ。
あれ? お似合いじゃねえか。
「変わった人たちだとは思いますけどね」
エリーまで苦笑しながらそんなことを言う。
というかエリーよ。そういう奴をまさに変人というのだ。全くフォローできてないぞ。
それから数時間、あちこちの店へとはしごして次々に生活品を購入していった。
エマは所持品0の状態だったので色々と購入するものがあった。それら全てを俺のポケットマネーで支払ってやったのだから、俺もなかなか出来た男だ。
「けどあんまり店が揃ってない雰囲気だな。品揃えもたいしたことないし」
「それは仕方ないですよ。専業都市ですからね。炭鉱以外の産業は軒並み普通以下です。服とかは後で、私の商品からいくつか差し上げますので。それ以外から集めていきましょう」
「女の子に何が必要かなんて分からないから、お前らで勝手に物色してくれ」
古来から女の買い物は面倒で長ったらしいと相場は決まっている。
俺はそんな独断と偏見によって、荷物もちとしての任務に従事していた。
俺の視線の先で並んで歩くエマとエリー。エリーは手を繋ぎたそうに左手をうろうろさせているが、エマが元気に腕を振っているもんだからなかなか上手く掴めていない。
あー、平和だねえ。
夕方近くまでそうやって買い物を楽しんでいると……
「あ、雨だ」
ぽつぽつと街全体に小雨が降り始めた。
「荷物あるし、さっさと宿に戻ろうぜ」
「そうですね。大体のものは買い揃えましたし、帰りましょう」
若干早足になりながら宿へと戻ってきた俺たち。
びしゃびしゃ、とまではならなかったがこのままでは風邪を引いてしまうかもしれない。
「おい、お前ら先に体を流してこいよ。エマは俺の部屋のシャワー使っていいから」
こういうときはレディーファーストだ。
「おお、クリスが紳士だ!」
「いつもは紳士じゃないみたいな言い方しないでくれるかな」
「クリスさんって基本イジワルじゃないですか……」
「エリー、黙れ」
「最近ますます私の扱い雑になってません!?」
だってお前、いじると楽しいんだもの。
とはいえ、いつまでも遊んでいるわけにもいかない。
俺は買い物してきた荷物をエリーの部屋に運んでから、二人に早く浴びて来いと手を振ってやる。
安い宿屋だから、シャワー室も別個に用意されているわけではなく部屋の隅にカーテンと段差で仕切られるようになっているだけだ。
そして、エマに俺の部屋のシャワーを使わせてやるのは良かったのだが……
「ふんふん、ふーん」
ご機嫌でシャワーを浴びるエマの声が聞こえる。
部屋の隅でシャワーを浴びるエマの影がカーテンを通して見えた。流れる水音も合わせて、妙に艶かしく感じる。
礼儀的にも出て行ったほうがいいのだろうが、エマから話したいことがあると言われてこの場に残っている。別にいやしい気持ちで残っていた訳ではない。断じてない。
「クリスー、いるー?」
「お、おう。いるぞ」
妙な気恥ずかしさから、エマのほうを見ないようにしながら俺は言葉を返す。
「ちゃんと言ってなかったけどさ、エマはすごく感謝してるんだよ? 助けてくれたこと」
どんな話かと思いきや、エマは突然そんなことをいい始めた。
「おいおい、急にどうしたんだよ。いつもの傲慢な態度はどうしたんだ?」
「あはは、エマは礼儀とか知らないだけで敬意は持ってるんだよ。そんな感情抱いたのは、今まで一人しかいないけどね」
エマは明るい口調で語ってはいるが、その内容に俺は言葉に詰まる。
それは、エマが今まで碌な人間に出会ってこなかったってことだろうから。
彼女が奴隷になった経緯は分からないけど、楽な人生を送ってきた訳じゃないことくらい俺にも分かる。
「クリスはどうして、冒険者になったの?」
「俺は……」
どうして、か。冒険者になったのは食い扶持を稼ぐためだが、エマが聞いているのはそんなことではないだろう。
そんな表面的なことではなく、もっと深い部分。
つまり、どういった経緯で今に至るのかを聞いているのだ。
エマの問いかけは続く。
「クリスは食事の前に手を合わせるでしょ? あれってアーゼル教の教えだと思うんだけど、もしかしてシャリーアの人間だったりする?」
「……ああ。信じてはいないけど、習慣的なものでな。癖みたいなもんだ」
「へー、じゃあさ、クリスって妙に教養あるけどあれって何で? エリザベスと同じくらい……いや、それ以上に物事を良く知っているよね。もしかしてクリスって元貴族とかだったり?」
「……よく分かったな」
エマが何を知りたがっているのか良く分からない。
ただの雑談か?
「クリスはさ、何でエマみたいな奴隷を助けてくれたの?」
突然、問いの方向性が変わる。
「……何でそんなことを聞くんだ」
「普通はここまでしないよ。だから、何か裏があるのかなーって。例えば……」
エマはそこで言葉を切ると、唐突にシャワーカーテンを開け放った。
「な、何やってんだよ!」
「だからさ、そういうことがシたいのかなーって思って。歳も近いしね」
ぺたぺたと水滴をこぼしながら、こちらに歩み寄るエマは体を隠そうともしない。
「ば、ばか! そんなつもりで助けたんじゃねえよ!」
俺はその姿が直視できず、顔を背けてしまう。
「クリスはさ、覚えてる?」
「……何をだよ」
ドキドキと早鐘の鼓動を刻む心臓を自覚しながら、俺はエマの言葉を待った。
「忘れてなんかないよね──────
──────エマの家族を殺したときのこと」
「…………………………え?」
一瞬の静寂。それからエマがさらに俺へと近づいてくる。
そして……
──ズブリ。
エマが軽く体当たりするように寄せてきた。
「え、ま?」
突如腹部に熱が広がる。
ポタポタと真っ赤な液体が床に落ちる。
一瞬遅れて、その熱が脳へと信号を伝える。その──激痛を。
「ぐ、ううあああああアアアッ!!」
「イワン・ライラック。この名前に心当たりがあるでしょ」
「ぐ、イワン・ライラック……だと?」
……イワン。
忘れもしない。俺が殺した最初で最後の男の名前。
「そう。エマは彼の娘だったの」
「……ッ」
エマが体を離すことで、噴き出す鮮血。
何をされたのかとエマを見れば、さきほどまで持っていなかったはずの短刀を携えていた。
「一体、どういう……」
「分からなくていいよ。クリストフはここで死ぬんだから」
エマの口から出た俺の本当の名前。
間違いない。こいつは俺のことを知っている。知っていて……殺そうとしているのだ。
「はあ、はあ……」
そう理解したとき、目の前がぐらりと揺れた。
それが貧血のせいなのか、それとも別の要因によるものなのか……少なくとも、この状況でそれが非常にまずいことであるのは疑いようがない。
「ただの偶然だったけど、会えて良かったよ……これで父の仇が討てる」
黒い感情に包まれた声音と共に振り下ろされた短刀が、俺の体を深々と斬りつける。
「かはっ……!」
その一撃によって、俺は派手に転倒してしまう。
どくどくと広がる血の泉に体を浸しながら、確実に致命傷だと理解する。すぐにメテオラを使わなければ……使わなければ、いけないというのに。
ぽたりぽたりと下に向けた切っ先から血を滴らせる短刀、そして佇むエマ。ぼんやりし始めた視界にその姿を収め、俺は体を震わせる。
いつかこんな日が来るのではないかと怯えていた。
イワンを殺したあの日から、ずっと。
じわじわと痛みが遠のいていく。意識と共に。
まずい。これは本格的にまずい。
確実に近づいてくる死を認識していながら、俺はメテオラを使うことができずにいた。
「…………」
無言で俺を見下ろすエマ。
彼女には、俺を殺す資格がある。そう思ってしまったのだ。
そう思ってしまったら、もう駄目だった。
──これは、罰だ。
殺人という大罪を犯した俺には相応しい最後だろう。
俺は瞳を閉じて……全ての思考を放棄した。
「────」
最後にエマが何かを言っている気がしたが、俺はそれを台詞として聞き取ることが出来なかった
だって、俺はもう……




