第十五話 「身分階級制度」
次の日。
昨日と同じようにバザールに来ていた俺とエリー。
ヴォイドとクレハもどこかで店を出しているのだろうか。見かけたら話しかけて……いや、やっぱりやめたほうがいいかも。
なんて若干失礼なことを考えていたからだろうか。
天罰……というには、少々優しすぎる事件が起きた。
「あ! ちょっと待って!」
俺がエリーと少し離れたところで、商品を販売していると、慌てたエリーの声が聞こえてきた。
振り向いてみると、おろおろとその場をさまよっているエリーの姿が見えた。
「どうかしたのか」
「あの子が、商品を盗んでいっちゃって……ど、どうしよう!」
エリーの指差す先には……なるほど、ボロボロのローブを纏った小柄な人影が走り去るのが見えた。
盗みか。というかおろおろしてないで追えよ、エリー。
まあ、性格的に難しいんだろうが。
俺は仕方ない、とため息を付いてから……
「ちょっと懲らしめてくるよ。エリーはここで待っててくれ」
「わ、分かった」
俺は見失う前に、と小さなその背中を追い始める。
かなり足が速い。もたもたしていたら置いて行かれそうだ。
わずかに魔力を足に宿して、脚力を強化。ぐんぐんと速度を上げて、その小さな影に追いつき……
「観念しろ、盗人!」
俺はそのローブを掴んで動きを止める。そして同時にフードを引っつかんで脱がす。
「や、やめろ!」
甲高い声で抵抗するその影は、茶髪の少女だった。背丈は俺よりも低い。その小さな手足をばたばたと振って、俺の拘束を解こうとしている。
「はーなーせー!」
「この状況で離せといわれて離すやつがいるかよ。いいから盗んだ物を返せ。きちんと金を払うなら見逃してやってもいいから」
盗み騒ぎなんて珍しくもないしな。
エリーもああいう性格だし、大事にはしないほうがいいだろうと思っての言葉だったのだが……
「はんっ! 金があったら盗みなんかするわけないじゃん! さてはお前、バカだろ!」
少女の言葉にカチンと来た俺。
「ほほう。盗人の分際で大層な口を利くじゃないか。よほど警備兵に突き出されたいらしいな?」
脅すような口調でそう言ってやると、少女が先ほどとは打って変わって青ざめる。
「そ、それだけは止めてくれないかな。エマは奴隷だからそれされると……」
震える声が発したその言葉を俺は聞き逃さなかった。
奴隷。
それはこの世界における身分階級を示すものだ。
王族、貴族、平民、奴隷。これが基本的な身分階級。そこに各国が『騎士』やら『司教』などの身分を適当な位置に入れていく。
グレン帝国は軍事国家なので貴族と平民の間に『軍人』という身分が入る。この軍人でも一部は貴族より上位の権限を持っていたりするので一概には言えないのだが。
そしてこの階級によって、罪に対する罰の大きさも変わってくる。自分より身分が上のものに不敬を働けば、それだけ重い罪が待っているってことだな。
俺はにやにやと悪い笑みを浮かべながら告げてやる。
「奴隷、ね。それは良いことを聞いた。つまり、お前は死罪に値する罪を犯したってことだな?」
「え!?」
「気付いていなかったのか? さっきのおどおどした女。ああ見えて貴族だぞ」
たまに忘れそうになるが、エリーはれっきとした貴族の地位にある。ロスの名を騙る事は同じく死罪にあたるので、間違いない。かつて貴族の地位にいた俺はこの辺の階級制度については詳しいのだ。
「そ、そんな……」
平民であれば死罪までは行かなかっただろうが……運がなかったな。まあ、行商をしている貴族なんてかなり珍しい部類なので仕方ないといえば仕方ないが。
「自分のした罪の重さが分かったか? 分かったならワンと言え」
「わ、ワン!」
「そうだ、それでいい。お前は惨めな家畜……いや、家畜以下の存在だ。ソレなのに俺に対してバカだとか……いやあ、よく言えたものだ。本当に」
「ご、ごめんなさい! ほ、本当に知らなかったんだよぉ!」
ぶるぶると震えながら懇願する少女。
その様子を見ているだけで鬱憤は晴れた。脅すのはこの辺にして……どうしようかな。
少女の処遇を考えていたその時だ。
「何やってんですか! クリスさん!」
ガン! と頭上に衝撃。
振り向けば、そこには見たこと無いほど怒った表情のエリーが立って、振り下ろしたのであろう手刀を掲げている。
「何すんだよ!」
「何するはクリスさんのほうでしょ! こんな小さな女の子に何やってるんですか!」
全く威圧感がないが、憤慨している様子のエリー。
「ちょっと説教してただけだっての」
「この子泣きそうになってるじゃないですか! いくらなんでもやりすぎです!」
こいつは一体何を言っているんだ? 確かに言いすぎたところはあったかも知れないが、盗みを働いたのはこいつだぞ?
エリーは理解できないといった表情の俺を無視して、少女の下に歩み寄り膝を折って目線を合わせながら話しかける。
「ごめんね。驚かせちゃったよね。酷いことしたりしないから安心して。まずはあなたのお名前聞かせてもらってもいいかな?」
「エマの名前は、エマって言うの……」
「そっか、エマちゃんって言うのか。私はエリザベス・ロス・ヴェール。よろしくね」
ロスと名乗ったとき、エマと名乗った少女は一度びくりと体を震わせる。さきほどの脅しが効いているのだろう。
いや、問題はそんなところじゃないな。
「もう、可愛いなあ……」
思わずといった様子で漏れたエリーの台詞。その時、俺の脳裏に電流が走った。
湖での一件。男嫌い。エマをにやにやと見つめる視線。まさか、こいつ……
「エリー、お前まさか……ロリコン、なのか……?」
まさかとは思いつつも、俺は恐る恐る聞いてみた。
「ろ、ロリコンじゃないですよ! 私はちょっと背が低くて、可愛らしい女の子が好きなだけです!」
「そういうのを世間一般でロリコンって言うんだよ!」
ま、まじか……こいつ……
エリーは戦慄している俺の表情にようやく気付いたのか、
「べ、別にいいじゃないですか! クリスさんには迷惑かからないですし……」
「俺を半裸にしようとした変態の台詞じゃねえだろ! 自省しろ!」
駄目だこいつ……早く何とかしないと……。
昨日散々聞いたクレハの口癖を真似て叫んでみたが、エリーは口笛を吹いて、全く聞いている様子がない。くそ、腹立つ。
「あれ、エマちゃん?」
視線を俺から逸らしたエリーが呟く。
その言葉に俺は慌てて周囲を探すも……ぼろぼろのフードをまとった少女の姿は、どこにも見当たらなかった。
次の日。
俺とエリーは昨日の出来事で喧嘩中。なので、俺は行商の仕事をサボって、一人街を歩いていた。
そんな時のことだ、昨日盗みを働いた少女を見つけたのは。
いや、正確に言うなら『騒ぎに巻き込まれている少女』だな。
「おら! 何とか言ってみろよ!」
荒々しい口調で吠える三十代くらいのその男は、地面に蹲り頭を抱える少女──エマを蹴り付けている。
エマは何の反抗もせず、じっとその暴行を耐え続けていた。
流石にこれは……見逃せないな。
「おい、その辺にしとけよ」
俺は声をかけながら、男の肩……は少し手が届きにくいので、腰辺りを掴み軽く引っ張る。
「あ? なんだ、お前」
「その子が何したのか知らないが、やりすぎだろう」
「なら放っておけやガキ。お前には関係ねえ」
男は俺を無視するように、再び足を振り上げ、少女を踏みつけようとしたので、
「やめろって言ったろ」
俺は男を強く引っ張ると同時に、足払いをかけて転ばせる。
背中から派手に転ばされた男は、すぐに起き上がって、赤い顔で俺に突っかかる。こうなるとは思ってたけど、面倒だな。
ぶんぶんと振りまわされる拳を見極めてかわす。
動きが完全に素人だ。短絡的で、読みやすい動き。
「くそが!」
吠えた男が大きく振りかぶる。が、体重移動も甘く直線的な拳だ。
これなら……受け止められそうだな。
──バシィッ! と、俺は男の拳を真正面から受け止めてやる。思ったよりは……軽いな。僅かに押され足元に擦った跡が残るが、それだけだ。
その一連の攻防で、男は俺に勝てないことを悟ったのか、拳を止めて今度は口を開く。
「おい、こいつは俺の所有物なんだよ。よく見ろ、これが見えるか」
男は地面に蹲る少女の首下を指差す。
昨日のとは違う、質素な服に身をまとう少女のうなじ辺り。そこに見えたのは……奴隷紋。
最も低い階級の身分にあることを示す証。
男はにやにやと下卑た笑みを浮かべて、言葉を放つ。
「分かったか? こいつは俺のモノなんだよ。俺がどう扱おうと、俺の勝手。お前みたいな余所者が口を出せることじゃねえのさ」
奴隷は主人の所有物として扱われる。だから、この男の言っていることは正しい。
正しいけど……それは間違っていない訳ではない。
それに何より……『英雄』は、困っている人を見捨てたりしない。
俺は男を無視してエマに近寄り、
「大丈夫か」
できるだけ優しい声音で声をかける。
「……あなたは、昨日の……」
エメラルドの瞳が俺を捉える。潤んだその目に、俺は決意を固める。
「おい、何しているガキ! 俺は貴族だぞ。こんなことしてどうなるか、分かってるのか!?」
全く相手にしていない俺の態度に、その男は憤慨した様子。
耳に障る、だみ声でまくし立てるその男に対し、俺はさらに口調を強める。
「うるせえよ、ゲスが。黙ってみてろ」
貴族の風上にもおけない野郎だ。元貴族として、腹が立ってくる。
その憤慨を乗せるようにして、俺はエマのうなじ……奴隷紋へと手を当てて、誰にも聞こえないくらいの音量で静かに呟く。
「『奴隷の身分から解放しろ』──メテオラ」
白い光が漏れるが、それも僅か。
明るい今の時間帯なら、俺が何をしたのか分かりはしないだろう。
すっ、と離した俺の手。露になったエマの首元には……
「なっ!? 奴隷紋が……消えてやがる!?」
「分かったか? これでこの少女はもうお前の奴隷なんかじゃない」
奴隷紋は身分を表すと同時に、主のキーワードに反応して奴隷自身に痛みを与える魔術の魔法陣としての機能も持っている。ショック死させることも出来るこの魔法陣が、奴隷と主を繋ぐ唯一の鎖。そして、今。俺はその鎖を無理やり断ち切ったのだ。
「ふざけんな! お前、何しやがった!」
顔を怒りに歪め、再び掴みかかってくる男に俺は静かに魔術を発動。
いい加減、付き合うのも面倒だ。
使うのはいつもの雷の魔術。俺が放てる最も弱い電撃が奔り、男へと吸い込まれるように衝突する。
それだけで男はぴくぴくと痙攣し、白目を剥いて倒れる。
……うえ、気持ち悪ぃ。
俺は目をそらす様に背をむけ、エマに手を貸して立たせてやる。
「ほら、もう大丈夫だぞ」
痛ましい様子の体から、埃を払ってやる。
立たせたエマは俺よりも小柄だった。茶色の髪の毛は所々が跳ねている。手入れどうこうではなく、ただの癖っ毛のようだ。
エマはぺたぺたと自分のうなじを触ったりして、何があったのか理解したようで、俺に向かって……
「なんてことすんのさっ!」
と、両手を掲げて激昂してきた。
……あれ?
「エマは奴隷じゃなくなったら、どうすればいいのさ! 責任取ってよ!」
「え、いや…………え? せ、責任?」
「そうだよ。だから、あなた……エマの主になってよ!」
突然の展開に動揺する俺の前で、少女は俺にその薄い胸を張って命令したのだった。
……なんでこうなった。




