「天昇」
俺の刀とクリスタの細剣が激突する。
とてつもない衝撃波が周囲の木々に拡散し、切り刻む。斬撃を繰り出しながら考えるのは『敵』の力量分析。一撃一撃は軽いが、速度がある。戦闘スタイルとしては一撃離脱のヒットアンドアウェイが基本だ。
ならば、と俺は強い踏み込みと共に花一華を斜めに振り下ろす。
それをキィィィン、と刃の腹を使って受け、下に流すようにもっていくクリスタ。何度も世界をループしている内に身につけたんだろうな。とてつもない熟練度の差を感じる。
かつては俺を追いかけるだけだった少女の成長に、妙な悔しさを感じながら俺は左手を柄から離し、掌底を放つ!
「ハッ!」
呼気と共にねじりこむ様にクリスタの腹にぶち込む。しかしその動きも読んでいたのか、クリスタは俺の掌底に対して手首を打ち上げるように左膝を蹴り上げた。衝撃に従い、上方へ流される掌底をクリスタは首を捻って避けるとそのまま俺の体に密着、俺の喉下に押し当てられた肩から……
「発勁──鉄破っ!」
とてつもない衝撃が俺の体に浸透する。
まるで流れる波紋のように広がる衝撃に、俺はたまらず吹き飛ばされる。
「ぐ、あ……ッ!?」
喉を潰されたことで発声が出来ない。これはまずい。俺の長所である魔術が封じられてしまった。
「貴方の弱点なら良く知ってるよ」
ひゅんっ、と軽い音を上げて風を切るのはクリスタの細剣。的確に狙いをつけて穿つのは確かに俺が受けるのを苦手する部位ばかりだった。
「クリストフは一撃で勝負を決めるタイプ。だからなのか攻める瞬間はその隙も大きくなる。私が狙うのはカウンター。ただそれだけでいい」
「くっ……!」
少しずつ追い詰められる体勢。
しかもそんなことを言われては攻撃にも出にくい。その結果、俺は完全に守勢に回されてしまった。勝つためには攻めるしかないのだが、一度決まった攻守は簡単には変わらない。
それから俺はクリスタの剣を受けるだけの時間が続く。時にかわし、時に受け、時に喰らう。そんなことを続けていればいずれダメージが限界を超えるだろう。俺は覚悟を決め、大博打に出ることにした。
足に魔力を集中、一瞬だけ跳躍力を高め俺は傍にあった木に飛び乗るとそれから次の木へ跳躍。立体的に動きクリスタの剣域から逃れようと試みるが……
「悪い流れが続くとそれを打開するため、大きく移動する。それも変わらないね」
読まれていたのかクリスタも跳躍して俺を追ってくる。
「ちっ!」
破れかぶれ、俺は体を反転して斬撃を放つがそんな体重の乗ってない一撃ではクリスタに届くことはない。それどころかその剣を利用され、俺の回避しにくい剣の死角へと細剣を滑り込ませてしまった。
「ぐっ、あっ!」
深々と俺の腹部に突き刺さる感触。内臓を抉られ、滅茶苦茶にされる感覚。
「大丈夫。殺しはしないから」
激痛に呻く俺にクリスタが優しく語り掛ける。そしてそのまま重力に引かれた俺達は……ドサッ! と地面に激突。背中に走る衝撃に俺は肺の酸素を残さず吐き出しながら苦痛に耐える。
「でも……手足の二、三本は我慢してね」
そして再びの激痛。
逃げられないようになのか切り捨てられた俺の右足から大量の血液が地面を濡らす。まずい……本当に手も足も出ない。力量の差がありすぎる。かつてイザークを相手にしていたときのような……
「ど、どうせやられるなら……」
「え?」
俺は脳裏に走った閃きに賭け、
「くれてやるよッ!」
俺は魔力を限界まで左足に集中させ、俺の体に覆いかぶさるクリスタを蹴り上げる。
──ドンッ!
軽々と宙を舞うクリスタ。俺は左足に走る激痛に顔を再び歪める。
痛い……きっと俺の左足は自分自身の力に耐え切れずずたずたになっていることだろう。クリスタに切り落とされるくらいならと行った蛮行だったが……やらなきゃよかった。マジで痛い。
「はぁッ!」
そして俺の反抗にクリスタも容赦を捨てたのか、俺の右腕を狙って放たれる斬撃。俺はそれを花一華を使って受け止め、そのまま無様に地面を転がり回避する。
両足はもう使えない。
俺は近くの木に寄りかかってクリスタを待ち構える。
「……何してるのよ」
そんな俺の無様な姿を見て、クリスタが吼える。
「どうして"本気で戦ってこない"のよ! クリストフ!」
「…………俺が」
言いかけ、咳き込む。喉にたまった血を吐き出した俺は改めてクリスタに向き合い、答える。
「俺がお前を傷つけられるわけ……ないだろうが」
何を当たり前のことを言っているのだと、俺はクリスタに告げる。
「わ、私は本気で貴方を殺すわよ? 代理戦争に勝ち残らなければループも出来ない……そのときが来たら私は貴方を殺すのよ!? それなのに貴方は私に手を出さないって言うの!?」
「…………」
「もし、本気でそこまでしないと高をくくってるなら……」
俺に近寄ったクリスタは、その細剣を俺の左肩に狙いを定め、
「思い知ればいいッ!」
──ザンッ! ザンッ! ザンッ!
刺しては抜き、刺しては抜き、刺しては抜いた。
その度に吹き出す血に、走る激痛に、俺は必死に耐える。耐えることしかできなかった。
「今の貴方は私の愛した彼じゃないッ! 今の貴方を殺すことを私が躊躇うとでも思ってるの!? 勘違いしないで! 私を選ばなかった貴方なんかに用はないッ!」
もう斬るところがなくなった肩から狙いを変え、反対の肩、腹部、脇腹、胸部、左足を滅多刺しにしてくるクリスタ。そして、その度にクリスタは悲しげな声を上げる。
「貴方なんて嫌いよッ! 大嫌いッ! 私が一体何年待ったと思っているのよ!」
それは非難のように。
「それなのにッ! 貴方はッ! カナリアを選んだ! エリザベスを選んだ! エマを選んだ! アネモネを選んだ!」
それは怒号のように。
「あんなに好きだって言ってくれたのにっ! あんなに愛してるって言ったくせにっ! 何でっ! 私を見てくれないのよっ!」
それは慟哭のように。
「何で……私の元から居なくっちゃうのよ……クリストフぅ……」
それは……悲鳴のように。
クリスタはずっと一周目の俺を待っていた。
自分の元へ戻ってくることを切望していた。
もう一度愛してもらえることを……祈っていた。
だけど……
「し、死んだ人間は……還らない……」
俺は瀕死の体を何とか動かして、クリスタに告げる。
「どんなに望んでも、お前の愛した俺はもう……どこにもいないんだよ」
「そんなことないもんっ!」
俺の言葉に、クリスタは声を荒げる。
死んでしまった俺の影を追い、追いつくことこそが彼女の行動原理なのだから。ここで否定しなければ、今までやってきたことの全てが無駄になる。意味のない行為だったと認めることになってしまう。だから、それだけは出来ない。
「貴方は言ってくれた、また来世で逢えたなら、もう一度君を愛すって。あの人はまだ私のことを愛しているはずだから! あの人はまだ、死んでなんかいないからっ!」
ぼろぼろと、その瞳から涙を零すクリスタ。
もしかしたら、彼女にとって死とは別れではないのかもしれない。俺が彼女を死から生還させてしまったから。それ以前の記憶を失うことがなかったから。
俺があの……禁忌を犯してしまったから。
クリスタはまだ、死んでしまった俺を認められないのかもしれない。
だとしたら、これは俺の責任だ。俺の……罪だ。
「クリスタ……」
でも、だからこそ。
「君の愛した俺は……死んだんだ」
その罰は、清算は、贖罪は、俺の手で行わなければならない。
「これからずっとループを繰り返したとしても、それは変わらない。もし君をもう一度愛する俺が現れたとしても……それは昔の俺じゃない」
「やめて……」
「どんなに望んでも、求めても、祈っても……死んだ人は還ってこない。神の力でも、出来ないことはあるんだよ」
「やめてよ……」
「俺は一周目の記憶なんてもってない。それは何度繰り返しても変わらない。俺は……君の求める俺には、なれない」
「やめてって言ってるの!」
振りかぶったクリスタの細剣が俺の心臓を深々と突き刺す。
後ろの木ごと俺を突き刺したクリスタの細剣。体中をズタズタにされた俺は最後の最後、想いに導かれるようにして動いていた。
切断された足を地面につけ、立ち上がる。とてつもない激痛が傷口から襲い掛かるが俺はそれを飲み込んで、その一歩を踏み出す。クリスタに向け。
「うっ……」
クリスタの握る剣に、自らその体を沈める。
少しでも……クリスタに近づけるように。
俺は震える指をクリスタの頬にあて、ゆっくりとその体を引き寄せる。
「やめてっ!」
懐から取り出したナイフを両手に構え、俺を拒むクリスタ。
俺はそのナイフに構わず……
「好きだよ……クリスタ」
クリスタの体を精一杯、抱きしめた。
二本のナイフが体に突き刺さるが……そんなの今更だろう。
「何で……そんなこと言うの……」
「事実、だから」
「……私は……貴方を……」
「分かってる。分かってるよ。クリスタ」
俺に会うために、俺を殺す。
そんなクリスタの行動原理は俺の権能と同じく、歪だ。
だからこそ俺もクリスタも逃れられない無間地獄へとその身を落とした。
平穏を望みながら、戦いへと身を投じた俺のように。
愛する人を望みながら、愛する人をその手にかけたクリスタは。
どこまでも似たもの同士だったのだ。
だからこそ、その宿命の辛さも分かっているつもりだ。俺自身、その重みに幾度となく潰されそうになったから。
「俺は君の望んだ俺にはなれない」
それは俺にとっても辛いこと。
誰かに求められることを望んだ俺にとって、その人の望む俺になれないことはとてつもない痛苦だ。自らを呪いたくなるほどに。それが大切な人の望みとなれば尚更だ。
だけど……人は他人にはなれない。
そのことをいい加減、俺は知るべきなのだ。そして、それはクリスタも同様に。
「クリスタを愛した俺はもういない……だけどさ、それだけじゃないだろう?」
幾度となく繰り返された未来で、俺達はすれ違い続けてきた。
クリスタの望んだ未来は訪れなかった。クリスタの望んだ最上は訪れなかった。だけど……未来とは、そうでなければいけない。何でも思い通りになる世界なんてない。
どんなに辛くても、悲しくても。俺達は未来に向かって進まなくてはならない。なぜなら……
「クリスタの愛した俺はもういなくても……クリスタを愛した俺がいなくなるわけじゃない」
未来には、悪いことばかりが用意されているわけではないから。
「だから……過去に縛られるのはもうやめよう。そんなの、自分が辛くなるだけだ」
転生者が前世を悔やんでいたように。
人間とは過去を忘れられない生き物だ。
だけど、過去は過去だと割り切らなくてはいけない。
どんなに美しい今を残そうとしても、明日はくる。終わりはくる。きてしまうのだ。
──どんな物語にも、終わりがあるように。
しかし、それを悲観することはない。
死を、恐れる必要なんてない。
「未来には、昔以上にクリスタを愛する俺がいるかもしれない。だから過去に引きづられて今を悲観する必要なんて……ないんだよ」
人は転生する。
そのことをもう、俺達は知っているのだから。
その先に待っている未来はきっと輝いているはずだ。
「……そんなの綺麗事よ」
「かもな」
過去に縛られ続けた俺のような男が言うにはあまりにも陳腐だったかもしれない。だけどさ、望まずにはいられないんだよ。誰しも望んでいる光り輝く明日ってのをさ。
「……クリストフは、本当に女ったらし」
「心外だな。俺が愛しているのはいつも一人……だと思う」
他の世界の俺のことは知らないから、どうにも歯切れが悪くなるが。今の俺が愛しているのは真に一人。だから多分、他の世界の俺も同じだったと思う。
「ふふ……心配しなくてもいいよ。クリストフはいつだって、二人以上を同時に愛せるような器用な男じゃなかったから」
「褒められてるんだか、貶されてるんだかよく分からないな」
「褒めてるよ、一応ね」
なら……良かった。
「ねえ、クリストフ……」
「ん?」
「私のこと、好き?」
「ああ、好きだぜ」
「それじゃあ私のこと……愛してる?」
「いや、その言葉は一人にしか言わないことにしているんだ」
「もう……意地悪なんだから。でも、好き」
そう言って俺の体を抱きしめ返すクリスタ。
彼女を縛り付けてきた妄執は消え去ったのだろう。そんな優しい手つきだった。
もしかしたらクリスタも、薄々分かっていたのかもしれない。自分のしていることが無意味な行為でしかないということを。だからこそ、他ならぬ俺自身に言われたことで踏ん切りがついたのだろう。
「……クリストフはこれからどうするの?」
問いかけるクリスタに、俺ははっきりとその言葉を告げる。
「俺は『英雄』になるよ」
「……それがどういう結果に繋がるとしても?」
「ああ。未来は分からない。自分が正しいと思ってとった行動でも本当に望んだ結末に繋がるかは分からない。だけど、それでいいんだ。未来が決まっていないからこそ、人は夢を見ることができる。今を悲観せず生きることができる」
筋書きの決まった物語なんて、面白くもなんともない。
この世でもっとも詰まらない行為、それは"ネタバレ"なのだから。
「だからいい加減、この物語も終わらせるべきなんだ」
永久に続く物語。
それを望んだ俺の言葉にしては皮肉が利きすぎているけど。人は変わる。変わることができる。それこそが人の多様性、未来への希望に他ならない。
「そっか……」
俺の言葉に、クリスタは柔らかな笑顔を浮かべた。
そして……
「"クリストフに、幸せな未来が訪れますように"」
その最後の祈りを、俺に届けた。
クリスタの両手から白い輝きが生まれ、俺たちを包み込む。
それはどこまでも優しい光だった。
「……これが私の最後のメテオラだよ。メテオラを使い切った私はこれで、代理戦争への参加資格を失う」
「……いいのか?」
「うん。いいよ。私もそろそろ、変わらないとね。望んだ過去は戻らないけど、輝いていたあの日がなくなるわけじゃない。貴方を愛した心までなくなるわけじゃない」
そっと俺の体から身を離し、両手を胸に合わせて瞳を閉じるクリスタ。そして……
「今までありがとうクリストフ。そして……さよなら」
その頬に一筋の涙を流し、微笑んだ。
俺はその最後の景色を胸に宿して、意識を深く深く闇へと沈めていく。
そうして俺は幸せな気持ちを抱きながら──天へと昇っていくのだった。




