「踏み込む意思」
黄金色の作物がどこまでも広がるその光景はいつか見た景色そのものだ。かつてはひどく高く感じたの作物も、今ではすっかり低く感じる。いつもどおりの、しかし視点の変わってしまったその光景を俺は目に焼き付けながら歩く。隣に幼馴染の少女を連れて。
「俺がヴェール領を出てからどうだった? 何か困ったこととかあったか?」
「うん。生き返った私を避ける人はいたけど師匠のおかげで何とかなったよ。だから師匠には感謝してるし、実の父親みたいに思ってる」
「そっか……でも何で騎士団なんかに入ったんだ? 女の入団希望者なんて例年一割にも満たないって聞いてたけど」
「それはそこ、ほら。私ってずっとクリストフの後を追いかけてたでしょ? だからかな。剣の道を進むことにしたのもクリストフが剣を習ってたからだし」
他愛もない会話を続けながら俺達は歩く。
昔一緒にこの道を歩いたのを覚えている。村人達は成長した俺に気付かないのか、特に変わった反応はされない。あれほど俺を嫌っていた人達も、今ではその想いも風化してしまったのかもしれない。
人は変わる。
それは仕方のないこと。
「……景色は変わらないのにな」
「え?」
「いや、人は変わったな、と思ってさ」
「それは私のことを言っているの?」
「それもある。綺麗になったよな、クリスタは」
「まーた、そういうこと言って。そんなんだからクリストフには悪い虫がすぐくっつくのよ。分かってるの? そういう無責任な発言には気をつけないと」
いつものように、昔のように俺を叱り付けるクリスタ。
思えば昔からクリスタには頭が上がらなかったな。これが男と女の基本的立ち位置なのだとしたら、なるほど、俺はヴォイドのことを悪く言えないな。
「何、笑ってんのよ」
「ちょっと、昔を思い出してね」
「ふーん。でも分からなくはないかな。その気持ちも。昔は良かったよねー、とか、あの頃はなーとか、きっと私達は幾つになっても同じことを言うんだと思うよ」
「それこそ死ぬまでな」
「思い出って、美化されるものだもん」
歩いているといつしか風景は変わり、昔一緒に遊んだ側沿いにやってきていた。昔ここでメテオラを使ったんだっけな。何だかはるか昔のことのように思える。
「昔は楽しかったもんね」
「……そうだな」
戦いなんてなかったあの頃。
世界が輝いて見えたあの頃。
それはクリスタにとっても同じなのだろう。
「ねえ……クリストフはさ、後悔してる?」
「何を?」
「私を……助けたこと」
「してないよ」
「本当に?」
「本当に」
「……そっか」
クリスタの為にイワンを殺したことも、クリスタの為に禁忌を犯したことも。何一つ後悔してはいない。ただ……手段を間違えてしまっただけだ。それしかなかったとしても、それ以外に助ける方法がなかったとしても。それは間違いなく失敗だったのだ。
「そうだよね……クリストフはいつだって、何回だって私のこと助けてくれるもんね」
俺達は歩き続ける。やがて懐かしい屋敷が見えてきたところで、クリスタは僅かに顔を曇らせて本音を語り始めた。一度も聞けなかった、本心を。
「本当はね、助けてくれないならそれでもいいと思ってた。貴方の気持ちが完全に私から離れてしまったなら、それで諦めもつくから」
「…………」
クリスタの口ぶり。
やっぱり、クリスタが川で溺れたのは偶然じゃなかったのか。
それもそのはず。何度もループしているのなら当然自分の身に起こることに気が付かないはずがない。だというのにクリスタは川で溺れた。それは彼女が彼女自身の意思で身を投げていたからに他ならない。
助けてくれないならそれでもいい、だって?
俺の気持ちを確かめるためだけに……お前は命を賭けたって言うのかよ……。
「でもね。クリストフはやっぱり優しいから。何度だって私を助けてくれるの。だから……駄目なの。やっぱり諦めることなんて出来ないんだよ」
「…………」
もしかしたらあの時、クリスタを見捨てていれば俺は今頃アネモネと一緒に幸せな時間を過ごしていたのかもしれない。クリスタを見捨ててさえいれば、カナリアもイザークも、まだ一緒にいられたかもしれない。
だけどそれは有り得ない仮定。
あの頃の俺が、クリスタを見捨てるなんて有り得ない。何度世界を超えようと、その決断だけは変わらない。
だって、俺は……
「俺は……クリスタのことが好きだから」
「…………」
「大切な人を失うのは嫌なんだ。だから俺は何度過去を繰り返しても、同じことをすると思うし、事実そうだったんだろ?」
「……だから、諦められないのよ。一度愛してしまったら、一度愛し合ってしまったらもう一度って、そう思っちゃうのよ。それが……貴方との最後の約束だったから」
「約束?」
「この世界の貴方は知らない約束のこと」
この世界の俺……つまり一周目の俺と交わした約束のことなのだろう。
スペルビアは俺とクリスタが恋仲にあったと言っていた。その頃の記憶は俺にはない。だが、クリスタにはあるのだ。それがどれだけ悲しいことなのか、どれだけ苦しいことなのか、それすら俺には分からない。
「私はその約束のためだけに生きてきた。生き続けてきた」
「…………」
「ねえ、クリストフ……」
いつしか足は止まり、俺たちは初めて出会った場所へと到達していた。
それはかつて俺が始めて魔術を、メテオラを使った場所。
通称、黒き森。生い茂る木々の中、どこまでも優しい声音でクリスタは俺に告白する。
「私、クリストフのことが好き」
それは真摯な想い。
この世で最も美しく、醜い愛の告白。
「だから……クリストフは私だけを見て。私だけを好きになって。私だけを愛して。これからずっと未来まで。私は貴方と一緒に居たい。貴方といられるなら何だってする。だからクリストフも……」
かつて好きだった少女の告白を、
「それは出来ない」
俺はきっぱりと断った。
「俺には愛している人がいる。だから、クリスタの想いには応えられない」
「……でも、その人は……もういないのよ?」
「ああ。そうだな。アネモネはもういない。お前が殺したんだ」
少しだけ恨みったらしい言い方になってしまったが、事実それだけは譲れない所でもある。俺はアネモネを愛している。もう触れ合うことが出来なくても、もう言葉を交わすことが出来なくても、それは変わらない。
あの子の笑顔を覚えている限り。
あの子の言葉を覚えている限り。
「……そっか」
「そうだ。俺が今日ここに来たのはお前の想いに応える為じゃない。俺の大切な人達を……返してもらうためだ」
俺はゆっくりと腰から花一華を抜き、構える。
愛する人の形見をもって、愛した人を斬る。
それはもう皮肉としか言いようがない運命の悪戯。
「エマ達はどこにいる?」
「……心配しなくていいよ。彼女達は屋敷で静かに暮らしてるから。私に勝ったら会いに行くといい。でも……」
すぅ、と俺と全く同じ構えを見せるクリスタ。
その手には俺の仲間を殺した細剣が握られている。
「負けたら……これから一生、私と二人きりで過ごしてもらうからね」
にっこりと笑みを浮かべるクリスタ。
俺の気付けなかった狂気を孕んだその瞳。
俺は過去を清算し、未来へ向かうため。
「行くぞッ!」
最後の戦いへと、飛び込んでいった。




