「始まりの場所」
「……う?」
窓から差し込む日差しに目を覆う。
まず視界に入ったのは木造の天井。どうやら俺はベッドで横になっていたようだ。最後の記憶がアネモネのそばだったから少し混乱している。ここはどこだ? まるで見覚えがない。
視線を彷徨わせると、そばで俺が起きたことに気付いたらしいヴィタの姿を見つけた。椅子から立ち上がり、なにやら食事を持って近づいてくるヴィタ。良かった。知り合いがいたことでいくらか現状が把握できそうだ。
と、思ったのだが、
「はーい。おはようねー。クリスちゃん。今日の気分はどうでちゅかー?」
現状、把握するどころか混乱しています。
何だコイツ。馬鹿にしてんのか?
ムカつく赤ちゃん言葉で接してくるヴィタを無表情で見つめ返す。もうね、ブチ切れると無表情になる人っているじゃん? 俺それなのよ。無表情。超無表情。
何の反応も示さない俺に、ヴィタは至って真面目な様子で語りかけてくる。何だ? 何か様子が変だぞ?
「まんま食べる? それともおねんね? 今日はお姉ちゃんが一日一緒にいてあげまちゅからねー」
ふざけている様子は……あまり感じないな。何だかノリノリでやっている雰囲気はあるが別に悪気があるようには思えない。いや、だったらどういうつもりなんだって話だけど。俺にもよく分からん。けど新手のスタンド攻撃の可能性もある。ここは少し様子を見よう。
「んー、やっぱりクリスちゃんって黙っていると可愛い顔してるのよねー。うん、思ったより好みかも」
ぐいっ、と顔を近づけてきてニコニコと楽しそうに笑みを浮かべるヴィタ。不覚にも可愛いなんて思っちまった。彼女持ちの身で! こんな奴に!
少しだけ恥ずかしくなって頬を赤くしてしまったのがいけなかった。
「……ん?」
何だか様子が変だぞ? という感じに顔を傾けるヴィタ。まずい、何だかまずい気がする!
俺は本能に導かれるまま知らぬ存ぜぬを押し通すことにした。まるで無表情、木偶のような存在になるのだ! 出来る、俺なら出来るはずだ! 小学校の学芸会でやった木の役を思い出せ!
ここ一番の渾身の演技力でその場をやり過ごす俺。
しかし、悲しいかな。人間の体とは緊張すればするほど発汗し呼吸が荒くなる。それは生理現象として仕方がなかった。だって木じゃないんだもの。人間なんだもの。
そんで結局、
「クリス……もしかして、起きてる?」
「…………(汗)」
喋らなくても伝わることもある。
どうやら俺の覚醒に気が付いたらしいヴィタは、かぁぁぁっ、とその顔を林檎みたいに真っ赤にして、
「このっ、バカクリス! 起きてるなら起きてるっていいなさいよぉっ!」
渾身の張り手を、俺の頬に叩き込んだ。バチーンと心地よい音がして俺の体が錐揉み上に吹っ飛ぶ。いくらなんでもこの扱い、酷くね?
しかも一発で済むのかと思えばそうでもなく、俺は鬼の形相で追いかけてくるヴィタとその部屋で追いかけっこしたり枕投げしたりして存分に遊びつくした。そうしたら騒ぎを聞きつけたらしいユーリが登場し、ヴィタをなだめることでようやく場が沈静化した。
というか話をしたかっただけなのに、何でここまで面倒なことになるのやら。
俺は何があったのか確認しようと思っていたのだが、俺が聞くよりも先にユーリが何があったのか語りだしてくれた。
「自分達はあれからいつまで経っても帰ってこない隊長達を探しにいったんすよ。そしたらあの現場に出くわしまして……」
そこまで言ってから歯切れ悪くお茶を濁すユーリ。まあ、確かにあの現状はあまり語りたいものでもないよな。俺はあえてその部分の話を飛ばして、さらに深い話を聞いていくのだが……
「一ヶ月!? あれから一ヶ月も経ってんの!?」
ユーリから聞いた話に、思わず叫んでいた。
どうもあの現場にいた俺は精神の均衡を壊していたらしく、通常の状態じゃなかったらしい。アネモネから離れようとしない俺を何とか引きずってこの療養所に連れて帰り、二人で交代で看護してくれていたらしい。何と、一ヶ月もの間。
「いやーこの一ヶ月はマジ大変だったっすよ。放って置いたら食事も取ろうとしないんすもん。トイレとかは自分で行ってくれていたから助かったんすけどね」
「トイレっておま……ペットじゃあるまいし」
「いや、でも実際ペットみたいな感覚だったっすよ。明日エサやり代わってくんない? とか普通に言ってましたし。ねえ?」
「私に聞かないでよ」
いや、聞かないでっていうか今のユーリの口調、絶対にヴィタのものだと思うんだが。というか一ヶ月か……そんなに長い間厄介になっていたのか。これは、少し鈴の気持ちも分かるな。ずっと世話になっていると感謝よりも申し訳ない気持ちのほうが大きくなってくる。
「……悪いな」
「いいんすよ。クリスは仲間なんすから」
照れくさそうに笑うユーリ。ああ、本当にいい奴だな、お前ら。
「それに……」
俺が感傷に浸っていると、ユーリの雰囲気がすぅ、と冷えていくのを感じた。そして、
「誰がアレをやりやがったのか。教えてもらわないと困るっすからね」
ぞっ、とするような声音でユーリはそう言った。
底冷えのするような視線は、本気の本気。稀に見るユーリの殺意だった。
ユーリがカナリアを慕っていたことはもちろん知っている。それにイザークとも、あれで案外馬の合う相手だったことも。そんな相手があんな風に殺されれば誰でも頭にくる。
だけど……
「それは、言えない」
「なんでっすか」
「それは俺の役目だからだ」
それだけは譲れない役目だ。たとえ神であっても、譲ることはできない。
俺の固い意志を見て取ったのか、ユーリも「そうっすか」と呟くだけで追求はしてこなかった。ユーリもカナリアから代理戦争については聞いているのだろう。その戦いの熾烈さも。
そしてそれに参加できないことは彼のような性格からしてとてつもない鬱憤だろうと思う。だから俺はもう一度、別の意味を込めて頭を下げる。
「……悪い」
今度は誰も何も言わなかった。
それからの流れで解散となった俺は改めて体のチェックをすることに。一ヶ月も体を動かさなかったからな。あちこち違和感はあるし、少し体が重い気がする。だけど……うん。戦える。これならいけそうだ。
まさかクリスタも一ヶ月もの間放っておかれるとは思っていないだろう。早い所会いにいかなければ。会って、全てを終わらせなければならない。
俺はそれからユーリとヴィタに最後の別れを告げた。
これから起こる戦いに勝利したにしろ、敗北したにしろ俺はもう二度とコイツらに会うことはないだろうから。餞別とばかりに俺は持っていたいくらかの金銭と引き換えに花一華を受け取り、メテオラを唱える。
戦いの準備は出来た。
なら後は立ち向かうだけ。
「行ってきます──メテオラ」
白い光が俺を包みこみ、見覚えのある懐かしい景色が俺の視界に広がった。
それはヴェール領へと続く唯一の道。水路が細々と走るそのあぜ道はかつて俺が辿った道。英雄になることを誓ったいつかの道だった。
(まさか巡り巡ってここに戻ってくることになるとはな……)
何の因果かと思わないでもない。俺達の運命は、この残酷な未来はもしかしたら出会ったあの瞬間に決まっていたのかもしれない。だとしたら……あの出会いは間違いだったのかもしれない。
屋敷へと向かう道すがら、俺はそんなことを考えていた。
過去、過程の話だと分かっていても思わずにはいられなかった。
──もしも俺達が出逢わなければ……こんなことにはならなかったのかな?
浮かんだ疑問は脳裏に消える。
それと同時に心地よい風が背後から吹き上げ……黒と金の髪が儚げに揺れていた。
俺はこの場所で、懐かしいこの場所で……
「やっときてくれたんだね……クリストフ」
俺は再び、この少女と再会するのだった。
「ああ、ただいま……クリスタ」
運命というものがあるのなら。
それは今まさにこの瞬間をさす。
幾多の世界を超え、俺は今、始まりの場所へと辿りついた。
懐かしい、幼馴染の少女に導かれて。




