「大好き」
「鈴ちゃんはね、君の事を褒めてたんだよ」
「…………え?」
振り向いた俺から目をそらすスペルビア。
「本当は言わないつもりだった。鈴ちゃんから誰にも言わないでって言われてたしね」
「鈴に言われてた、ってお前、鈴に会ったことあるのか!? いつ! どこで?」
「女神には死んだ人の魂を輪廻させる業務があるんだけど、そのときにね」
「…………っ」
確かに女神のやることが代理戦争の監視だけとは考えにくい。役割があるからこその役職な訳だし、魂の輪廻とはまさにさもありなんってところだ。その際に鈴と会ったってのはちょい出来過ぎな気もするが……
「実はね、君を選んだのも鈴ちゃんから話を聞いていたからなんだ」
「…………」
偶然なんかじゃなかった。鈴と出会ったのをきっかけに俺を転生者に選んだというのならこれは必然。定められていた運命のように当然のことだ。前世から続く運命の車輪。それは妹が死んだときから始まっていたのだ。
「り、鈴は……」
震える声を自覚する。
それは俺の核に迫る話題。そしてだからこそ、俺はその続きが気になった。
「俺のことを、何て……?」
恨んでいたことだろう。
憎んでいたことだろう。
最後の最後、傍にすら居てやれなかった俺だ。自殺にまで追い込んでしまった俺だ。恨まれて当然。憎まれて当然。俺は罰を待つ罪人のような気持ちでスペルビアの言葉を待ち……
「──"大好き"、だってさ」
その、妹の最後の言葉を受け取るのだった。
大好き。
短いその言葉に凝縮された想いなんて、一つしかないだろう。アネモネのような異能力なんてなくても分かる。だけど、それは……俺にとって信じ難いものだった。
「……嘘だろ?」
「嘘言ってどうするのさ」
「だって……自分を死に追いやった兄だぞ? 恨みこそすれ、どうしたらそんな言葉なんかが……」
ポツリポツリと言葉を漏らす俺に、スペルビアはゆっくりと話し始める。その、真実を。
「彼女もね君と同じだったんだ。傲慢で、不遜で、尊大で、そのくせ逃げてばかりの怖がりで、他人の心に踏み込もうとしなかった。だからこそ似た感性のボクのところに回ってきたのだけどね。まあ、何と言うか……彼女も君と同じくらい、優しい人間だったってこと」
「同じって……俺は別に、優しくなんか……」
「自己評価が常に正しいとは限らない。試しに周りの人に聞いてみるといい。きっとほとんどの人が君のことを優しい人だって表現するだろうね」
「…………」
「彼女も分からなかったんだと思う。君と同じで、周りからの評価を気にしすぎる子だったからね。最終的に自殺って道を選んじゃったけど……それは決して君に対する不満でも、ましてや当て付けなんて気持ちで選んじゃいない。"お兄ちゃんにこれ以上負担をかけたくない"、これは鈴ちゃん自身の言葉だよ」
「鈴が……そんな、ことを……?」
負担をかけたくない、だって? 馬鹿を言うなよ。そんなもの、いくらでもかければ良かった。俺は鈴さえ居れば……それで良かったのに。何で……
「それも、君と似た彼女だったからこそだよ。彼女は迷惑をかけることで"君の気持ちが変わってしまうことを恐れた"んだ。愛されている現状を、平穏を、日常を何よりも愛していた。だから君の気持ちが変わってしまう前に、嫌われてしまう前に全てを終わらせたんだ。自分の世界を綺麗な形のまま、幕を閉じたんだ」
「……そん、な……」
嫌われてしまう前に……だって?
なんで、そんなこと言うんだよ……俺がお前のこと、嫌いになるなんてあるわけないだろうが。それこそ何年経っても、何十年経っても、たとえ生まれ変わったとしても! 俺は、鈴を愛しているのに!
「ぐっ、う、うう……」
鈴の最後の姿を思い出す。
やせ細って、小枝のような体になってしまった鈴の姿を。
もっと一緒に居ればよかった。もっと一緒に話していればよかった。もっと、もっと、もっと、もっと──もっと一緒に、鈴と生きていたかった。
「何だよ……何だよっ、それはっ!」
別段魅力なんて感じていなかった前世のやり直しという特権に、急に心引かれる自分がいた。だって、そうすればもう一度鈴と会える。悲しい未来に変化がないとしても、短い時間だとしても、鈴と一緒にいることができる。次はきっと、もっと素直になれるはずだから。もっとお互いの本心を伝え合えるはずだから。そうすれば、もっと……素敵な世界になっていたはずだから。
「鈴……っ」
転生者は皆前世をやり直すことを切望している。ああ、アダムの言葉を思い出す。確かにその通りだ。俺が気付いていなかっただけ。俺にも確かにあったのだ。その想いが。
「人の心なんて分からないものだよ。だからこそそれを恐怖するし、遠ざけたくもなる。誰だって嫌われるのは嫌なんだ。聞きたくない言葉は聞きたくない。だけどね、そうやって耳を防いでいたら聞きたい言葉まで聞こえなくなってしまうんだ。君に伝えようとしていた言葉は確かにある。君が耳を防いでいたのは鈴ちゃんの声だけじゃないだろう? 君が忘れようとしていた言葉は他にもあるだろう?」
スペルビアの言葉に、俺はアネモネの最後の言葉を思い出す。
死んだと思ったアネモネがほんの数瞬、瞳を開いて言った言葉。現実から目を逸らして、必死に心を閉ざそうとした俺の聞かなかったことにした言葉。それを聞いてしまえば、本当にアネモネが死んでしまう。そんな気がして。
だけど……それじゃあ駄目なんだ。
そうしてしまえば平穏は守れるだろう。
自分の世界を守ることは出来るだろう。
だが、そんな殻に篭った心では、誰も守れないし誰にも触れ合えない。人は一人では生きていけないのだから、傲慢の罪は、捨てなければならない。本当に大切な人達と真の意味で幸せになりたいのなら……未来を選び取らなければならない。それがどんなに辛くとも、恐怖に塗れていようとも、死しか待っていなくとも。触れ合えないことこそが真の後悔。俺はもう、鈴のときと同じ間違いだけはしたくない。
「覚悟は、決まったかい?」
「……ああ」
スペルビアの言葉に俺は自分に言い聞かせるように頷く。この覚悟が揺らいでしまわないように。前に進むための原動力を失わないように。
すでに状況は絶望的。進退窮まる絶体絶命に五里霧中。だけど、それでもまだ俺の役目は残っている。
生きている限り、生き続けなければならない。
未来は不確定で俺にとっては恐怖の対象でしかない。現状維持を望んできた俺にとって未来とは敵でしかない。だけど……それでも。
──"貴方と逢えてよかった"
そう言ってくれた人がいたから。
そう言ってくれた……愛しい人がいたから。
俺は未来を悲観せずにいられるのだ。今だ悲しみから抜け出すことは出来ていないけれど、きっとまた会える。俺たちが望んでいれば、必ずまた会える。
(そうだよな……アネモネ?)
俺は愛しい人の姿を思い浮かべ、きゅっと拳を握り締める。
向かうべき先は、もう決まっていた。
さあ、向かおう。始まりの場所へ。
物語を終わらせに。




