「心の裏側」
鮮血が宙を舞う。
「な、に……ッ!?」
驚いた様子のヴォイドが"切り裂かれた己の腹部"を見て、驚愕の声を漏らす。俺とアネモネに意識を集中していたヴォイドは、背後から迫るカナリアに気付かなかったのだ。
俺はと言うと、ヴォイドをカナリアに任せ、今まさに斬撃を食らおうとするアネモネへと駆けていた。あと数歩、距離にして何メートルもない。だが、そのたった少しの距離が趨勢を分けた。
俺は間に合わなかったのだ。最後の最後で、アネモネのもとに手が届かなかった。振り下ろされる白刃は真っ直ぐにアネモネの首を狙い振り下ろされ……
「オラァァアアアアッ!」
横合いから殴りかかったイザークの拳が、クレハの匕首を根元から叩き折った。キンッ! と折れる音を残し、その刀身を落下させる匕首。これでクレハは空手だ。そして素手の戦闘でイザークに適うものはいない。
「これで、最後だッ!」
──ドンッッッッッ!
派手な音と共に殴り飛ばされるクレハ。明らかに女に向けるパンチではなかったがそこはイザーク。男女平等パンチだ。
「ぐっ……クレハッ!」
屋根から転がり落ちるクレハを、自分も重症だというのに助けに向かうヴォイド。鋼糸を使ってそのクレハを回収すると、そのまま空中に身を投げた。
「逃がすか! お前ら、追うぞ!」
カナリアの号令に従い、俺達はヴォイドを追う。権能が使えない以上、自力で降りるしかなかったのだがこれが案外きつい。鋼糸を使って一気に地表まで降りたヴォイドと違い俺達は壁の凹凸を利用して降りるしかない。時間がかかってしまったが、ヴォイドとクレハはかなりダメージが深かったのか降り立った場所から動いてはいなかった。
「ぜぇ……ぜぇ……」
「……ヴォイド様……」
荒い息を吐くヴォイドを、心配げな目で見るクレハ。
どうやら……勝負あったみたいだな。
二人を取り囲む俺達に、ヴォイドは苦々しげな表情を浮かべる。
「こ、これは逃げ切れそうにないのう……はは、参った」
「だったら投降するんだな、ヴォイド」
「くく、今更投降してどうなるわけでもあるまい……」
腹の傷を押さえ、苦しげにせきこむヴォイド。それに対して切なげな声を上げるのがクレハだった。
「ヴォイド様……私は貴方の足手まといにはなりたくありません」
「…………」
それに対し、何も言わないヴォイド。
「どうか私を捨てていってください。今が、その時なのです」
俺達四人に囲まれ、到底逃げ切れるとは思えなかったが、クレハのその口調は何か切り札がまだ残されているかのような口ぶりだった。
「……そうか」
しかし、それと同時にヴォイドはそれを望んでいないようにも思えた。何かを諦めるような、そんな表情を浮かべたヴォイドは……
「今ままでありがとう、クレハ……後はゆっくりお休み」
ゆっくりと、クレハの口にキスをした。
「……私も……貴方と一緒にいられて、良かっ、た……」
何をするつもりなのかと構える俺達の前で、ゆっくりとその身体を崩壊させていくクレハ。まるで最初からそこにいなかったかのように、風に飛ばされる砂塵のようにその姿を塵に変えたクレハ。
そして、一人残されたヴォイドは……見たこともない顔で咆哮を上げた。
それは怒っているようにも、悲しんでいるようにも見える。どこか、寂しげな咆哮だった。やがて、
「……最終ラウンドだ」
口調の変わったヴォイドは立ち上がり、俺達を睨みつける。
「……この人数差でやるつもりかよ」
「ああ。それが運命ならな」
右腕を伸ばしたヴォイド、その身体にゆっくりと紅色の紋様が広がっていくのが見える。あれは……なんだ?
いぶかしむ俺の前で、ヴォイドはゆっくりとその言葉を宣言する。
「魔力兵装・限界突破ッ!」
ついには体中に巡り巡った紅の紋様が一斉に輝き、そして……
──ドォォォォォォォオオオン!
爆音を引き連れて、ヴォイドの姿が掻き消えた。いや、
「がっ、ハッ!?」
イザークの眼前に、いた。
深々と突き刺さるヴォイドの拳はとてつもない衝撃を生み、イザークの体をピンボールのように吹き飛ばす。
「イザーク!?」
「次はお前だ、カナリア」
叫ぶカナリアの前に、紅をまるでオーラのように引き連れたヴォイドが迫る。速い……速過ぎる! まるで瞬間移動と見間違うほどの超高速移動をもってヴォイドはカナリアに迫り……
「らあああァァァッ!」
再びその豪腕を振るう。
刀を交差し、その一撃をガードするがそれすらも今のヴォイドには何の障害にもなっていない。粉々に砕かれた刀身と共に吹き飛ぶカナリア。
「くっ……アネモネ! 下がってろ!」
「クリスっ!?」
俺はアネモネを体の影に隠しながら、必死に思考をフル回転させる。現状、ヴォイドに対抗するための手段はない。そもそもなぜ今の今までヴォイドはこの圧倒的な力を使わなかったのか、隠す理由なんてなかったはずだ。
(いや、まさか……)
そこまで考えて、その理由を悟る。
クレハはヴォイドによって作り出された生命体。もし、もしも……その存在自体がヴォイドの力に制限をかける枷だったとしたら? 元々ヴォイドは弱っていた。自身の権能に焼かれ、苦しんでいた。その原因がもしもクレハの存在そのものだとしたら?
クレハという鎖を捨て去ったヴォイドは、全ての力を解放できる。
「神槍・神殺し」
呟いたヴォイドの右手に、紅蓮の槍が顕現する。
今まではただの紅蓮だった権能が形を持って現れたのだ。
「悪いな、クリス」
「ヴォ、イド……?」
「クレハまでいなくなった以上、俺に残されたのは真に目的だけだ。最後だから言っておく。お前のこと、嫌いじゃなかったぜ。まるでもう一人の自分を見ているようでよ」
最後にそう結んだヴォイドは、
「……じゃあな」
紅蓮の槍を、俺に向け、解き放った。
そうして訪れるのは破壊の嵐。とてつもない衝撃が眼前に迫り、俺を殺さんと存在を主張している。もしこれがヴォイドの本来の力なのだとしたら……それはとてつもない純度だ。神を殺す、ただそれだけの祈りを詰め込んだ一撃が俺へと迫り……
「クリング……ヴァンドッ!」
俺と位置を交代したアネモネの権能によって、阻まれる。
「ぐっ、ううう……」
「や、やめろアネモネ!」
そんなことはしても無駄だ。
今まで見たどんな権能よりも今のヴォイドは高い純度を誇っている。俺の権能でもこの攻撃を喰らえば二度と再生することはできないだろう。まして、純度の落ちた今のアネモネでは……
「クリスは……私が、守るんだからぁっ!」
叫ぶアネモネの両手から、銀色のメテオラが溢れ出す。それはゆっくりと、しかし確かに盾の形へと形成されてゆき紅蓮の猛攻を防ぐ。
「……これは」
その光景には、ヴォイドも驚いた表情を見せた。
ずっと見えなかったアネモネの色。それが今、確かな色合いを持って現れたのだ。つまりは……
「権能が、変わった?」
普通なら有り得ないその事態。
神から授かった権能を自分の力で変質させるなんて、出来るはずのないことだ。
だが、そんなことは関係ない。
常識も、神のルールも、今この場には通用しない。ただ純然たる想いだけがそこにあった。それだけが、その場の真実だった。
しかし……
「あ、アネモネ!? お前、目が……っ」
紅蓮の奔流を受け止め続けるアネモネ。その両目からは涙のように血が流れ出していた。ヴォイドの権能を受けて、無事なはずがない。神殺しとは、そんな生温い祈りではないのだから。
「く、クリス……逃げて……長くは、もたない」
「馬鹿言うなっ! お前を置いて逃げられるかッ!」
今にも死にそうな声を絞り出すアネモネ。
その銀色の盾も、すでにヒビが入り始めている。アネモネの言うとおり、長くは持たないだろう。そうなればアネモネは死ぬ。紅蓮の槍を受けて。
──俺はまた、失うのか?
ヴォイドの圧倒的な力を前に、頭を過ぎったのはそんな問いかけだった。
もう何も取りこぼさないと、そう誓ったはずなのに。大切な人を守るためなら、己すらも捨ててやると誓ったはずなのに。まだ、足りないのか?
視線を上げれば、ヴォイドと瞳が合った。その目は何かを期待しているようにも、失望しているようにも見えた。
(ああ……そうかよ……)
屋上でヴォイドの言っていた言葉を思い出す。きっとあいつは分かっていたんだ。俺の権能の本質を。その意味を。だからこそ求めているのだ。俺と同じ場所まで登って来いと。
奴は俺のことを自分のスペアのつもりだと言っていた。
だとするならば、俺の"本来の権能"はヴォイドに匹敵する力なのだろう。ヴォイドの目算が正しければそうなる。だが、しかし……その力だけは、使いたくない自分がいた。
それは輝きを奪う行為だから。
よりにもよって、本人の前で使いたい力ではない。だけど……
(そうすることでしか、守れないというのなら……仕方がない)
醜い欲に連なる理。
その『傲慢』の権化を、見せてやる。
俺は自分の権能を展開し、真っ白なメテオラを身体に纏う。ここまではいつもの再生だ。だが、この力にはもう一段、奥がある。
大きく息を吸い込んだ俺は、最後の祈りを紡ぎだす。
《星は永久に輝き、刹那に流れ堕ちる。人の命も同じなら。決して忘れはしないだろう──》
それはアネモネにしか見せたことのなかった俺の醜い部分。
俺は俺なんて大嫌いだった。自分なんて死んでしまえばいいとすら思っていた。
《──愛しい人よ、どうか貴方の為に死なせて欲しい──》
だからこそ、自分に価値を見出せない俺は俺を必要としてくれる人を求めた。求められることを、求めたのだ。愛することで、愛して欲しかったのだ。
それは最早愛ではない。
慈愛ですらなく、自愛でしかない。
《──私は貴方を愛しているのだから──》
そんな押し付けがましい俺の愛は歪んだ形で結実する。
憧れたあの輝きに少しでも近づきたいから……その輝きを汚すのだ。
少しでもマシな自分になりたいが為だけに、俺は彼らを利用する。
それはこの世で最も醜いメテオラ。
代替品でしかなかった自分に意味を見出す後付行為。
一言で言うのなら……俺は俺以外の誰かになりたかったのだ。
《──卑欲連理・再誕》
最後の祈りを紡いだ俺のメテオラは、
──白色から黒色へと、その色を変貌させていた。




