「終わりゆく物語」
──まずい……まずい……まずいッ!
イザークからヴォイドの弱点については聞いていた。
一つ、それは普通のメテオラを使うのにヴォイドはかなりの制限をもっているということ。これは俺も以前から知っていたことだったが新しい情報だったのは、もう一つの方。
もう一つの弱点、それはヴォイドの権能はこちらが権能、もしくはメテオラを使うまで発動できないということだ。権能を使うのに条件がいるのは初耳だったが、聞けばカナリアも同じタイプだという。
つまり、ヴォイドと相対したときこちらが権能を使わなければ向こうも使えないということだ。それは彼の神殺しが『神の理不尽』を体現したものにしか効果がないためらしい。
ヴォイドの紅蓮は正直言って対処不可能だ。こちらの攻撃は全てあの紅蓮に焼き尽くされ、逆に向こうの攻撃はガード不可能。これほど理不尽な力もそうないだろう。だからこそ、ここまでの戦いで俺達は権能やメテオラを使わないように注意してきた。
だと……いうのに。
(何でだよ……アネモネっ! 何で、俺なんかの為に……ッ!)
アネモネは権能を使ってしまった。
俺を……助けるために。
もともとアネモネにはそう言うところがあった。自分を大切にしない、というか俺やカナリアのため、どこか無理をしてしまう性質が。だから戦う前、俺のために無理をしないようにと釘を刺したのだが……どうやら無駄だったようだ。
「……くっ!」
紅蓮の権能がヴォイドの右手に収束する。
まるでシャドウボクシングでもするかのように拳を突き出したヴォイド。そして……
「『神葬・神殺し』」
──その紅蓮の奔流が、アネモネに向かって放たれた。
ズッ……バァァァァァァァアアアアアアアン!!
轟音と共に風がうねる。一直線に走ったその光線を、アネモネは必死に受け止める。
「くっ、うぅぅぅ!」
拒絶の権能を展開し、その一撃を弾こうと力を込めるアネモネ。だがその顔には苦悶の表情が浮かんでいる。押されているのだ。あの、アネモネが。
以前にはほとんど互角だと言っていたその均衡が今、ヴォイドに傾いている。それはアネモネの権能が弱体化していることの証明に他ならない。
アネモネという少女は変わった。
良くも、悪くも。
拒絶の権能は他者の廃絶によってその理を具現化する。しかし、今、俺を受け入れてしまったアネモネの権能にはかつてのような純度は存在しない。
それは俺にとって、皮肉としか言いようがない脚本だった。
アネモネと共に居たいと俺が願ったから、彼女は以前のような強さを失ってしまった。それは俺の望むところではない。俺が望むのは大切な人達の平穏なのだから。
(アネモネ……ッ!)
目の前で愛する人が殺されようとしている。
俺は……それを黙ってみているだけなのか?
(そんなこと……許されるはずがねえッ!)
これは俺の責任で、俺の罪なのだ。
静かに覚悟を決めた俺は……その祝詞を神へと捧げる。
《星は永久に輝き、刹那に流れ堕ちる。人の命も同じなら。決して忘れはしないだろう──》
自分なんて死んでしまえばいいと思っていた。
こんな役立たずの俺に何の価値があるのかと、そう思っていた。
《──愛しい人よ、どうか貴方の為に死なせて欲しい──》
だから俺は求めた。死ぬ理由を。
誰かのために戦い死ぬ、英雄になりたかった。
だけど……
《──卑欲連理・永久に続く物語》
──俺のことを愛していると、そう言ってくれた彼女がいたから。
最後の最後で、俺は自分を捨てずにいられるのだ。
「ヴォイドォォォォォォォ!」
俺は愛する人に手をかけるその男に向けて疾走する。
鋼糸が俺の身体を切り刻み、ボトボトと各部が削がれていくのを感じるが、俺は止まらない。身体を再生しながら『敵』に向かって突撃する。
────キィィィィィィィン!!
白の流星となった俺が振り下ろした花一華を、ヴォイドの小太刀が受け止める。ギリギリと力を込めながら、俺達はその場をワルツのように舞い踊る。
ヴォイドの小太刀が俺の首を狙う。必殺の一撃だが、俺は自ら左腕を刃に嚙ませることでその太刀筋を止める。そして空いた右腕を使い、一気にヴォイドを攻め立てる。
ヴォイドの身体に俺の刃が届く、その寸前……
「ッ……鋼糸術ッ! 《蓑衣》!」
鋼糸を自分の身体に巻きつけ、俺の一撃をガードするヴォイド。だが、斬撃を受け止められてもその衝撃までは殺せない。
「う、おおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
俺はヴォイドの身体に密着している花一華を力の限り振りぬいた。まるで野球のスイングのように振りぬいた先で、俺の一撃に押されれ吹き飛ぶヴォイドが見える。
「ちっ!」
このままでは自分で鋼糸に引っかかると判断したのか、舌打ちを漏らしたヴォイドは鋼糸の網を自ら解除する。
これで大分動きやすくなった。俺は体勢の整っていないヴォイドに追撃をかますが……それも眼前に現れたクレハに阻まれる。
「どけっ!」
相手は華奢な女の子だ。俺は先ほどヴォイドを吹き飛ばしたときと同じように、鋭さよりも重さを重視した一撃を放つ。防がれたとしても道を開けさせるためだ。
キンッ! キンッ! とリズミカルに俺の斬撃を面ではなく点で受けるクレハ。俺の太刀筋を逸らすことにのみ意識を集中しているのだろう。改めてものすごい技術だ。だが……
「燃え盛れ──《デア・フレア》!」
俺の手札はそれだけではない。
クレハに対しては魔術が有効だと分かっていた俺は、眼前に炎を放射状に打ち出す。回避か、後退か、少なくともヴォイドに続く道は開ける。そう思っていたのだが……次の瞬間、クレハは予想外の行動に打って出た。
「なっ!?」
──ボウゥゥッ!
燃え盛る火の手から、"真っ直ぐに突っ込んできた"クレハがその二振りの匕首を振り下ろす。そして……ザシュッ! 俺の両肩に深々と突き刺さる匕首。肩の関節を破壊され、俺の手から花一華が零れ落ちる。その瞬間にクレハは匕首を引き抜き、再び俺の腹部にその匕首を突き刺した。
「ぐ……ぶッ」
内臓を掻き回される不快感に、喉の奥から血の塊がせりあがってくる。もろに喰らってしまった。すぐに治さないと……
「貴方に……」
生命の危機に権能を展開する俺に、その場で初めてクレハが口を開いた。
「貴方なんかに……彼の覇道の邪魔はさせないッ!」
そう叫んだクレハは腕の動かせない俺をめった刺しに刺した。目、喉、心臓と人体の急所ばかりを貫くクレハ。しかし、四度目の斬撃を構えたところで……キィィィィン! 不自然にその匕首が空中に放り出された。見れば刃が折れてしまっている。
「その人から離れろッ!!」
叫ぶアネモネが両手をかざす。彼女の見えない衝撃がクレハへと襲い掛かり、その華奢な身体を弾き飛ばす。
今が──チャンスだ!
「うおおおおおおオオオオオオオッ!」
俺は悲鳴を上げる身体に鞭を入れ、クレハへと肉薄し、
「流星光底ッ!」
その一撃を叩き込んだ。
──ドバッ! と派手な音を立て、俺の掌底はクレハの身体を貫いた。しかし……
「…………え?」
掌に伝わるのは奇妙な感覚だった。まるでゴムか何かを貫いたかのように感じない体温。そして一滴たりとも零れない血液。戸惑う俺の腕をクレハはがしっとロックし、主に絶好の好機だと告げる。
「ヴォイド様! 今です!」
まずい、ヴォイドの攻撃が……来るッ!
引き抜けない腕に焦る俺をヴォイドの小太刀が狙う。その刹那、俺の腕がブチンと音を立てて切断された。激痛に瞬時、吐き気がこみ上げてくるが我慢して大きくその場を飛びのく。アネモネと合流した俺は、
「が……助かったぜアネモネ」
俺の腕を"千切って助けてくれた"ことに礼を告げておく。正直もう少し穏便なやり方で助けて欲しかったけどな。
「大丈夫?」
「痛いが……まあ、大丈夫だ。すぐに生える」
最近はこういう斬った生えたが多くて困る。どんどん普通の感性から外れて言っている気がする。アネモネだって生えること前提で動いているしな。
「それより……クレハのあれ、見たか」
「うん。あれはきっと……"人間じゃない"」
淡々と分析を口にするアネモネ。
やっぱりそう思うよな。けど……そんなことあり得るのか? というか人でないならなんだ? 実はロボットでしたっていうにはあまりにも感触が人間に近過ぎた。
「……取り逃がしてしまいました。申し訳ありません」
「気にするな。それより早く治せ、見た目が悪い」
「はい」
ずずず、とまるで粘土細工でもこねくり回すように埋まっていくクレハの傷跡。メテオラとはまた違う感じの回復の仕方だ。
「クレハ、お前は……」
「…………」
クレハは語らない。その代わりに、彼女の主であるヴォイドが口を開いた。
「……見られた以上、仕方ないか」
はぁ、とため息をついたヴォイドは、
「クレハはわしのメテオラで作り出した擬似生命なんよ。普通の人間と違い、睡眠も食事も必要としない。ご覧の通り傷もすぐに塞がるいわゆる不死よ。ま、わしが死ねばクレハも道連れなんじゃけどね」
なんでもないように、とんでもないことを語ったヴォイド。
擬似生命……だと。クレハとも結構な付き合いになるが、全くそんな素振りは……
「クレハはな……わしに残されたたった一人の家族なんよ……」
クレハの身体を支えるヴォイドはその身体をそっと抱き、独り言のようにその言葉を漏らした。
「誰にだって後悔はある。それがわしの場合、行き過ぎただけのこと。クレハは……わしの前世で一緒に戦ってくれた仲間の一人よ」
ヴォイドの言葉にその瞳を見開いたのはアネモネだ。
震える口を開いたアネモネは、
「貴方は……前世の人間をこの世界に連れてきたというの?」
「…………」
それに答えないヴォイド。しかし、答えないことこそが何よりもヴォイドの行いを雄弁に物語っていた。
「生命の創造……それは神にのみ許された領域。そんなことをして、貴方の体が持つはずがない!」
「確かにわしの身体はもうぼろぼろよ。あと半年も生きてはいられんじゃろう。じゃから……」
キッ、と鋭い視線をこちらに向けたヴォイドの瞳には、
「わしには時間がない。お前らには……ここで死んでもらう」
明らかな殺意が宿っていた。
ヴォイドという男は止まらない。変わってしまったのだ。いや、そうじゃない。俺がヴォイドという男の本質を知らなかっただけだ。ヴォイドはたった一つの"1"のために、残りの全てを"0"に出来る男。そこには自分自身すら含まれている。
まさに0。虚ろで、空っぽな男の目的に何があるのか俺は知りたくなった。そうまでして、何を成し遂げたいというのか。その、答えを。
「ヴォイド……お前は……」
「ふっ、その答えはわしに勝てば教えてやる。今、わしらに必要なのは対話じゃあない。そうじゃろう?」
今までのどこかとぼけた雰囲気から一転、本気の殺意を滲ませるヴォイド。それもそうか。俺はクレハを殺そうとした。そのことをヴォイドは許せないのだろう。それはヴォイドにとって、クレハがそれだけ大切な人間だったことの証明。
大切な人の為に、己を犠牲にしてまで戦い続ける男の姿だ。
(……結局、俺もヴォイドも根っこのところは同じだったってことか)
親近感にも似た感情を抱えながら俺は花一華を拾い上げ、構えなおす。
戦いはまだ……終わらない。




