「決戦、グレンフォード」
血生臭い臭気と、夥しい数の死体が無造作に転がっている。
──嘘だ。
あちこちで虫の息となっている都民の姿が見える。
──嘘だ。
それはかつて見た地獄。シャリーアの悲劇の再来だった。
──嘘だ。
(有り得ないッ!)
この色は、この権能は間違いなくヤツのものだ。俺が殺した……アダム・ヴァーダーのものに他ならない。だというのに今まさにこの帝都を覆う暗雲はアダムの健在を示している。そんなことは有り得ない。有り得ないはずなのだ。
「クリスッ!」
「──か、カナリア?」
「ぼけっとするな! 王国兵の姿も見える! 力を貸してくれ!」
すでに腰に差していた刀を抜刀し、臨戦態勢を整えたカナリアが叫ぶ。そうだ……ここはすでに戦場だ。立ち止まっている暇など、ない。
「悪い、もう大丈夫だ」
俺の答えにカナリアはほっとした表情を見せ、小隊の皆に指示を飛ばしていく。
「ユーリ、ヴィタ! お前達は生き残ったものを避難させろ! 出来るだけ遠くまでだ!」
「そ、そんな……私達も戦います! カナリア様と一緒にいさせてくださいっ!」
「ここはもう奴の権能の射程圏内にある! お前達も分かっているだろう! シャリーアでのことを忘れたのかっ!」
食い下がるヴィタにカナリアが叱責を飛ばす。ヴィタも頭では分かっているのだろう。最終的には頷いて見せた。悔しそうな顔はしていても。
去っていく二人を見送ったカナリアは残った俺達に向かい合い、
「我はこれからアダムの首を取りに往く」
はっきりとそう宣言した。
「これもきっとイザークが言っていた変えられない未来の一つなのだろう。我らの行く先々でこういった事件が起き続けている。ならば我々にも……この状況を作り出してしまった責任がある。だが、無理に付いて来いとは言わん。逃げるのも手だ。今ならまだ、間に合う」
俺達の顔を真っ直ぐに見据え、退路を示してくれたカナリアに、
「今更退く訳にはいかねェだろ」
イザークが真っ先に声を上げる。その心は既に決まっているのか、言葉の力強さからも不退転の決意を感じられた。
「俺も……どうやらやり残した事があったみたいなんでな。付き合うぜ、最後まで」
アダムを殺し損ねたのは完全に俺の失態だ。その清算は行わなければならない。同行を告げる俺の隣でアネモネも、
「私はクリスと共に行く」
そう言って俺の隣に並び立つ。そっと手渡されるのは『花一華』。俺の愛刀だ。もう使うことはないかもしれないと思っていたのに……どうやらもう一仕事必要みたいだ。
「そうか……では行こう。あまり時間は残されていない」
アダムの権能は時間が経過すればするほどその凄惨さを増す。早いところ止めに入らなければ被害が拡大してしまうだろう。それぞれ頷き、覚悟を決めた俺達は一斉に走り出す。
空に広がる群青色の雲。その中心部、つまりはグレンフォードに向けて。
「これもヴォイドの仕業……なんだろうな」
「だろォな。グレン元帥を殺害し、この国の中枢を押さえる腹積もりなンだろうぜ」
そうはさせねェけどな、と拳を硬く握り締めるイザーク。
「止まれッ!」
先頭を走っていたカナリアが突然声を荒げる。何事かと思い見ると道を塞ぐように立つその男の姿が目に映った。
白い制服を返り血で真っ赤に染めたその男の周囲には何人もの死体が折り重なるように捨てられている。一段と濃くなった臭気に、その男がこの惨状を作り出したのだと理解できる。
そして、その男もこちらに気付いたのか視線を向け、
「クリストフ!?」
その端正な顔を驚きに歪め、俺を見た。
その人物とは誰あろう……
「と、父さんっ!?」
俺の父親、アドルフ・ロス・ヴェールだった。
「お前、何でここに……」
「そ、それはこっちの台詞だ! 父さんが何でこんなところに……」
そこまで言いかけた所で、突然目を見開いたアドルフが鋭い踏み込みと共に刃を構え突撃してきた。突然のことで全く反応ができなかった。まさに神速と言うべき刺突がアドルフより放たれ……
──ドンッ! とまるで砲弾のような音を上げ、俺の背後に迫っていた王国兵を貫いた。
「ぐ……がッ」
口から血の塊を吐き出し、白目を向いた王国兵はアドルフが剣を抜くと同時にその身体を倒し、周囲の死体の仲間入りを果たした。
「油断するな。あちこちに王国兵が散開している。背後にも気を配れ」
「あ、ありがとう」
「気にするな。それより、お前もヴォイドを追ってきたのか?」
「ここに来たのは偶然だけど……ヴォイドはこの先に?」
「そのようだ」
アドルフはアドルフでこの戦争を終わらせるために行動を起こしていたようだ。俺とヴォイドを同時に追うことにしたアドルフと俺がここで鉢合わせたのはある意味必然だったのかもしれない。
「けど、ヴォイドを追うのはやめたほうがいい。正直あいつは……危険過ぎる。だからアイツのことは俺に任せてくれ」
「…………そうか」
アドルフは俺の頼みにイエスともノーとも言えない回答をした。それに少し痩せたのか、前に見たときより一回り小柄になった印象を受ける。それもそうだろう。あのシャリーアでの一件で大切な人を失ったのは俺だけではない。アドルフもまた、あの日に失ったものを求め続けているのだろう。
「……とにかく、ここは危険だから……」
避難してくれ。
そう続けようとした言葉は、キィィィィィィィィン! と言う甲高い音にかき消される。
「狙撃されている!」
叫ぶカナリアの声が聞こえ、再び何かが衝突する音が響き渡る。どうやら飛んできた弓をカナリアが叩き落しているらしい。
「伏せろッ!」
そして飛んでくるのは弓だけではない。炎、風、氷、光、それぞれの属性を包む魔術がまるで雨のように俺達の頭上へと降り注ぐ。
「アネモネッ!」
「うんっ!」
言葉も少なく、俺はアネモネに指示を送る。そうして展開されるのは不可視の壁。絶対防御の鉄壁をドーム上に展開したアネモネの盾はまるで雨を弾く傘のように魔術を逸らし続ける。
頭上からの魔術や弓はこれで大丈夫そうだ。
だが……
「どうやら相当ヤバいことになってるみてェだな」
ぞろぞろと路地裏から姿を現すのは王国騎士団の制服に身を包む兵士達。その数は既に十や二十ではきかない。
「ここにコイツらがいるってことは……グレンフォードはもう落とされたと見るべきだろうなァ。チッ、いよいよ洒落になってねェぞ。オイお前ら! ここはオレが引き受ける! 先にグレンフォードへ向かえ!」
「イザーク!?」
「どの道時間はねェんだ! 退路はオレが確保する! いいから行け!」
イザークを一人取り残すことへの抵抗感は確かにあったが、時間がないのも事実。それにイザークは一人だろうとこんな雑兵にやられるような奴ではない。最終的にそう判断した俺達は揃ってイザークに背を向け、グレンフォードに向けて再び進撃を開始した。
途中現れる王国兵を薙ぎ倒しながら進む道すがら、俺の隣で並走するアドルフが声をかける。
「クリストフ……さっきの奴は……」
「ああ。昔屋敷を襲ってきた奴だ」
「どうりで見覚えのある赤髪だと思った。だが、どうなっている? お前と奴は仲間なのか?」
イザークとの関係を聞かれ、咄嗟には言葉が出てこない。
仲間……なのだろう。改めて言葉にすると妙な気分だが、
「ああ、そうだ」
俺ははっきりと肯定した。
「そうか、ならいい」
アドルフも確認しておきたかっただけなのか、特に深くは突っ込んでこない。その代わり、
「ここに来る途中なんだが……クリスタとはぐれた」
「え!? クリスタも来てるのか!?」
「ああ。避難するように言っておいたから大丈夫だと思うが、もし見かけたら力になってやってくれ。あの子もそろそろ……報われるべきだ」
アドルフの最後に言った言葉の意味は分からなかったが、力になってやれといわれて断る理由はない。何か危ないことに巻き込まれていなければ良いのだが……
「そろそろ着くぞ」
先導するカナリアの声に、意識を前方に傾ける。見えてきた建物、それは俺にとっても思い出深い場所であった。
(グレンフォード……)
以前より更に被害が広がっている。どうやら二度目の襲撃には耐え切れなかったらしい。中はすでに王国兵に完全に乗っ取られているのだろう。最早門としての機能を果たせなくなったその入り口からは何の喧騒も聞こえてはこない。
順番に中へと飛び込んだ俺達の視界に広がったのは外の街並みなんて比べ物にならないほどの残骸だった。死臭が周囲に満ちている。主戦場であったらしいこの土地にはすでに深い傷跡が刻まれている。
ピィィィィィィィイイイイイイッ!
「……笛の音、か。どうやらお出迎えらしい」
甲高い音に続いてぞろぞろと集まり始める王国兵。さっきの奴らより更に錬度の高い動きをしている。なるほど、侵入者を阻む役目は精鋭に任せているって訳か。
「ここは私が抑えよう」
そう言って前に出るアドルフ。
「クリストフ、後のことは任せたぞ」
剣を構え、敵の軍団に突っ込んで行くアドルフ。一人で捌き切れる人数には到底思えなかったが……アドルフは俺に「後は任せた」と言ったのだ。つまりは、ここより先、この戦争を終わらせる鍵となる人物。ヴォイド・イネインの相手を俺に譲ってくれたと、そういうことなのだろう。
(確かに……この配役が一番、か)
メテオラを持つヴォイドにアドルフを当てるわけにはいかない。だが、それでもこの戦場が向こうに比べ楽かと言われれば……微妙なところだろう。それくらいに現状の戦力差は偏っている。
けど、人生で初めてアドルフから任されたことなのだ。俺に出来るのはアドルフを信じて、この場を任せることだけ。
「……行こう」
「いいのか?」
「ああ。時間もない。早く終わらせて……すぐに戻ろう」
ヴォイドを止める。そうすればこの馬鹿な戦争も、終わりを迎えるだろう。それは何にも優先されるべき事だ。
イザークに続き、アドルフにも背を向けた俺はグレンフォードの内部、司令室が用意されている頂上付近に向け、一気に駆け抜ける。きっとヴォイドはそこにいる。不思議な感覚だが、アイツは俺を待っている。そんな気がするのだ。
中は不思議なほど静まり返っていた。敵にもまだ遭遇していない。警備が外にだけ集中しているわけでもないと思うが……
感じる違和感。その理由を知ったのは、上階へと続く大広間を抜けようとしたときのことだ。ぞっとするような寒気を感じた俺はカナリアとアネモネを止め、前方に立つ男へと視線を向ける。
その男はくすんだ金髪をかき上げ、その顔を晒した。
「やあ、一週間ぶりくらいですかね。クリスさん」
暢気な口調でそうのたまうのは黒の神父服を身に纏う青年。
俺が殺したはずの男。
アダム・ヴァーダーだった。




