「そして誰もいなくなった」
「我らは一度、帝都に戻る」
夕食の場で食事を取っていた俺達にカナリアは唐突にそう告げた。
「帝都にって……何でだよ」
「帰還命令が下ったのでな。言っておくがクリス、お前にも来てもらうぞ。軍規違反を犯したお前には投獄が待っているのだからな」
「……え」
投獄って……え、マジ?
「当たり前だ……と、昔の我ならそう言っていただろうが、今回は違う。冗談だ」
「本気で心臓止まるかと思ったろうが!」
何だよ、冗談かよ。本気で焦ったぜ。
「だがまあ、帝都には来てもらうぞ。お前の保釈金の件もある。一度は帝都に戻って一筆書いてもらわねばならんのでな」
「保釈金?」
カナリアの口から出た単語に思わず聞き返す。
「何だ、誰も言っておらんのか」
呆れた様子のカナリアに、その場のアネモネ以外が恥ずかしそうな様子を見せる。なんだ、何なんだ?
「お前の釈放に必要だった保釈金……その為の費用は我らカナリア小隊の全員が少しずつカンパすることで補填したのだ。このことについてはもう皆からも承諾はとっている。安心していい」
「なっ!」
カナリアの言葉に、俺は思わず立ち上がってしまう。
保釈金ってのは安くない。それこそ家の一つや二つは簡単に建っちまうほどに金のかかるのがこの世界での保釈金だ。そんな大金、いくら頭割りとは言えぽんと出せるような金額ではないはずだ。それなのに……
「気にしなくていいっすよ。自分はなーんも力になってやれなかったっすからね。これはほんの罪滅ぼしみたいなもんっす」
両手を頭の後ろで組んで、快活に笑ってみせるユーリ。
そしてそれを呆れた目で見るヴィタが、
「何言ってんのよ。あんたが出したのなんて雀の涙程度でしょうが。普段から貯蓄してないからいざって時に困るのよ」
と、欧米人がやるようなやれやれってポーズをしてみせ、それからビシッと俺を指差し、
「言っておくけど今回一番金だしてんのカナリア様だからね! 一人で半分も受け持ってるんだから感謝しなさいっ!」
命令口調でそう言った。
「まあ、我が一番稼ぎはいいからな。それに言いだしっぺとしての責任もある。そう言う意味ではヴィタ。お前が一番無茶したのではないか? 全体の三割近くも出すのは楽ではなかったろうに」
「わ、私は別にいいんですよ。カナリア様ばかりに負担をかけるわけにもいかないですから。だ、だからクリス! 勘違いしないでよね! 別にアンタのために協力したわけじゃないんだからねっ」
腰に手を当て、威張るようにしてツンデレのテンプレ台詞を叫ぶヴィタ。その表情は照れている様子。この素直でない少女との付き合いもそれなりになる。俺ももう、その言葉の真意を間違えたりはしない。
しかし……こいつらが俺の為に? 俺はこいつらを……裏切ったってのに……。
「これがお前の人徳って奴なんだろうぜ。オレじゃこうはいかねェ」
信じられない気分の俺に、隣に座るイザークがそっと耳打ちしてくる。最近妙に近寄ってくるイザーク。正直、鬱陶しいくらいだから隣になんて座って欲しくないのだが。
「ちなみにオレが出したのは全体の一割五分ってとこだ。後は察せ」
最後にそう言って食事に戻るイザーク。
察せって……ああ、そういうことか。
カナリアが全体の半分、ヴィタが三割、イザークが一割五分なら、残りは……なるほど。いの一番に言い張る権利なんて、ユーリにはなかったわけだ。だけど……それでも、嬉しいものは嬉しい。
「ほら、クリスも黙ってないで何か言いなさいよ」
催促するヴィタに、
「え? ちょっと、く、クリスっ!?」
「うっ、ぐ……ひぐっ」
俺は涙が止められなかった。
「ちょ、な、何で泣いてるのよ!」
「あーあー、泣かせちゃったよ。ヴィタ、謝るなら今っすよ」
「私!? 私が悪いの!?」
「我も溝ができる前に潔く謝ったほうが良いと思うぞ」
「カナリア様までっ!? そ、そんなぁ……」
周りがなにやら騒がしいが、今の俺はそれどころではなかった。皆の気持ちが嬉しくて。
「しょ、しょうがないわね、クリス……わ、わ、悪かっt」
「皆ッ! 本当にありがとうッ!」
「このタイミングで言うんかーいッ!」
ビシッ、と突っ込みを入れるヴィタ。けど今はいい。俺はこの感謝の気持ちを伝えずにはいられなかった。
「俺、皆に迷惑ばっかりかけてるって思ってた。最後には黙って出てったりしてさ、ほんと、何様って感じだよな……」
「そうよそうよ! まずは謝りなさい! 主に今の私にっ!」
「ヴィタ、うるさいぞ」
「酷いっ!?」
必死の叫びもカナリアに完封される。
けど、そんなヴィタにさえも感謝の気持ちが止まらない。
「ヴィタ……思えばお前とはずっと仲悪かったよな。正直お前のこと、めんどくさいツンデレ族だなぁ、ってずっと思ってた。だけど……お前はただのツンデレじゃなかったんだな。お前は良い奴だよ、今までずっとディスっててごめん。あと、ありがとう」
「テメェ馬鹿にしてんのか!? おいコラ! 表でろやァ!」
ついに我慢の限界が訪れたのか、うがーっ! と女の子にあるまじき奇声を上げながら暴れるヴィタを必死に取り押さえるカナリア。ふむ、弄るのはこれくらいにしておかないと本気で後が怖そうだ。
なので俺はふざけモードから真面目ムードに切り替え、改めてユーリに向き合う。
「お前にも、色々世話かけたな、ユーリ」
「いいんすよ、自分ら同じ釜の飯食った仲間じゃないっすか。困ったときにはお互い様。また今度何かあったら助けてくれればそれでいいっす」
へらへらと笑い堂々と見返りを要求するユーリだが、それも彼なりの照れ隠しなのだと分かっている。こいつも相当に不器用な男なのだ。
だから、
「全体の5%しか出してないくせに、偉そうに言うな」
俺もユーリと同じく軽薄に笑ってみせる。
「あちゃー、バレてたっすか。まあ、仕方ないっすね。自分金使い荒いんで。だからまあ、借りとかそんなの気にしなくいいっすよ。むしろこれくらいしか出せなくて申し訳ないくらいっすから」
「いーや、この恨みは絶対忘れんからな。いつか必ず報復してやっから覚えてろ」
「そこまでっ!?」
「ああ。金の恨みは深いんだ」
そして、金の恩もな。
視線を交わし、お互い笑って見せる俺たち。ヴィタが「何で私のときとはそんな対応違うんじゃーーーーっ!」と、吼えているが気にしない。俺たちには俺たちなりの流儀ってのがあるんでね。
それにユーリが金をケチってそれだけしか出さなかったわけじゃないことも分かっている。こいつは普段から俺たちによく飯を奢ったりしていた。隊の備品の補充に金銭的に力を貸していたのも知っている。金銭欲の薄い奴だからな。金使いが荒いってのは嘘でもないが、真実でもない。
俺は最後に目の前の友人へ、最大級の感謝を込め、告げる。
「……ありがとう」
「なんの」
最後はそんな短いやり取りで俺達は会話を終えた。
男同士のやり取りなんて、大体こんなものだ。時間をかける必要があるとすれば、それは……
「えーと、それからカナリアも……ありがとな」
女に対するときくらいだ。
俺は大恩ある少女に向かい合い、何と言っていいのか分からなくなる。そうして出てきたのはそんな飾り気のない言葉。我ながら恥ずかしくなるほど口下手だな。
「別に構わんさ。これは我がしたくてやっていること。感謝される謂れはない」
「お前が求めてなくても、俺はお前に感謝してるんだよ。この借りはいずれ返す。ってこれを言うのももう二度目か。あんまり信用はないかもしれんが、それでも俺はいつでもお前の力になる。何でも言ってくれ」
「ふむ、言えばなんでもしてくれるのか?」
僅かに目を細め、いたずらっ子のような笑みを浮かべるカナリア。こいつにもこんなお茶目な一面があるんだな。
「できる範囲でな。最近は大切なものが多くなりすぎていっぱいいっぱいなんだ。それくらいで容赦してくれ」
「うむ。むしろそれでいい。誰にだって優先順位はある。もしこれで何でもするなんてのたまっていたらそれこそ怒るぞ。お前が大切にするべき人は他にいるのだからな」
少しだけ安心した様子でそう言うカナリアに、以前言われた言葉を思い出す。
「ああ、分かってる。それは任せてくれ」
「ふふ、それこそ何でもするって顔だな。どうやらお前に任せて正解だったようだ」
最後にそう言ったカナリアは俺から視線を外してアネモネを見る。
「アネモネ、これからもクリスのことを支えてやってくれ。こいつには誰かがついていないと駄目らしいからな」
「……任せて」
こくり、と可愛らしく頷くアネモネ。
というか誰かがついていないとって……まあ、確かに皆と離れて活動してたときは我ながらどうかしてる精神状態だったけどよ。そこまで言いますか。
「うむ。やはりお似合いの二人だな」
うんうん、と頷いて笑みを浮かべるカナリア。
その笑みにそれ以上、俺は追及することができなかった。これ以上言っても無粋なだけだ。それにこれだけのことをしてもらって文句なんて言える訳もない。
俺もカナリアとの会話をそこで止め、残りの一人へと視線を移す。
「…………ンだよ」
仏頂面を浮かべてはいるが、きっとそれも「次はオレの番かなー、ドキドキ」って気持ちの裏返しなのだろう。最近のこいつの行動を見てれば分かる。妙に馴れ馴れしいからな、こいつ。何か心境の変化でもあったのだろうか。
正直無視してやりたかったが、ここで一人だけ無視するのは流石に可哀想だ。俺はしぶしぶながらも感謝していることは事実なので、
「……助かる」
と、短く告げてやる。
「フン……気にすンな」
それに対してイザークもそっぽを向いて答えるが……僅かに耳が赤い。きっと照れているのを隠しているのだろう。男のツンデレとか誰得だよ、ほんと。
俺はイザークの態度にげんなりしながら改めて全員を見渡す。
全く……よくこれほどの馬鹿が揃ったものだと苦笑が漏れるぜ。こんな俺なんかに力を貸してさ、それが返ってくる保障なんてないのに。
俺はそんな馬鹿な連中を見返し、
「……皆、改めて……ありがとう」
深く、頭を下げる。
こんなもので全ての気持ちが伝わるとは思っていない。
こんなもので全ての恩に報いることができるなんて思っていない。
だけど、衝動的にそうしてしまっていた。
こんなものでほんの少しでも気持ちが伝わるなら。
こんなものでほんの少しでも恩に報いることができるなら。
何度だって頭を下げてやる。そんな気持ちだった。
「……頭を上げろ。クリス」
その場を代表して声をかけたのは、やはりカナリアだった。
「お前は我らは仲間だ。カナリア小隊の一員だ。例え抜けたとしても、例え同じ方向を見据え、同じ場所に立っていなくとも、それは変わらない。そして仲間を助けるのもまた、当然のことだ」
「……カナリア」
「だから、気にするな。我らはお前を信じている」
そう言ってこれで話は終わりだと、強引に場をまとめるカナリア。
いつか彼女が言っていた。信じるということには果てしない覚悟が必要なのだと。言葉の上だけではない。真の信とは『例え裏切られても後悔しない』だけの覚悟が必要なのだと。本来信じるとは、それほどに重いことなのだと、カナリアは言っていた。
そして、カナリアは俺を信じていると、そう言ってくれた。
その意味を、重さを。俺は深く感じ入っていた。
そして同時に思い出す。俺の憧れた光の力強さを。
流石はカナリアだ。一言で言うなら、そういうことだ。
「……ほんと、適わないよなぁ」
誰にでもなく一人呟く俺の右手を、小さな手が掴む。
「……クリスも十分、素敵」
「嬉しいこと言ってくれるね。アネモネも十分可愛いよ」
「何それ」
「ただの惚気」
握り返す小さな手に、ふとイザークの言っていた別の世界のことを思い出す。俺がカナリアに惚れる未来、か。案外ありえなくもなさそうだ。だって今ですら、結構グラッときてるんだから。
なんて、思っていると……
ぎゅーーーーーっ! とアネモネの掴む力が強まった。痛いというほどでもないが、できればやめてもらいたい。
「……浮気、ダメ、絶対」
「う、浮気って……」
「ダメ、絶対」
アネモネの目が笑っていない。
いや、大体いつも笑ってはいないけど今日はいつもの数倍笑っていない。
俺の彼女は案外やきもち焼きらしい。まあ、そんなところも可愛いけど。まずはこの手を緩めて欲しい。
「大丈夫、俺はアネモネ以外を好きになったりしないって」
「……じゃあ、カナリアのこと、きらい?」
「…………」
「…………(怒)」
「いやいやいやいや、その聞き方はずるいって! あそこまでしてくれた人間を嫌いになるとか有り得ないから! 人として! 大丈夫! 恋愛的な意味の好き……も少しは入ってるかもしれないけど、アネモネが一番好きだから! 宇宙一愛してって痛い痛い痛いッ! 指の関節がぁぁぁあぁぁッ!?」
一番好きって言ったのに……どうやらアネモネ的には『唯一』好きであって欲しかったらしい。けど、そんなのは無理じゃないですか。男の子なら分かってくれるよね?
「悪かった悪かった俺が悪かったから腕が変な方向にもげるぅぅぅぅぅっ!!」
付き合い始めて数日にして、すでに尻に敷かれ始めている俺。
うう……いくらなんでも情けなさすぎんだろ……。
そらから何とかしてアネモネのご機嫌を取ろうとして墓穴を掘り続ける俺の断末魔が、誰もいなくなった食堂に響き渡った。どうやら俺の彼女様は相当のやきもち焼きらしい。
---
次の日、ついに行動を起こすことに決めた俺達は中庭に集まっていた。
「では、帝都に飛ぶぞ」
指揮するカナリアにユーリ、ヴィタ、イザーク、アネモネ、そして俺が頷き近くに寄り集まる。今回の召集は急を要するらしく、メテオラを使って移動することになった。今更メテオラの便利さ加減にどうこう言うつもりもないけど……本当にチートだよな。
「しっかし、急の召集とは珍しいっすね。隊長は何か聞いてますか?」
「いや、届いた書簡には詳しいことは何も書かれていなかった。何か秘密裏に頼みたいことなのか、よほど火急の用なのか……それも帝都に行けば分かるはずだ」
カナリアも今回の召集の意味をまだ教えてもらっていないのか、ユーリの問いにそう言って答えた。そして……
「では……帝都に運べ──メテオラ」
その名を呼ぶカナリアの手から、白い光が溢れ出し俺達を包み込む。そして、一瞬の静寂の後、俺達は全く別の場所へと立っていた。久しぶりに帰ってきた帝都だ。今回は街中にいきなり現れるわけにもいかず、少し離れた位置にある丘へと飛んできている。帝都の街並みが一望できるその丘から見える風景は……
「………………え?」
見慣れた景色、ではなかった。
「何だ……これは」
隣でカナリアが呆然と呟くのが聞こえる。
しかし、それも耳に突き刺さる喧騒にかき消されてしまう。ドクドクと心臓が早鐘のように鳴り響いている。まさか、有り得ない。そんなはずはない。奴は確かに──殺したはずだ。
「空が……」
誰もが気付いたであろうその異常事態。
俺達には危機感が足りなかった。
アネモネとアダムの二人を失ったヴォイドに何ができるのかと、油断していたともいえる。しかし、その認識は甘かった。俺達は完全にヴォイド・イネインという男を誤解していた。
あの男は……この程度では止まらない。
見上げる空を覆う『群青』に、俺はそのことを今更ながらに悟るのだった。




